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第33話 幼馴染は友人と張り合う

 里桜は昔から面倒見の良い女の子だった。気心の知れた相手には、という条件がつくのはもはや言うまでもないだろう。


 普段から一緒に遊んでいた俺と里桜だが、勉強も一緒にすることが多かった。よく肩を寄せ合って教科書を覗き込んだものだ。と言っても里桜は当時から優秀だったので、俺は里桜に教えてもらう立場だったけどな。


 あれは小学三年生の算数で割り算を習った直後のことだった。掛け算はどうにかできるようになっていた俺だが、新たに出てきた割り算という概念をあまり理解できずにいた。


「ねぇ里桜。これってどうしてこうなるの?」


 俺は教科書の例題を指差しながら里桜に尋ねる。


 9÷3=3


 今ならなんでこんな簡単なこともわからないのかと言いたくなる。授業でも説明はされたはずだが、当時の俺にはさっぱりだったのだ。


「んーとね、九九と同じでおぼえちゃうのが一番早いんだけどねぇ」


 里桜はおばさんがおやつにと出してくれたマーブルチョコに手を伸ばす。そして9個を皿の上に取り出した。


「これをね、3つに分けるって考えればいいんだよ。こうやってー」


 里桜の指がマーブルチョコを一つずつ動かしていく。そして3つの塊に分けられたマーブルチョコ、一つの塊には3個になっていた。


「あーっ、なるほど。わかった!」


 里桜の説明はいつだってわかりやすいんだ。難しい言葉を使わずに、感覚で理解できるようにしてくれる。

 

「なら次はこれやってみよっか」


 里桜がノートに問題を書く。


 4÷2=


 今さっき里桜が説明してくれたように、頭の中でマーブルチョコを動かしていく。


「こんなのかんたんだよ! 答えは2だね」


「うん、せいかいだよっ! 隼くん1回でできるようになっちゃったね」


「里桜がおしえてくれたからだよ」


「それでもすごいよっ。はい、隼くんっ。せいかいのごほーびっ!」


 里桜がマーブルチョコを一粒摘んで俺に差し出していた。里桜に褒められて嬉しくなった俺はためらうことなく口を開ける。


 里桜からご褒美に食べさせてもらったマーブルチョコはいつになく甘くて美味しかったのを覚えている。


 今になって思い返せば、幼いながらもバカップルのようなことをしていた俺達。でも当時は遊ぶにしろ勉強するにしろ、一緒にするのが楽しかっただけなんだ。


 そんな感じで、里桜は昔から面倒見の良い女の子だった。


 そして今もそこは変わっていない。毎日せっせと食事を用意してくれて、入学前の課題の手伝いをしてくれたことからもそれはわかると思う。


 課題の時は半分くらい邪魔していたような気がしないでもないが、その後のペース配分が完璧だったことを考えるに、俺の集中力の持続時間を考慮に入れてくれていたのだろう。



 ***



「それじゃ、始めよっか」


 俺の左隣で里桜が言う。


「さて、なにからやろうか」


 続いて右隣から悠人が。


 とある日の放課後、俺達はまた図書室にいた。


 悠人に里桜とのことを話した日から、昼休みの図書室は俺達三人の落ち着く場所になっていた。


 教室にいるとなにかと騒がしいからな。詰め寄ってくるやつはいなくなったが、相変わらず視線は集めているので里桜も落ち着かないみたいだし。


 悠人も一人教室に残っていると女子達にキャイキャイ言われて疲れるらしいので一緒だ。ここでの悠人は机に突っ伏して寝ていることが多いな。なんでも、部活のために体力を温存しているのだとか。


