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第二話 悪魔崇拝の再来

 五月十七日、月曜日の朝。

 三階にある二年A組の教室の一番左、一番前の席。名前順で座席を決められるといつも一番前の席になってしまうのだが、今日のような五月晴れの日は、窓から差し込んでくる光が暖かくて気持ちが良い。教室の雰囲気とはあまりにも真逆であるその日差しを浴びながら、和希はスマートフォンをいじっていた。

 スマートフォンに表示されているのは、十年前、日本中を震撼させた連続殺人『悪魔崇拝事件』について調べた記事である。

 十年前は紙媒体でしか公開されていなかった記事であるが、昨今ではネットで調べればすぐに電子版の記事に行き着くことができる。十年前にも読んだ記事の内容を読みながら、和希は時代を感じていた。

 当時はとある雑誌が独占的にこの連続殺人を取材し、「私たちはこれを『悪魔崇拝事件』と呼ぶ!」と過剰に囃し立てたものなので、随分話題になった。四人の被害者が全員持っていたという逆五芒星のカード、その中心に楷書体で書かれた「木」「土」「水」「金」という文字。十年前といえば和希はまだ小学一年生だったため、皮肉にも、曜日にも使われるそれらの漢字をこの事件の記事で覚えてしまったものである。

 遺品であるカードを一般雑誌が独占的に公開したことは問題にもなったが、特に法的なお咎めもなく今日を迎えている。悪魔崇拝事件についてはこの『杞憂 一郎』の書いた記事が最も詳しく書かれており、警察すら情報を欲しがったという。それほど情報を掴んでいながら、被害者の名前や家族関係を無闇に公表しなかったことから「紳士的な記事だ」という評判を得ていた。

 なんとなくやりきれない気持ちになって和希がため息をつこうとしたところで、和希は誰かに頭を鷲掴みにされた。



「暗い顔してるじゃねーか、和希。らしくない」



 顔をあげると、そこにいたのは和希と同じ二年A組で一つ後ろの席の少年、越智 蓮二。今日も着崩した制服に、一日中首にぶら下げているイヤホンのロゴがオレンジに輝いている。くるくると巻かれた髪の毛がまた、蓮二の性格がそのまま現れているようにも見える。

 和希を元気づけようとしたのだろうか。蓮二は白い歯を見せて屈託のない笑顔をしてみせたが、幼稚園の頃から付き合いのある和希にはわかるものがあった。元気がないのはむしろ蓮二の方で、どう声をかけたらいいかわからずに振舞っているのだろう。その蓮二らしい気遣いがどこか心地よくて、和希は普段通りに「おはよう」と声をかけた。



「で、和希。何見てんだよ」


「ちょっとね。事件のことをネットで調べていたんだよ」


「ああ。……やっぱり、そうだよな」



 和希は咄嗟に、十年前の事件ではなく先週起きた事件のニュースに画面を切り替えた。



 ——悪魔崇拝事件の再来か?! 桔梗町の公園で女子高生の遺体が発見される!



 今度は十年前とは別の会社が囃し立てている。ニュースのトップも、SNSのトレンドも、全てがこの話題で持ちきりである。政治家の汚職事件だとか、有名俳優の不倫だとかのニュースを払いのけ、日本中がこの事件に着目している。

 十年も経てば、どんな事件だって風化するはずだった。あれほど話題になった出来事でさえも、「もう十年前か」というお決まりの文句で世間話に用いられるはずだったのに。「もう十年前か」で済まされる平穏な日々は、一週間前のあの日に終わりを告げた。

 あの日。五月九日、日曜日の夜。この桔梗町で、和希のクラスメイトである詩音が刃物で殺害されたのである。

 現場は表通りから遠く離れた小さな公園。近くに詩音が通っていた塾があることから、塾帰りに襲われたものと推測されている。

 それも、ただの殺人ではない。腹部に逆五芒星が切り刻まれていたのである。さらに遺体の近くには、白い二重丸の中に白い逆五芒星、さらにその中心に楷書体の「木」の白文字が刻印された黒いカードが、鉄の釘によって地面に打ち付けられていたのである。詩音の血に染まって、逆五芒星の右下が赤黒く染まっている。遺体を発見した一般人がそのカードの写真をSNSで公開したため、写真データは「悪魔崇拝事件」の話題とともに日本中へ広まっていった。

