第28話 幼馴染宣言
離れ離れになるまで、俺と里桜の関係は公然のものだった。
さすがに当時においては俺達が幼馴染であるという認識はなかったわけだが。なにせその時分はまだ幼かったからな。
それでも俺と里桜の仲の良さというものは周囲にはしっかりと知れ渡っていたと思う。高校に入ってからと違って隠すようなこともしていなかったのだから当然か。
昔から可愛い女の子として評判だった里桜は、今と同じで昔も周囲からの注目を集めていたのだ。人見知り&引っ込み思案な里桜本人からすれば迷惑な話だったんだろうな。
そしてそんな里桜がいつも俺にはべったりだったんだから、その関係性はおのずと知れるというものだ。
とまぁそんなわけで、小学三年生までは俺と里桜の関係というものはクラスの人間であれば誰でも知っているようなものだった。
***
俺の横で朝陽を受けた黒髪が煌めきながらふわふわと楽しげに揺れている。
「隼くんと一緒っ、嬉しいなぁ♪」
隣を歩く里桜は俺の左腕にしがみついて、満面の笑みを浮かべていた。
ただ一緒に登校するだけでこんな顔をしてくれるなんて、この幼馴染、可愛すぎなのでは?
いやいや、里桜が可愛いことくらい昔から知っていたはずだ。なにを今更──
「ねぇ、しゅーんくんっ?」
「なんだ?」
「んふふ〜っ、呼んだだけーっ」
…………。
あぁもうっ! 可愛いな、ちくしょうっ!
今更だろうがなんだろうが可愛いものは可愛いんだよ!
里桜のことを再び意識し出してからというもの、俺は里桜の可愛さにやられっぱなしなのだ。そのトキメキのせいで10秒おきに心臓が止まりかけてるんだからな。
それに里桜に名前を呼ばれると、すごく心がふわふわするんだよ。これまで何回も、それこそ数え切れないほどに呼ばれてきたはずなのに。
これもそこに込められた明確な好意に気付いてしまったせいだろうか。というか、もう俺に向ける言動全てに好意が、しかも全力で込められているようにしか見えない。
そうとあっては仕方がない。里桜がそのつもりなら俺だって。はっきりとした言葉はまだでも、このどうしようもない想いを込めて名前を呼ぶくらいはしてもいいだろう。
「なぁ、里桜……」
「なぁにっ、隼くん?」
里桜がくりんとした目で俺を見上げて、次の言葉を待っていた。そんな目で見つめられると里桜しか見えなくなるんだが?
チョロい男もいたものだ。
俺のことである。
「お、俺も……呼んだだけ」
「もーっ、隼くんってばぁ!」
里桜の真似をしてみたけど、なんだこれ。
めっちゃはずいっ!!
でもなんか、ちょっと楽しいかも……?
俺が呼ぶと里桜がふにゃっと笑ってくれて、その笑顔がくすぐったくて嬉しい。
もう一回くらいやってみても、いいか……?
「しゅーんくんっ!」
迷っているうちにまた里桜が俺を呼ぶ。どうしてほしいのかなんて手に取るようにわかる。俺と里桜はそれくらい付き合いが長いんだ。ブランクなんてものともしない。
なんて、昨日まで目も心も曇っていた俺が言えたことじゃないけどさ。まぁその期待には応えるが。
「……里桜」
「えへへ。隼くんっ」
「里桜」
「しゅーんくんっ」
ひたすら名前を呼び合いながら学校を目指す一組の男女がいた。しかも二人ともアホみたいに顔がニヤけている。まるでバカップルのようだが、まだまだただの幼馴染という関係である。
いや、まじで俺達なにやってんの?
