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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
97/148

第97話 泥の街 十一日目―2

 

「ぶぁ――――あ゛ぁ……はだ……はだがぁ~~………!」


 顔からはボタボタと血を垂れ流し、四つん這いの手足はガクガクと震え、ボロ雑巾のような姿になっている仁科亮を見下ろしている黒沼公浩は、背筋も凍る微笑を湛えていた。


 一連の流れにポカンとしていた仁科亮の護衛たちは慌てて駆け寄る。そして直ぐさま応急手当として治癒の顕術を施し始めるが、当然ながら怒りまでは収まらない。

 仁科亮は激痛が和らぐのに反比例して、公浩への激しい憎悪を露にしていく。


「ぎざまぁあ゛あ゛あ゛あ゛!!! よぐもっ……やびやがったらあ!? 殺ずぅ………絶対に殺す!!!」


 完全に治りきってはいないが、取り敢えず変形して塞がっていたらしき鼻腔には空気が通ったようだ。

 殺すと言う辺りからは人の言葉を取り戻していた。


「久我山あああっ! 先に手を出したのはどっちだ!? 言ってみろ!!」


 仁科亮は言うなれば、憂さ晴らしのために学園にいる者たちを殺す口実を欲しがっていたのだ。

 この街で今さら協会や“社”におもねる意味は無いと語っておきながら、未だ戦力としては健在の“社”に介入されることは望ましく思っていない。故に少なくとも、相手から殴り掛かって来たのなら自衛の大義名分は立った。

 学園生が手を出したのは一目瞭然。それも、他でもない支部長代理が見ている前で。

 通常、この場で久我山が介入するとしたら仁科亮の側に立って黒沼公浩を拘束しただろう。

 だが、仁科亮が言ったように、現在の街は通常の規則が当てはまる状況ではない。クソ真面目に規則に縛られてやるのもバカらしい………それは先程、仁科亮に言いくるめられた時に痛感していた。


「確かに、先に手を出した黒沼公浩の行動には問題があったがなぁ。仁科亮、この街の有り様を見てみろよ。社会から孤立した地獄だ。“社”に付き従う理由も強制力も無い………だろ?」


「~~~っっ!!」


 仁科亮も、まさか自分の言った台詞がそっくり返ってくるとは思ってもいなかったのか、目を剥いて久我山を睨み付けている。久我山に今のような返しが可能だとも思っていなかったため尚更だ。


「地獄で人間が生き残りたけりゃ、全員が協力しないとな。こんな小さな諍いで貴重な戦力を拘束するのも気が進まん。お前も今回の事を根に持って下手な事はするなよ? 今は注意だけで済ませるが、今後お前がこの学園で一人でも怪我をさせたり、敵対的行動を見せようものなら………“社”としても黙っていないからな」


「は……はは………そうか。ああ、お前ならそう言うと思っていたよ。正直、思うように動くなんて最初から期待してなかったさ………………どいつもこいつもイライラさせやがってクソどもが!!」


