abnormalize
地下の暗闇に彼らはいた。
ピアノの独奏が鳴り響き地下道に反響する。
かつて綺麗な店が並んでいた長く広い空間に繁栄の影は見る影もない。シャッターが閉められ息詰まるような空間でも平然と彼らは居る。数多居る者達のだいたいは体の一部が欠けているか息遣いや体形、姿勢が異常である。
その間をフードを深く被り、先には骨のような装飾の入った長い杖を持つ者が歩いていく。一歩一歩歩くごとに金属が叩く音がして、それに気づいた者達は道を開ける。
先には足元から顎の下まで届く長いコートを羽織った女が機械で出来た両腕をコートから出して精密にピアノの鍵盤をたたいていた。目をつむり祈るような演奏を地下道に居る者達は、受け入れるかのようにただ静かに聞く。
ピアノから少し離れた非常階段に「彼」は居て、フードの人物が近づいた。安物のスーツを着崩した背の高い男。見た目特段何かを患っているような気配はない。
フードの男は機械音が混じった男の声で喋る。
「ケドウ……」
「メビウス。ショパンだよ」
メビウスと呼ばれたフード頭は首をかしげる。
「はい?」
「バンシーはよくショパンを弾くね。まぁいいか。何か報告でも?」
「はい。ネスト教会の輸送隊襲撃を依頼した一派が鎮圧された時に、そこで利府里衛利が応援に駆け付けた模様です」
「ほう」
嬉しそうな声で答えたケドウ。メビウスが手のひらを差し出すと黒い繊維で構成された手を出した。衛利が体にまとっている装備と同じ構造のものだった。
手首のパーツからホログラムが発光すると通りで起こった戦いの様子が映し出される。ケドウは親切にも拡大された衛利の顔を見つけて顔を近づけた。
「うん。間違いない。この子だ」
目を皿のように見開き、瞳に焼き付けるように拡大された画像を凝視する。そんな浮かれたケドウをメビウスが水を差した。
「計画が次の段階に入ったのです。戦力を配備するようにオフィサーから催促されています」
それでもケドウは一向に気分を改めない。
「分かっている。心配せずともオフィサーの考えるように事は進めてあげるさ。その前に準備の後始末をしなくてはならない」
あがった口角が今にも爆笑と共に裂けそうになっている。だが、メビウスには分かる。今にも笑い出しそうににやけるこの男。だが、決して他者が演奏を聴くことを邪魔するような事はしない。
「承知しました」
ホログラムを消したメビウスが背を向けると、目を閉じたケドウは浸るようにつぶやいた。
「あの娘は5年の間にどれだけの復讐心を秘めているのだろうか? それとも忘れてしまったのか。でもいいものだろう。やるべきこと。殺すべき敵がいるというのは幸福だ」
独白もピアノ独奏にかき消され、誰にも聞こえることはない。ただの男の幸福論は自分だけの思考の中で延々と反響し続けるのだった。