第九五羽 時計の電池編
いくらか時間が経っていたのにもかかわらずライチョウが戻っても教員もクラスメイトも誰もライチョウに注意をしなかった。日頃の行いの賜物だろうか。
そして3時限目の授業を再開した。いつも通りに。それでもいくらかの達成感に包まれて。
一方でタンチョウは準備を進めていた。と、言ってもすでに授業中でする事と言えばヤマセミと打ち合わせをする程度であった。
≪実行は4時限目前だ≫
≪ああ、分かってる。俺が持ってる事務員の変装道具を3時限目が終わってからお前に渡す。着替える場所は自分で確保しろ≫
≪分かってる。見当はもうつけているからな≫
≪ならいい。見つからないようにしろよ。俺は一足先に2年D組へ行って状況に探りを入れておく≫
≪頼んだ≫
≪実行後はすぐに着替えろ。事務員の服はお前の制服を画した場所に置いておけ。あとで場所を教えてもらった俺が回収に行く。それでいいな?≫
≪大丈夫だ≫
≪よし、ならもうあとはこの3時限目が終わるのを待つだけだな≫
≪ああ≫
タンチョウはまるでその空いた時間を潰すかのようなつもりで授業に取り組み始めた。
鼻歌を歌うように上機嫌で、ペンはノートの上を踊り、走る。楽しい気分になっているのは一目瞭然で彼を知る人が見れば機嫌がすこぶるいい事を見抜いたに違いない。
風邪を引いた事がないのでマスクをするのはほとんど初めてだったし、目も両目とも裸眼で遠くにある字まで読めるほど良いので眼鏡もした事がない。事務員のようなベストも来た事がなかった。
変装にはとかく色々と必要なのだ。そのどれも彼は身に着けた事がほとんどない。まるで幼稚園児が園の中で新しい遊び道具を見つけた時のような嬉々とした表情を浮かべているのは彼の純粋な、たくさんの事を楽しもうとする性格によるものだった。
校舎の事務室でよく見かける事務員は教員とも違っていて、もちろん生徒とも違う。ある種の特別な感を持っている。
タンチョウはノートを一通りに取り終わると事務員らしい振る舞いを頭の中で考えながら時が過ぎるのを待った。
そして鐘が鳴り響いた。
タンチョウはあくまでも冷静に静かに立ち上がると使っていたノートや教科書を片づけて廊下へ出てヤマセミと会おうと足を出した。
「よお、トイレか?」
クラスの中でもごく親しい友人が話しかけてきた。いつもなら休み時間になった途端に話しかけてくる事なんてないのにこんな時に限って話しかけてくる。
「いや、違うよ。ちょっと話をする奴がいるんだ」
「あ、そうかい。なんだ、トイレなら一緒に行こうと思ったんだけどよ」
「すまんな」
タンチョウはまた歩いた。次はいくらか速くなっている。
「なあ、さっきの授業のノートしっかり取ってるか?」
あやうくため息をつきそうになるのを堪えた。
「取ってるよ」
「見せてくれよ」
「机の中にある」
「ありがとよ」などと呟いてタンチョウの席へと向かった。
もうほとんど走っている。もうすぐ教室から出られる。
「ねえ、ちょっといい?」
「なんだ?」
「え、ごめん。急いでた?」
「あ、いや、済まない。どうした?」
「うんとね、村野と昨日の夜に話してたんだ、私と2人でね。それも電話で」
「すまん、やっぱり忙しい。あとにしてくれ。必ず聞く。しっかり聞く。あとに時間がないなら電話してもいい」
タンチョウは話しかけてきた女子生徒の肩に手を優しく当てて丁寧に言った。
「もー、なんなのよー」
ようやく教室を出る事が出来た。