 ニュースの画面を横から覗いた蓮二は自分の席に座ると、憂いを帯びた声を漏らした。



「犯人、早く捕まるといいよな」


「……そうだね」



 そう答える和希も、怪訝な顔をする蓮二も、本当はわかっていた。この事件の犯人が捕まる期待なんてできないということを。

 事件から一週間経った今日、犯人の手かがりはまだ一向に見つかっていないという。事件の翌日から桔梗高校は臨時休校の処置を取っていたのだが、結局、事件が解決しないままに今日という登校日を迎えた。捜査が行き詰まり、『解決するまで休校』とはいかなくなった証である。

 それに何より。十年前と無関係なはずがないと言われているこの事件だが、そもそも十年前の事件の犯人がまだ捕まっていないのである。現場の状況から「他殺の可能性が高い」と推測されているものの、未だに解決していない様を見ると「今回も何も解決されないまま終わるのでは」と絶望せざるを得ない。



「まだ来ていない奴、多いな」



 蓮二が教室の柱に背を預け、教室を見渡しながら言う。柱の上の方に取り付けられている時計は、少しずつ予鈴の時間に近づいている。



「当たり前だよ蓮二。クラスメイトが殺されたんだ。俺も、来るか迷ったし」


「でも来たじゃんか」


「蓮二がさ、A組のグループチャットで『家にいたら気が滅入るから、こんな時こそ顔を合わせよう』って呼びかけたから。そうだなって思ったし、他の人も安心できるかなって」



 そう言って、和希も教室を見渡す。

 和希は不安になっていた。もう八割くらいの生徒は教室に入っているのだが、まだ……彼女の姿が見えない。

 和希が蓮二の呼びかけで学校に来た、というのは嘘である。和希には会いたい人がいた。いつもは予鈴の十五分前に教室に入ってきて、元気よく挨拶をしてくれる彼女。夏のひまわりのような、満面の笑みが魅力的な彼女。彼女がまだ教室に来ていない。



 ——大丈夫かな。今日は来れないのかな。……何かあったわけじゃないよな?



 和希が強く拳を握りしめて……その願いが届いたのだろうか。

 予鈴がなる寸前、教室の扉が静かに開く。そこにいた彼女の姿を見て、和希はまるでいつものように手を振った。



「……おはよう! 真美!」


「あっ、お、おはよう! 和希くん、蓮二くん……」 



 そして、いつも……よりは明らかに元気のない調子で、和希の想い人、真美は挨拶を返した。大きな瞳が特徴の彼女だが、今日はその特徴が薄れている。それよりも腫れるように赤くなった彼女の目元の方に視線が向く。「どうしたの?」とは聞けない。彼女の身に何が起きたかは聞くまでもなく明らかであったから。

 真美に続いて担任の富士宮 愛梨先生が入ってきて、元気よく「そろそろ席つけよー!」とクラス中に声をかけた。挨拶代わりの声だ、その様子だけはどこか日常風景のままのように感じられる。



「よかった。真美も来たじゃん、和希」


「うん。……って、それは俺に言わなくてもいいじゃんか」



 蓮二が後ろの席から和希の肩を小突いてくる。こうやって、真美と和希の間に何かあるたびに蓮二が話しかけてくるのはいつものことだが。こうした会話があまりにも久しぶりであったこともあり、和希の心臓は今にも爆発しそうなくらいに何度も何度も鼓動した。

 続けて蓮二が真美のことで何か言おうとしたところで、富士宮先生が朝会の号令をかける。号令のおかげで蓮二から逃れられたことに感謝しつつ、和希は号令に合わせて一礼をしてから心穏やかに腰かけようとしたのだが。

 そのとき。



 ——ガタンッ!!



