2-15.外科女医 笹山ゆみ Emergency Doctor救命医
患者名奥村涼。
彼のオペが始まる。
心拍70、血圧120の70でサイナス
麻酔科医師の合図と共に、彼の頭部にメスが入れられる。
執刀医は、脳外の石見下理津子医師。
「メス」マーカーされた位置に刃先は皮膚を切り裂く。
「ごめんなさいね、笹山先生。あなたまで借り出してしまって、あなたがいてくれれば安心できるわ」
「いえ、こちらこそ、石見下先生とご一緒できるなんて光栄です」
「バイポーラ」器具出しが即座に執刀医の手に器具を渡す。
「外頭皮剥離完了」
モニターに映し出されたマーカーに合わせながら、頭蓋骨に数か所穴をあけ、頭蓋骨を切り離す。
「さぁて見えて来たわよ」
患者の脳があらわとなる。
顕微鏡を通し、脳内の状況を確認しながら
「う―ん、意外と広がっているわね。よくこんなになるまで我慢してきたものね」
「そうですね、これだと何らかの症状は出ていたはずですからね」
「この子、奥村先生の弟さんでしたよね」
「ええ、私も奥村先生に弟がいるなんて今まで知りませんでした」
「今売れっ子のモデルさんなんだって」
「私はよくわかりませんけど、そうらしいですね」
「ふ―ん。そうなんだ。よっぽど忙しいのかなぁ。モデルの仕事って。あ、そこもう少し寄せてくれる。まずは結紮しましょう」
「はい、分かりました。ガーゼ、ニーゼロポリ」
腫瘍に繋がる血管を結紮し、まずは外堀を固める。
「うまいうまい、さすが笹山先生。脳外にスカウトしちゃおうかしら」
「ありがとうございます。でも私は救命の方が性に合っているみたいですけどね」
石見下医師が少し残念そうに
「そうなの? でもあなたをスカウトしちゃったら笹西部長が大騒ぎしそうですものね」
「どうでしょうかね、うるさいのがいなくなって気が休まるのかもしれませんよ。案外」
「そっかぁ、あなたもあの人と同じ種類の医者なのかもしれないわ」
「モノポーラ。こちら側剥離していきます」
「お願い、こっち神経にまとわりついているから、少しかかるかな」
「了解しました。石見下先生、あの人とは田辺総合外科部長の事ですか?」
「そうね、そうともいえるかな」
そうともいえる? ていう事はほかにも誰かいるのか?
「そう言えば、梛木杜先生ってあなたの知り合いだったのね」
「ええ、梛木杜先生が何か……」
その時心電図のモニターが異常音を発した。
麻酔科の医師が「血圧低下、70です」と告げる。
「血圧低下? どうした何が起きているんだ」
とっさに声が出てしまった。
「慌てないで……。状態を確認しましょう。今頭部からの出血はない。まして脳神経への異常な損傷はない。となればそれ以外の要因」
「血圧50を切ります48……」
緊張感がオペ室を包み込む。こんな時慌てず冷静さを保たなければ、原因に結び付けるインスピレーションは生まれてこない。
石見下先生の言う通りだ。
「確か最初心停止蘇生を行ったって聞いたけど。もしかして」
「血栓?」
「いったんこちらの処置は中止しましょう」
「CTでは心臓へのダメージはなかったんですが」
「VFです」
「除細動の準備。急いで」
「はい」看護師が急ぎ除細動機をセットする。
「離れて!」その声とともにパドルを胸に押し付ける。
モニターの波形は飛び跳ねるようにふれる。
だが、心拍は戻らない。
「もう一度………。離れて!」
結果は同じだ。
すかさず、心マに入る。
今だ心拍は再開されない。このままだと危険だ。
「輸液全開、ライン追加して」
「はい」新たにラインが確保され輸液が体内に注がれる」
落ち着け! 落ち着くんだ。
こんな時朗だったらどうする?
原因をどう推測する?
