撒き餌
『市民みんながプライバシーの安心と本当の自由を手に入れよう!』
(提供:警察民営化推進委員会)
色褪せてボロボロのポスターのキャッチコピーを見てケドウは口角を上げると港に隣接している管理施設へと足を踏み入れた。
真っ黒なスーツとコートを着こなしたケドウはハットを被ってスーツケースを持参している。窓口にいる体中に入れ墨をしている若い男に話しかける。
「ケドウだ。サイナギさんに会いたい」
ガムを噛んでいた男は施設の奥を指さした。
「ありがとう」
コツンと床を叩く革靴の音が廊下に響く。途中で男と抱き着いて笑っている女が居た。その笑いは尋常ではないことは周囲に伝えているが、男も一緒にパイプを吸いながら女にも吸わせた。
ケドウは目を合わさず奥へと進んでいく。
いつも出入りしている事務所のノックすると僅かにドアが開くと「入れ」との一言と共にスキンヘッドで拳銃を持っている護衛の男が招いた。
「失礼」
断りの一言を入れてケドウが事務所に踏み入れた。部屋の最奥にはデスク。両側にはソファ。武装した部下たちは見せつけかのようにそれぞれの得物を手に持っている。
帽子を取って素顔を見せたケドウはデスクへと目を向けた。
「こんにちはサイナギさん」
普通の人では萎縮しそうな場面にもケドウはいつもの声であいさつをする。デスクに座るサイナギと呼ばれた男はどっしりと構えて返事もせずに睨みつける。
「取引の代金です」
ケドウはケースを掲げるとサイナギはあごを使って部下にそれを取りに行かせる。ひったくるようにケドウからケースを奪う部下は手に持った装置でケースをスキャンする。
「間違いないです」
ケースの中には透明な液体が入ったボトルが10本近く入っていた。
「モノを確認しろ」
別の部下が小さな植木鉢を差し出し、ペットボトルのキャップの小さな穴から数滴中身を垂らす。すると土が微妙に動き出して一分も経たないうちに芽が出てくる。
「積み荷を渡せ」
サイナギは手ぶりを合わせて部下に指示すると一人が廊下へ出ていく。それから手元の紙のリストを凝視した。
「質問する」
威圧感を放つ無愛想な声でサイナギは問いかけた。
「顕微鏡やシャーレ、無菌環境ボックスにロボットアーム。まるでバイオテロでも起こそうって感じのもんじゃねえか」
「演出用ですよ」
「ほう。誰に演出したいんだ?」
「今日にでも、ここに来るかもしれないイヌモのプライベートフォースにですよ」
その言葉に部下たちはざわつく。サイナギは一括して黙らせる。
「ほぉ。言っていいのかい? 俺があの小娘にあんたを売っちまうかもしれんぜ」
「それはご自由に。オフィサーがどう思うかは知りませんが」
「けっ……」
「質問は終わりですか?」
「おいおい待てよ」
呼び止められたケドウはそのままの動作で帽子を被る。
「オフィサーもどうせイヌモなんだろう? 小娘の情報ぐらい提供してくれたっていいじゃねえか。これは俺たちのビジネスの障害になるもんだ。お互い利益があると思わないか?」
「それも。そうですね」
ケドウがコートを広げてから、ゆっくり裏ポケットから取り出した透明なカードからホログラムが浮かび上がり立体映像を構成する。
「利府里衛利。イヌモが試験を行っている部隊の指揮をしています」
ごくりと唾をのむサイナギ。
「イヌモの最新鋭の装備を持っているんだろう?」
「ですが。相手は人間一人で他はドローン戦力。切り札を使えば難なく無力化することが出来るでしょう」
「切り札か……」
「オフィサーからは正直好かれた存在ではありません。もし攻撃しても、彼は咎めないでしょう」
「どうしてだ?」
「政治的な話は分かりませんね」
「なるほど」
「もし捕まえられたら。身代金を出すようにするとかなんとか」
身代金と聞いてサイナギは食らいつくように興味を示す。
「どのくらいだ?」
「議会の決定にもよりますが。その日の贅沢で終わるようなものではないでしょう」
「だが、もし応じなかったら?」
「彼らは最低でも装備品だけは強硬に取り返しに来るでしょうが、本体は煮るなり焼くなり。サイナギさんのところでしたら、趣味だか副業だかの【素材】に使えるでしょう。傷つけなければ悪い顔ではないはずです」
ホログラムに映る衛利の顔写真を凝視したサイナギは舌なめずりをして口元を歪めた。
「まぁ悪くねえな」
「それでは失礼」
港湾の管理施設を後にしたケドウはトラックに詰め込み作業を行っているメビウスと合流した。小さな台車型ロボットがタラップを登って、自身より遥かに巨大な物品を触手のようなアームを使いながら支えている。
「ケドウ。首尾は?」
「順調さ」
「護衛もなしに危険な場所に行くのは控えるべきかと……」
「危険な場所だって? そうかな?」
「当然」
ケドウは軽く笑い飛ばした。
「まさか。彼らは商売相手を無下にするような人たちではないよ」
「それにしても。随分と脅迫じみた空間でしたがね」
「見てたかい?」
メビウスはうなづいた。
「優しい人っていうのは基本損な提案や誘いを受けやすいが。怖い人はそんな話を持ち込まれることはない。どんな人間でも怖がられれば、自尊心と利益も守れてるからね」
「優しくても敬意を持たれる人はいますよ?」
「優しさより恐怖の方が通じる人の方が多い言語さ」
しゃがんだケドウは台車ロボットの作業を眺めた。
「まぁ私は怖いのは嫌いなんだけどね。みんな優しくならないかな~」