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生まれて初めての「愛してる」

最終話消失からのサルベージならず。

新しく書き上げさせていただきます。

欲張りで書き込んだら2話構成になりました。


御見苦しい点もありますがどうぞよろしくお願いいたします。


2階から下りてきた一郎さんを見た時私はびっくりしました。黒い革製のジャンパーに同じような革製のズボン。そして右手には何か丈夫そうな黒のブーツをもっていた。


「てぃ、○-800・・・父さん・・・本物?」


「すっげえ!とーちゃんの仕事って○ーミ○ーターだったんだ!」


息子2人はキャッキャ喜びながら一郎さんの周りを回りながら訳の分からないことを言っていた。


「お父さ・・・一郎さん、それは?」


「母さん、鈴子を連れて帰ってくる。」


と右胸のポケットから取り出したサングラスを掛けて外に出た。私は一郎さんを追いかけて見ていると、


「頼子、なに大丈夫だ。鈴子を必ず連れ帰ってくるから心配しないで待っていなさい。」


「お父さん・・・」


と、一郎さんは愛用の軽自動車に乗って出かけて行きました。一郎さん、夜の運転にサングラスは危ないです。


「さてっと、あたしも鈴ねえの為に一肌脱ぎますか。」


と蘭子がどこかに電話をかけていた。


「もしもし~?あ、ちょうどよかった恵おばさん?ちょっとねぇ鈴ねえがね?おっきなオイタしちゃったもんで叔母さんの力借してほしくて電話したんだよ~。でね?・・・・・そう・・・・・だから・・・・・」


蘭子は妹の恵のいえに電話をしているらしい。息子たちは映画のパンフレットを持ってきて2人で「似てる!」「本物だ!」と何やらワイワイと騒いでいた。

気にはなったが、それよりも一郎さんと鈴子が無事なのか、怪我をしていないかとそれが心配でならなかった。


そして数時間後、日付けも変わった深夜、外からエンジン音がしたので急いで外に出た。一郎さんと鈴子が帰って来た。一郎さんは車から降り掛けていた片目が割れて壊れた壊れたサングラスを外しポイっと捨てにこやかに「ただいま」と私に言いました。


私は「怪我はない?」とか「鈴子は?」と聞くと一郎さんは後部座席から鈴子を肩に担ぎ出し「もう大丈夫だ」とニコリとして言って家に入っていった。私は一郎さんが捨てたサングラスを拾い後について家に入っていった。担がれた鈴子は顔を真っ青にしておりスカートを濡らしていた。どうやら粗相をしてしまったらしいのです。


鈴子、一郎さんの順番にお風呂に入った後、一郎さんが「今日はもう遅いから明日にしよう」と言ってそのまま寝室に行ってしまいました。私は今のソファーに腰かける鈴子を見ましたが先程と同じ顔を真っ青にして震えていました。一郎さんの言う通り鈴子を問いただすことなく部屋に連れて行き寝かしつけたのでした。


朝になり鈴子を覗き子供たちと一郎さんは何事もなく朝食を取り、会社へと、学校へと言った。私は鈴子の様子を見ると言う事で2~3日会社を休むと一郎さんに言付けを頼み家事へと戻りました。家事の合間に鈴子の部屋を覗くと布団をかぶったまま部屋からは出てこず、とりあえず様子を見ることとしました。


夕方になり子供たちが帰ってきて夕食の準備をしていると一郎さんが妹の恵と一緒に帰ってきました。私は驚きながら「どうして?」と2人に質問をしてみました。


「いや、帰りに途中で恵ちゃんが荷物引きずりながら歩いていていたんで「ウチに行く」と言ってたんで一緒に来たんだ。」


「ねえさん数か月ぶり、昨日蘭子ちゃんからの電話で事情を聴いてね?姉さんの家の窮状を打破すべく来たってところ。いや~初めて飛行機乗ってきたけど半日で東京着くなんて早いね~、料金高いけど。あ、そうそう年末までの2か月半お世話になるね。みんな一緒に帰省しよ♪実家は義姉さんたちが「任せろ!」って言っていたから大丈夫ですよ。それから姉さんは明日から仕事行っていいからね。家事は私がやっておくから、もちろん鈴子ちゃんもね。」