 地震が起きたときのような大きな音がした。

 音の発生源は、教室の一番右後方の席。——真美の席だ。

 振り向くと、真美が席に座ったまま目を見開いて俯いている。鞄が机の上に置かれているが、何か、机の中を見ているようにも見える。真っ青な顔をしている。唇も少し震えている。まるで、死体を見たときのような表情だ。

 心配になった富士宮先生が「渡瀬さん、大丈夫?」と声をかけたのだが、真美は「い、いえ! 大丈夫です!」と何もなかったと言う。様子が気になりつつも、富士宮先生は困った表情を浮かべつつも朝会を続けることにした。



「何かあったのかな、真美」



 蓮二が和希に小声で話しかけてくる。



「ちょっと心配だね。今度、聞いてみるよ」


「あまり踏み込み過ぎないようにな。……心配って言えば、ちょっと鉄平の奴もおかしいぜ」



 そう言って、蓮二は真美の左前の席に座っている中林 鉄平の方を親指で指さした。

 鉄平は傲慢な性格で、よく人と喧嘩沙汰を起こす問題児として有名であった。争いごとを好まない和希とは折り合いが悪い。蓮二の言葉に和希が「鉄平のことは別にどうでもいいよ」と返しかけたが、鉄平の様子が視界に入って言葉が止まる。

 確かに、明らかに様子がおかしい。まるで何かに命を狙われているかのように震えている。右手で左手を包むようにして机の上にのせているが、その右手が、いや全身が、離れた場所から見てもわかるくらいに震えているのである。

 蓮二も鉄平とはそれほど仲が良い訳ではないのだが、さすがに気の毒に思えたのか、弱々しい声で呟いた。



「やっぱ、怖いんだろうな」


「そうだね……いや、ちょっと怖がり過ぎている気もするけど」


「そうか。まぁ、確かに。富士宮先生は落ち着いてるもんな」



 蓮二の言葉を聞いて、富士宮先生の様子を確認する。

 確かに、いつもと同じ様子に見える。富士宮先生はドラマか何かに感化されたらしく、学校ではいつも緑のジャージを着てすごしている。上靴はスニーカー。まるで体育教師の様相だが、実際は数学の教師である。

 じっと富士宮先生の方を見て、和希はあることに気づいた。富士宮先生の姿はいつもと同じではない。いつもは左手の中指に楔の模様が入った大きな指輪を嵌めているのだが、今日はそれがない。「母に作ってもらったお気に入りの指輪」だという話を以前に聞いていたが、少々派手な見た目のため、今日のような日にはふさわしくないと判断したのだろう。今日は左手の薬指の質素な指輪だけが光を反射している。



「富士宮先生は……あえていつもと同じように振る舞おうと気を使ってるんじゃないかな」


「そうだな。そういう人だもんな。先生」



 と、二人が話したところで、富士宮先生が「ちょっと待ってね」と教室の入り口の方へと歩いて行った。

 まだ朝会は終わっていない。急にどうしたんだ、と教室でどよめきが起きる。

 その直後、富士宮先生の口から出た言葉は、どよめきどころか騒ぎを起こすほどの混乱を巻き起こす。



「転校生を紹介しますね」



 嘘だろ、なんで、こんなときに、正気か?!

 皆が自分勝手に感想を口にする。普段はそれほど行儀の悪い生徒たちじゃない。いたって普通な、ちょっとお茶目なところがある程度の生徒たちだ。転校生が来ると聞けば、どんな子だろうと思いめぐらせ歓迎の姿勢で待つことができる生徒である。しかし、どうも、今日ばかりは。

 生徒たちがあまりにも騒ぐので、富士宮先生も困り果てた表情をしている。蓮二が「気持ちはわかるけど、ちょっと一旦落ち着こうぜ!」と声をかけると次第に教室は静寂に包まれていった。その様子を確認すると、富士宮先生は転校生という生徒を教室に招き入れたのであった。

