第98話 泥の街 十二日目
深夜。
檸梨市、仁科邸。
全身包帯まみれの痛々しい有り様で、仁科亮は大いに荒れていた。
綺羅びやかな王宮と見紛うばかりだった自室も、寝台以外のほぼ全てに八つ当たりの跡が見てとれる。
素知らぬ顔でその様子を眺めている来栖城一も、無残にも壊れゆく高級家具を見て内心ではそわそわと落ち着かない。今回、仁科亮に雇われた金額を軽く上回る品物が粗大ゴミと変わっていく光景は、来栖の胃にダメージを与える程のストレスだ。
(あ~あ……馬鹿よりも部屋の方が重症だなこりゃ)
そう考えると、今回の仕事はあまりにも割に合わな過ぎる。
傲慢で我が儘な変態野郎のお守りだけなら悪くない給料だが、黒沼公浩とかいう特一級の中でも抜きん出ている輩を相手にするとなると話が変わるというもの。
それでなくとも仁科亮は危険な橋を渡っているのだ。眠れる竜を起こし、そのうえ虎の尾も踏みつけたのだと気付いていない憐れな肉餌に、さて自分はどこまで付き合うべきか………
心中してやる義理も無ければ金以上の恩も無い。合理的な退治屋としては、早いところ見捨てるに限る。
来栖は気配を消しつつ、その場からそろ~りそろ~りと離脱を図ったのだが………
「来栖っ!! 来栖城一ぃいい!!! この能無し野郎っ、何故すぐに手を貸さなかった貴様!! さっきまで……一体どこへ消えていた!!?」
「はぁ……ボス、興奮すると怪我に障るぞ? さっきも何も、もう昨日の話だ。あんた20時間も寝んねしてたんだからよ」
「誰のせいだと思ってやがる!! お前がさっさとあのクソガキを始末していれば!!」
「おいおい、無茶言ってくれるねぇ。あんたが言うクソガキってのは、ある意味で神崎紫瞬よりも相手にしたくねーな。それと頼むから、歩けば棒に当たる犬ころじゃあるまいし、ポコポコ敵を量産するのは止してくれ。給料に見合わねえんだよ」
「うるさい!! うるさいうるさいうるさいぃ!!! どうでもいいっ!! とにかくっ、今すぐあの馬鹿を連れて黒沼公浩を殺してこい! 今すぐっ――――」
ジリリリリリリ
館に響き渡る呼び鈴の音。この館においてそれは呼び出しの意味ではなく、警報音だ。
1コールと言うことは、敵対的行動が確認されていない段階。
それでも、怒気を露にしていた仁科亮はその音を聞いてビクリと体を震わすと、身を屈めて声を発さなくなった。
未だ公浩から受けた拷問紛いの行いによる恐怖が強く残っていると、見る者に印象付けている。目覚めてから現在まで、意識外の小さな物音に過敏に反応し、怯えては物陰に隠れたり、その場で硬直するなどを繰り返して。
このクズには、劇薬ではあっても良い薬だと誰しもが思っていたのだが………部屋の惨状を見るに効果があったかは微妙なところだ。
『来栖さん、敷地内に侵入者です。九良名学園の学生の様ですが………』
『通信符』による報告を聞き、来栖は頭を抱える。
この要塞のような屋敷に乗り込んで来る学生の心当たりなど数える程も無い。
いくらなんでも、この家のセキュリティを一人の退魔師がどうにか出来るとは思っていないが……何をするか分からない相手だ。互いに、油断するなどあり得ない事だろう。
(さーてと、鉢合わせる前にとんずらするかね)
今度やりあえば自分でも勝てるかは自信が無い。
屋敷の防衛機構と連携したところで限界がある。むしろこちら側に属している無駄に多い退魔師たちが巻き添えになる可能性の方が高そうだ。
(それに………もしあいつが出張って来ちまったら面倒だしな。沈没するのは勝手だが、せいぜい俺が逃げた後にしてくれ)
沈む船から逃げ出すネズミよろしく、自分は消える。
だがその前に。来栖は何食わぬ顔で、侵入してきた学生の情報を聞く。
あれこれ指示を出す事はせず、下手に刺激はしないようにだけさせて、自分が逃げるまでの時間を稼がせようと考えたのだが………
『少年は一人だけで、その………正面の庭を堂々と玄関に向けて歩いています』
