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私に春が来て・・・そして何度も何度も季節は巡る⑤

※すいません。私の操作ミスだと思いますが投稿予約がキャンセルになっていましたので再投稿します。


相変わらずの稚拙な文章ですがクリック、タップしていただきありがとうございます。

それでは「私に春が来て・・」⑤

お楽しみください。

「お疲れさ~ん。赤ちゃん大丈夫だった?」


早朝の青森駅で弘樹くんは元気に待っていた。


「うん大丈夫。今回は奮発して1等席にしたから。でも子供がいるからあの狭い3等席は…ねえ?」


そう言いつつ3人で東京からここまでの距離と交通の便の悪さを再確認し実家へ移動するのでした。

今回は1週間、7泊8日でお邪魔させて頂く事になりました。


また1年の間に3兄妹は各自の家を建てたそうです。元あった家を取り壊し祖母、父母、長兄夫婦の本宅。本宅周辺の別の敷地を更地にして次兄夫婦と弘樹夫婦の家を立てたそうです。

弘樹くんは「借金が増えた」と言っているが、やはり1石1城の主と言うステータスを持つ事が出来たのか少し逞しく見えるのでした。


「ふわあ~。でっかいなまるでお城みたいだ。」


「そりゃあ、本宅は3世帯が同居するんだものこうなるわな。」


「ところで「みーちゃん」はどこ行ったの?」


「ああ、ほらあそこに新しく馬舎建てたんだよ」


そうなのです旧我が家の敷地内には曲がり家(旧旧本宅)があってで農耕馬ととも暮らしていたのです。今ではトラクターなどの農業機械が使われて農耕馬はいなくなったが、実家の敷地内には車などが入れない所や山林にある山小屋(山菜取りや”マタギ”の休憩所)に荷物を持っていくときに便利なので現役(雌)なのです。


ちなみに命名は次兄の長女、真奈美ちゃんが名付け親である。人懐っこく名前を呼ぶと近づいてきて私たちにスリスリしてきてかわいいのだが、体の大きい一郎さん(180㎝)の4倍くらいの大きさで足も太く名前の割には逞しい体をしている。


「今度北海道からお婿さんが来るんだよ。ばんえい競馬ってのがあって、勝てなくて処分されるってことで買い取ったんだ。」


「後で会いに行きましょう」


そうして、私達は新しく建てた本宅に向かうのでした。

玄関では長兄夫婦が待っており「おかえり」と一言言ってから胸を張っていました。私は「ただいま」と言い中に入り居間に移動すると祖父母と両親がいてにこやかに私達を迎えたのです。


両親は「鈴子ちゃん、蘭子ちゃんはじめまちて~」と双子をあやしながら「どっちがどっちだ?」と祖母が言っていると祖父がこう言ってきた。


「よし!予定通り来たな。今日は晴れでらべし。んだば今夜やるど。」


「なにが?」


「ほらぁ、前の年にいったべっちゃ。”まつり”ばやるって!」


披露宴みたいのはやると父が言っていたが、「まつりはやらないでしょ」と言おうとしたとたん玄関から声が聞こえてきた。


「お~い!ツネさん恵子さんいるかい~?手伝い来たよ~」


「は~い。んだば外に竈あるべし、台所と2つにわがれるべや。」


と、そそくさとこの場を去り「?」と思い私もついていってみると玄関先には多分この自治地区の女衆たちなのでしょうか?10数名が色々な食材やら料理やらを持ってきており家に入るなり広間をつなげて宴会場の準備を始めていった。


私達は呆気にとらわれながら見ていると、徐々に人がやってきて正に「まつり」の準備といった様相になっていった。


私と一郎さんは手伝おうとすると「主役は手を出しちゃダメ」と言われ、仕方なく子供たちと馬の「みーちゃん」の所に行ったり、弘樹宅で甥っ子と姪っ子たちと時間をつぶすのでした。


時計も15時を回り子供たちと遊び疲れて寝ていると、準備が終わったと呼ばれ行ってみると何人いるのだろ?多分100人超えていないと思うが、それに近い人数が来ており私達が顔を見せると歓声が起きたのです。


