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タイム・トラベル  作者: 真木
9/11

第六話 Last night in London <前>

 実質旅行の最終日の朝、私は六時半くらいに目を覚ました。


 あくびを噛み殺しつつ歯を磨いて身支度をして、天気予報を見ながら荷造りを始める。


「おっはよー。今日も素敵だね、智子さん」


 今日もなかなかのテンションでリチャードが現れた。


「君は今日も愉快だね」


「そお?」


 そう言いながら、私は少しだけ感心した。


 リチャードは小奇麗な黒いシャツの上にざっくりしたジャケットを羽織っていた。痩せてはいるけどわりとしっかりした体格をしたリチャードには似合っている。


 気取りすぎず、自分に似合う格好を自然に選ぶ。そういうセンスは、努力しないと身につかないものだ。


「じゃあまず朝ごはん食べに行こー」


「ホテルの朝食あるよ?」


「一日くらいは外食の朝食もいいでしょ」


 それもそうかと思って、私はホテルのグランドフロアーに下りてきた。


『……ちょっと待って』


 いつも通り部屋のキーを預けようとしたけど、コンシェルジュのお兄さんは鍵の番号を見て一瞬考える。


『……』


 フロント係と早口で会話すると、私に向かって目を戻す。


『チェックアウトしなくていいの?』


『え?』


『君の部屋、今朝までの予約になってるよ』


 私は慌ててバックパックを開いて予約券を確認する。


「あ」


 確かに、宿泊は昨日の夜までになっている。私の予約ミスだ。


『もう一泊できませんか?』


『待って。今調べる』


 フロントで交渉してみたけど、お兄さんは難しい顔をした。


『駄目。次の予約の人が入ってるし、他の部屋も全部埋まってる』


『そうですか……』


 どうしようかと思ったけど、無いものを出してくれとはいえない。


『次のホテルがみつかるまで荷物くらいは預かるよ?』


『あ、いえ。ありがとうございます』


 自分が悪いわけじゃないのに少し申し訳なさそうなお兄さんに、私は首を横に振って離れた。


「しまった。私の不手際だ」


「大丈夫だよ。飛び込みでも何とかなるし。僕が交渉しよっか?」


「いや、自分でがんばってみる」


 一旦部屋に戻って、トランクを回収することにした。


 この部屋は日によってタオルの数が違った。壁が薄くて廊下や外の音が直に聞こえる。歯ブラシもなければスリッパもない。


 最初の日はシャワーの出し方がわからなくて、湯船に頭を直接突っ込んで洗ったりしたものだ。我ながら実にワイルドだった。


 でも物は盗られなかったし、ちゃんと掃除されていたし、暖かかった。


 居心地よかったな、と思いながら、私は部屋の扉を閉めた。


「宿のことは僕がどうにかするから、とりあえず今日は楽しもう?」


 うん、と私は頷いた。


 朝一番から思わぬトラブルだったけど、リチャードが一緒だから大丈夫だと思えた。


 リチャードがトランクを持ってくれた。私たちは地下鉄に乗って中心街に出る。


 ピカデリーサーカス駅で降りて、朝食を探すことにする。


「あ、日本食」


 普通にサンドイッチを食べてもよかったのだけど、ふいに目を引かれた店があった。


 表には、ライスボールとかヌードルとか書かれた看板が置いてある。


 ちら、と覗くとカラフルでおしゃれな内装だった。人もけっこう入っているようだ。


「麺か。ちょっと食べてみたいな」


「ふうん?」


 何気なく私が言うと、リチャードが含み笑いをした。


「ん?」


「いえいえー。入ろうか」


 不審に感じながらも、私は中に入ってカウンターに並んだ。


『野菜麺で』


『オーケイ』


 それから一、二分後に出てきたものに、私は思わず目を見開いた。


 どう見ても味噌汁だ。しかしまさかね、と自分の見たものを拒絶しながら、先に席についてリチャードを待つ。


「いただきます」


 リチャードが来たところで一言断って、私は箸で麺をすくい上げてひと口食べた。


「……」


 たっぷり十秒間ほど沈黙した私を、リチャードは面白そうに見ながら言う。


「日本食はいかがですか、智子さん?」


 私は一度下を見て、それから目だけを上げる。


「……これは日本食じゃない」


 うめくように、私は言葉を放つ。


「味噌汁に麺は入れない。それになぜスパイシーなんだ。味噌汁に香辛料は入っていないはずだ。あと具がおかしい。豆腐やわかめはわかる。しいたけとたまねぎもまあいいとしよう。だがなぜピーマンや訳のわからない葉っぱが入っている」


