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会社に行けなくてヒマなので初投稿です
久しぶりに起動した古いノートが、排水管のような音を立てていた。
発泡酒を傾けながら、ホコリっぽくて打ちづらい外付けキーボードに向かって、ごぼふぉ。
ああ、また打ち間違い。でも、この、ごぼふぉ。の響きは、いまのわたしに、よく似合う。
安物のキーボードはすごく煩く、わたしのタイピングの拙さを突き付けてくる。パソコン本体は、こんなつまらないことで起動しやがってとばかりに呻いてる。
そして操作する本人は、ごぶふぉと啼いている。
就職して以来ほとんど触らなくなっていた部屋のPCは重く、使い勝手が悪い。
それでも仕方なく“新型コロナウイルス対策、消毒用アルコールの代用は?”なんて。
もうどこかで読んだような、くだらない記事に赤字を入れながら、発泡酒を順調に片付けていく。
きゅいきゅいいいいいんと、光学ドライブが唸った。
昔好きだった輸入盤のアルバム。ベーシストが、バンド辞めて別バン行って。そこも辞めて元ザヤ戻ったような、ソロのようなうんぬんかんぬん、みたいな、当時インダストリアル系のイベントで良く聴いたアルバム。
西武新宿、病院の手前の小さなハコの景色と、煙草の匂いの染み込んだ曲だ。
階段下の狭い楽屋の鏡に映る、懐かしくもケバい顔をぼんやり思い出した所で、発泡酒が尽きた。
友達が、はいこれお土産、マズいからあげるー。なんて残していったリキュールをロックグラスに注いで。
鼻に染みつくようなエルダーフラワーの香りに、むせた。
どうせならペルノでも置いていってくれればよかったのに。
アーティチョークっぽいフタのついた、可愛いというかオサレな瓶を眺めながら氷を噛む。割るならトニック、いや、ソニックかな、甘いし。
苦さの足んないスーズみたい、何にせよレモンでも絞りたいところだけれど。レモンを買いに行けるなら、ふつうに発泡酒を買いに行く。
「うわ、仕事中って言ってたのに飲んでるじゃん」
モニターを覗かないくらいの距離からかけられた声に、振り返る。
「見てもいいよ、別に大したもんじゃないし」
「営業の数字とか、見ちゃマズいでしょ」
「残念ながら営業部はやることなくてね、Web記事の校正回してもらってる」
うわあ、と呆れた声がひとつ。画面の下らない記事を読んでは、もう一つ。
「いいや、今日はもう終わり」
後ろから伸びてきた手がグラスを取って、こくこくと二口。
「あ、これわりと好きかも。なんか作れる?」
そういえばこいつ、パルフェタムールとか、そういう甘くて嘘くさいの好きだったな。
なんて数年ぶりに、わりとどうでも良いことを思い出した。
「カクテル作るにもなあ」
「シェーカー、ないの?」
「レモンとか、そのへんがなんもない」
シェーカーは、ある。バースプーンも、フルーツカットに使ってたナイフも。
だいぶ記憶の彼方になってしまったけれど、懐かしい夜の思い出。
食器棚の奥から一式並べれば、彼女も同じものを思い出しているようだった。
「あれ、かっこよかった。オールバックで蝶ネクタイで、ちょっと怖いひとみたいだったけど」
「店、来た事あったっけ」
「あるよ」
「ああ、あの、ケンカしたとき」
そんなこともあったか、と、おかしくて笑った。彼女が店に来た時、あれはどこの嬢だったか。
派手に巻き上げた茶髪の割に、地味目な顔の子だった。
かぱかぱとカクテルを続けて泥酔して、そこはかとなく、そう、にゃんにゃんな気分、だったのだろう。
「だって貴方、思いっきりキスされてたんだもん」
バーテンダー捕まえていちゃついたら、隣に居たのはそいつの彼女、と。
まあ、珍しくもない。“夜の接待飲食店”ならではというか、あるあるな話で。
10年も経つのに不快そうな彼女を見て、また笑った。
「ね、シェーカー振ってよ」
「だから、フルーツ無いってば」
「ここに夏みかんがある」
こんなこともあろうかと、と自慢げに。投げてよこされたそれを受け取った。
夏みかん。というか、見慣れた庭みかん。
「おとなりの庭の?」
「うん、おじいちゃんが持ってきた。みかん食べてれば風邪ひかねえ、って」
「コロナに効くのかねえ、みかん」
まあ、酸っぱさは折り紙付きだけれど。
「振ってもいいけど、期待するなよ」
「やった」
台所の隅の冷えてないウォッカ、60cc。
飲みかけの変なリキュール、30㏄。
庭の夏みかんの搾り汁、30cc。
どうしようもなくいいかげんな中身を、2杯分。
白く濁った製氷機の氷を詰め込んで、しゃかしゃかとなるべく手早く、ソフトに振ってロックグラスに。
「カミカゼ?」
「カミカゼ、っぽいカクテル」
「ぽい?」
「っぽい」
当然、あんまり美味しくないだろう。
「ライブハウスっぽい味」
「ああ、わかるかも」
「期間限定オリジナル―、とか書いてある感じの」
「ありがち」
ソファーに並んで、カミカゼっぽいなにかを消費する。
ふたりで過ごす時間の違和感のなさに、ふと、泣きたくなった。
「シン、おいで」
肩を引き、膝の上に倒された。白い。なんとなく見慣れない自室の天井。
知らない天井に、懐かしい顔。
その懐かしい馬鹿は、人の髪をくしゃくしゃ撫でまわして、満足気に笑った。
「うん、相変わらずよい猫っ毛。吸引力の変わらないただひとつのもふもふ」
梳くように髪を撫でる手が、首筋をくすぐる。
とりあえずうにゃあ、とだけ言って、顔をそむけようとしたとき。
軽く重なった唇から、エルダーの香りがした。
ああ、変わらないな。
この微妙に男女間違ったようないちゃつき方も、会話に詰まったときの癖も、なにも変わらない。
昔から、彼女はいつもこうやって、髪を撫でたりキスしたりして、喋りにくいことを誤魔化そうとするから。だから、彼女が考えをまとめてしゃべり出すまでの間は、手癖で撫でられるまま、目を閉じておとなしく誤魔化されていてあげる。
「あした、死んじゃうかもしれない」
「長いロスタイムだったな、19で死ぬって言ってた頃から10年以上生きてる」
確かに、と、彼女が軽く噴き出した。
「そういえば言ってたね、あのころ。いっしょに酔っぱらって手首切ったりしながら」
彼女の指が、手首の内側を這っていく。傷は薄い縞模様になって、いまもそこに残っている。
彼女に付き合って切ったり、彼女が切ったり。
しっかり覚えているのか、袖ごしになぞられた線はかなり正確だった。
「見えないとこなら、いいよ」
「え?」
「手首だと、見えるから。さすがにいい歳して恥ずかしいけど、他のとこなら」
「しないよもう、そんな」
「しないの?」
「しない」
「チョーカーとブレスレット鎖で繋げて新宿お散歩したり」
「しません」
「ピアス、ふさがっちゃったけど開けなおす?」
「ごめんなさい、本当、私が悪かったから、もうやめて」
顔の上、頭を抱える気配がして、おかしくて笑った。