 そんな理由で、昼食を終えてから静かな図書室でのんびりするのがここ最近の昼休みの過ごし方になっている。


 そして今、放課後にも関わらず俺達が図書室にいるのには理由がある。


 それは──間近に迫った一学期考査である。


 6月も下旬に差し掛かり、今日から試験週間が始まったところだった。


 俺達が通う柊陵高校では、いわゆる中間考査というものが存在しない。両親の世代では一学期と二学期に中間考査があったそうだが、数年前にカリキュラムが変更されたらしい。


 回数が減ったこと自体は喜ばしいのだが、回数が減るということは1回あたりの範囲が広くなるということでもある。


 というわけで、今日の俺達はその勉強会という名目で図書室に集まっているのだ。


 一応俺も授業に置いていかれないように普段からある程度は復習をやっているので、まずはそのおさらいから始めるつもりでいた。


「とりあえずは各自で好きにやったらいいんじゃねぇか? んで、わからんところがあったら質問する感じでさ」


 と言ってはみたものの──質問するのはきっと俺だけなんだろうな。


 里桜は昔から勉強はよくできたし、なにより首席入学するほどの優秀さである。悠人も中学時代から試験の順位は上位を維持していた。つまり試験に不安を抱えているのはおそらく俺だけだ。


「はーいっ! わかんないところがあったらなんでも聞いてねっ!」


「隼の勉強の世話をするのには慣れてるからね、遠慮なく質問してくれていいよ」


 里桜と悠人が同時に言う。俺を挟んで里桜と悠人の視線がぶつかり、その間でバチッと火花が散った気がした。


「あー、うん。そん時は頼むわ」


 あっれ……?

 この二人、こないだの写真騒動でまた少し打ち解けたはずじゃなかったっけ?


 うーん……ひとまずは気付かなかったことにしておくか。気の所為、ということもあるしな。


 鞄から教科書とノートを取り出し広げて、勉強会が始まる。俺は数学から始めることに決めた。


 しばらくは全員黙って、それぞれの勉強に集中していた。


 俺は基礎問題はなんなく解くことができるのを確認した後、応用問題へと手をつける。


 問題の途中でつまずいて、手が止まった瞬間だった。


「隼くんっ。そこ、間違ってるよー」


「隼、それ違ってる」


 すかさず左右から手が伸びてきて、俺のノートの同じ箇所を指差した。


 同時だった。また里桜と悠人の間で火花が散った、ように見えた。


 そんな二人に動揺しながらも、俺はノートを見下ろす。


「……んー? なにか間違ってるか?」


 俺にはなにが間違っているのかさっぱりだった。基礎問題と同じようにやっているはずなのだが。


「えっとねぇ、隼くん。そこで使うのはこの公式じゃなくて、こっちなんだよ」


 里桜が俺に身を寄せてきて、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。そして肘にはふにゅっとした感触が。


 相変わらず里桜は暖かくて柔らかいなぁ……。


 ──はっ!


 いかんいかんっ、教えてもらってるのにそんなことに気を取られてちゃダメだろ。


「……そうなのか?」


 どうにか意識をノートに集中させて尋ねると、今度は悠人から返事があった。


「そうそう。応用問題だからね。あえて間違えやすいようになってるんだよ。でも問題文をちゃんと読めば──」


「時雨くん?」


 里桜が悠人の言葉を遮った。


「な、なにかな、高原さん」


 これには悠人も驚いたようで、わずかに声が震えていた。


「隼くんには私が教えてあげるから、時雨くんは自分のお勉強してていいよ? ほら、私の方が余裕あると思うしね」


「いやいや。俺だってこれまで隼の勉強見てたからさ、隼がわかるように説明するのは得意なんだよ。なんてったって、隼をここに合格させたのは俺だからね」


 俺を挟んで里桜と悠人の言葉がぶつかり合う。怒鳴り合いにまではなっていないが、まさに一触即発の危機である。


 ……なぜに?!


「お、おい、待て待て。なんで二人していきなり喧嘩腰になってんだよっ!」


 さすがにここまでくると気の所為では片付けられず、俺は慌てて仲裁に入ることになった。

 

