進展
数日後、俺はビル清掃のバイトの面接を受けた。場所は、3駅隣の街にある小さな雑居ビルの一室。清掃会社の割に、お世辞にも綺麗とは言えないようなオフィスだった。
社長は、すごく人の良さそうなおじさんだった。中年太りで恰幅が良く、いつもニコニコしているので、面接の最中も安心できた。まるで七福神の恵比寿様のような人だった。
面接の翌日には、恵比寿様から電話があって、無事、採用となった。週明けから、早速、先輩について一緒に仕事をする予定だ。
その間も、俺は『Blue Note』には、マメに通っていた。彼女と話すことが、まるで日課のようになっている。
たまに、彼女が授業で店にいなかったりして、たった1日、話せなかっただけで、寂しさが積もる気がするようになった。自分でも、かなり重症だと思う。
バイトがはじまると、今までのように足しげく通うのは難しくなるかもしれない。だから、その前に、今日、もし彼女がお店にいたら、デートに誘ってみようと思う。
密かな決意を抱いて、俺は『Blue Note』のドアをくぐった。
「いらっしゃいませ」
彼女の元気な声が店に響いた。良かった、今日は、彼女がいる日だ。
俺はカウンターの中の彼女を見て、軽く頭を下げた。
「並木先輩、いつものコーヒーでいいですか?」
彼女が満面の笑顔で確認してくる。この笑顔が見たくて、俺はここに通っているのだ。
「うん、コーヒー。あと、ナポリタンも」
この辺のやり取りは、完全に常連さんの風格を漂わせている。ただ、そこから先となると、俺の乏しい恋愛経験とコミュニケーション能力とでは、正解が導き出せない。
最終的には、当たって砕けろの精神論になる。
「あ、俺、バイト決まったんだよね」
「エェッ、すごい。おめでとうございます」
彼女は、両腕を前に突き出して、拍手をしてくれた。いつも以上に嬉しそうなのは、俺の気のせいだろうか?
「じゃあ、何かお祝いをしなきゃいけませんね。うーん……」
カウンターの向こうで、今度は腕を組んで、何やら考えはじめた。
「あ、そうだ。今度、映画に行きませんか?」
「エェッ?!」
今度は、俺が驚く番だった。俺から誘うつもりだのに。どうやって切り出そうか悩んでいたのに。彼女は、あっさりとその壁を飛び越えてきた。
「先週末から公開になった『魔法王国物語〜ドワーフ王の指輪』が観たいんです。あのシリーズ、大好きなんですよ」
「そ、そうなんだ」
「あれ?あまりお好きではないですか?」
俺の対応が悪かったせいで、彼女は不安げな表情になった。
「そ、そんなことないよ。俺も大好きだよ。前作、良かったよね」
「あ、『~エルフと白銀の一角獣』ですね。最後が泣けますよね」
またウソをついた。最近、映画を観る余裕なんて精神的にも金銭的にもなかった。でも、ウソをつくことで、彼女が笑顔になるなら、お安いものだ。
「じゃあ、日曜日でいいですか?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
「はい。じゃあ、10時に駅前で待ち合わせましょう」
思いもよらない展開で、彼女とデートをすることになった。こんなラッキーがあり得るのかと驚くばかりだ。
今日の帰りはDVDを借りて『魔法王国物語』シリーズを全部観ようと心に決めた。