天高く昇るひ
日が高く昇る正午には中央病院の中庭では大きな火柱が上がっていた。立ち上る炎と煙から肉の焼ける臭いと油じみた熱気が漂う。それに伴う明るさが中庭に面する廊下を照らしていた。
二階から見ていたニッシュの横にユリアが歩いてくるとニッシュが振り向いた。
「暗い世界ね」
「ああ」
「それで。病院には何かあったの? あの子供だけが目的じゃないのでしょ」
「どうして知っている?」
「侮らないことね。ケドウの過去を探っているのは私たちも一緒。それでこの病院にあの男の母親が入院してたみたい」
「ここにはカルテも、電子情報もなかったが?」
横に首を振るニッシュ。
「ただの伝聞だけどね。それで、あの男は行政権縮小で母親の治療費を払えなくなったそうね。ちょうど暴動が起こり始めた頃」
目を背けたユリアは先を促すように問いかけた。
「それで他に何か手掛かりは?」
ユリアは黙って聞くのを了解と取って言葉を続けた。
「さぁ。でも暴動が終わった後に、郊外より更に南の廃棄された地域で食べ物を施す宗教団体が現れた。すぐにどこかへ消えたけど」
「商業施設の廃墟がある場所か……」
前にユリアがラングレーと探索していた時に演説が記録されたマイクロチップを拾った付近。そこで何か頭の中に違和感を覚えるがすぐに振りほどく。
「最初はイヌモをバックにした宗教団体だと思っていた。アーコロジーに居る酔狂な奴が何者かの手を通して支援をしているんだと。更に5年間で数百人が探し求めて失踪、帰ってきた人間は数人だけ。ほとんどは無法者に襲われて引き返したけど一人だけ接触した者が居た」
懐から畳まれた紙を取り出したニッシュが広げてユリアに見せる。南の地域を上から見た地図で、廃墟の商業施設の地下道に×が付けられている。
「この地下に、オーヘルが?」
ユリアの問いかけにニッシュは首を横に振る。
「分からない。彼らはオーヘルとは名乗っていなかった。少なくとも4年前には【地下の園】と名乗っていて。居たのは弱そうな人々の前で聖書を読み聞かせる男だけ。すぐに野盗に荒らされるだろうと思って引き返したそうだけどね」
「地下の園……」
「結局オーヘルなんて実在するのかしら」
突然の事にユリアは首を傾げた。
「どういうことだ?」
「宗教は人を引き付けるための言わば道具。でも、オーヘルが使役しているのは郊外のチンピラやソルジャータイプの機械だけ。ケドウが人間だったところで、手足となる信者の存在が未だに何もテロに関りがないのは不可解と言う話」
「……確かに。つまり地下の園は人を集めたがオーヘルとなっても信者を工作に使わない。ならば、なぜ人を集めたんだ?」
「それは分からない。だけど郊外の外に組織が存在することを裏付けたかったから、ただ噂を利用したとも考えられる。だけどオーヘルの本質は違う場所にある」
ユリアはハっとしたのをニッシュはうなづいた。
「オーヘルは我々郊外に向けたダミーの組織。事実、邦人達も私たちも、あの男の言葉に踊らされて殺し合っている。中にはオーヘルに共感を寄せるような連中も出てきている。いずれは再び暴動でも起こす気かもしれない」
「また傷つく人たちが出てくる」
「イヌモからすれば。治安維持を名目に介入してくるかもしれないけどね」
「暴動を止めれば良い。だが、何をトリガーにして暴動を起こさせるつもりなんだ?」
ニッシュはポケットから小さなポリ袋を取り出して見せる。中には禍々しく黒いバッタの死骸があった。
「イヌモから仕入れた種子は遺伝子操作で虫が嫌いな臭いを出して遠ざけているけど、こいつはその植物達を食らう。食糧インフラが崩壊すれば自然と人々には怒りしか残らなくなる。ケドウは既に最後の一手を打っているのよ」
ユリアは目を閉じてから思案する。その間にニッシュは少しせき込み左手で受ける。目を開けたユリアは決意したように呟いた。
「放ってはおけない。地下の園を探さないと……」
ユリアはニッシュへ右手を差し伸べてまっすぐ見つめる。
「ありがとう。私や教会だけじゃ情報がないままだった」
差し伸べた右手握ったニッシュは微笑みかける。
「もちろん。あなたは友達だからね。まぁお礼は後払いでいいけど」
「そうか『商会』だもんな。分かった約束する」
ユリアは踵を返してすぐ後ろで控えていたリナのところへと歩いていく。二人は階段を降りてしばらくすると見えなくなった。
ニッシュは再び横にある炎へと目を向ける。
「故郷の臭いね」
それから激しく咳き込み反射的に左手を口に当てると指の隙間から赤い液体が流れ落ちる。手のひらを離すと泡を含んだ真っ赤な血がべっとりと付着していた。
「……」