(……何を考えてやがる)
こっそり潜入しようとした所を警備に捕捉されたのではなく、ただ正面の門を乗り越えただけ。
来栖の見た限り、無謀な特攻をするタイプには見えなかった。ここが要塞だと知らない筈も無し。何か狙いがあるのは間違いない。
黒沼公浩の目的が人質である神崎風音の奪還だと考えれば陽動の可能性が高いが、喩えそうであっても、この邸内で気づかれずに動く事はそれこそ不可能だ。
果たして何をするつもりなのか………
(ま、俺には関係無いがな)
自分はこれから姿を眩ますのだから。
街には家主を失った家が溢れている。雨露を凌ぐ宿には困らないだろう。
後は、おっかない王子様とは反対の方向に立ち去るだけ。
来栖城一は右手に掴んだ刺又の術装に通力を流し、穏形で煙のように消えてから部屋を後にした。
★
ズシンッ………ズシンッ………
石造りの噴水。黒沼公浩はその縁に悠々と腰掛け、通力の顕……『踏鳴り』による地揺れを起こしていた。
足で何度も地面を踏みつけて……堪え性の無い子供が、まだかまだかと催促をするかのように。
日本という狭い国で個人が所有しているとは思えない程に広く、金のかかった玄関口だ。
その中央には、これまた庶民にとってはファンタジーなど創作作品の中でしか馴染みが無い芸術的意匠の噴水まである。
門を潜ってから扉までの間にこんな物があっては邪魔にも思えるが、そもそも玄関扉までの道のりからして、本来なら乗り物を使用するのが当たり前の世界観。その点で言えば、馬車で移動していても違和感は無かった事だろう。
要するに………土地事情が豊かとは言えない国内でだ。土地の無駄遣いをしている悪しき伏魔殿……それを誅殺せんと、黒沼公浩は派手に狼煙を上げているのだ。
わざと目立つ行動を取り、誘き出す。城をまるごと相手取るより、城から出てくる兵隊を潰していった方が効率的に損害を与えられるため合理的である………と、凡人には共感が難しい理論の下、公浩は動いていた。
理屈の上では無い話ではないが、大量の敵兵を相手として、それを実践しようとするなど正気の沙汰ではない。
多勢を相手にするというのは想像するより遥かに困難で、本来なら絶対に避けるべき悪手だと、分かっている筈なのにだ。
公浩は自らを取り囲む20人を越える使用人の格好をした退魔師崩れたちが準備を万端整えたのを確認し、ひょいっと縁から降りた。
そして観客へ向けた劇団役者のような大仰な身振り手振りで、言葉を紡ぐ。
「Trick or Treat! さあ、季節外れの収穫祭です。人質を返してくれなきゃ皆殺しにしちゃうぞ?」
敵陣のど真ん中で白昼堂々とパフォーマンスに酔う少年。
見るからに異常だ。警備の者たちも、迂闊に捕らえようとして大丈夫だろうかと、及び腰になっている。
どうにも、手を出すのが憚られる異様な気配………単なる殺気とは違う何か。『十六夜の型』で戦意に影響を与えているわけでもなく、しかし目の前の少年は敵に回したくない……得体の知れないプレッシャーを放っていた。
「そちらの人質を全員残らず引き渡してくだされば、貴方がたも……気絶だけで済ませて差し上げますよ?」
「「「……………」」」
何にせよ、少年に虚仮にされているのは分かった。
今でこそ仁科亮の『呪』を刻まれ、駒に成り下がっている自分たちではあるが、檸梨の街が結界に覆われる前はそれなりの腕前で通っていた退魔師だ。ここまで言われれば多少の及び腰など忘れてしまえる。
自分たちにもその程度のプライドが残っていたことに驚きつつ、じわじわと包囲を狭め、そして公浩に抵抗の素振りが無いことを確認した一人が近づいた。
異様さはただのハッタリか……拍子抜けしながら公浩を拘束せんと腕を掴んだ。
「んぁ――――?」
使用人の男が腕を掴んだ瞬間……何が起こったのか理解が追い付かないまま激しいジャイロ回転で宙を舞っていたのだ。
ドサッ!