 仁科亮の瞳からは最早、理性という言葉が馬鹿らしく思えるような狂気しか窺い知る事はできない。

 そして、およそ人間とも思えない禍々しさすらその身に宿し始めた。


「何をやってる愚図が! さっさと連中を殺せ!」


 仁科亮が護衛の退魔師二人に怒鳴り付ける。

 それは一時的な癇癪から来る命令ではない。明確な殺意を込めたもの。

 こうなると、困惑するのは命令を受けた退魔師たちだ。

 仁科亮の剣幕に身構える風紀委員たちと、久我山他数名の護衛たちの中に突っ込めと言われているのだから当然である。

 いくらなんでも、そんな愚かな命令に従うとなると躊躇いが先に出ていた。


「お前たちには『(しゅ)』を仕込んでいるんだぞ……今すぐに死にたいか!!」


 仁科亮が唯一と言って良い他の退魔師よりも優れた面……それが“呪い”の顕術。

 仁科亮のそれは相手に『呪』と呼ばれる設置型の術式を仕込み、顕を発動することによって任意の相手に効果を及ぼす。

“呪い”の効果は多岐に渡り、また術者の実力に強く依存するものだ。相手を死に至らしめるものとなれば……その分野ではかなりの実力者だと言える。


 死という脅しを受け、退魔師二人は渋い表情ながらも意を決した。

 玉砕するのは目に見えているが、命さえ残っていれば、以後働かなくて済む分むしろ都合が良いとも言える。このまま死なない程度にやられて気を失ってしまえれば、と。


 そんな、モチベーションも何もあったものではない二人だったが、それは流石にまさかと言うタイミングであったろう。いざ仕事をしようとした矢先に、もう既に(・・)意識を刈り取られていたのだから。


「げばっ!!??」


 正しく早業だ。何時の間に近付いたのか、公浩が退魔師二人の頭を掴んでゴツンとぶつけ合わせて気絶させてから、仁科亮の側頭部に回し蹴りが決まるまでが……あまりにも早かった。


 仁科亮は学園前の広い車道を錐揉みして跳ね回りながら、電柱に背中から激突する。

 腐っていても退魔師だということか。轟音を立てて電柱をへし折っておきながら肉塊に変わっていない程度には頑丈らしい。

 高級なコートは千切れ飛び、スーツは暴漢に襲われた後のサラリーマンのようなコミカルな破れ方で、ピクピクと痙攣しながら横たわる姿は哀れみすら漂わせていた。


「相手は僕だと言ったでしょう。僕は第三校の生徒ですから、彼等とは関わりありません。逆恨みやクレームは僕宛てにお願いします」


 メキャッ


 一瞬なんの音か分からなかったが、次の瞬間には、それが仁科亮の投げ出された腕の先……手首が踏み砕かれた音だと気付く。

 そして恐ろしい事に、見下ろしながらグリグリと手を踏みにじり続ける公浩の顔は………ワラっていた。


「あ………が………ぁあああ゛あ゛あ゛~~~っっ!!!」


 相手が如何に最低なクズとは言え、その光景は眼を覆い、耳を塞ぎたくなるものだ。

 事実、その場に集まっている風紀委員の中にはそうしている者もいた。


「これは戦争です。僕と、貴方の」


「ああ゛っ……いだ………い………やめ、て………」


「このまま生かしておけば、貴方はまた戦争を仕掛けてくる。この街にはもう、人間同士で命を削り合っている余裕は無いんですよ。だから、その原因を取り除く役目があるとしたら………それを負う(・・・・・)のは街の人間ではない、僕です」


「っ!? 止せっ、黒沼君浩!」


 公浩の様子にただならぬ気配を感じた久我山が制止の声を上げて駆け出す。

 直前まで、公浩が何をするにしろ、精々が半殺しまでだと考えていた。

 学園に手を出すのが危険だと解らせるために痛め付けて、脅して、追い返す程度に止めるだろう、と。

 黒沼公浩はこの場の誰よりも理性的だ。理性的過ぎたために、禍根を残さない確実な方法を選んでしまった。


 久我山としても、流石に殺害までは許容できない。

 何よりこんな事で手を汚させるには惜しい男だと、公浩を認めていたから。

 このまま仁科亮を殺させたら、多くの犠牲を払わせる事になる。

 学園も、“社”も、仁科家すら敵に回すかもしれないのだ。それを阻止しようと、久我山と数名の退魔師たちは全力で走り出していた。しかし、


「憎まれ役は慣れてますので」


 公浩が横たわる仁科亮の頭に足を掛けた。

 一秒もせずに踏み潰せる。西瓜のように中身をぶちまけるだろう。

 いざ、人間の頭を踏み砕こうと足に力を込めた………


「か、カンザキっ……神崎風音っ――――」


「っ!」


 風音の名前を聞いて動きを止めたその一瞬は、久我山たちが公浩を引き離すには十分な隙となった。

 抵抗するそ振りも見せず離れたため、強く拘束はされていない。しかし、その眼は仁科亮を凝視しており、そこからは言い知れない感情が溢れ出している。


「くひ………ひひ………ははは………そうか、やっぱりか。第三校の生徒ならもしかしてと思ったが、あの女……保険として生かしておいたのは正解だった。まさかこんな所でも役に立ってくれるとはな!」