 入ってきたのは、艶と透明感の髪をなびかせて歩く女子生徒。

 誰もが目を奪われる、凛として歩く姿勢。

 どこか現実的ではないような、遠くの異国を想起させるその雰囲気を目の前にすると、誰も先ほどの野次を飛ばせなくなってしまった。

 そして……瞳だ。

 教壇の横に立ち、その女子生徒が教室中を見渡す。一人一人の生徒と目を合わせるように、ゆっくりと、ゆっくりと見渡す。

 和希も例外ではない。彼女の、まるで深淵そのものであるかのような深く暗い瞳を見ていると、自分の全てを見透かされているかのような感覚に陥る。

 途端に緊張する。

 美少女であるはずだ。目鼻立ちがしっかりしていて、容姿端麗とはこのことを言うのだろう。

 でも何か違う。何かが決定的に違う。ただの女子生徒でありながら、ただならぬ迫力を身にまとっている。

 張り詰めた緊張の糸を緩めたのは、意外にも彼女の方であった。礼儀正しく、両手を体の前で合わせてお辞儀をする。



「三日月 キョウです。転校してきました。不束者ですが、よろしくお願いします」



 話せば普通だ。先程までの空気とは違う。普通の青春漫画の普通の導入のような、ありふれた一コマがそこにある。

 少し間をおいて、生徒たちはバラバラに拍手を始めた。先ほどの騒ぎを聞きつけて副担任の先生が廊下から教室を覗いていたが、特に何事もなさそうな様子を確認すると足早にその場を去って行った。

 キョウは真美の左隣の席に座った。かつて、詩音が座っていた席である。和希はそれを見届けてから深呼吸をしながら視線を窓の外へと向けたが、蓮二がまた小声で話しかけてくる。



「なぁ、和希。……あいつの顔、どっかで見た気がしねぇか?」


「え? 三日月さん?」


「うん。なんだろなぁ、俺たちの小学校にいたんじゃないか? いや、わかんねーけど、大昔に見た気がするんだよ」


「どうだったかな。俺は覚えてないけど」


「そっかぁ。んー、でも、和希が覚えてねぇってことは俺の記憶違いだな」


「それはそうとは限らないけど……」


「いやいやいや。和希みたいな桁外れの記憶力の持ち主が言うなら間違いないって」



 蓮二の言う通り、和希には人並み外れた記憶力がある。特に景色をそのまま記憶する能力は異常なほどに優れており、「和希が覚えていないのであれば蓮二の記憶違いである」という一見短絡的な考え方は、あながち間違いではない。しかし、さすがに自分の記憶で全てを保証できるわけではない和希は「そんなことは」と蓮二に言おうとした。

 そのとき。一段と大きい足跡が教室に近づいてきた。

 それも一つではない、複数人いることが伺える。

 富士宮先生は何気なしに廊下側の窓から廊下を覗いたが、何かに気づくと生徒に何も言わないで教室の扉を開けた。富士宮先生にしては珍しい、真剣な表情である。



「学校へはお越しにならない。そういう話じゃありませんでしたか、刑事さん」



 富士宮先生の発言に、再び生徒たちが動揺する。足音はさらに大きくなり、最後には複数人の刑事が教室の前を立ちふさがった。大柄な男が一人、それに男女二人ずつ。大柄な男が、刑事というよりはヤクザのような態度で富士宮先生の問いかけに答える。



「別に、授業の邪魔しようってンじゃないですよ、先生。普通の高校が当たり前のようにやっていることを、私たちにもさせてもらえませんかね」


「なんのことを言っているんですか」


「荷物検査ですよ、荷物検査。今すぐこのクラスの荷物検査を我々にやらせてください。何もおかしなことがなければ、すぐに解放しますよ」



 生徒の何人かが立ち上がる。

 ただの荷物検査であればこれほど動揺することはない。しかし、これは明らかに荷物検査という名ばかりの、刑事による捜査である。それも、まるでこのクラスの生徒を容疑者としてみているような、明らかに高圧的な捜査だ。

 刑事の言葉に「嫌だ」と泣きそうな声を漏らす女子生徒もいるが、刑事が「見せられない物を学校に持ってきてんのか?!」とさらに威圧してくる。何も言えなくなった女子生徒が、首を振りながらぽろぽろと涙をこぼしている。