「一言で言うと?」


「まずいっ」


 私は断言してから、一応店内だったことを思い出して口を押さえる。


「そっかぁ。ロンドンの人、日本食好きなんだけどなぁ」


 リチャードはくすくす笑って頬杖をつく。


「……リチャード」


 私はふと思い当って、リチャードを上目遣いで睨む。


「君、食品輸入会社に勤めてるんだよね。日本食のことも多少は知識があるはず」


 にやにや笑うリチャードを、私は恨めしい思いで見る。


「わかってて入ったね?」


「君の好奇心の邪魔は出来ませんからねぇ」


 私はため息をついて、仕方なく箸を動かす。


「まあ地球を半分ほど回れば、その間にいろいろアレンジされるということ」


「原型を留めてないよ……」


 日本とイングランドは遠いのだ。それを実感する味だった。


 結局私は半分ほども食べられなかったが、リチャードは味噌汁うどんらしきものを完食していた。ちょっと尊敬した。


 味は非常に残念なものだったが、話の種にはなる経験だった。インパクトという意味では、ここに来て一番の食べ物だったかもしれない。


 店を出て、リチャードは腰に手を当てる。


「さぁて、今日は夜遊びにご案内する予定ですが」


「夜遊びって何するの? カラオケ?」


「それも面白そうだけど、ここでの夜遊びといえば観劇―」


 私はちょっと考えて首を傾げる。


「私、英語そんなにわからないから難しいんじゃないかな」


「大丈夫。君、『オペラ座の怪人』なら本も映画も見てるじゃない」


「ああ、そっか」


 言われてみればと、私は頷く。


「本場で見ると面白そうだね。どこでチケット買えるの?」


「もう取ってあります」


「それはまた。ありがとう」


 準備がいいと、私は思わずぷっと笑った。


「しかし、ミュージカルってこの格好で入っていいの?」


 ふと不安になって自分の格好を見下ろす。


 私はセーターにスカート、運動靴という至って普通、いや普段より若干ぼろっちい感じの旅行者ルックだ。


「ふむ」


 リチャードはざっと私を見回してにこっと笑う。


「靴を変えれば十分。お兄さんが買ってあげよう」


「え? いやいいよ。自分で買うよ」


「誘ったのは僕だから僕が準備しなきゃねー」


 それから、私が買う、いや僕、と押し問答したけど、結局リチャードに押し切られた。


「君は学生で、僕は社会人。それで君はゲスト。オーケイ?」


「わかったよ」


 トランクを引くリチャードと一緒に、私は緩くカーブを描く道に入る。


「……待った」


 私は辺りに立ち並ぶブランドと看板を見て、リチャードを呼びとめる。


「リージェントストリートがロンドン屈指の高級老舗の集中エリアであることは私でも知ってる」


「知っているなら話は早い。好きなブランドある?」


「ユニクロ」


「それも実はあるけど、ここまで来たんだからもっと夢見ようよ」


「靴は安くて歩ければいい」


「しかしだね、智子さん」


 リチャードはもっともらしく指を立てる。


「社会人になるとお金はあるけど、使い道がないんだぁ」


「嘘を言うな。それは一部の人だけだ」


「いいじゃん。君が払うわけじゃないんだから」


「人に払わせるから問題なんだ」


 ここは譲ってはいけないと思って踏ん張る私に、リチャードは苦笑する。


「むむ」


「智子さんの石頭―。しょうがないなぁ」


 私のほっぺを引っ張ってぐにぐにしてから、リチャードは方向を変える。


 それからカジュアルの店が並ぶ通りに入って、私はほっと息をつく。


「あ、これかわいい」


 しかし私とて年頃の女子。ショッピングが嫌いなわけではない。


「履いていかないの?」


「歩いてすり減ったらもったいない。ぎりぎりまで温存する」


 ピンクだってかわいい飾りだって大好きだ。結局その両方を備えた靴を買ってもらって、私はほくほくしながら店を出た。


「意外と君って買い物好き?」


「お金はなるべく使わずに、いろんなものをぶらぶら歩きながら見るのが好き」


「ふむふむ。安く収めて見どころがある場所ね」


 リチャードは首を傾けて思案する素振りを見せる。


「難しいことを仰いますな……」


「いや、ただうろうろしているだけでもいいんだよ」


 けっこう真剣に考え込んだ後、彼は頷いた。


「ここは一つベタなコースで行ってみよう」


「ベタ?」


「題して、「夢見る乙女コース」」


 どんなコースだと思ったけど、ここはリチャードに任せてみることにした。