回転の勢いが強く、遠心力とGに身体を縛られながら、男は体勢を整えられず芝の上に落下した。
「さあ、次に気絶したい人は前に出てください。行列を捌くために回転率を上げていきましょう」
退魔師崩れの使用人達からしたら、その言葉は笑えない。
そこですぐさま行動できていればプロとしては合格だったろう。しかし、公浩を数で取り囲んでおきながらプレッシャーに呑まれ、その一瞬を萎縮してしまった。
直後に公浩が取り出した一枚の術符も、警戒を強めた理由である。
「来ないのなら………」
順番に潰して行くしかないですね
公浩が本格的に闘気を飛ばし始めた、その時だ。
「ごふっ――――」
公浩が自らを見下ろすと、腹部からは真っ赤な血を飛び散らせながら素槍が生えていた。
名のある退治屋として一流の仕事をしてきた来栖城一の武装の一つ……『槍王』。
無骨でこれと言った特徴も無い、名前負けとも思える至って普通の外見の槍は、しかし見た目以上に戦闘向きの能力を有していた。
「悪いなボウヤ。これも仕事だ」
「……以外と、義理堅い事で」
言葉を発すると同時に口の端から血を溢す。
来栖の穏形能力を知っている公浩は、当然、奇襲には警戒していた。通力による強化と、『不動障壁』で背後の防御には気を配っていたのだ。
しかしながら『槍王』は、こと攻撃力に関しては多少の警戒などでは歯牙にもかけない。
『槍王』の唯一にして最も特筆すべき点は、その『防御貫通』能力だ。物理であろうと通力を用いた防御であろうと、それらを貫く事のみを目的とし、刺突の威力だけを突き詰めた超攻撃型の術装。
これを防ぎきるには、それこそ上位の『結界』でないと不可能だろう。
来栖としても、この瞬間には勝ちを確信していた。渋い気分ではあったが、決着を付けるために逃げずに留まったのは正解だった、と。
一度受けた仕事を途中で投げ出すのは夢見が悪いというのも理由の一つだった。
尤も、勝利の確信は瞬きの間すら無く、後悔に変わっていたのだが。
公浩が口元に笑みを浮かべ、腹部から伸びている素槍を掴む。
「っ――――!!?」
槍で貫いた先から思い切り引き抜かれ、不意を突かれた形で体を引っ張られた来栖は動揺を隠しきれない。一流の退治屋と呼ばれてきたキャリアの中でも、これは初めての経験である。
身体が傷付く事を物ともしない勢いで槍ごと引き寄せられ、公浩の背中がとてつもない勢いで迫り………
「ぶはっっ!!」
公浩の背中から、トラックにはねられたような凄まじい威力の体当たりが来栖に見舞われる。それはいわゆる、鉄山靠と呼ばれる技だった。
来栖は咄嗟に通力の強化と『不動障壁』を纏うが、ダメージは抑えられても衝撃までは殺し切れない。
ふっ飛ばされた勢いで噴水を破壊し、屋敷を囲う塀の一角に向けて十数メートルの距離を、のけ反った体勢で押し込まれた。
「つあっ! 野郎ぉ――――うお!?」
壊れた噴水の向こう側には、来栖が手放した槍を投擲する構えの公浩がいた。
来栖の奇襲を想定していた……いや、端から計算していたのか、手に持っていた術符は上位の治癒術式だったのだ。既に塞がっている腹の傷を目にして、その常軌を逸した行動に普段なら称賛するところだが、我が身となった今は忌々しさに歯を食い縛るしかない。
それは既視感のある光景。
前は数メートルの電柱だったが………今回は何者かからの援護は期待できないだろう。
公浩が『槍王』の能力を発動した状態で、それを弾丸のような速度で来栖へと射出した。
ゴオッ!!!