最初は気恥ずかしさを誤魔化してただけのはずなんだけど、あとになって思い返してみるとより恥ずかしいことをしていたっていう。
ただ、名前を呼び合うたびに込み上げてくるものもあって。暖かくて、懐かしい。里桜に呼ばれるごとに、里桜を呼ぶごとに六年の歳月が少しずつ埋まっていくような、そんな感覚だ。
今なら里桜が空白分を埋めたいと言っていた意味がよくわかる。有り得なかった六年を、有り得たかのように。六年もあればもっと里桜の名前を呼べたはずなんだ。
そして二度と戻らないと思っていたものが、今はしっかりと手の中にある。その幸福感にあっという間に夢中になっていた。それを確かめるために、また里桜の名を呼ぶ。
「里桜」
「うんっ、隼くんっ」
高校生活初の里桜と二人での登校は、ろくな会話もなく終わることになった。まぁ里桜が満足そうだったからいいけどな。
そして夢中になっていたせいで頭から抜け落ちていたことも。
里桜の注目度の高さだ。
久しぶりの里桜との登校に浮かれて、ずっと腕を取られていることすら忘れていた。校門を通り過ぎ、昇降口を抜け、教室に辿り着いてもバカップルですら裸足で逃げ出すような愚行を繰り返していたわけだ。
二人揃って堂々たる登校を果たした俺達に視線が注がれる。
そこでも俺達はまだ気付かない。
だって里桜の顔しか見えてねぇもん。
里桜狙いの男共が群がってきて、声をかけられてようやくだった。
「ちょ、ちょっと高原さん? なんで……柊木と、一緒に……?」
「腕まで組んでるしっ……!」
「どういうことなんだよ、柊木っ?!」
「「あ……」」
俺の顔ばかり見ていた里桜がピシリと固まった。俺も同じくだ。
うん、そういえばそうだよな。こうなるのは目に見えていたはずだ。幼馴染という関係を隠すのはやめるという話はしたが、ここまでするとは言ってなかったのにな。
これはもう覚悟を決めてぶちまけるか、と思ったところで、先に動いたのは里桜だった。
油を差し忘れたロボットもかくやというような硬い動きではあったものの、もう一度俺の顔を見てぐっと頷いてから周囲へと視線を向けた。
そして深く息を吸い、
「実は……私と隼くんは幼馴染なんですっ! とってもとっても仲良しなんですーっ!」
大声で、はっきりと宣言したのだった。
おーいっ、引っ込み思案はどこいった?!
という心の叫びは今は飲み込んでおこう。里桜だけに言わせておくなんて情けないからな。
「あー……色々あって今まで伏せてたんだけどな、俺と里桜は物心つく前からの付き合いなんだ。これからはたぶんこんな感じになるから、その、なんだ……よろしく頼むわ」
一応牽制も兼ねて、な。里桜に俺以外の男が群がるのは正直面白くないんだよ。
当然、こんなことを言えば騒ぎが大きくなるのはわかりきってることだ。里桜はモテるからな。でも誰にも譲る気はないんだ。里桜の隣は昔から変わらず俺の指定席だからさ。
「お、幼馴染なだけなんだよな? 付き合ってるわけじゃ、ないんだよな?」
「おいっ、柊木! どうなんだよ!」
俺達が宣言したのは幼馴染であるということだけ、まだチャンスがあると思うやつはいるらしい。見せつけるように、いまだに里桜が俺の腕にくっついていてもなお。
ただ指摘自体は至極真っ当で、それ以上の言葉を紡げずにいると、
「いやぁ……これは付き合ってなくても時間の問題なんじゃないかなぁ。どう見ても間に割り込む余地なんてなさそうだしね。俺としては馬に蹴られたくなければすっぱり諦めることをおすすめするよ?」
俺達に群がっていた野郎共の後ろから声がした。
この声は確認するまでもなく俺のよく知る人物、悠人のものである。さすが我が友人、助け舟を出してくれたようだ。
「そうなの、隼くん? 時間の問題なの?!」
「なんで里桜がそこに食いついてくるんだよ……」
「だって……隼くん昨日、意味わかってるって言ったもん」
「まぁそうだけどな……」
あぁそうだよ、時間の問題だよ。タイミングを探ってる段階なんだよ。だからこんなところでぶち壊しにしたくないんだよ。
「じゃあ、答えてくれるよね?」
「いや……今はダメだ。ちゃんとするから、もう少し待ってろよ」
「本当? 私、待ってるだけでいいの?」
「ん、それでいいよ。約束するからさ」
「絶対だよ?」
「あぁ、絶対な」
「えへへ、じゃあ待ってるねっ」
あれ?