よく見ると、中学校時代の同級生や近隣に住む親族一同、そして中学校の恩師まで出席していた。私は「ああ、また大事になってる。」と思いながらも、自治会長のあいさつが始まった。


「えー本日はみなさん。畑山くんの酒宴によく集まってくださいました。ここにいる畑山一郎くんそして頼子さん。特に頼子さんは…………」


長い話が始まったが、ここまできてようやく理解が出来た。私が上京して勤めている会社を経て畜産業が活発になって雇用が増えたと、ついでに最近農家離れしていた若者の流出が減ったと。これも私の人脈があってこそなのでみんなで祝おうと。そういう事でした。


でも私は妹たちを学校に行かせたかっただけだし、入社した会社がみんな親切で優しく接してくれて。それに応えたくて頑張ったし、一郎さんと言う人生のパートナーに出会えたし、同僚の弘樹くんがウチに婿に入ってくれてそこで頑張った結果なだけ。兄さん達や父さん達が頑張った結果なだけ、みんなが頑張った結果なのだから、私のおかげではないのですよ?


せっかく開いてくれたこの酒宴に水を差しては・・・と思い「これは私達の為ではなくみんなが頑張った結果の酒宴だからおじいちゃんは”まつり”と言ったのかな?」と心に留め一郎さんの手を握ってお互いに見つめ合って微笑み合うのでした。


「・・・・・・・・ということで、カンパーイ!」


そして「まつり」は2日間にわたって行われ、飲めや歌えの大騒ぎ。お酒が足りなくなり酒樽とビールが満載された軽トラックが来たり、盆踊りのレコードがかかり広場で踊りが始まり、ついには神輿が出てきて一郎さんを乗せて掛け声高く町内を練り歩くのでした。


こうして1週間があっという間に過ぎ実家での新婚旅行も終わりと告げ青森駅へ。今回は家族総出でお見送りに来てくれました。

みんなに「また来年」とたくさんのお土産を手に再び列車に乗り込もうとした時でした。

父が一郎さんに封筒を渡していました。聞いていると「家に帰ってから開けろ」といっていました。


不思議に思いつつ言う通り東京の自宅についてから封筒を開けてみると私の「へその緒」と一緒に1通の手紙がありました。それを読んだ一郎さんは涙を流し手紙を私に渡しました。

手紙にはこう書いてあったのです。






”一郎くんへ


初めは口頭にて一郎くんへと私の思いを伝えようとは思いましたが、中々口に出すのは難しく

妻への手紙以来、久方ぶりに筆をしたためさせていただきます。


わが娘、頼子は生まれた頃から小さく妻の乳を飲む事が出来ないくらい大変弱い子で、もしかすれば数ヶ月しか命が持たないのではないかと思っていたりもしました。

泣く声は弱く気付かない事があり、一刻も目が離せず難儀をしたことを昨日のように覚えています。

苦労はしたものの徐々に体は丈夫になっていき6歳になると私の後ろをついてきては一緒に山に行っては山菜を取ったり、畑仕事を手伝ったり、近所の男の子と喧嘩をしても負けずに帰ってきたものです。


そうして頼子が小学校へ上ると今度は成績優秀者となり学校から表彰を受け、それが切っ掛けになったのか家業を手伝いながら勉学にも励むようになり、小さかった頃とは打って変わってまったく手のかからない子へとなりました。

そしてある日上の兄妹達を高校教育させるべく進学させましたが、家庭の事情により頼子から下の姉弟達には学校へ行かせることが難しくなってしまいました。


しかし、ここで頼子が「自分が働いてお金を稼ぐから妹と弟を高校に行かせてやってくれ」と言ってきました。確かに我々農家に生まれた女子は成人すれば嫁に行くことしか方法がありません。頼子からの提案は、正直渡りに船であって、おかげで下の姉弟たち高校教育を受けさせる事が出来たのは頼子がいなければ、実現できませんでした。