その時石見下医師がつぶやくように言う
「さっき血栓ていったわよね。それに患者は交通事故で搬送されてきた。もしかしたら、心タンポナーデ?」
すぐにエコーで心臓を投影した。
「やっぱり、心タンポナーデだ」
心タンポナーデとは、心臓の周囲を覆う心嚢という隙間に液体がたまり心臓の動きが抑制された状態を言う。
「まずは、心拍再開が優先。ドレナージします。笹山先生いったん緊急処置を行ってください」
「わかりました」すぐさま、処置に入ろうとしたとき、オペ室のドアが開いた。
「笹山、こっちは俺がやる。お前は石見下先生と頭部の処置を終わらせろ」
朗……。
「石見下先生そちらよろしくお願いいたします」
「梛木杜先生、助かったわ。こちらの処置が終わり次第そちらの助手に入ります」
「よろしくお願いします。PCPS(人工心肺装置)の用意を」
梛木杜は麻酔科の医師に目を向け
「コントロールよろしく!」
と、マスク越しになんとも言えない、彼奴の余裕に満ちた顔が見えたような感じがした。何だろうこうして朗が来てくれたおかげなんだろうか。この私まで今自分のなすべく事に集中出来た。
「よし、頭部腫瘍摘出。梛木杜先生あともう少しです」
「了解! こちらも落ち着いてきました」
朗の手技は相変わらずその動きに何一つ無駄がない。
その手の動きは美しさをも感じるほどだ。
頭部腫瘍摘出と心臓修復術の同時オペは、何とか山場を越えることが出来た。
オペ室から出る涼君にすがるように、優香は何度も何度も彼の名を呼び続けた。
「優香、何とか無事に終わったよ」
「うん、ありがとうゆみ」
「なんだなんだその顔は、いつもの優香らしくないぞ!」
「馬鹿! こんな時いつものようになんかしてられるわけないでしょ」
もう彼女の顔はぐちゃぐちゃだった。いつものあの冷静沈着な優香のイメージなんて想像もつかないほどだ。まるで別人のようだ。
そんな優香を見送りながら一歩前に足を出そうとしたとき、私の肩に後ろから手が乗った。
「ゆみ、よく頑張ったな」
「朗、ありがとう。助けてくれて。でもどうして急変に気が付いて来てくれたの?」
「ああ、中継モニター見ていたからな」
「ふ―ん、そうなんだ。珍しいね、朗がモニター見ていたなんて」
「そうか、たまたまだ。そうたまたま。さぁて今日はもう帰るぞ。お前もあと上がれるんだろ。なら一緒に飯でも行くか」
「えっ! めっずらし―ぃ。朗から誘うなんて」
「まだだっただろ。俺たちの再会祝い」
朗はニット口角を上げ笑った。
「馬鹿。再会祝いって、勝手にいなくなったのは朗なんだからね。再会祝いじゃなくて私への罪ほろぼしよ。当然朗の全部おごりだからね」
「はいはい、何なりとご注文くださいませ。お姫様」
まったく此奴は何でこんなに照れ臭い言葉を、平然と口にすることが出来るんだろ。
でもそこが朗らしいって言えばそうなんだけど。
高校の時から朗は何も変わっていない様な気がした。
あの頃見たあの大きな背中を、私は今も愛しく感じている。
「お疲れ様、理都子」
「今日は助けられちゃったわね」
「ああ、でも梛木杜君は自ら動いたよ。僕も常見病院長も何も言わなかったんだけどね」
「そっかぁ。あなた達の企みが、だんだん見えてきたような気がする」
「おいおい、僕らは何も企んではいないよ」
「そうぉ? それはそうと、子供たちは」
「ああ、お義母さんが実家に連れて行くって、声弾ませて電話に出てくれた」
「そっかぁ。それじゃお迎え、明日でもいいかぁ」
「これも親孝行の一つに入るのかなぁ」
「そうね。あなたにしたらこれも、親孝行の一つに入るんじゃない」
「それじゃ今日は、久しぶりに二人でゆっくりと帰るとしますか」
「はい、田辺光一先生」
その理津子の笑顔は、まゆみそのものの笑顔の様だった。