ヘビの福音
昼過ぎのアパートの一室。僕は台所で仕事の対価でもらった米と水を缶に入れて、下にある着火剤に切れかかったライターで火をつける。
3歳下で十代半ばの妹のリナを見やると首筋に貼ってある絆創膏が剥がれかかっているので手を伸ばして貼りなおそうとする。
「触らないで」
拒絶されてしまった。僕はどんな言葉をかけていいのか分からずにその通りに手を引っ込めてしまった。
「痛む?」
「……少し」
「ごめん……」
「なんで謝るの?」
「……」
気まずい理由は分かっている。リナはきっと絶望しているんだろうと思った。
昨日。おじさんは誕生日を迎えたリナを「剣の会」に売るんだと言った。さすがに僕たちは今日はやめてくれって泣きついてその日は許してもらえた。心の決心がつくまでだっておじさんも言ってはいたけれど。
おじさんは戸籍は持っているから配給を受けれている。だから僕たちの分を分けて貰えているだけで文句は言えない。僕だって廃墟農園で働けて毎日食べられる程度のを得るほどギリギリだ。
リナを売って食い扶持を減らしながら、「剣の会」の受け取っている莫大な物資の一部を受け取るのだそうだ。
生きていくのに仕方がないことだと分かっている。
「分かってるよ。そのくらい」
つい飛び出した言葉と共にやけに玄関が騒がしいことに気付いた。それから忌々しい声が玄関から響いた。
「おい。リナぁこっちこい!」
リナの体がビクリと震えたのがこちらからでも分かった。
「……」
「僕が行ってくるよ」
玄関に行くと靴を履いたままのおじさんと、もう一人の筋肉が隆起して武装した男が立っていた。
「シゲオ。リナ連れてこい」
すぐに分かった。おじさんは僕たちの心の準備なんて待たない。一人で僕達が暴れたら敵わないと思われただけで。有無を言わさないように助っ人を連れてきたんだ。
動かない僕に舌打ちをして、玄関から上がろうとしてくるおじさんの目の前を遮った。
「待ってよ。僕たちが納得するまで待ってくれるって」
勇気ではなく、縋り付くようにとっさに出た言葉。せめて約束は守ってほしいかった。
だけど、僕は視界が飛んで顔が壁にぶつかった瞬間。抗いきれないと理解した。倒れた僕を蹴りつけておじさんと男は部屋に入っていく。僕は玄関から出ると隣の部屋のドアを叩いて助けを呼ぶ。反応はない。
すぐに雇い主のスギノさんを思い浮かんで飛び出した。あの人は良い人だ。僕たちを助けてくれるに違いない。僕は白昼を飛び出して職場まで直行する。
リナを助けないと、絶対あんな奴らに傷付けさせるもんか。いつも見る一機の巡回ドローンの影が僕を追い越していく。あの影に乗っていきたいと思いすらなる。
ふと道の隅を見やると行き場をなくした人々が寄り添って生きている。彼らからすれば僕の身分はとても羨ましいかもしれない。だけど、それはそれだ。
十数分後に、緑が生い茂るビルの中に飛び込むと事務所にはデスクで作業しているスギノさんが居た。
「スギノさん!」
「シゲオ君。どうしたんだい? 今日は休みだったんじゃ」
急な訪問にも落ち着いてスギノさんに僕は事情を話した。がスギノさんは首を横に振った。
「まさか。自警団にかないっこないよ」
泣きながらもう一度助けてほしいと言ってもスギノさんは出来ないと言って黙ってしまった。
「帰ります」
僕は歩いて帰った。帰ればきっともうリナはいない。全ては仕方がないことだって。自分に言い訳しながら。
職場の外に出ると、廃墟の陰から見慣れないモノがにじり寄ってきた。
細長い物体が生き物ように体をあげる。実際見たことはないが、両親が生きていた時に本で見たことがある。ヘビと言う生き物がそれに近しいと思えた。ただ顔に当たる部分は円柱のパーツで先端が窪んでおり、そこから伸びる胴体部分はリナの髪のような黒い繊維で出来ていた。
不気味なそれは僕の右手にゆっくり巻き付く。無気力となっていた僕はもうどうにでもなれと思ってヘビのさせたいがままにしておいた。
ヘビを眺めていたら。僕の右手に絡まったヘビは顔を人差し指の上にのせて制止する。人差し指の向けた方向に顔を行くようになる。
意図が良く分からずに親指をあげて指でっぽうのように廃墟の壁にヘビの頭部を向けた。童心に戻ってつらい現実から逃げ出したかった。おじさんの顔を廃墟に壁に想像で貼り付けた。
「ばぁん」
腕に少し負荷がかかってちょっと後退する。驚いてから廃墟の壁を見やれば、壁には何かが激しく衝突した痕があった。すぐに理解した。このヘビは「兵器」だ。もう何発か壁に撃ちこんでから、その効果を確認する。
僕は走り出した。先ほどより早く、さっきの悠々としたドローンよりも早く。僕は武器を手に入れた。おじさんがあの力強い男を連れてきたように。
「だったら僕もやってやる!」
決意を口にして、自分を鼓舞する。リナは連れ出されてるだろうから。まずはおじさんをこれで脅してリナの行き場所を案内させてから、未だに道中で一人でリナを連れてるだろうあの男にもこれを突きつけて取り引きする。
夢中で計画を練りながらアパートにたどり着く。
―――
靴はまだある。あがりこめば裸の男がリナに覆いかぶさっていた。あげた男の顔に狙いを定めて撃とうと思えばヘビはそのパルス衝撃の舌を伸ばしていた。男の頭の一部が裂けて血が飛び散る。
致命傷ではない。それでも何何発も撃ち抜きなぜだか知らないが全て命中して男は顔がズタボロになって死んでいた。
僕はリナを男の死体から引き離す。
「……おに」
「うん。助けに来たよ。もうリナを売ろうとする奴なんていなくなるんだよ。もう大丈夫大丈夫だよ」
僕たちの後ろから素っ頓狂な悲鳴があがる。見れば目を見開いたおじさんが立ち尽くしていた。こうなってしまった以上時間がいる。きっとおじさんは誰かにこのことを言うだろう。
僕は逃げ出そうとするおじさんを部屋中追いかけまわしてから、さっきの男のように頭が砕けるまで何発もヘビの吐息を撃ち込んだ。
それから必要な物をバッグに詰め込んだら。リナの回復と夕暮れの配給を待ってアパートから出た。
「おいそこの」
すると後ろから声をかけられてると、車から降りてくる複数人の武装した男たちが立っていた。
「うちの奴がここに来てるんだ。知らないか? それとなんで右腕にタオルしてんだ?」
直感は不意打ちで先制攻撃するしかないと告げていた。いつのまにか自分がこれほど勇敢になったのか、武器を持ったからか、このヘビのせいか分からない。
でも、それ以外に右手のヘビを見せてこの場から見逃してもらえる可能性は皆無に等しかった。
一瞬だけ一撃で敵を葬れないヘビに不安を覚えたが、先ほど撃った時に得た確信を試すことにした。
なぜかヘビの狙いは僕の撃ちたい場所を撃ち抜く。僕は目の前にいる男へ右手を伸ばして相手の「目」に集中して放つと。目玉が砕け散り更に奥の組織も破壊したようで顔に開いた大穴から破片のような出血をしてその場に倒れた。
夢中になって他の仲間も最初の男のようにしてやった。
その時の感情は複雑で分からない。興奮もしていた。
ただ、今は僕がここの支配者であることは間違いなかった。