しかし、親として不甲斐無さも感じております。私に就職を告げたあと部屋で声を押し殺しながら泣いていたことも知っていました。あれだけ勉強が大好きだった子が、まだ15歳になったばかりの子供が、自分を押し殺して、見知らぬ土地で、見知らぬ人の中で、何もわからずに、どんな気持ちでいた事か。

それを知りながら頼子を東京に働きに出させたことが私の一生の過ちです。


ですがようやくあの子が幸せを掴んだんです。一郎さんあなたと言う”幸せ”を頼子は掴みました。

そして2人の愛の証と言うべき子供たちを授かる事ができました。

それでもまだです。まだあの子は今までの不運を取り返してはおりません。

私はこの田舎から遠く離れた東京で頼子と一郎くんが共に幸せになることしか祈れません。


一郎さん

どうか頼子をよろしくお願いします。

どうか2人で幸せになってください。


それが老いてしまってなにもできなくなった私の唯一の願いです。


またこちらに遊びに来てください。妻とともに楽しみにまっております。


お元気で。


             畑山 義喜     ”




私も読んだ後、涙が止まりませんでした。


―ありがとう、お父さん心配させてごめんなさい。私、今とても幸せです。―


一郎さんと子供たちとで再び東京での生活が始まったのでした。




   ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~




あれから13年。私は40歳になった。

子供も増え双子の2年後に男の子。さらに2年後に男の子丁度4人姉弟で女2人男2人何か良いバランスで子供も生まれ一郎さんの仲も至って良好。

たまに「晩御飯何にする」「何でもいい」で喧嘩はするが、大体私が折れてしまいます。


長女、次女「鈴子」「蘭子」は中学1年の13歳、おませな年頃が過ぎそろそろ大人になろうかと1歩手前の第2次反抗期。特に鈴子は言うことなす事何でも「イヤ」「うるさい」「あんたには関係ない」。

・・・さすがに3つ目のセリフには私も呆然としてしまいました。


長男、「幸一郎」小学5年の11歳、命名は父と一郎さんで父が「東京の畑山家の長男は父親の「郎」を入れた方がいいのでは?」一郎さんは「幸せに暮らしてほしいので「幸」のでは?」となったので、私が「安易だけど足して割って2にすれば?」と言ったところ「「それだ!」」と言う事で決定したのです。

現在テレビドラマの刑事物が大好きで「おまわりさんになる。」が口癖


次男、「孝志」小学3年生の9歳、命名は私「人の助けがなければ生きられないそれに対し自分も報いる「孝行」を「志し」てほしい」一郎さんが拍手をしてくれた。一寸照れてしまいました。

大相撲と時代劇ドラマをこよなく愛する変な子。難しい問題を解けるがいつも簡単なところで凡ミスをするおっちょこちょい。


もう一つ、ついに買いました念願のマイホーム。2人で働きながら、子育てもしてコツコツとお金を貯めて5年前に一軒家を購入しました。


会社は相変わらず同じですが、私も社長が息子へ会社を引き継がせたのを機に第1線を後進に譲って、寮母兼管理人7で会社3の割合にして子育てと独身寮の子たちのプライベートや仕事の相談役をする「会社のお母さん」みたいな役目をしている。


一郎さんは既設の営業と食品卸の営業の兼務から食品卸のみの営業となり役職は部長。でも現場で頑張っているという不思議な役回りをしている。これは私の地元の農畜産物に影響が高いと思っています。

おかげで出張がてら実家に顔が出せるので会社には感謝しているそうです。


ここまで一郎さんをはじめ周りに人に助けられながら仕事、プライベート共に順調でありますが何かまた一波乱あるような気がするのは私だけでしょうか?



最後までお読みくださりありがとうございます。


次回合わせていよいよラスト2話となりました。

引き続き読んでいただけると幸いです。

現在ラスト2話を執筆中で30%ほど進んでいます。2話ともちょっと長めになります。


次回更新は10/13の13時を予定しております。

よろしくお願いいたします。

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