控え室で
場内は、割れんばかりの大歓声に包まれている。これから、セミファイナルとメインイベントだから、さらに盛り上がるだろう。
だけど、チアキ先輩の試合が終わったので、もう他の試合のことは、どうでも良かった。早くチアキ先輩に会って、この感動を伝えたいと思ったのだ。
「みゆき、まだ見る?」
「あ、もう大丈夫ですよ。チアキ先輩のところに行きましょう」
「うん、じゃあ、行こう」
周りの人たちは、まだ試合を見るようなので、邪魔にならないように、こっそりと席を立った。
通路の奥、関係者以外立ち入り禁止の立て札の脇には、警備員と係の人が立っていた。そこで事情を説明すると、係の人が控え室に確認しに行ってくれた。
「並木修一郎さんですね。右側手前の控え室が松丸選手の控え室です」
「あ、ありがとうございます」
松丸選手と言われると、知らない人みたいに感じる。リング上のあの姿を見たら、それも仕方がないのかもしれない。
控え室を覗くと、タオルを肩にかけて、ベンチに座っているチアキ先輩がいた。スタッフの人たちと握手を交わして、盛り上がっていた。
しかし、反対側の奥には、氷のうを顔に当てて倒れている人がいた。光と陰。勝者と敗者の境界線が、そこにはあった。
「おう、修。入れ、入れ」
俺の姿に気づいたチアキ先輩が、声をかけてくれた。
「お疲れ様です。チアキ先輩、おめでとうございます」
「他人行儀だな。いつも通りでいいって」
「あ、え、俺、変ですかね」
自分では、いつも通りのつもりだったけど、何かが違っていたのかもしれない。
「それより、みゆきちゃんは?」
「あ、来てます。ここに……」
俺の後ろから、おずおずとみゆきが入ってきた。
「おぉ、みゆきちゃん。はじめまして」
「はじめまして。高見沢みゆきです」
みゆきは、ぺこりと頭を下げて挨拶をした。
「あはは。いつも、修から話を聞いてるよ」
「エェッ!いつもですか?」
「あぁ、いつも、みゆきちゃんの自慢ばかりだよ」
「ちょっ、先輩。そんな自慢してないですよね」
控え室に、笑い声が響いた。みゆきも、少し顔を赤らめているけど、一緒に笑ってる。
「みゆきちゃん、こいつ、ちょっと頼りないところもあるけど、いい奴だからさ。よろしく頼むよ」
「あ、はい。もちろんです」
ホントにチアキ先輩は、兄貴みたいだ。
「あの、これみなさんで召し上がってください」
みゆきが、おもむろに差し入れのクッキーを差し出した。
「おぉ、サンキュー。何だい、これは?」
「あ、近所の美味しいクッキーです。お口に合うと良いんですけど……」
チアキ先輩は、豪快に包みを開けると、クッキーを一口で頬張った。
「おぉ、こいつは美味い。けど、切れた口にはしみるなぁ」
「エェッ!すみません。」
みゆきは、ぺこぺこと頭を下げている。チアキ先輩は、それを手で制して言った。
「気にしなさんなって。アイツのパンチよりは痛いけどな」
「先輩、大丈夫なんですか?」
「何だ、修。俺を心配してくれんのか?」
試合には勝ったけど、最初のラウンドは、結構、攻められていた。心配にならない方がおかしい。
「全部、俺の戦略だって。最初、ローキックで下を意識させといてのドカンだ。狙い通りだよ」
力こぶを見せて自慢げに言ってるけど、絶対に嘘だ。格闘技素人の俺だって、そんな戦略じゃなかったってわかる。
「でも……」
俺が言いかけた時、背後からどやどやと人が入って来た。金髪スカジャンさんやパンチさんたちだ。
「テメェら!俺の弟分と話してんだろうが。入ってくんじゃねぇ」
チアキ先輩が、大声で怒鳴った。すると、あれほど、強面のみなさんが、子どものようにシュンとして、廊下へと出て行ったのだ。
「すまねぇ。あいつら、礼儀ってもんを知らねえからな」
「いや、大丈夫ですよ……」
みゆきも、チアキ先輩の大声にすっかり萎縮したようで、胸を押さえて縮まっていた。
「ごめんな、みゆきちゃん」
「いえ、大丈夫です」
明らかに愛想笑いだけど、みゆきの笑顔には人を脱力させる力がある。
「じゃあ、俺たち、そろそろ帰ります」
「お、そうか?今日は、ありがとうな」
「いえ、楽しかったです」
「私も、楽しかったです。後楽園ホールの控え室に入れるなんて、夢みたいです」
みゆきのプロレス好き全開の言葉で、また大きな笑いの輪が広まった。
控え室の出口まで、チアキ先輩が見送ってくれた。外の廊下には、金髪スカジャンさんやパンチさんたちが整然と並んで立っていた。
俺とみゆきが歩いて行くと、全員が礼をして見送ってくれた。チアキ先輩の弟分。その肩書きの偉大さを、改めて思い知った気がした。




