覚醒
体から力が抜けてコンクリートの道に座り込んだ。目の前にはお兄ちゃんが目を閉じて眠るように倒れている。雪の寒さなんて着ているコートや手袋でへっちゃらなのに、体はガタガタと震えていつまでも止まらない。
だけど足元に滑り込んできた鉄の塊を見た瞬間。なぜだろう。
頭が途端に沸騰するように熱くなって、体はいつの間にか動いてしまう。アニメで見たりしてなんとなく使い方は知っていたから、いままで触れたこともなかった「銃」を初めて手に持った。
あの男が少しずつ遠くなっていくのが見える。どうしてあの男は銃を私に投げ渡したのか分からない。だけど、今は他に何も考えられない。ただなぜ近くに居る汎用フレーム達は私たちの異変に気付かないのか、思い返せば人を呼んでお兄ちゃんを助けてもらおうと助けを呼べたかもしれない。いや、きっとその方が良かった。
でも、その時の私には助けを呼ぶどころか普段、お兄ちゃん以外の人と話すことすら出来なかったし、それにどこからか医療用の汎用フレームがそのうち助けに来てくれるなんて淡い期待も抱いて……違う。それしか知らなかったから。
自分で何かをすること。それすら分からなかった私が唯一出来る事を。私に背を向けて歩いて逃げていく男をセキュリティは何も反応しないのであれば、私しかあの男を止められるない。
ただ銃口を向けただけの狙い。それでもあの後ろ姿を撃てるのは『私だけ』なんだ。
今見れば不格好な構え方。胸の前で両手を突き出して握った銃で狙い、何度も触って目で見て見つけた引き金を引いた。
――引き金は全く動かない。
何度も何度も強く引いても弾は出ない。男は後ろを振り返らずに見えなくなってくる。どうしてビクともしないのだろう。
なぜ出来ない。何もかも。今まで知らなかったから?
私は……。
何も知らない。
何も出来ない。
何も成せない。
諦めて膝をついた時には、もう男は寒空の下のどこかへと消え去った。
引き金を引けなかったのは、ただ撃鉄を起こしてなかっただけだと後で知った。銃で撃たれたり怪我をしたら圧迫して服や包帯を巻いてとにかく止血することを知った。
その場で自分でも出来た事。その時何も知らなかったから、後悔していろんなことを知って、強くなった。
容赦なく引き金を引いた。誰かを囮にして勝利した。戦闘システムの言う通りにし続けた。
……それでも。何をしてもいいってわけじゃないだ。
―――
目を開けた衛利はしばらくぼうっとして、寝転んだまま白い天井を見上げていた。白い清潔感のある室内で、首元を触ると自分の意識を奪っていた兜は取り外されていた。ファイバーアーマーはそのまま体に身につけられていた。
首を傾けるとベッドの横に汎用フレームが待機していることだけは辛うじて気づいた。
(何があったのかはっきり思い出せない。自分が兜を被ってそれから……)
それから中身のない胃袋から生理的な欲求によって何かを吐き出そうとする。自分は生まれてすらいなかった。培養液の中で人間のパーツを接着して組みたてられた何か。
そして小さく記載された。利府里司徒が動物実験の進展として人間への応用実験のための、誰からの関わりもない形で生み出された。司徒とは本当の兄妹ではなかったし、本当に愛されていたかも謎の家族ごっこの記憶に縋り付いていたことに。
「衛利? 起きたか……分かるか」
衛利が隣のベッドを見やると、両足を分厚く包帯で巻かれ、右肩にも血のにじんだガーゼを押し当てていたユリアが患者用の一枚着を纏い、隣のベッドに寝かされていた。
「ユリアさん。何が起こったんですか……」
少し様子見をしてうなづいてから気まずそうに話し始める。
「そのなんだ……。覚えていないなら無理に」
「言ってください」
毅然とした態度にユリアは諦めて顛末を話して、ただ衛利は静かに聞いていた。途中でユリアは衛利を抱き寄せて、頭を優しく撫でると衛利もされるがままにされていた。
「なんでお前だけこうなるんだろうな。何も悪くないのに、どうしてもその立場を利用する奴に」
「私が止めなかったから」
ふと差し込んだ言葉。
「なに?」
「思い出したんです。私がケドウをあの時殺しておけば、何も起きなかったんですから」
「どういうことだ?」
そこに汎用フレームから男の声が聞こえてくる。
『その通りだ』
「っ!近衛か!?」
反射的に体を動かそうとするユリアだが、苦悶の表情を浮かべてベッドから落ちそうになるのを衛利が支える。
『いいや。近衛は死んだよ。ケドウだよ。君たちへの追撃ももうない』
二人の表情があっけにとられる。
「お前と近衛は組んでいたんじゃ」
ただの推測に過ぎないがケドウのテロのバックいた近衛にいたと思っていた。
『彼は私を利用していた。私も彼を利用した。そして用済みとなった』
「外道が」
『さっきの話に戻るが、利府里衛利。君が私をあの時、私の背中を撃っていればこんなことにはならなかった』
汎用フレームの頭部からホログラムが燃え上がる郊外を映し出した。悲痛な顔でユリアは零す。
「遅かったか」
『この炎は消し忘れのボヤだ。巨大な燃料庫に引火して爆発のように燃えているが、もともとは私と言う小さな小さな火花だったのだよ。利府里衛利、君は私を取り逃がしてしまったのが全ての始まりだよ』
「黙れ!」
「いいんですユリアさん。あの男が言うことは全て事実なのですから」
衛利は立ち上がって汎用フレームの前に歩み寄る。
「私はもうあの時とは違う」
『ならばどうする?』
分かり切った問いに衛利は応える。
「あなたの思い通りにはさせない」
『面白い。やってみせてると良い』
汎用フレームから映像が途切れて通信も切れたようだ。それでもケドウは二人を見つめているだろう。
「衛利。奴の挑発に……」
「大丈夫です。私に秘策がありますから」
ユリアの手を握り祈るように目を閉じる。
「私がどんなことをしても、絶対叱ってくださいね」
「叱るって……」
部屋から足早に去る衛利にユリアは待てとも言えずに見送るしかなかった。
【33より通知。利府里衛利の実験生物カテゴリーを人間へと変更。市民権の付与、治安員の権限付与。……治安維持部隊出動要請を受諾。執政員より承認されました】