衝撃波を伴った槍の迫力は想像を絶するものとなり、来栖へと襲い掛かる。
「ちぃっ!!」
来栖はもう一つの武装……穏形の効果を上げる刺又の柄の部分で『槍王』を受け止める。
投擲されたからか、本来の貫通力は出ていない。それでも、来栖は両足で地面を削りながら塀際まで追いやられた上に、刺又も折れる寸前まで刃が食い込んでいた。
ドガンッ!!
屋敷を覆う結界でもある塀に背中から激突した。
その瞬間、塀には大きくヒビが入り、来栖は痛みに呻き声を漏らす。
何て様だ………
仕留めたと思った相手から、まさかの反撃。防御できたのは運が良かっただけだ。
来栖は自らの迂闊さを呪うが………黒沼公浩は、そんな反省の猶予を与えてくれるほど甘くなかったらしい。
来栖が結界に激突した瞬間には、既に距離を詰めて目の前に出現していたのだから。
刺又に突き立ったままの『槍王』……その石突きに向けて、足裏で蹴りを叩き込んだ。
ドガァッッ!!!
一度目は運良く防げたが、二度目の時には運が尽きていたらしい。足裏から流し込まれた通力で本来の威力を得た『槍王』は、刺又をあっさりとへし折り、来栖を貫いて後ろの塀までをも突き抜ける。
今度は来栖が槍を体から生やし、しかも思わぬダメージのため吐血も派手に咲いていた。
自分が相手にしているのは学生服を着ているだけで、実のところ真の悪魔ではないのか……そんな考えが過ったが、容赦の無さはまさに鬼のようだとワラう。
仕上げとばかりに、公浩は来栖の頭を掴むと、
ガンッッ!!
辛うじて形を留めていた後ろの塀に叩き付け、その意識を確実に刈り取った。まさしく、だめ押しの一撃だろう。
塀と結界は脆くも崩れ、白目を剥いて倒れる来栖から『槍王』を引き抜く。
公浩は素槍を軽く振り回して感触を確かめてから、ニッコリと満足顔で、事態に付いて行けない退魔師たちに向きなおった。
使用人の格好をした退魔師たちに戦慄が走る。腰を抜かす者、逃げ出そうとしている者、震えて一歩も動けない者まで。
仁科亮の手駒で一、二を争う実力者である来栖城一が倒されたのだ。自分たちが束になっても相手になるかどうか………
かと言って何もしなければ、どのみち仁科亮の『呪』により殺されるだけ。
退くも進むも地獄しかない状況で思考停止に陥っていた彼等の背中には、しかし無情にも刃が突き付けられる事になる。
『殺せ!! その学生を今すぐに殺すんだ!!』
立ち竦む退魔師たちに、仁科亮の恫喝まがいの声が投げられた。
屋敷の機構の一つである秘匿通信だ。味方の退魔師だけにその怒鳴り声が届き、そこからは明らかな焦燥が伝わってくる。
『腰抜けどもがぁあ!! そいつを殺さないならお前たちを殺してやる!!!』
「ぐっ――――!? が、ぁああっ!!??」
突然に一人の退魔師が苦しみだし、そこに全員の視線が集まる。
公浩も顔には出していないが、その事態を目にして苦い感情が湧き起こっていた。仁科亮が、ここまで壊れていたとは。
苦しみだした退魔師はそれから数秒間、苦痛に悶え、全身の至るところから血を吹き出し続けた。そして数秒の後、プツンと糸が切れたかのように崩れ落ちる。
誰も近付いて確認しようともしないが、死んだという事実だけは理解せざるをえない。仁科亮の『呪』が発動したのだ、と。
こうなる事を避けるために、公浩はあえて気絶という単語を強調して挑発を行っていたのだ。戦闘中に無力化された使用人をいちいち殺していくような愚行はさすがの仁科亮でも犯さないだろうと考えて。その意図を遠回しに伝えようとした。
まさか、愚かを通り越した凶行に出る程に狂っていたとは思わなかった。まだ、意味の有る行為とそれ以外が分かる程度には理性が残っているものだと……見誤ったのだ。
公浩は事切れた退魔師の男を冷ややかに見ながら、心の中で歯噛みし、その奥にある宮殿とも洋館ともつかない建物を睨み付ける。
