鈴木対チアキ先輩
目が覚めると、もう陽は傾いていた。ベッドの横に置いてある時計を確認すると16時を回っていた。
食欲はない。ズキズキと痛むこめかみを押さえながら、ゆっくりと立ち上がった。
とてもお見舞いに行くようなメンタルではない。俺の方が見舞って欲しいくらいだ。
でも、世話になっているチアキ先輩に、一言かけにいかなくては。その義務感だけで動いていた。
シャワーを浴びると、少し気分が良くなった。体にまとわりついていた悪い気が流れたのかもしれない。
バイトに行く格好に着替えて、家を出た。今日はさすがに、『Blue Note』に寄る気にはなれない。だから、病院へは少しまわり道をした。
病室に入ると、先客がいた。鈴木だ。鈴木が、ベッドの横に立って、チアキ先輩と話している。
「こんにちは。あ……」
「おう、修。何だ、お前もコイツが見えんのか?」
「あ、えぇ、まぁ……」
俺は曖昧に言葉を濁した。
「それなら、話は早えや。ちょっと、待っててくれねぇか」
そう言うと、チアキ先輩は俺に椅子を勧めてくれた。
チアキ先輩の手には、『死-Pad』が握られている。おそらく、そこにはチアキ先輩専用のメニューが表示されているのだろう。
止めなければいけない。チアキ先輩を、俺やみゆきのような目に合わせてはいけない。でも、かける言葉が見つからない。
「ふーん。よくできてんなぁ」
チアキ先輩は、感心したような声をあげた。
「で、これを選べば、願いが叶うってんだ」
「はい、左様でございまーすぅ」
「よく調べてあんなぁ。『大晦日の大会に出る』ってのがある。『チャンピオンと試合をする』ってのもあるなぁ」
「気に入っていただけましたかぁ?」
鈴木は、チアキ先輩の前でも変わらない。
「お、『チャンピオンになる』ってのもあるな。これを全部選ぶと、大晦日の試合に出られて、チャンピオンと試合をして、俺がチャンピオンになれる訳だ」
「左様でございまーすぅ。その分、少し余命をいただくことになりまーすぅ」
鈴木は、得意げに話している。
「ガッシャン!!」
大きな音が病室に響き渡った。その音に驚いて、俺は思わず目をつぶってしまった。
目を開けると、チアキ先輩の手に『死-Pad』はなかった。床に叩きつけたのだ。
「悪いな、帰ってくれ」
言葉こそいつも通りたけど、チアキ先輩は怒っている。それも、かなり怒っているようだ。
「俺たち格闘家は、命がけでリングに上がってんだ。リングの上でなら、死んでもいいと思ってる。そりゃ、試合前には、エキサイトして挑発し合うこともある。けど、リングで拳を交えた後は、命をかけて戦ってくれた相手をリスペクトするんだよ」
病室の中に、ピンと張り詰めた空気が流れている。
「こんなの使って、死神の力を借りてリングに上がったら、相手に失礼だろ」
鈴木は、チアキ先輩をジッと見ている。
「それだけじゃねぇ。今まで、命がけで俺と戦ってくれた連中にも顔向けできねぇ。ジムで指導してくれたトレーナー。応援してくれた仲間たち。支えてくれたスポンサー。格闘家を夢見る子どもたち。みんなを裏切ることになるんだよ」
カッコいい。心の底から、そう思った。正直、病室で鈴木の姿を見た時、チアキ先輩は取引すると思った。だから、驚いたし、すごいと思う。
俺の目から、涙が流れていた。
「かしこまりましたぁ、松丸様。また何かございましたら、その名刺に呼びかけてくださーい」
「ん、これか?」
チアキ先輩は、ベッドの布団の上に置いてあった名刺を手に取った。
「ビリッ!」
鋭い音が病室に響く。
「悪いな。必要ねぇんだっての」
鈴木の名刺は、チアキ先輩の手で真っ二つに裂かれた。
「左様でございますかぁ。それでは失礼いたしまーすぅ」
鈴木は、張り付いたような笑いを浮かべたまま、床に染み込むように消えていった。
夕陽に照らされたチアキ先輩の表情が、とても凛々しく輝いていた。