と続けざまに話し、一郎さんを見ると「理由は聞いているから任せたい」と言ってきたのでとりあえず納得をして、とりあえずですよ?夕食を一緒にすることとした。


恵は「鈴子ちゃんは?」と聞いてきたので、部屋から出てこないので食事は部屋に持って行っていると言うと「ちょ~っと呼んでくるわね」とユラリと立ち上がった。傍らで蘭子はまるで西洋の騎士の様に片膝をつき両手で1mほどの長い袋に包まれた「ナニカ」を差し出していた。


恵はそれを「うむ」と一言いって手に取り、すらりと「ソレ」袋から抜き出した。鈍く光り少し歪んでいるがそれはあの亡き祖母の形見であるステンレス定規であった。子供たちは「出た、伝家の宝刀」と言っていたが、恵はそれを片手に2回へのっしのっしと行くのでした。


私はハッと昨夜電話していた蘭子の法を見るとニヤニヤとしながらこう言ったのです。


「にゅふふふふ。おうちを引っ掻き回して、あたしたちに迷惑かけた鈴ねえには罰が必要なのです。おかげで夕べは野菜炒めはしょっぱかったし、みそ汁はほとんどお湯だったんだから。食べ物の恨みは大きいのですよママ。」


私は蘭子に「ごめんなさい」をして2階へ向けました。しばらくして2階からドスンッバタンと音がし、「ホーッホッホッホッホ!」と言う声や「ヒイイイイイイ!」と声が聞こえ、シーンとした後、恵と鈴子が2人で2階から下りてきた。


恵が「さ、ご飯食べようねえさん?」と言って皆で夕食を摂る事となりました。一郎さんと恵は何事もなかったかのように晩酌をして、子供たちは鈴子を見て「ボンバー・・・」と言いながら大人しく食事をする鈴子をチラチラと見ながら食事をするのでした。


翌日、恵に「大丈夫だから!」と心配する私をはぼ無理矢理に会社へ行かされました。

私が会社から帰ってくると鈴子は鳥の巣のようだった頭髪が元のストレートな髪へと戻っており紫だった色も黒く染め直されていました。


翌日から鈴子は学校へと通い始め我が家の騒動に一端の終息を見せたのです。

後日談としては商店街へ買い物に行くと「隣町の複数の不良グループが軒並み潰された」とか「たまり場になっていた場所にはクレーターや鉄屑になったバイクがある」などと噂を聞きました。そして最後には「軽自動車に乗ったター○ネー○ーがやった」と締めくくられます。・・・まさかね。


年末、妹と私たち家族は実家へと帰省。鈴子はそのまま妹の家に閉じ込められ教育続行。冬休み終了まで続くそうです。その光景を見る姪っ子たちはお互いに抱き合いながらブルブル震えているのでした。


「ボクは見慣れたから大丈夫なんだ~!それよりもお前と遊ぶのが今はだいじなんだ~。ねえ?黒○~。となると待てよ?ウチのとーちゃんはター○○ーターじゃなく・・・・○オウか?そうだ!そうにちがいない!」


と4代目の黒い農耕馬「みーちゃん」の背に跨りながらペシペシとするのでした。孝志・・・今度は何に影響受けたの?マンガ?テレビ?それともクリスマスプレゼントのフ○ミリー○ンピューターのゲーム?と、末息子の将来に少し不安を覚えるのです。