『死にたくなければ………死んでもそいつを殺すんだよおおおおっっ!!』
もはや気が触れているとしか思えない。
そんな男の狂気が伝染したのか、腰が引けていた使用人たちも一斉に武器を、顕術を放ち始める。
ある者は恐怖に顔を歪ませ、ある者は涙を流しながら、自棄を起こしての特攻を仕掛けていた。
(……やれやれです)
屋敷内での戦闘を最小限にするため、戦力を外に誘い出してから叩くつもりだったが、相手が狂っている以上、悠長な事は言っていられないだろう。
少し早いが、公浩はサッカーボール程の火の玉の顕術……『火弾』を空へと打ち上げ、花火のように弾けさせる。
それが何らかの合図である事は、火を見るより明らかだった。
「ごめん、作戦とは違うけど――――」
「ええ分かってます」
ビュゥン――――
目にも留まらぬ……まるで疾風と見間違う登場をしたのは仮面の退魔師。
屋台で売られるヒーローのお面で顔を隠し、九良名学園の制服を着用した少年。
公浩の意図を察し、その場に姿を現した瞬間には使用人服の退魔師たちに次々と木刀で当て身を行っていくのは、今となっては檸梨の退魔師で知らぬ者の方が少ない謎の実力者……“規格外”こと、犬塚戌孝だ。
いったい何処から現れたのか、どうして此処にいるのか、なぜ黒沼公浩と組んでいるのか。そんな些細な疑問が頭を掠める間も無い、電光石火の戦闘が始まった。
ただし、まともな戦闘になったとは言い難い。
恐怖と混乱に身をすくませる戦闘員を秒殺するなど、学生とはいえ怪物級の公浩と戌孝には造作もないのだから。
包囲していた戦闘員たちは溶けるように数を減らしていき、二人で全員の意識を奪うまで20秒も掛からなかっただろう。
怪我の具合はそれぞれあるが、概ね最低限のダメージで気絶させている。ちなみに、多少強めに打たれている者は戌孝の担当だ。
「ふぅ……これでひとまず全員だね。我ながら情けないよ。陽動もまともに熟せなかったか………」
要塞化している屋敷の中よりも外で戦闘を行った方が良いと考えたのも事実だが、同時に、公浩が派手に注意を引いている内に戌孝が侵入する手筈でもあった。
公浩が単独なのは相手も知っているだろう。連れたってこの屋敷に攻めて来られる実力を有した仲間がいない事も。
“規格外”の存在は向こうも予想していなかった筈だ。故に、この単純な陽動にも意味があると思ったのだが………
「いいえ、黒沼先輩は凄い人です。彼等の命を優先して行動したんですから。彼等……仁科亮の蛮行の被害者が、仁科亮に殺される前に救ったんですよ。一秒でも早くこうしなければ、もっと人が死んでいたかもしれない」
戌孝がお面越しに見るのは『呪い』によって惨たらしく死んだ一人の男。
眼球は飛び出し舌はだらんと垂れ、全身の穴という穴から出血している。
戌孝はこんな事をした仁科亮への怒りが今にも爆発しそうだった。
「……君は善良だね。僕は、目的のためなら誰が死んでも構わなかったよ。結果的に、ここに倒れている人たちが死んでたとしても、心を痛めなかったと思う。彼等は運良く助かる事ができただけだ」
ふと、風音が同じ目にあっている光景を幻視する。
一瞬だったが、ぐっと締め付けられたような息苦しさが駆け巡った。
(これだから情というものは厄介なんです。こんな事でいちいち気を揉むなど………)
忌々しい事に……誰が死んでもなどと、自分でもどこまで本気で言ったのか分からない。
どれだけ自分を悪人だと言い聞かせても、感情と結果がそれを否定してくる。口ではどんなに心ない言葉を放っても、非情に振る舞っても、自分が本質的にどんな人間でどう在りたいのか……九良名に来てからというもの、見失ってばかりだ。
自分の事だけに、誰にもその答えを求められない。
誰も教えてはくれない………?