「………はぁ。やれやれです。この流れは聖川さんに聞いてませんでしたね」


 数秒前まで公浩が纏っていた殺意は感じられない。

 代わりに、ある意味では殺意より恐ろしい冷気が放たれ、公浩を押さえていた久我山たちも思わずたじろぎ、足を引いてしまっている。

 全員、心臓が凍りつく感覚を覚えていた。

 公浩が再び仁科亮へと近付いて行くのを誰も止める気が起きない程に。


「街の結界の傍を彷徨いていた所を保護(・・)した。一緒に男が二人いたけど……そいつらどうしたっけなぁ?」


「……………」


 仰向けの状態で起き上がれないというのに、その表情は骨が砕けている痛みも忘れて勝ち誇っている。

 公浩は変わらず冷たい笑みを浮かべて、横たわる仁科亮を見下す位置に立った。


「くは……ははは……ああ……言っとくけど、僕をどうにかしようとは思わない事だね。当たり前だけど、神崎風音にも『呪』を刻んである。僕を殺しても、別の誰かが『呪』を発動させる事だって―――があああ゛あ゛!!??」


 砕いた手首と反対……だらんと投げ出していた指先を、公浩は容赦無く踏み潰した。

 再びの激痛に泣き叫び、のたうつ仁科亮。その様を、薄ら笑いが大分剥がれた公浩が眺めている。


「いやぁ、恐れ入りましたね。中々に交渉がお上手なようで」


「あが……ぁあ゛………こんな……こんな事をして………神崎風音がどうなっても――――」


「まぁ、そう言うだろうと思っていましたよ。だからこうして、殺してしまわないように神経を使って、ますっ」


「いぎゃあああ!!!」


 ギャリィ


 体重を乗せた一踏みの後、指先から手首へとその足が掛けられる。

 そこに来て再び、仁科亮の顔に怯えが色濃く映りだした。

 確信したのだ。今、自分の腕を踏みつけている男は……とても学生の域にはいない。まともな精神をしていないと。


「風音さんの居場所は……どうせ館の地下とかその辺でしょう。これから貴方を引きずって向かいますので、お互い人質の交換といきませんか?」


 仁科亮は深い呼吸を繰り返し、どうにか痛みを堪えて意識を保つ。

 このような状況ではさっさと気絶してしまうのが賢いのだろうが、プライドだけが無駄に有り余っているためにそれが出来ない。さらに言えば、例え気絶しても目の前の男がそれを良しとするわけがないと直感できるのも要因の一つだった。