 大きく一つため息をついて刑事たちは教室に入ろうとしたが、そこへ富士宮先生が立ちはだかった。



「……なんですか? 先生」


「刑事が生徒の荷物検査? 何のために? 冗談はよしてください。お引き取り願います」


「何のためにってあんた……。そんなわかりきったこと話す義務はないんだ。あまり楯突くな、どけ」


「いいえ、どきません。私はここの担任です。部外者から生徒を守る義務はこの私にあります」



 果敢に立ち向かう富士宮先生の姿に、多くの生徒が声援を送り始めた。

 和希は何も言わないが、和希も富士宮先生のことは信頼していた。若くて、熱血。ありきたりな要素を持ち合わせた先生であるが、生徒の期待には確実に答えてくれる。生徒を第一に考え、守ってくれる。登校日の今日、多くの生徒が登校することができたことは、富士宮先生への人望と信頼もあってこそのことである。

 刑事も富士宮先生も、一歩も引こうとしない。少し沈黙が続いたあと、富士宮先生が口を開いた。



「私がやります。荷物検査」


「は?」


「高校の指導の一環として一時限目の時間を使い、私の方で荷物検査を行います。場所は相談室で、生徒を一人一人呼び出して行います。人にはプライバシーってものがありましてね。生徒のプライバシーを守ることを第一に、私のやり方で実施します。皆さんは、どうぞ職員室の応接室ででもお待ちください」


「ふざけるな! そんなのがまかり通ると思ってるのか」


「そちらこそ、担任が荷物検査を実施すると言っているのに、そこに介入するだけの権利や根拠をお持ちなのですか? 捜査としての聞き込みでしたら、先週のうちにもうお済みですよね?」



 刑事が歯ぎしりをする。富士宮先生の言葉に何も言い返すことができない様を見て、生徒たちは囃し立てるように拍手をしてみせた。が、富士宮先生自身が「今、そういうのはやめなさい」と真面目に注意したことで、生徒たちは素直に拍手を止めた。



「わかりましたよ。それじゃあ、仰る通り職員室で待っていますから」



 刑事が渋々といった雰囲気で踵を返す。後ろにいた刑事が「いいんですか? だって、この先生……」とうろたえた様子で言ったが、声をかけられた刑事が「仕方ない」と言って他の刑事にも引き上げるように促す。

 これで帰ってくれる。富士宮先生も生徒もほっとして肩をなでおろした時だ。

 最後に、その大柄な刑事が腹から声を出して一同を怒鳴りつけた。



「ただしなあ!! ……先生、約束してくださいよ。この、星みたいな気味の悪いカード!! これを持っている生徒がいたら、必ず私たちに報告してください。いいですね」



 そう言って、刑事が高く突き上げてきたのは一枚の写真である。星ではない、例の逆五芒星だ。黒い背景に白い二重丸、その中に白の逆五芒星、さらにその中に「木」の文字が記されており、それが地面に釘打たれている写真である。教室中の誰もが目にしたことがある写真だ。SNSで広く拡散された、詩音の遺体のそばにあったというカードを撮影した写真である。



「……そうですか、検討します。私には、そのカードを持っていたからってなんの法的根拠になるのか、さっぱりわからないですけどね?」



 富士宮先生の言葉に、刑事は鼻で笑ってからその場を立ち去っていった。

 刑事が完全に廊下からいなくなったのを確認すると、富士宮先生は教室を見回して、「悪いけど、そういうわけで。できるだけ協力してくれるかしら」と申し訳なさそうに言った。誰一人として、文句を言う者はいなかった。富士宮先生の対応を賞賛する者、安心して泣き出す者、突然の荷物検査に普段通り焦る者、あるいは、今の話が耳に聞こえないほどに何かに恐怖している者。

 こうして、一時限目の数学の授業は、急遽自習と荷物検査へと変わったのであった。



---



「なぁ和希、お前、やましい物とか何も持ってこなかったの?」



 最初は静かに行われていた自習であるが、三十分もすれば集中力が切れてくる。

 和希や蓮二にとってはまだ高校二年の五月。就職や大学受験を意識して勉強に集中できる者はあまりいない。集中できないのは蓮二も例外ではなく、ずっとスマートフォンを操作している和希に話しかけた。



「持ってきてない」


「なんだ、つまらん」



 和希の荷物検査は一瞬で終わった。和希は勉強の成績が良く、さらには生徒としての態度も真美ほどではないが充分に良い。学校に持ってきているものも実に普通のものばかりで、授業の教科書、参考書、ノート、スマートフォンと財布などの貴重品、そして筆記用具だけである。強いて言うなら筆箱にカッターを入れていたが、それは配られたプリントをノートに貼るためにプリントを切るためのものでしかなく、富士宮先生からはそのことに触れられることすらなかった。