鶫なら教えてくれるだろうか………
最近はそんな世迷い言まで脳裏に浮かぶ始末だ。
自分も、いよいよおかしくなってしまったのか………
「黒沼先輩は……自分が嫌いなんですか?」
「――――――」
「だって実際に彼等を助けるために作戦の一部をふいにしましたし……余計なお世話かもしれませんが、態と自分を貶めようとしてると言うか………悪い人間である事に拘っているように見えて」
「……………」
「親しい人が見たら、あまり良い気分にはならないと思います」
「………確かに、余計なお世話だね。それに……」
公浩が屋敷へと視線を向けている。
戌孝も、そこから向かって来る強者の気配を感じ取った。
「無駄話の時間も終わりだ」
その男の外見的特徴を挙げるなら、小綺麗な浪人と言ったところか。
ぱっと見は30代、整った顔立ちに、さらりと風に揺れる肩までの髪。腰には一目で業物と分かる刀を差し、着物はデザインが殆ど無いシンプルな淡い水色。細身だが痩せた印象は無く、それどころか極限まで引き締め凝縮されている完成した肉体からは、尋常ではない剣気が放たれている。
「お出ましですか。あんなヤバそうな人を待ち構えてたかと思うと、自分の正気を疑いますよ」
「屋敷の中でセキュリティと同時に相手しないだけマシと思うことにしよう。見た所やっぱりと言うか、かなり厳重な『呪』で意識まで縛られているみたいだ。まぁ、娘が人質になってたら、流石の彼も従うしかなかったって事だね」
前髪の隙間から覗く額には幾何学的な模様……仁科亮による『呪』が覗いている。念の入った事に、とんでもなく強固な術式を重ねがけまでして。
虹彩を失ったような虚ろな瞳で歩いて来る男こそ、災害級の鬼を単騎で調伏できる存在。
そして神崎風音の父親……神崎 紫瞬その人だ。
「さて……本来の意識が封じられているのが、吉と出るか凶と出るか」
「どっちも大した違いは無いでしょう。恐らく……仁科黎明を除けば、この街で最強ですよ? 仁科亮が戦力として置いている以上、強いのは間違いありません」
「そうだね。犬塚君にとっては、殺気を受けるにも放つにも丁度良い機会だ。精々慣れておくと良いよ」
「何もこんなヤバい状況じゃなくても良いような………」
直後、戌孝が溢す弱音は神崎紫瞬の剣気に掻き消された。
まだ距離があると言うのに、戦闘の間合いに収められたのだ。
以前に遭遇した時とは違い、今回は殺す気で来るだろう。気を抜く事は、大袈裟ではなく死に直結している。
戌孝は二本の木刀を半身で構え、公浩は来栖城一から奪った『槍王』をゆったりとした自然体で持つ。
張り詰める緊張感が漂い、触れれば爆発しそうな空気。
そこには均衡など殆ど無かったのだろう。ほんの一瞬の静寂は、呆気なく崩れ去った。
「「来い!!」」
少年たちの放つ気合いに応え、爆発的な速度で迫る神崎紫瞬。
檸梨が結界に閉ざされて以来、最も激しい戦いの開幕を告げる掛け声だった。
公浩はサッカーボール程の火の玉の顕術……『火弾』を空へと打ち上げ、花火のように弾けさせる。
主人K「弾けて混っざーーれ!!」
――――――――
「あ、あれは何だ!?」
「大猿か!?」
「カマドウマか!?」
「いや、あれは―――!」
戌「デュワッ………あ、いえ………どうも、イヌでした。ウルトラヒーローじゃなくてスミマセン」
ヒーローの仮面をした風紀委員だったそうな