「ふぅっっ――――ふぅーーっ………ひ、人質?」


「ええ。そちらの人質は風音さんと……他二人。そしてこちらには………」


「ひ、い――――」


 手首へと乗せられた足に力が込められた事を感じ、痛みを上回る恐怖に染まっていく。

 仁科亮の失神も失禁も許さない無駄なプライドに、公浩もこの時ばかりは感謝したいくらいだ。


「貴方の全身の骨、一本一本が人質です。ああ……そう考えると、少し軽率でしたか。あと何十本残っているやら」


「や、やめっ………し……死ん――――んぎぃーーーっっ!!!」


 人間の身体とは残酷に出来ている。既に全身が壊れかけだと言うのに、それでも手首を踏み砕かれれば未だに激痛が走るのだから。

 橘花院士緒が九良名に現れた日、風音に使用した苦痛を強化する顕術……それを使っていた。お陰で今のところアドレナリンが仕事を放棄しているらしい。

 今、その時の顕術を風音を助けるために使っているとは………中々に皮肉だ。


「失礼。まだ貴方が状況を理解していないようなので、思わず力が入ってしまいました。もう一度言いますが、殺しません。風音さんや、もう二人が無傷でいるのならね」


「――――っ!? そ、それは………」


「……………」


 ゴキュ


 仁科亮の足先へ向けて『光矢』を強めに撃ち込み、鈍い音から一秒遅れて汚ならしい悲鳴が響き渡る。

 久我山も今度こそ制止の声を上げるが、公浩が聞き届ける事は無かった。


「無事………なんですよね?」


 公浩が『光剣』を肩に突きつける。

 このまま本当に切り落としてしまえば苦痛や拷問という点ではむしろ逆効果だ。だが、ここまで弱った相手なら脅しの効果としては十分だった。


「け、ケガ……怪我をしてる………ぼぼ、僕じゃない! 女は最初から怪我してたんだ! 治療も済んでたし……命に別状は無いっ」


「……………」


 ここまでか。

 これ以上はやり過ぎを否めない。公浩の学友が絡んでいるという事で久我山も黙っていたが、流石に次は取り押さえに来るだろう。

 尤も、これだけやって、この男に逆らう気力が残っているとも思えない。

 潮時というやつだ。


「では………これから行って確かめましょうか。『呪い』も解いてもらいます。勿論、喜んで協力してくれますよね?」


「何でも、するから………これ以上は………痛いのだけはっ」


「その言葉を待っていました。ふむ………担いで行くのも億劫ですね。その辺で車でも拝借して――――っっ!?」


 背後からの殺気。

 普通なら躱せない筈の一撃だったが、士緒にとっては違う。

 最小限の動きで垂直に跳び、バク転の要領で身体を反らして突き出された素槍らしき武器を回避する。

 さらに、背後から足軽が使うような飾り気の無い槍を突き出している男の肩に手を掛け、そこを基点にすることでアクロバットな体勢からでも力の乗っている膝蹴りが男の後頭部を襲う。

 学生服を着ている少年の技とは思えない卓越した技量から放たれる攻撃は中れば重い一撃となるのは間違いない。

 しかし、相手の体捌きはその上を行っていた。姿勢を沈めて膝蹴りを躱すと同時に、落ちている(・・・・・)仁科亮を引っ掴んで、そのまま距離を取ったのだ。


「おいおい、ひでぇ有り様――――うおっ!?」


 左手に素槍、右手には仁科亮を引っ掛けたままのU字型の刺又(さすまた)。バランスが良いとは言えない二つの武器を携えた、軽装で動きやすそうな服装の男は、息をつく暇も無く戦闘に引き戻された。

 ほんの一瞬だけ仁科亮へと向けていた視線を公浩へ戻すと、凄まじい気迫を纏って眼前にまで迫っていたのだ。二槍の男は自分の首を鷲掴みにされる寸前で、それこそ首の皮一枚まで肉薄されながらも辛うじて回避して見せた。


 士緒はかつて、公浩の姿で四宮鶫に負けている。通力や顕術を十全に使えないなど多くのハンデを背負った状態とはいえ、それでも負けて悔しい事には変わりはない。

 あの日以来、士緒はこっそりと体術の強化を行ってきた。元々苦手としているわけではないが、結界系顕術を用いない身体能力だけによる戦闘では超級の実力者には遅れを取るのも事実。数ヵ月間の触り程度の鍛練ではあったが、体術面での能力は間違い無く伸びたと断言できる。