「はいお母様、ワタクシ悪い夢を見ていたようですわ。ご心配おかけしました。」


若干の違和感を覚えながらも無事に鈴子は更生し、また私たち家族は平穏な日常へ戻ったのです。



   ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 


「・・・家が広く感じるわね。」


あれから12年、私は1人家の中にいた。

今年55歳をきっかけに会社を退職しました。寮母と会社の事務を並行しながら続けていたが、会社も1部上場する程に大きくなりました。


新人の育成も、私が教育した後進の子達がするようになり最後の1年は会社に行っても会長(前社長)と茶を飲み世間話するくらいで所在無い状態となっていましたが、その会長も今年亡くなりそれがきっかけでした。


私の事を昔からよく知る人達には社に残ることを目に涙を溜めながら懇願されましたが、もはや私も残る気概も無く「あなたたちがいるから安心して辞められる」と言って説得をした。

退職当日は有志により「お見送り」で社を後にした。

嬉しくもあり寂しくもありました。


その日の晩は家族でささやかなパーティを開き、私の長年にわたる労をねぎらってくれました。


長女の鈴子(28歳)は大学を卒業し小学校の教師の道へと進んだ。2年前大学で知り合い同じ高校教師となった男性と結婚。共働きで家庭と1男1女の子育てをしながら頑張っている。


最近は子供の教育にいちゃもんをつけてくる保護者に正論をこれでもかこれでもかと突きつけ、死にかけの人間にとどめを刺すかの如き論破をして黙らせるスキルを身につけたと鼻息を荒くしている。

鈴子の愛用品は「竹尺」だそうです。


次女の蘭子(28歳)は大学卒業後、私と一郎さんの勤める会社に入社。「親にコネ」と揶揄されながらも、いつものほんわかニコニコしながらかわしつつ、いつの間にか、どこから仕入れてくるのかネタを仕入れてきて企画し高確率で成功を果たし現在課長補佐まで昇りつめ、馬鹿にしたやつらを顎で使っているという。


結婚は友達以上恋人未満の人はいるが、まだそこまで考えていないとの事です。一郎さんは鈴子が結婚したので蘭子を一番い溺愛しており「寄り付く害虫は全て駆除する」と言っていました。


長男幸一郎(26歳)は中学の第1志望の「○上○衛隊少年工科学校」を失敗。公立の進学校へ進学し卒業後、「防○大学」に見事合格。

卒業後はそのまま自○隊に入隊。航空の方へと道を進めて現在はパイロットとして頑張っているそうです。


休暇で帰ってきた時は「何のパイロット?」とか聞くのですが、「うん、まあ」とか「ぼちぼちだね」とかはぐらかしています。何か守秘義務でもあるのかしら?結婚は「したいけど出会いがない」との事でした。


次男孝志(24歳)は中学卒業後に何故か北海道の農業高校へと進学。そのまま卒業と同時に酪農を営む農家へ婿入り。

何でも卒業が近づいた頃に相手の子を妊娠させてしまって婿入りが決定しました。私たちがそれを知った時に相手の両親へ謝罪に行くと笑顔で「簡単に婿が来たんで助かった。」と言われた時は顔が引きつってしまいました。


現在は3男2女と子宝に恵まれて向こうの家族とうまくいっており、後を継ぐべく汗を流して労働に励んでいるとの事です。たまにこちらに遊びに来た時「東京はなんでもあっていいよね~。あっちは遊ぶところないからヤルしか楽しみがない」と笑っていたが、私は思いっきり頭をひっぱたいたものです。


夫の一郎(53歳)は私が退職したのをきっかけに第1線を退き現在在籍している部署の倉庫の在庫管理をしている部署の責任者へ転属させてもらったとのことです。

定時帰りが可能となり「私との時間をもっと取りたい」と言ってくれた時はとてもうれしかったことを覚えております。


現在自宅にいるのは次女の蘭子のみで一郎さんと会社へ送り出すと掃除と洗濯をした後、最近購入した「ぱそこん」のスイッチを入れて「ういんどうず」と言うので蘭子に頼まれている資料や一郎さんの業務の一部を代筆(蘭子が言うには代打ち)をワープロ打ちが一区切り出来たので自宅の居間を眺めながらつぶやいたのでした。



   ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 



私は71歳になった。

変化があったとすれば去年一郎さんが亡くなってしまった。

病名は癌です。


一郎さんが60歳になり定年退職後に自宅を蘭子夫婦に譲り、私たちは青森にある実家に引っ越した。

実家も長兄がそろそろ甥夫婦に代を譲ろうかと相談してきた頃です。


一郎さんは新しく実家の隣の区画に空き地がありそこを購入して3LDKの平屋を立てた。実家から歩いて10分の所です。私達は底を終の棲家として過ごしていました。

妹の夫弘樹も既に引退しており、妹と弘樹、長兄夫婦が毎日我が家に遊びに来ては、昔話をしたり孫の話をして退屈はせずに過ごしていた。


東京にいる家族へは最近普及したインターネットでメールのやり取りをしたり、田舎へ来なくても動画通信ができて、寂しい思いもせずに過ごせています。ホント便利な世の中になりました。


もう何度目になるでしょうか。新年も明けて2月に2人きりでの旅行で今まで行こうと思っていていかなかった熱海に行きました。2泊3日で過ごし帰りに東京の自宅へと来ました。

蘭子たちや3人の孫も喜びその日は泊まり明日、羽田から青森へ帰る予定でした。


翌日、帰宅準備をしていたが一向に一郎さんが起きてこないのです。朝起きた時には「おはよう」挨拶を交わしたはずなのですが、不思議に思い2階の寝室へ行ってみると一郎さんが倒れており、呼びかけても返事がなく、そのまま病院へ救急搬送となりました。


