生誕
夜の街に吹き抜ける風と共に少しだけの雪が降るが、背負うように大きなジャンバーが体を守ってくれた。北九州沿岸特有の海風によって雲はすぐに去ってしまうのだが、それでも雪が降ることぐらいはある。
珍しい上に予想外のことに違いないが、雪は足が滑るほどではないし視界が遮られることもない。「実行」の支障にはならないが気分は良くはない。時間も余裕はあるがどうにも落ち着かない。
【♪ この曲はAI作曲家のMessiahさんからでしたー】
ふと街中で流れていた曲が中断される。ただ聞き流していただけだが。大音量で鳴らしているのではなく、耳元にだけ指向性の音波が俺の耳でちょうど音になるようになっているだろう。
前にある建物の傍に無人タクシーが止まる。直後に建物から人が出てきてすぐさま乗り去っていく。どこかに行くのだろう。それともあの集まりか、ともかく自分のように歩いて移動するのはこの街では稀だ。
ふと対面から老婆が歩いてくる。ドキリとして唾を飲み込んだ。なるべく意識しないように目を合わせないようにする。
「あら。こんにちは」
ゆっくりとした口調で老婆は挨拶をしてくる。なるべく呼吸を荒くしないように、一旦鼻でゆっくりと呼吸を整える。
「こんにちは」
とりあえず怪しまれないように返すと、老婆は首を傾げる。
「珍しいですねぇ。散歩なんて」
「アーコロジーの中はその、外より気分が良くなくて」
「あらそう。私は建物の中の方が気分が良いわ」
「は、はぁ」
「でもね。昔はどんな不愉快な天気でも外に出なくては、学校も仕事にもいけなかったの。その鬱陶しさが今では心地が良いわ」
夢中に話す老婆が我に返ってごめんなさいねぇと謝ると、ポケットから俺でも知っているキャンディーを渡してきた。俺が受け取ると丁寧に頭を下げて去っていく。すぐさまキャンディーを口に含めると再び歩き出す。なぜすぐ食べたのかは分からないがともかく手に持っているのが邪魔だった。キャンディーはオレンジの味でしばらく歩くと、いつの間にか呼吸は穏やかになっていた。
都市の中心部に行くと中心にある真っ白な壁の高層ビルは全てを見下すように建っていた。その高さ700mにも及ぶ巨大建設物とそれに付随する公園もその規模は巨大だった。
徐々に目的地に近づけばようやく自分以外の歩行者の姿も見られ。皆同じ方向に向かっていく。
周りの着こなしを見ればそれぞれ好きに着飾っている。見ただけで寒くなるような薄い生地のようでも、最先端の素材が使われたものが大半で、自分のように見たまんま防寒具を着ている人は少ない。
「何の人だかりなんだ? これ」
誰かの声が聞こえてくると街中の街灯に備えられたホログラムからキャラクターが飛び出して返答する。
【こちらイヌモグループの難民居住区チャリティを開催されるそうなのですよ】
「へぇ~」
腑抜けたような会話に内心呆れてしまう。彼はそんなことも知らずにここに足を踏み入れたのか。意識が希薄すぎやしないのだろうか?
……いや。俺の方が意識が過ぎているのかもしれない。
「何も関係のない人」から見れば、これから起こるのは単なるイベントなのだ。
思惑を混ぜながらまたしばらく歩けば、多くの人々が野外に設けられた会場に集められていた。横断幕に展開するホログラムには『郊外大規模火災のチャリティ』と銘打たれていた。
わざと目を瞬かせる。油断すると恐ろしい目つきに成っていたような気がする。イベントの開始と挨拶が行われる。
壇上を端から端まで見れば、意外と早く「星」見つけることが出来た。唐突に壇上の真ん中へとスーツ姿の男がやってきて、神妙な面持ちで集まった人々に呼びかけた。今度は雑に音量がデカいスピーカーから音が出る。
「こんばんは皆さん。イヌモ九州の暫定代表、近衛文雄です。今夜は我々の住む中央区から大橋を渡った先の郊外地区での大規模火災の復興チャリティです。我々はこの痛みを分かり合うために、この悪天候にリアルで出演しています」
俺はスピーチを無視して何気なく隣の人に手を伸ばす。手は人を透けて接触面はホログラム特有の青白い光を放っている。
「……我々イヌモグループは世界中の貧しい地域に社会奉仕として取り組んでまいりました。それは過去に起きたこの国での大災害でも同様です」
目のピントが合ってくるとはっきりその顔を見ることが出来た。壇上左側に座る眼鏡をかけた若い男だ。名前は利府里司徒。
舌がしびれる感覚にしてから。胸ポケットに手を突っ込み酷く冷たい「持ち手」をしっかり握ると利府里の神妙な顔をじっとみていた。そして利府里の顔を覗き込むように隣の席から話しかける少女を見つけた。