「そういう蓮二は。……というか、まずそのイヤホンが校則違反なんじゃないの?」


「へへー。『首に絡まると危ないんだぞ』って言われちった」


「それだけで済んだの? 厳しい学校だったら没収だよ」


「だろうなー。ま、富士宮先生、そういうとこ緩いし。それに……」



 そう言って、蓮二は声のトーンを下げる。



「荷物検査の目的は、校則違反かどうかじゃなくて、例のカードのことだろ」



 間違いないだろう。しかしあまり声に出してその話をするのも憚られて、和希は無言で首を縦に振った。

 一方で、蓮二の方は御構い無しに話を続ける。



「もしこれが、本当に十年前の『悪魔崇拝事件』と関係があるなら。十年前と同じように、この逆五芒星のカードがあと四人に配られているはずだ。刑事が逆五芒星のカードの在処を捜査するのも自然な話だし、それに、他のカードを同じ高校の生徒が持っている可能性があるよな」



 蓮二は声のトーンを下げながら話しているつもりだろうが、その声は徐々に大きくなっていく。



「俺、思うんだよな。逆五芒星のカードを持っている奴が怪しいに違いない。それに、そのカードを持っている奴がこれから事件を起こす可能性だってあるだろ。だから、この事件を解決するには逆五芒星のカードの持ち主を見つけ出さないと」



 と、蓮二が言ったその時。蓮二の真横に、一人の生徒が立ちはだかった。

 ……転校生の女子生徒、キョウだ。

 転校の挨拶の後はずっと大人しく席にいたはずのキョウが、気づけば、話に熱中していた二人の元へやってきていたのである。

 


 ——また、この瞳だ。



 奥底の見えない、それでいてずっとこちらのことを眺め、観察し、そして品定めするかような瞳。

 それを今度は目の前で覗いてしまって、和希は小さく嗚咽しそうになった。

 何を見ているのだろうか、何が見えているのだろうか。見つめているとそのまま魂が吸い込まれてしまいそうで、和希も蓮二も、しばらく硬直してから「な、何?」と呟くことしかできなかった。

 二人のつぶやきに、キョウはピチカートを連想させる小さく透き通った声で答える。



「やめなさい」


「えっと、何が?」


「悪魔崇拝よ。生半可な気持ちで首を突っ込むのはやめなさい、そう言っているのよ」



 気づけば、教室にいる誰もがこちらを向いていた。教室に帰ってきた一人の生徒が荷物検査の交代を知らせに来るが、呼ばれた生徒も荷物検査に行かず、キョウたち三人の方を向いて立ち尽くしている。

 キョウの言葉にうろたえながらも、蓮二が答えた。



「いや、生半可って言うけどさ。クラスメイトが殺されたんだ。部外者じゃないだろ。気になるのも仕方ないじゃんか」


「ええそうね。気になる気持ちがわからないとは言わないわ。だからこそ言っているのよ。首を突っ込むのをやめなさいって」


「なんでそんなこと言われなきゃ——」


「悪魔は!! いるのよ!!」



 弦が鋭く弾けたような声。見開かれる瞳。

 和希と蓮二は、二人とも身動きが取れないままにキョウのことを見上げていた。



 ——このままこの事件に首を突っ込んだら、俺はこの人に殺される。



 そう思うくらいに、キョウの声も表情も鬼気迫っている。「いやいや、悪魔なんているはずないじゃないか」と茶化せる雰囲気でもない。

 いつもならこういう話に無神経に首を突っ込んでくる鉄平も何も言ってこない。ただ荷物を抱えて、彼の友人である一橋 大輔に「体調が悪い」とだけ言い残して逃げるように教室から出ていく有様である。



「忠告したわよ」



 そう言って、キョウは自席に戻っていく。

 キョウがその場から去って、和希はようやく自分が呼吸をすることを忘れていたことに気づいた。それは蓮二も同じの様子で、蓮二は顔を青くしながら「自習しよっか」と柄にもないことを言い、耳にイヤホンを当てた。

