恋とウソ
翌日も、俺はお昼前から『Blue Note』にいた。もちろん、彼女に会うためだが、それだけではない。卒業後の進路を考えようと思ったのだ。
こんな俺でも、一応、形ばかりだが就職活動はしてみた。でも、コンビニのバイトさえ満足にできなかったヤツが、厳しい就職戦線を勝ち抜くなんて不可能だった。
経済学部の仲間たちは、大手企業のマーケティング部門だったり、経営コンサルティング会社だったりに就職を決めていた。
他の連中も、企業の総務部や経理部、人事部といったところから内定をもらっている。
だけど、俺はコンビニのレジでさえ満足にできない。それなのに、マーケティングで何かを分析したり、コンサルティングでアドバイスをしたり、できるはずがない。
結局、数十社に書類を送って、3社ほど面接に行ったが、内定という勝利の証を勝ち取ることはできなかった。
俺の良さがわからない会社が悪い。そんな会社が生き残っている社会が悪いと、早々に退散したのだ。
今、差し当っての課題としては、収入を確保することだ。多少の貯金はあるが、何ヶ月も無収入に耐えられるほどの蓄えではない。
どんなに切り詰めたとしても、3ヶ月もつかどうかだろう。
そんな状況にありながら、『Blue Note』には、定期的に通いたいと思っている。もちろん、少しでも彼女とお近づきになりたいからだ。
幸いなことに、ここはコーヒーなら350円と、かなり良心的な価格設定をしてくれている。ナポリタンとセットでも1000円でお釣りがくる。とてもありがたい。
まだできたばかりだからなのか、まだお客さんは少ない。価格が安いので、潰れてしまわないか、心配になる。もちろん、お店を心配している訳ではなく、彼女に会う機会がなくなることを心配してのことだ。
今日は、昨日と違って、壁際の席に陣取った。こっちの方が、カウンターがよく見える。つまり、彼女がよく見えるのだ。
今日も彼女は、カウンターの中で元気に動き回っている。そして、時折、顔をあげて、俺のことを気にかけてくれる。
たまに目が合うだけで、ドキドキしてしまう。こんなに、恋愛にピュアだっただろうかと、自分でも驚いてしまう。
「た、高見沢さんは、バイトは週何日なの?」
「私ですか?土日以外は、お店に出るようにしてます。授業がない時だけですけどね」
彼女は、笑顔で答えてくれた。まるで、俺に聞かれたことが嬉しいみたいだ。
「結構、ガッツリ働いてるね。何か欲しい物でもあるの?」
「いえ、ここ、私のウチなんです。だから、お手伝いみたいなものです」
エヘヘと頭をかきながら、照れる彼女も、また可愛い。
「エッ、実家なの?じゃあ、お父さんがマスター?」
「うち、お父さんはいないんです。だから、お母さんがマスターです」
「そ、そうなんだ……何かごめん……」
気まずい沈黙が流れかかった。それを彼女は、自らの言葉で打ち破ってくれた。
「私の下に、中学生の妹がいるんです。だから、私がしっかりお手伝いしないとダメなんですよ」
そう言って笑う彼女には、微塵も悲壮感はなかった。
「並木先輩は、春からは就職されるんですか?」
一番、聞かれたくない質問が来た。
「ち、ちょっと、研究したいテーマがあってね。だから、院に行こうかと思って……」
ウソをついた。しどろもどろになりながら、俺は彼女にウソをついた。
「じゃあ、春からは大学院生ですか?」
彼女のキラキラした目を見るのがツライ。俺のヘタなウソを完全に信じているようだ。
「あ、いや、教授に相談したんだけど、研究よりも実践かなって……だから、働く先を探す予定だよ」
「そうだったんですね。何だか、カッコいいです」
着地点は、真実だ。それでもウソをついたことに変わりはない。彼女の純粋そうな目を見ると罪悪感にさいなまれる。これ以上、ウソを重ねないためにも、今日はここで退散しよう。
卒業後の進路を考えようと思ったが、ここでは無理そうだ。
後ろ髪を引かれる思いだが、俺は彼女に会計を済ませて、喫茶店を後にした。