意義の消失
既に郊外の秩序はなくなっていた。人影を見れば銃口を持つ者は容赦なく引き金を引く。たまたま手に取ることが出来た立派な銃器を持つ者は……。
親しい家族や隣人を奪われた復讐を果たすため。
少ない食糧を満たそうとするため。
混乱に乗じて自分の権力を確立しようとするため。
ただ単に自分や愛おしい命を守るため。
ゆっくりと敵と味方を判別できない状況で見分ける余裕は全くない。見分けようとした瞬間には殺意ある者から命を奪われる。結果として次に銃器を手に取る者は自然と見分ける事はしなくなる。
無差別の殺戮者がある者は孤独に、ある者は集団で徘徊しては何かあれば片っ端から食らい。片っ端から飲んだ。少なくとも辛うじて分配が働いていた現地機構は崩壊する。
彼らが手にしているのは実包ではなくサブマシンガン型のパルスガン。バッテリー交換式でかさばらない上に実包とは比べ物にならない程の弾数が特徴のイヌモ最新鋭の装備。
なぜこんなものがバラまかれたのかとは誰も考えはしない。いや、そんなものは一切無駄なだけだった。自警団もたまらず焼夷弾や雑多な火器で応戦するが、今まで武力を背景に色々な狼藉を働いてきたことを忘れない者は怒りの眼差しと共に銃口を向けている。
炎が舞えば煙を嫌がる黒いバッタが飛び立っていく。食糧を食いつくしてもなお腹を減らした彼らは、新しい死体に飛びついて新鮮な肉を食らい命を持たせていく。
地獄は顕現した。全ては自分がより良く生きたいがために、重複する利害が全ての人間が燃えるための導火線となって。爆発と炎上を繰り返す。
―――
夕方に差し掛かろうとする薄暗い時間。ネスト教会の執務室でシスター・グランマは一人で手を合わせている。その先には一枚の写真。若いグランマの隣で笑う白人の男の後ろには木で出来た教会がある。
「ネストさん。あなたが志した物はもうここにはありません」
窓を見れば外にはユリアよりずっと年下の子供達が銃器を持って見張っている。ノックがして扉が開かれるとスーツを着て肩から銃器を下げたシスターの一人がやってくる。
「グランマ。皆の配備が完了しました。幼児たちは地下シェルターに」
「えぇ。暴徒は追い払えましたか?」
「はい」
シスターは少し言いにくそうにして答える。
「仕方ありません。助けを求める振りをして手を差し伸べた者を殺していくのですから。ならこの城門を閉じるのは最良の選択です」
近隣に住む人々が教会の門の前で叫んでも門は決して開くことはなかった。門と教会の出入り口の間にある一つの穴、黒焦げになった土と血だまりに回収されていない細かい肉片がこびりついている。
「弱者を迎え入れて皆死ぬよりは切り捨ててしまう。これは私の決定です。あなたはそれを遂行し続けなさい」
「はい。……グランマもシェルターへ避難を」
「いえ。私はここにいます。勤めに戻りなさい」
シスターが出ていくとグランマは写真へ再び手を合わせた。
「昔は誰もがあそこへ来ることが出来ましたしあなたは全てを迎え入れました。しかし、木で作られた私たちの祈りの場はもうありません。残るのはあなたの名前の、鉄の城だけです。子供達を盾にして、恐怖と無慈悲を剣とする城砦です」
一人の懺悔は虚空に消える。外で慈悲を求める声をかき消すために一人唱え続ける。
至近に迫撃砲が着弾する音が聞こえ始める。夕刻が過ぎ去り夕星が光りだす。
「私たちはいつも仕方のないこととばかり。選択肢はないように振舞ってきましたが、確実に私たちの積み上げてきた結果なのですね。だから化堂君は、あんな内気でも優しい子がサタンの手を取るのもきっと、仕方がないことだったのですね」
天を仰いだグランマは呟いた。
「彼はこの世に神が存在するに足る確証を得る事はなかったのです……」
―――
【全監視ドローンの情報を統合、作戦範囲100%をカバー、戦略構築中】
衛利が目を開ける。輸送機は既にアーコロジーから離れつつあった。中には再編したソルジャータイプが複数体。近衛が死んでから制御を離れた物だ。
近衛の言う介入など嘘っぱちだった。近衛が編成していたのは自身が使う手駒と身を守るだけに最小のモノだけ。それでもなんとか抽出した重装型は黒を基調に青のラインに塗装されている。
巨大なバックパックから延びるサブアームには大型の拳銃弾と両手には20㎜の機関銃と腕の下にはグレネードランチャーが仕込まれ、装甲も通常と比べて更に細かく配置されている。
「ネスト教会の現状を」
【外部で迎撃中。全方位より襲撃を受けている】
「では教会の救援を最優先。どの勢力が襲撃を?」
【現段階で詳細は不明。襲撃の参加は邦人が多数】
「襲撃の中心人物は? それとも散発的な?」
【散発的の模様】
「分かった。警告します」
【ドローン群のマイクをオンに】
眼下に広がる通りには人がまばらに見えて、中には通路に沿うように火線が見える。だが、大きな音を出すティルトローターの輸送機へと向けて指を指す者もいる。
ホログラムがマイクオンを映し出すと衛利は口を開く。指向性マイクは正確に衛利の声だけを拾い、ドローンはその声を明瞭に言葉を伝える。
『警告します。今すぐ教会への攻撃を中止しなさい』
衛利が一体の重装ソルジャーに目を向けるとその一体が輸送機の扉を開け放つ。それから腕下のグレネードランチャーを眼下へと向けた。いくら混沌としてようとその場にいるほぼ全員が一旦手を止めて空を見上げていた。しかし、それでも目の前に向けて火器を構える集団を衛利は認めた。
『最後の警告です。武器を捨ててその場に伏しなさい』
だが、こんな大人数では自分が呼ばれているとは分からない人間もいるだろう。
「無人の住居を選定。化学弾で倒壊させて」
【目標選定。倒壊レベルの反応では周囲に脅威が及ぶ恐れがある】
「……やって」
【了解】
重装ソルジャーが放ったグレネードは電磁の力で射出されて一軒の住宅に炸裂すると、屋根が盛り上がって裂けると周囲に爆炎と黒煙を撒き散らす。
「損害確認」
【確認中……住居の破片で複数名が負傷、鎮圧を確認】
ドローンからの映像をピックアップすると、血を流してぐったりしている若い男を仲間が運び出そうとしている映像が流れてくる。
「……教会への襲撃は?」
【襲撃者が逃亡。脅威レベル襲撃より警戒に低下】
「了解。続けて全域で降伏勧告を出し続けて」
輸送機はネスト教会の付近へと進路を取ろうとするが、地上の複数個所から同時に飛翔物が飛来する。すぐさま重装ソルジャーが両脇から二体で精確に飛翔体をライフルで撃ち抜き事なきを得るが、同時に衛利の聴覚にある音が流れてくる。
「これは?」
次第にはっきりと聞こえてくる。ラジオ放送の声。
【電波受信】
『撤退した剣の会や邦人は私のところへ集結せよ。イヌモは決して許してはならない。これは決戦だ。私、東城義越の元へと集結し、奴らから受けた報いを……』
衛利は目を次第に見開く。
「義越さん?」