 和希もそれに応えて勉強をする……フリをしながら、目の端でキョウの様子を伺う。キョウは何事もなかったかのように参考書を開いて、何かの勉強をしている様子である。普通だ。一般的な生徒となんら変わりない。先程まで、まるで何かに取り憑かれていたかのような。そう思わせるほどの変わり様である。



 ——彼女は、一体……。



 勉強なんて何一つ進むわけがなく、和希はキョウの様子を伺い続けた。

 そうして夢中になってキョウの方ばかり見ていたので、和希は全く気がつかなかった。和希の二つ右隣、教壇の正面の席に座る女子生徒、杉本 美優が鬼をも殺す剣幕でキョウを睨みつけているということに。

 こうして午前中こそ一波乱あったものの、荷物検査で刑事に呼ばれることになった者はいなかった。

 再び、今までと同じ様な高校生活に戻っていくのであった。



---



 風呂場で一人。——は、思いっきり蛇口を捻った。

 安いアパートだ、最初は冷たい水ばかりがシャワー口から注がれる。しかし、今はそれが良かった。目が醒める様な気分だ。脳味噌までもが冷たくなってきて、妙な高揚感に襲われる。

 そしてこういうときは、決まってあの声が聞こえる。



 ——面白いですねぇ。



 十年前からずっと聞こえる、悪魔の声。ねっとりと、まとわりつくような声。

 姿も形も見えないが、どれだけざあざあとシャワーの雑音を浴びても、その声だけは頭の中ではっきりと聞こえる。耳を塞いでも聞こえる。忌々しい、が、自分の中に居る悪魔の声。



 ——次は誰が死ぬんでしょうか。誰が生き残るんでしょうか。そして、最後にあなたは生きているんでしょうかねぇ?



 次第に、シャワーの水が温かくなってくる。寒いくらいに冷えた四肢が、解凍されゆく肉塊の様にほぐれていく。痛いくらいに水の勢いを強めてシャワーを浴びる。それでも本当に洗い流したいものは流れていかないような気がして、しばらくしてから蛇口を締めた。

 バスタオルで乱暴に体を拭く。力を入れすぎたせいで皮膚が少し赤くなってしまったが、そんなことは構わない。服を着てしまえば、いつもと何も違わない自分がそこにいるはずだ。それでいい。誰も、その布の下に何を潜めているかなんて気づかない。

 髪が適度に乾くのを待ちながら、夕日に赤く照らされる部屋を歩いた。

 いつも使っている机に、引き出しが備わっている。その引き出しを、壊れ物を扱うようにそっと開ける。

 そこにあるのは、逆五芒星。SNSで広まったあのカードと同じ模様を写しているが、唯一違うのは、中心に書かれた字が「土」であること。ここにあるのは、「土」の逆五芒星のカード。そう呼ばれるものである。

 引き出しからそれを取り出す。それが夕日に照らせれて、きらりと日光を反射している。本棚から未使用の封筒を取り出し、それを封筒の中に入れてから鞄の中に入れた。

 身体や髪が適度に乾いてきたのを感じて、シャワーを浴びる前にきていた服に手を伸ばす。



 ——もしかして、あなた。



 声がまた大きくなる。



 ——またしても、悪魔の手をとるおつもりでしょうか?



 スマートフォンの画面を確認する。一つ、連絡が来ている。内容を確認すると、自分が連絡した件について了承する旨の連絡であった。自分自身の行動に、心臓の鼓動が早くなるのを感じる。早くしなければ。一刻も早く、時間は有限なのだから。

 姿見を確認する。いつもの自分の姿だ。何一つ違和感もない。鞄の中には必要なのが入っている。大丈夫だ、大丈夫。

 家の鍵を手にする。靴を履く。そんな、いつもの家を出るときと同じような所作で着々とことを進めていく自分自身が何か滑稽に感じて、思わず呟いた。



「いざとなれば、悪魔の手をとってやる」



 そう言い残して。思惑を内に秘め、『火』の逆五芒星のカードを持つ者のところへと一歩を踏み出したのであった。




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