「ではお願いします」


 ぺこりと頭を下げて、私はリチャードの隣を歩き始めた。












 まず私たちが向かったのは、オックスフォードサーカス駅近くにあるデパートだった。


「ロンドンにはいっぱい古いデパートがある。値段は安くないけど、だいたいのものが揃うよ」


 リチャードに導かれるまま中に入って、四階に上る。


「うわぁ……。リチャード、私これ見たことあるよ」


 私はすぐ側のエプロンに駆け寄って広げてみる。


 小花が散らばるかわいらしい生地が私の目の前に羽を広げる。まるで花畑を切り取ったような、女の子なら一度は憧れたような模様だ。


「これはリバティ柄。ここはその本店なの」


 部屋を移ってみると、化粧品の瓶にプリントされていたり、服の柄になっていたり、あちこちに小花が散らばっている。


「かわいい」


 見ているだけでほわほわした気分になる。私は緑の中にピンクの小花が散らばる日記帳を眺めていた。


 うろうろと花畑を満喫した後、私は決めた。


「お母さんにエプロンを買って行こう」


 思わず財布のひもが緩んだほど、私はあっという間にリバティ柄のファンになった。


「はい。これは僕からのお土産」


 にこにこしながら店を出た後、リチャードが四角い紙包みを渡してきた。


「え、でも」


「これくらいならいいでしょ。荷物にもならないし」


 中を覗き見ると、かわいいハンカチが二枚入っていた。


「……ありがとう」


「僕のこと思い出して涙した時に使ってねー」


 それからまた地下鉄、現地の人が言うチューブに乗って、私たちは少し移動する。


それにしても狭い車内だと思う。こっちの人は背が高いのに、頭を挟んだりはしないのだろうか。


「あと、この注意書き」


 向かい側の席に足を置かないでください、という感じの注意書きが、イラストと共に書かれている。


「そんなこと言わなくても、向かい側に足が届く人なんていな……」


 くる、と振り向くと、ちょうど向かい側の席に足を伸ばすリチャードの姿があった。


「うん?」


 リスのようなくりくりした目を見返して、私は声を荒げる。


「だから、やっちゃ駄目だって書いてあるじゃないかっ」


「ダメと言われるとやってみたくなるのが人間の性ですー」


「引っ込めなさいっ」


「やーだ」


「やだじゃない。君は子どもか」


 そんなことをわーぎゃー言っている内に、中心街の方に戻って来た。


「こんなショーウインドー初めて見た……」


 老舗の紅茶屋さんの前まで来ると、そのショーウインドーに目が釘付けになる。


 ステンドグラスのような蝶がいくつもとまっているティーセットがあって、まるでおとぎ話の中のお茶会が再現されているようだった。


 店の中に入っても驚いた。薄茶色の天井に控えめな紅の絨毯の空間に、空色に薄い緑を引いたかわいい紅茶の缶が無数に積み重なっている。


「缶だけ買えないかな。机の上に置いておくんだ」


 私の言葉にリチャードはぷっと笑う。


「まあ中身もそれなりにおいしい。そうだね」


 リチャードは棚を歩き回って一つの箱をみつけてくる。


「これなんていかが? わりと癖の少ない紅茶を選んでみたけど」


 それは小ぶりの缶がたくさん入っている青緑の箱だった。


「いいなぁ」


 結局私は紅茶を10ポンドで買って、それもバックパックに詰めた。


「私もブランドに弱いんだろうか」


 日本人の悪い癖だと聞いているので、私は歩きながらちょっと顔をしかめる。


「君はかわいいものに弱いだけのような気がするけどね」


 ちょうど昼だったので、リチャードは私をイタリアン料理に連れて行った。


「……なんでこんなにおいしいんだろう。このパスタ」


 思わずそうぼやいたくらいカルボナーラは美味しかった。


「チーズが違うような気がする。濃厚というか」


 私はじっとパスタを眺めながら思い出す。


「そういえば夜にこっちのスーパーに行った時があったんだけど、チーズだけで棚が三つ埋まってた。ロンドンの人のチーズへの思いを見せつけられた気がした」


「僕ら、昔からチーズ食べてるもんねー。君も食べなよ。今からでも成長するところはあるはずだよ」


「小さい小さい言うな」


「言ってないじゃん」


 けらけらと笑うリチャードと軽口の叩き合いをしているのは楽しかった。

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