離婚に向けての話し合い ヘル・パーティへの招待状
あらら次回、最終話となりました。
アルフォードに対する心の内はもう二度と、決して……、外には漏らさない。そう誓ったエリーゼは気が利くポテルカが淹れた、香り高い薔薇お茶に金色はちみつをひとたらし、入れたティーカップを軽く傾け飲んだ後、立ちん棒の夫に座るように勧め、離婚に向けての話を切り出すことにしました。
「はしたなくも取り乱してしまいましたわ。ごめんなさいまし。アルフォード」
「いや。ありがとう。その……、なんというか……」
声音、視線、口元、姿勢に指先の動き。全てに気を使い、心に衝撃を受けたために、触れれば落ちなん花弁なような儚げな空気を纏うエリーゼ。これまでの茶番が向かいの席におずおずと腰を下ろしたアルフォードの琴線に、ちろりと触れたことを敏感に感じ取りました。
そこで次の手を打ちます。
「ポテルカ。お茶を淹れて差し上げて」
「はい。エリーゼ様」
「アルフォードはピッカラ国より取り寄せた、香り高い茶葉がお好み。渋味が出ない様、浅めにお淹れして、薄切りの檸檬をひと切れ、浮かべて差し上げて」
「かしこまりました」
「茶菓子はふんわり軽く焼き上げた、メレンゲ菓子を。お好きだから……」
他の女性に心を捧げ、夫婦の営みを放棄し結婚式以来、ろくに戻ってこない夫の好みを、すらすら述べるエリーゼに驚く表情のアルフォード。
(フフ……お馬鹿さん。あなたの好みなんて、家令に聞けば、直ぐに判ることなの。こういう時のために好みの把握をしておいて良かったこと)
「どうして私の好みを知っているのか?君とは私的なお茶など嗜んだことなど無い」
「夫の好みを妻が知っていることは、いけないことですの?」
「いや……。なんというか。その……、嬉しく思う」
「ありがとうございます。そう言っていただけて、わたくしも嬉しく思いましてよ」
初めて……、暖かな陽光の下、淡いピンクの薔薇の蕾がしどけなく開く様な雰囲気が夫婦の間に、ホロリと満ちていきます。
カチャカチャ。茶器の触れる音。コポコポとお茶注がれ、琥珀の表面にぷかりと浮かべられた檸檬のいち枚。
「どうぞ。お飲みになって。ポテルカはお茶を淹れるのが、とても上手ですのよ」
「ありがとう。ああ……良い香りだ……。この茶葉なかなか手に入らない上に湿度に弱い。保存が難しいのに、私のために取寄せてくれていたのか……。さっそく頂くよ」
「ええ。切らしたことはございませんの。メレンゲ菓子もどうぞ。あなたのために毎日、焼かせていましてよ」
優雅にすすめるエリーゼの振る舞いに、何処かうっとりとした目元のアルフォード。
(ふふふ。あなたの愛する馬の骨は可哀相な事に貧乏貴族の末っ子ですものね。あなたの日常における好みを金に物言わせて叶える事など、さぞかし難しいでしょうね)
「焼き立てだ。メレンゲ菓子も……欠かさず……私とお茶をすることを待っていてくれていたのか」
「……。」
さっくりと食みながらのアルフォードのそれに、優しい微笑を作り上げ小首を傾げた、エリーゼ。そしてアルフォードの心が程よく蕩けた頃合いを見計らい、切り出しました。
「そう。お金が無いとのお話しでしたわよね」
「え。あ、ああ。そうか。離婚。もう両家親族の了解が……そうか。決まってしまったんだ」
「愛するお方と末永く幸せになってくださいまし。わたくしは決められた通り、きちんと手続きを終えれば実家に戻れますから……」
そう話すとコクンとお茶を飲み込み、さしずめ迷路にでも迷い込んだ様なアルフォードに別れを静かに告げた、エリーゼ。
しばし……。無言の時を過ごし、おもむろに現実的な疑問を投げかけます。
「でもどうしてお金がありませんの?この邸宅に掛かる費用に関してですが、お義父様からこちらに渡されている分はあなたが自由に使っていますでしょう。なので毎月送られてくる、わたくしの化粧料と持参金により賄ってますのよ」
「それは……」
ガックリと肩を落としたアルフォード。
「何かしら手助けができるやも知れません。話してくださらない?アルフォード」
殊更、気を使い優しい声音を出すエリーゼ。
甘い誘い声につらつらと語り始めたアルフォード。
「うん……。実はローラ、バームロールの家はあれこれ問題を抱えていて……。早く言うと金が全く……無い。出会った時にはよからぬところからの借金もあった。そのおかげで可哀相な彼女が娼館へ行かなくてはいけないと泣いていた。そこで私が助けて……、それから援助をし続けていたのだが、最近になり、心苦しいから我が身を売ってでもなんとかすると言い出しているんだ」
「まぁ……娼館へ。それはお気の毒なことね。して、詳細は?ちゃんとお聞きになられていらっしゃるのでしょう」
「ああ。父親であるアマンデール子爵が取り引きしていた船を数年前に難破させたらしい。そのことがきっかけになり仕事を失い首が回らなくなったそうだ。その上、バームロールの母であるアマンデール夫人は肌の奇病だとかで、特別に織り上げた高価なシルクの衣服しか身に着けられないとか。ひどくかぶれるそうだ。そして姉も母親の体質を引き継いでいるらしい。跡取りの兄もなんでもメッキが駄目だと言う話だ。貴金属は全て混ざり気のない物しか身につけることは出来無いという。ボタンにさえ反応をするそうだから、衣服にたいそう、あの家は金が掛かる。それを借金で賄っていたらしい」
愁いの表情を浮かべ、とつとつ話すアルフォード。