診断の結果は脳腫瘍。摘出にはかなり困難な所にできているそうです。

抗がん剤や放射線治療などは長期にわたっての治療期間が必要で年齢的にも体力が持たないらしく推奨はできない。

どんな名医でも摘出はできても植物状態は免れないとの事でした。余命は3ヶ月。

私はその場で卒倒してしまいました。


気が付くと東京の自宅でした。あれから1日半気が付かなかったそうです。

一昨日の事を思い出し私は声をあげて泣き出してしまった。一郎さんも未だに目を覚まさないそうです。


―なぜあの人がそんなことになったのか―

―私がついていながらなぜ気付かなかったのか―


悲しさと後悔の波が私の心の中に押し寄せてきます。

それでも一郎さんのそばに一秒でも早く一秒でも長く居たいと病院へ向かいました。

病院へ着くとすぐに病室へ。そこには弘樹夫妻、息子たちが駆けつけてくれていました。

まだ1度も目を覚まさないそうです。


皆は私と医者との会話を一緒に聞いていた蘭子から、一郎さんの病状を聞いており私のことを心配して声を掛けてくれます。


青森の実家には東京のような最新設備が整っている病院は少なく、このまま東京の病院に入院したままの方が良いと言う事でこのまま入院を続行することとなりました。

それから三日後に、一郎さんは目を覚ましました。


「ここは?・・・そうかあの時眩暈がしてそのまま、か・・・」


「おとうさん大丈夫?どこか痛いところはない?」


「かあさん、私はどのくらい寝ていた?」


「5日よ。もう、急に倒れるんだからびっくりしたわよ。疲れていたみたいよ?あと2~3日入院して帰りましょ?」


私は病名は隠して表情は悟られることの無い様に勉めて冷静に話しました。


「そんなわけないだろう?・・・あと何日”生きることができる”って?」


私は心臓が跳ね上がる。だめ・・・泣きそう。手が震えてくる。


「なに・・・を」


「すまんなぁ「頼子」の事、幸せにするって約束したのに。ほんとすまんなぁ。」


「なに謝ってるのよ。体力回復すれば大丈夫なんだから。」


なにがなんでも悟られまいと気丈に振舞いますが「もしかして?」と頭の中でグルグルとその考えが浮かぶのです。


「去年の人間ドックでな?出ちゃったんだよ結果が、どうも小さい時は写りにくい場所でな?見つかった時には手遅れだったらしいんだよ。」


ぽつりぽつりと一郎さんは話し始めました。治療が難しい事。外科手術でも植物状態になる事。


「植物人間になりたくなかったし、完治するかわからんのにお前に無理をさせたくなくってな。そのままにしたかったんだよ。「頼子」には苦労させたくなくってなぁ。黙っていてすまん、いつ言おうかとは思っていたんだが、怖くて今まで言い出せなかった。」


そう言って頭を下げて私に謝ってくるのでした。

私は堰き止めていた涙と溜まっていた後悔と謝罪の気持ちが溢れてきて一郎さんの胸に顔を押し付けて大声で泣いてしまったのでした。


私は治療方法を探さず「終末期医療」に切り替え一郎さんとの最後を青森の自宅で過ごすことにしました。

そしてついに運命の日がやってきました。桜の花が咲く4月の終わりです。


一郎さんはもはや話すこともままならず、私の事を見つめていました。

私も一郎さんを見つめていると一郎さんは口をパクパクさせて何かを言おうとしていました。


私は耳を近づけようとしましたが、一郎さんは震える右手をあげ私を制止させて、そのまま私の手を握り声を引き絞るようにこう言ってきました。


「頼子、私は幸せだ。できれば100歳まで生きて頼子といつまでも一緒にいたかった。悔しくて悔しくてたまらんよ。」


一郎さんは涙を流し「すまないと」何度も言うのです。


「いいえ、一郎さんは精いっぱい私を幸せにしてくれました。こんなに幸せなことはないです。だから悔しいなんて、すまないなんて言わないで。」


私も涙を流しながらこたえました。


「ああ、頼子。子供たちに言っといてくれ。私はお前たちを愛していたと。」


「ええ、わかったわ。しっかりと伝えておくわね。」


徐々に私の手を握る力が弱くなっていきます。そして最後にこう言ってきました。


「頼子。愛してるよ。」


そう言って目をつむって「愛してる」を何度もつぶやきながら最期は声にならなくなり、静かに息を引き取りました。


畑山(旧姓「三好」)一郎 享年68歳

私のために精いっぱい努力し、愛する子供も授けてくれて、私を精いっぱい愛してくれた人。

私のかけがえのない半身の人が、天に召されていきました。もう少し待っててください私もじきに行きますから。


それからのことは、ほとんど朧げに覚えています。一郎さんが亡くなり、葬式と一郎さんのおみおくりだけは、と無理矢理に心を奮い立たせた事まではしましたが、それ以降は心にぽっかりを穴が開いた感じで何もやる気は起きず1年を過ごし今に至ります。



   ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~



長兄、次兄、妹、弘樹さん、そして子供たち。孫たちも。

この1年でみんなに励まされ、慰めてくれました。

いつまでもくよくよしていられません。

このままでいると一郎さんに怒られてしまい胸を張って往く事が出来なくなってしまいます。


萎えた心と体を奮い立たせて実家の本宅へと向かい長兄達へ今まで心配を掛けた事への謝罪ををしました。

みんなホッとした表情しており、妹や弘樹さんは目に涙を溜めながら喜んでくれました。


そうして実家の家業を無理のないよ王に手伝い、時には東京へ行き子供達や孫に会いに行ったり、時には妹達と温泉旅行に行ったりと一郎さんのいない分精力的に動きました。

もちろんバックには額付きと懐には定期入れサイズの一郎さんの写真を持って。


そんな日々を送りながら3年が過ぎたある日、身の回りの異変に気付くのでした。



最後までお読みいただきありがとうございました。

本日中の最終話投稿入ります。

読んでいただけると幸いです


投稿は22時前後予定です。

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