これってもう告白してるようなもんじゃね?
そう思った時にはすでに手遅れだった。
里桜は今までに見たことのないくらい、蕩けるような甘い笑顔を浮かべていた。おまけに俺達を取り囲んでいた野郎共はすっかり意気消沈しているし、女子達はキャアキャアと騒いでいた。
そして悠人は笑いをこらえながら近寄ってきて、俺の肩に手を置いた。
「さーて、隼。どういうことか、俺にはきっちり説明してくれるんだよね?」
「あぁ……そのつもりだ。昨日有耶無耶にした件も含めてな。詳しくは──昼休みでもいいか?」
悠人には心配もかけたことだし、説明する義務があるはずだ。里桜と一緒に暮らしてることも含めて話すつもりでいる。もちろん里桜に了承を得てからにはなるが、悠人なら他に漏らしたりはしないだろうからな。
「おっけー、待ってるよ」
「わりぃな。それからとりあえず紹介だけしとくわ。俺の大事な幼馴染の里桜だ。昔から人見知りであんまり友達できそうにないからさ、悠人も仲良くしてやってくれよ」
「高原さんのことは紹介されなくてももう知って──」
悠人に向かって言ったはずなのに、なぜか里桜の身体がビクッと跳ねた。そしてその顔はまるで完熟トマトのように真っ赤になっていた。
噛み付いたらさぞ甘くて美味そうだと思ったのは秘密である。
「しゅっ、隼くんっ……?!」
「なんで里桜が驚いてんだよ」
「だってぇ! 隼くんが大事なとか、言うからぁ……!」
「しょうがねぇだろ、事実なんだから。大事じゃなきゃさっきの話が根底から覆るぞ?」
「そっ、それは困るよっ! でも隼くぅん……、皆の前でそんなにはっきり言われるとね……嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい、よ……?」
「……」
そんなこと言われると俺まで恥ずかしくなるだろうが。
でもさ、
「これくらいは早いとこ慣れとけよ。これからは……俺もちゃんと言うからな」
「ひゃ、ひゃいっ……!」
里桜は耳まで真っ赤にしてコクコクと頷いた。
俺だって想いを伝える決意はしてんだからさ、この程度であわあわされたら困るぞ。ついでに里桜からアプローチされた分、俺だってやり返すつもりなんだ。
やられっぱなしは性分じゃないんでな。
「はぁ……なんかご馳走。とりあえず昼休み楽しみにしてるから、あとは二人でごゆっくりー。ほらほら、見せ物じゃないんだから皆も散った散った」
悠人が外野を代表して締めると、周りから人が捌けていく。あんな会話を公衆の面前で繰り広げたおかげか、それ以上俺達に詰め寄ってくる猛者は現れなかった。
そして、悠人と約束した昼休みになるころには俺と里桜の関係はクラス内だけでなく、学年中に広まっていたのだった。
3限目の後の休み時間、その噂が一周してうちのクラスに戻ってきたらしい。噂好きの女子のコソコソ話が聞こえてきた。
「ねぇ聞いた? 高原さんと柊木くん、朝はただの幼馴染だったのに、もう結婚の約束までしたんだってー」
「まじ?! はやーっ!」
頬杖をついてボーっとしていた俺は、あまりの衝撃に手を滑らせ頭から机に突っ込むことになった。
んなわけねぇだろ!
俺も里桜もずっと教室にいたろうが!
俺は机に突っ伏しながら心の中で叫んだ。
「しゅっ、隼くんっ?! なんかすごい音したけど大丈夫?!」
ゴンッという鈍い音を聞きつけて里桜がすっ飛んでくる。心配そうに俺を見つめる顔もキュートである。
「だ、大丈夫……」
大丈夫じゃないのは噂についた尾鰭の方だ。里桜の耳には届いていなかったみたいなのが救いかもしれん。
「でもおでこが赤くなってるよ。もう……気を付けないとダメなんだからね?」
「あぁ……すまん」
よしよしとぶつけたところを撫でてくれる里桜を見て、なぜか周囲のクラスメイトはしきりに頷いていたのだった。




