崩壊の前触れ
二人が教会に帰還できてから、しばらくしてからラングレーも、トボトボとやって来て教会の門をたたいた。
グランマの質素な部屋に入ってきたのは、パラディウムを纏ったままのユリア。グランマはゆっくりとベッドから身を起こした。
「失礼します。お話があるというのは?」
「ああ、来ましたね。今日入ってきた報告があります」
噂程度なのですがと付け足したグランマの顔は暗い。
「ニッシュが倒れたと」
ユリアは一歩あゆみだしてしまう。
「ニッシュが!?」
「ええ、それと同時にボーダレス商会、いえ。難民区において発砲事件が起き始めているとも。元より彼らの出自はバラバラですからね」
「……」
「考えたくはないですが。我々はイヌモを裏切った剣の会と、統制を失った難民達と戦わなければならなくなります」
「数日前会った時には……」
「物事は抱えているうちは露見しないものです。それともう一件」
グランマは机に向かって、小さなポリ袋を見せる。中には黒く刺々しいバッタが入っていた。
「なんですかこれは?」
「最近、ここらの郊外農園の作物を食害している昆虫です」
「食害? そんな、イヌモ製の作物は野生の虫を近づけないはず」
「ええ、農薬なしで虫にも病気にも強い作物が売りのイヌモの作物を、食害出来るのはイヌモが作り出した生命ぐらいでしょう」
血の気が引いていくのがユリアには分かった。
「食害による飢饉が起これば、誰彼も関係のない殺し合いが発生するでしょう。混沌に陥った郊外を鎮圧するのを名目に、治安維持部隊を派遣、利府里さんの上司である近衛と言う男は、その実績を持って派遣の既成事実化を推し進める」
「……それは、憶測ですか?」
「情報があれば、容易に想像がつきます」
「治安維持をして、その先に一体何をしようと?」
「イヌモを含む、世界を席巻する企業連合が、続々と紛争各地で鎮圧ミッションに当たる国連軍に部隊を派遣、レンタルを開始しているのは知っていますか?」
グランマの問いにユリアは首を横に振った。
「彼らの目的が単なる金儲けなのか、それとも彼らが詠うように、人類の争いを抑止し、次のステージまで導くのかはさておき」
グランマは俯いて肩を落とした。
「結局、彼らは私たちを助けようなど、思ってないのかもしれないですね」
「……」
次にグランマが机から一枚の封筒を差し出した。
「もしも、戦う以外にケドウに会うことがあれば、わたしてもらえますか? ただの手紙ですが」
―――
自室に戻り、パラディウムを脱いだユリアはアンダーシャツのままベッドに転がり込んだ。
「結局また」
せっかくニッシュがくれた情報を頼りに、ケドウの隠れ家を探そうと思ったら、もはやそれどころではなくなりそうになっている。
衛利は、どう考えているのだろう。恐らく彼女も、利用されるだけされてから最初から捨てられていたのだろうか?
朝から未だに止まない民間人が武器を拾っては乱射する事件が後を絶たない中で、既に自分達は抗えない混沌へと落ちてしまっているのかもしれない。
「……昔より、ひどい」
昔の暴動より、ケドウ達の計らいで武器があるだけ酷いことになる。より多くの人が死ぬだろう。
「いったい。私は何のために」
命を張り続けて銃を取った時、ようやく自分の運命を選べると思い込んでいた。
思い違いも甚だしい。
強い者はいくらでも居て、強くなろうとすればするほど、自分より絶望的な相手が、上から見下げているのに気付く。
安泰から決して降りてこず、這い上がっても届かない奴らが居る。
「ケドウの方がまだ正々堂々としているのかもな」
鼻で笑って考えを否定する。テロリストの方が相対するだけマシなわけがない、卑劣なテロリストには変わりないだろう。
「明日は、どうなるんだ?」
次の日に目覚めるといきなり剣の会と戦うかもしれないし、イヌモが攻めてくる? 胸のざわめきとネガティブな思考が止まらない。
「パラディウム。お前はどうなんだ?」
自身、いや元よりイヌモの武具である白い鎧に目を向ける。いつも付けているうなじのコネクタは付けていない。それ故何も答えられはしない。
ノックがする。
「どうぞ」
扉が開くと、下着姿の衛利が居た。
「……流石にそんな恰好で出歩くのはまずい。それに」
「……」
大事そうに回転拳銃を握っていた。
「中に入れよ」
衛利の手を掴んで中に入れると扉を閉めた。
「傷はもういいのか?」
こくりとうなづく衛利。あれからシャワーを浴びて、貸し部屋に入っている間に、アドレナリンが切れて冷静になったのか。揺り戻しによって呆然としているようにも見える。
「立ってないで」
また手を引いてベッドに座らせると、今度は手を掴んで離さない。
「……なんだ?」
「不安なんです」
「そうだな」
あっさり認める。先ほどそれで堂々巡りをしていたところだった。
「だけど、もういいんだ」
自分より不安そうな相手が見て逆にユリアは冷静に、自分を整えてしまった。
「とりあえず寝る。明日の事は明日だ」
衛利の肩を押して寝かせると、自身もベッドに入る。
「こんなもの。いつも手にかけるもんじゃない」
拳銃を持つ手を握ると枕の下へと忍ばせる。
そして硬い物同士がぶつかる音がして衛利が枕元を見る。下には既にもう一丁の拳銃が忍んでいた。
「ユリアさん。あなたはいつも?」
「ああ、こんなものを、常に手をかけるようにしないといけない」
「分かっていたけど……」
「少しは弱い奴の気持ちが分かったか?」
「……」
豆電球だけを点けて二人は目を閉じた。
「メールが来たんです。近衛さんから」
喉から吐き出しそうになる感情を抑えてユリアが勤めて冷静に聞き返す。
「へぇ。なんて?」
「明日、アーコロジーに出頭するように」
「……帰るのか?」
「分かりません。ただ、私は何もできなかったのが……」
「そうか? お前はよくやったよ」
「えっ?」
不思議そうに聞き返す衛利。
「結局。こんな事態になるのは決まっていたんだろう。だが、私たちは良くなるかもしれないって希望を持つことは出来たんだ。近衛って奴が仕込んでことだとしても、私は衛利の事は忘れない」
「……それは、ありがとう」
言いなれない感謝の言葉、衛利の精一杯のものだと思えば、逆にかわいくなってくる。
「もしまた私が来ることがあるなら、一緒に戦ってください」
「ああ、もちろん」
仮に最悪の事態が起きたとしても、衛利が鎮圧部隊を率いて助けに来てくれるかもしれない。そう考えると意外と悪くないかもしれない。
そう苦笑したユリアはゆっくりだが、目を開いていく。
「なぁ衛利」
「なんですか?」
「その治安維持部隊、指揮は人間の仕事だよな?」
治安維持部隊の派遣が目的なら、実際の指揮統率はどうなる?
「ええ、多分そうです」
「ありがとう。分かった」
既に疲れていたユリアは目を閉じて、衛利も同時に目を閉じた。
二人の寝息はとても安らかに部屋に静かに反響する。