歳は中学生ぐらいの頃のようで大人びては見えないが、長い黒髪は無邪気そうな中身とギャップがあり微笑ましいとも感じた。
娘のようではなさそうだし、もちろん妻でもないだろう。少し彼女の正体を掴めなかったのは自分が一人っ子であったからだ。あの少女は恐らく司徒の妹なのだ。
少女に思考を割いていた私は、実行の合図である銃声に驚いた数多のギャラリーの一人となっていた。
すぐに早歩きで続々に人々に接触するが、大半がホログラム故にすり抜けていく。
鈍いものだ。最初の銃撃は壇上上部への銃撃に対してほぼ全員が何が起こったのか気づくのに数十秒も要している。俺はじっと利府里をじっと視界にとらえたまま、懐に忍ばせた回転拳銃のグリップを握り直して肩をいからせて歩き続ける。
壇上の上に居た近衛が警備用の汎用フレームと呼ばれる細身のロボットに連れられると、周囲が悲鳴ともパニックの声が上がり始めると、ホログラムが徐々に消えていく。
最初の攻撃で気づいたのか状況が分からなそうな妹の両肩に手を置いて利府里司徒は移動し始めていた。彼らにも汎用フレームが駆け寄って付き添うと「避難経路」に二人だけを誘導する。
不気味に人気がないタワーの地下へと続く一本の道路。彼らの後ろ姿を捉え回転拳銃をポケットから抜いたがまだジャンバーで隠す。全力で追いかけたおかげで二人はすぐそこだった。
司徒が妹を連れていたのが彼の運の尽きなのかもしれない。
追い打ちをかけるように二人を先導していた汎用フレームが急停止して倒れ込み二人は驚いて立ち尽くす。利府里の妹が悲鳴のような疑問を投げかける。半狂乱な妹に司徒は落ち着いて話しかけた。
「どうしたの!? ねぇ!」
「分からない……とにかく中に」
普段から頼りにしているものを取り上げられて、困っている子供のように戸惑う二人に俺はすぐそこに追いついた。
ジャンパーに突っ込んでいた手を外に晒す。抜き取られた回転拳銃の撃鉄に親指をかける。
そして優しい口調で話しかけた。
「困りごとかい?」
もちろん親切心なんてもののためじゃない。だが、声をかけなくては自然と彼らに失礼のように感じてしまった。
同時に自分の方に顔を向ける二人。そして、意外にも司徒の反応が早かった。彼が妹を後ろにやって俺に正面を晒す。
逃げる標的なら腹に一発当てて動きを止めようと思ったが、これなら逃げようも外しようもない。すっと彼の胸へと腕を伸ばし同時に銃口も彼のバイタルに照準を合わせる。
一発。どこに当たったか分からないが、撃鉄が思ったように引けずに何度か引っ掛かりながらも、二発目がなかなか撃てなかった。動揺して銃口を上に外してしまう。しかし、たまたまその二発目によって彼の喉から大量に血が噴き出した。
殺せたと確信した。完全に殺したわけではないが、俺はすぐにでもここから離れたい気持ちに駆られて背を向ける。
「お兄ちゃん!?」
つい足が止まる。こみあげたのは哀れみや後悔ではなく。ましてや達成感でもない。脳がガンガンと興奮の物質にまみれている。
また振り返って利府里の方に目を向けると、倒れた司徒を少女が縋り付いて揺り起こそうとしている。自分は回転拳銃を再び手に取った。
銃口は向けなかった。ただ腕を曲げると。
「……」
それを少女の元へと放り投げる。コンクリートと擦れた音を立てながら少女の膝元に転がる。我ながらうまく投げれたと思う。
それ以上の事はしない。言葉もかけず。だが汎用フレームに従わなければ道も分からないような「君」でもこれだけは分かるはずだ。
この男は許せない。
思うはずだ「人間」ならば。例え機械に囲まれて容器の中に詰め込まれたような人生を送ろうとも。君の中に芽生える感情は君の人生を決定的に変えてしまったはずだ。
振り返ることはしない。少女がどうしているのかを見たくはない。司徒に縋り付いたままなのか。怖くなって逃げ出したのか。
それとも地に落ちた銃を拾い、憎い相手に向けているのか?
俺はもういつでも終わっても良いぞ。
……。
歩きたい欲求に従い延々と続く街並みを歩く。気づけば真っ暗な空からはもう雪は降っていなかった。ただただ凍てついた風が街路樹を揺らして路上に吹きすさぶ。
とうとう無事に街から離れて大きな橋まで来てしまった。
……今、俺が殺したのは本当に悪い人間だったのだろうか?
「最初は気分がよかったんだが」
言い訳を呟いた口はオレンジの香りで誤魔化しても自身から出た酸味は紛らわしようもなかった。