第五四羽 校門の植木鉢編
その日、大友幸大と豊島真雪は手を繋いで帰った。
彼らはほとんど毎日、一緒になって帰っていた。
幸大が部活で遅れると真雪がそれを待ち、真雪が遅れると幸大がそれを待った。2人とも疑いようもないほど幸福で満ち足りた表情で待っていたのである。
その日も少しだけ遅れてしまった幸大を真雪は教室で自学を行いながら待っていた。
静かな教室の中にたった一人、春の夕刻は次第に暮れていき、夜の闇に沈んでいく。
心細かろう。だが、やはり真雪は幸福そうだった。待つのが楽しいようにさえ見えていた。
忘れ物を取りに来ておきながら扉の前でハッと立ち止まり、特に自分でも理由が分からないまま隠れてしまったのはカッコウだった。
カッコウはすぐにキセキレイに連絡を取った。
≪コマちゃんが教室でオオルリに待たされてる!≫
≪え、ウソ、この時間まで?≫
≪勉強してるっぽい!≫
≪ふざけんなよー、オオルリ。ちょっと待ってて、すぐ行く!≫
程なくしてカッコウの隣にキセキレイがやって来た。2人は教室の扉から目だけを出して教室内でひとり残って自学を続ける真雪を見守った。
どこかで真雪を囚われの身から救い出してあげようと機会を待っている2人だが徐々に思惑通りにいかなくなってきている困惑の事態を認め始めるのだった。
つまり真雪が待っている間にホッと一息ついて伸びをしたり、詰まって手が止まったりするひとつひとつの仕草が2人がこれまで見た事がないほどウキウキとしていてこの上なく可愛らしかった。
廊下で2人はほとんど身もだえを堪えるために互いを抱え合っていた。どこからやって来る苦痛なのか2人は全く分からなかった。
違うと分かりながらも「友人が頭のネジがどこか抜け落ちた男の毒牙にかかろうとしている」あるいは「何かを決定的に勘違いしていてそれをまだ全く理解していない事を利用されている」と決めつけていたのである。
「ねえ、キセキちゃん、聞いていい?」
「うん、いいよー。なに?」
カッコウはとても深刻そうな顔をして真面目な力を込めた瞳をキセキレイの瞳と合わせて尋ねた。
「あんな風に人を待てる?」
「ムリ」
「だよねえ、あたしだけじゃないよね。良かったよ、いや良くないか」
「おかしいよ、コマちゃんがおかしくなっちゃったんだよ。これはもう一大事を越えてるよ。国で考えるべき案件だね」
「どうして待てるんだろう?」
「止めて、もう止めて。それは答えの見つからない難問だよ」
「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかねって誰かが言ったよね?」
「うん、大昔にね。ちょっとなんか違う気もするけれど」
「あたし、どっちも辛いんだけど」
「わたしも」
もぞもぞと扉の傍で動く2人に真雪は気付いている様子もない。もしかしたら目の前で喜劇を演じても真雪は上の空でいたかもしれなかった。
長い悠久とも思える眠りから目覚めて朝の陽ざしを取り入れたかのように潤んだ瞳の真雪は何もかもが美しく見えていた。
言葉にしないでも感覚的に、無意識的にそう思っていた。
教室の黒板が、チョークの粉で汚れている黒板消しすらも、整然とはとても言い難いほど乱雑に並べられたイスと机のどこかから美しさを持ち出していた。
ノートに書き込んでいく一文字ずつが彼のためであるかのように思えた。本のページをめくるたびに彼の足跡を追っているような気がしていた。
幸大が今、部活で頑張っているのは自分のためであるように錯覚さえしている。
決してそんな事はない。錯覚であるはずだ。救いがたい思い込みだ。
間違いなく真雪は恋をしている。否定の言葉など届かないほどに。
そして幸大がやって来た。彼女は笑顔でこれ以上ないほど嬉しそうな表情で彼を優しく迎えるのだった。
幸大もまた真雪のように部活動の練習の全てを真雪に見られているかのような気持ちで取り組んでいた。
転ぶ姿など見せるわけにはいかない。元気のない姿を見られるぐらいなら死んだ方がマシだ。泣き言を言うなんてもってのほかだ。
つまり幸大も真雪に負けないぐらい恋をしているのだ。
幸大は帰る支度を整えた真雪の手を取った。教室の灯りを消すと2人は階段を下りていった。
扉の外で縮こまる2人には全く気付いていない。
「これはヤバいねー」「いいなあ」
2人はため息まじりに呟いた。