愁いの表情を浮かべつつ、怪訝に思うエリーゼ。
(……。何なのでしょうか……。書物で読んだ事がある、手練手管の娼妓にたぶらかされている気がいたしますの……。まぁ、関係ありませんからどうでもよろしいですけれど)
「だから援助をされておられた。だから支払う手切れ金がない。とのことでよろしくて?」
「ああ……、しかしこのままずっとあの家を養うのは……。だからバームロールだけでも、私の元に来るようにしたいのだ」
「そうですのね。1日も早くわたくしと離婚をしなくては、彼女の貞操が危ういのですわね。あぁ……。なんて哀れな……、こうしている間にも大丈夫なのかしら……。わたくしならば、愛する人に負担をかけたくないと……決意を致しましたら直ぐに向かいましてよ……」
言葉尻になるに連れ、ポツリポツリと呟く様に話すエリーゼ。これは夫の不安を誘うべく出た行動。
「両家親族の同意を得たことは話しまして」
「いや。金銭的なことがあるから、まだだ」
「そうでしょうね、彼女の耳に入ったら……あなたにこれ以上の負担をかける事になると知ったら……。そう、別れを切り出されるやもしれません」
重々しい声色のエリーゼの言葉の集中攻撃を受け、サッと青ざめるアルフォード。
「ああ!ローラ、ローラ、愛しいバームロール。君だけは、君だけはあの泥沼から救い出したいというのに……儚い君はその様な想いを持っているというのか!」
「ええ。愛するあなたに、これ以上の犠牲を求めたくないと思っておられましてよ。きっと……、早く助け出さなくてはなりませんわ、アルフォード」
オーホホホホッ!愁傷な顔の裏。ドキドキ高まる高揚感。会話が上手く進み行く事に、胸の中で高笑いをするエリーゼ。
(フフフ。さて……そろそろ、脳内お花畑のアルフォードに、文無しの彼に相応しい、パーティへの招待状を手渡さなければなりませんわね)
「そんな!エリーゼ、エリーゼ。正直に言おう。君のことを……今日、初めて愛しいと……、離婚などせずに夫婦でこのままいたいと思った。だけど憐れな彼女の事をここで見放せば、私は生涯、悔いて生きていくだろう」
「ええ。わたくしはあなたの純粋で、いち途なところを愛しておりましたの……。ですからどうかその想いを貫いてくださいませ。お金が無いのなら、この邸宅やらあなたが所有する財産を売り払えばよろしいのよ」
「それは出来無い。弟に全てを譲り渡さなくてはならないからだ……。ローラと共に身を寄せるよう、与えられた田舎のシャトウがあるが、それを売り払うのは……、ああ!助けておくれ、愛しいエリーゼよ、愛する我が妻よ」
ゾクゾク!ゾゾッゾゾゾゾ!アルフォードの言葉を受けたエリーゼは夫のあまりの物言いに、全身に虫唾が走りました。
(ヒィィィ!あ、愛する我が妻!気持ち悪いでしてよ!ああ!早くこの男に引導を渡さなければ……)
「ならばあなたが持つ爵位を売払い、シャトウも売り、質素に……、いくばくか残るであるろう財産を手に、慎ましく平民の暮らしをなされればよいのです」
「貧に堕ちろというのか……。君には憐れな私たちに、情はないのか?」
「ふぅ……。貧に甘んじるのはお嫌ですのね。わかりましたわ。手を貸しましょう……。1つだけありますの。手切れ金を使わず公的に離婚が認められ、その後もあなたが爵位を保ったままでいられる方法が……。それはわたくしから教会と貴族院へ婚姻無効の申し立てをするという、最後の手段なのですが……」
エリーゼの言葉に希望を見出し即座に食いついた、現在、一文無しのアルフォード。
「そんな方法があるのか?私は知らない」
「ええ。殿方は知りません。教えられるのは高位貴族に生まれた女性だけですから。ただ離婚を認められるためには、わたくし達はある会場にて『禊』を受けなければなりません。衆人環視の中で……それでもよろしくて?」
「何でもしよう、直ぐ様、手続きを頼む。何でもしよう。バームロールを助け出すためならば『禊』のひとつやふたつ、容易いものだ。君は私たちの女神だ。優しいエリーゼよ……」
ツッ……テーブルの上に置かれていた妻の柔らかな白い手を取るべく、身を乗り出し差し出したそれに気が付かないふりをし、スッ……と引き膝の上に重ねるエリーゼ。
「わかりましたわ。お受けになるご決心がお有りなのですのね。あなたと別れる事は悲しゅうございますが……。真実の愛には負けましてよ。直ぐに書状を提出いたします。あとは……、報せをお待ち下さいまし」
顔を軽く伏せてポソポソ語るエリーゼの頬はうっすら赤く……、目には涙がつう……と盛り上がっています。その様子にアルフォードも節穴の両目に涙を浮かべました。
「すまない。すまないエリーゼ。悲しい思いをさせて……」
謝る夫に、いいえ。これも運命と言葉少なに呟くと、そそくさとハンカチで口元を覆う妻。
なぜなら。
(フフフ。フフフ。ホホホ、オーホホホホ!オーホホホホ!上手く行きましてよ!『男にとっての、』ヘル・パーティへの招待状を渡せましてよ!あぁ…。なんて愉しい。愉快、今の段階でも誠に愉快でしてよ!楽しみですわ!愚かなあなたの行く末が……。)
これから先の顛末を思い、腹の底からこみ上げる笑いを必死になり堪えているための言葉遣いに頬の高潮と浮かぶ涙であることは、他者を疑うことを知らぬアルフォードが予想もしない世界の事。
ピッカラもたいそう美味しゅうございます。
甘いの、塩気の、甘いの、塩気の。
メビウスの輪のような……。