「あっ、いや、そんなつもりは……。ほら、今まで俺がやってきたことだしさ、使命感というか──今回もそうしないとかなって、思って」


 なるほど、悠人の言い分はわかった。いや、それでここまでムキになるのはわかんねぇけどさ。とりあえずはそういうことにしておこう。


「じゃあ里桜はどうしたんだよ?」


「だってぇ……」


 里桜の顔を見れば、頬が膨らみ唇が尖っていた。完全に拗ねている顔である。ただ、この顔を見せるということは里桜がそれなりに悠人に慣れてきているということでもある。


 どのみち拗ねているのには違いないのだが。


「そんな顔されてもなぁ……言ってくれないとわからないぞ?」


「うん……。あの、えっとね……隼くんと時雨くん、いっつも仲良しだから……」


「あー、うん。まぁ仲は良いよな。それがどうしたんだ?」


 里桜はちらりと俺を見た。言いづらそうに口をもにょもにょさせて、


「私の方が、隼くんと……もっと、仲良しなんだもん……」


「っ?!」


 ポショリと呟いた里桜の言葉に、その表情に胸がキュンとなった。


 なんなんだ、この可愛い生き物は?!


 ……俺の幼馴染だったわ!


 つまり、里桜は悠人に嫉妬してたってことか?

 男友達である悠人に。


 俺は完全にハートを撃ち抜かれていた。

 ついでに里桜は悠人のハートをも撃ち抜いていたらしい。


 ポンと悠人が俺の右肩に手を置く。


「隼、悪い。ここは高原さんに譲ることにするよ」


「え、あぁ、うん……うんっ?」


「高原さんもごめんね。もう張り合ったりしないからさ」


「えっ?! でも……」


「いや、いいんだ。隼には高原さんが教えてあげてよ。ないとは思うけど、高原さんでもわからないことがあったら声をかけてくれたらいいから。あとは俺が困った時は助けてね」


 そう言うと悠人は席を一つ右に移動して自分のノートと向き合い始めた。


「い、いいのかな……?」


 悠人に聞こえないように、里桜が俺の耳元で囁く。


「悠人なりに気を使ってくれたんだろ。この我儘娘め」


 俺は里桜の額を指でちょんと突いた。ここのところ、俺は悠人よりも里桜に構い倒しなのだ。


 チラリと悠人の横顔を見ると少し寂しそうな、それでいてどこか納得した表情をしていた。俺と里桜の間に割って入るべきじゃないと思っているのか、もしくは里桜の普段あまり見せない表情を見て、俺が里桜にとって特別な存在なのだと改めて認識したのか。


 自分で考えていて少しだけ恥ずかしくなるけど、否定はできないからな。


 俺にとっても里桜は特別だからさ。もちろん悠人だって大切な友人には違いないが。


 悠人には試験が終わったらフォローすることにするかな。たまには男二人で遊びに行くのもいいだろう。


「あぅ……だってぇ……」


「まぁいいけどな。俺も、里桜に教えてもらった方が嬉しいからさ」


 中学時代に散々世話になった悠人にはものすごく申し訳ない気持ちになるが、これも事実なわけで。


 ならここは素直に甘えておくべきだ。それにせっかく可愛い里桜の顔、拗ねさせたままにしておくのはもったいない。


「うぅー……隼くんのバカぁ。そんなこと言われたら……きっちりみっちり優しく教えちゃうんだからねっ」


「そりゃ望むところだな」


「えへへ。じゃあ早速、さっきの説明の続きするね」


「ん、頼むな」


 昔と変わらず里桜の説明は丁寧でわかりやすい。躓いていたのが嘘のように問題が解けてしまった。


「今度はその次の問題やってみよっか? それもやり方は今のと同じだよ」


「まかせろ、こんなの余裕だぜ」


 教えてもらっておいて偉そうだが、里桜の説明を受けた後は不思議と自信がつくんだ。宣言通りにさっくりと解いてやった。


「……これでどうだ?」


「うんっ、正解だよっ! 隼くんはすごいねぇ。ご褒美によしよししてあげる」


「えっ、ちょっ! いいって……!」


「遠慮しなーいのっ。ほーら、よしよーし」


 抵抗する間もなく里桜に頭を撫で回された。その手つきは優しくて、抵抗しようとしていたのがバカらしくなる。心臓はドキドキとうるさいのに心地良くて、この時間がもっと続けばなんて思ってしまう。


 その後も俺が正解するたびに頭を撫でられて、時折悠人の呆れた視線を感じた。


「はいはい、ごちそうさま。まったく……敵わないなぁ」


 そんな声が聞こえたのは、きっと気の所為じゃなかったと思う。

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