 黒沼公浩の状態でも、それは同じだ。

 だがしかし、仁科亮を脇に抱えて動きが制限されている筈の二槍の男は、それでいて体術では公浩よりも上を行っていた。


 紛う事なき超級の実力者。

 輝真の情報で頭の片隅には置いていたつもりだが、実際に目の当たりにすると………愉快な事実ではない。

 個人契約の退治屋(バスター)……特に金を目当てとした者だが、これだけの力をクズの為に使っているとは、ある種の罪深さすらあった。


「問答無用かよ!?」


 退治屋の男は抱えていたお荷物を今度は乱暴に地面に投げ捨てると、凄まじいまでのプレッシャーを放ちながら向かってくる公浩へと意識を集中する。


 直後、その一瞬の内にどれだけの打ち合いがあったのか、無数の金属音が連なって一つの音に聴こえる程の激しい剣撃が繰り広げられた。


 公浩は一方に『光剣』を顕し、しかし『光剣』に重きを置かない近接の体術を軸にしたインファイトへと持ち込む。

 左右に刺又と素槍という長柄の武器を持つ相手。執拗に懐へ入ろうとする公浩は、さぞかし鬱陶しい事だろう。


 自分の間合いを保とうとする退治屋の男。それにしつこく追い縋る公浩。

 周辺の道や建物の屋根を高速で飛び回り、時おり火花を散らす光景は、その攻防の激しさを物語っている。


「見逃しちゃあくれないか? ボスがどんな恨みを買ってるか知らねえが、こっちも仕事なもんでな!」


「それを言うならこっちこそ、人命が懸かっているので。事情があるのはお互い様でしょう」


「違いねえ!」


 二槍がまるで暴風のような、されど一振り一振りが精密で繊細な技巧による突き、払い、押さえ付けを繰り出す男に対し、その殆どを『光剣』で防ぎつつ、全身が武器と言わんばかりに近接での打撃……殴る蹴るを主体とする公浩の戦術。


 久我山の一行も、戌孝たち風紀委員会も、二人の熾烈を極める闘いに介入できず足踏み状態だ。

 唯一、この中では久我山だけが割って入れるだけの実力があったが、仁科亮の手勢として現れた退治屋……“魔蠍(まかつ)”の通り名で知られる来栖(くるす) 城一(じょういち)という男の能力を考慮すると、学生たちを残して迂闊にこの場を離れられない。

 高度な『隠形(おんぎょう)』と、その効果を上昇させる刺又の術装で気配を断ち、死角から素槍型の術装を見舞う。

 通常の『隠形』では、気配を薄くするか五感による認識をし難くする程度。しかし、術装を用いた“魔蠍”の『隠形』はそれこそ完全な透化と気配の隠蔽を可能としていた。

 もし下手に介入した上で相手を見失えば、仁科亮の陣営の人間だ。撹乱と被害の拡大を狙って学生に危害を加えかねない。


(歯痒いな………守られるべき学生の方が前線に立っているとはな)


 街の結界をどうにか出来たら、絶対に前線に戻ってやると意志を固めた。数日間ではあったが、もう管理職は懲り懲りだ。


 いい加減、久我山の歯痒さも限界に達するという所で、公浩と来栖の局面に変化が起きた。

 空中から地上へと降り、槍の間合いを生かせないインファイトを嫌った来栖が距離を取らせようと前蹴りを放つ。すると公浩も、負けじと相手の蹴りに打ち合わせるよう、敢えて同じ型の蹴りをぶつけた。


 轟っ――――!!


 お互いにただの前蹴りではなく、衝撃波を伴う『衝波』を纏わせた一撃。行き場を失った衝撃が周囲に撒き散らされ、民家を著しく損壊させる。

 頭を抱えている久我山にとっては、付近の住民は例外無く学園への避難を完了しているのが救いであった。


 当の頭痛の種たちは久我山の苦悩などお構い無しだ。ギリギリと脚技を競り合わせやがって………


 そして次の瞬間には、公浩が均衡を崩しに掛かっている。

 来栖の足を巻き込み、地面にめり込ませる勢いで踏み込んだ。

 ドガッという音と揺れを響かせ、来栖をその場に縫い付けた。


 だが、それだけで終わる筈も無し。

 踏みつけの勢いのまま一息に懐まで入ったは良いが、端からは近付き過ぎにも見える。ほぼゼロ距離の状態で公浩がどう攻撃をするのかとギャラリーが息を飲んでいると、放たれたのは予想外の一撃だった。


 ガンッ


 公浩の頭突きが相手の額を強かに打ち付ける。

 勢いに負けて上体を反らす来栖の襟首を掴んで引き戻し、再度の頭突き。しかし今度は、相手も黙って打たれる事はしなかった。獰猛な笑みを浮かべて強烈な頭突きを公浩のそれにぶち当ててきたのだ。

 ぶつかり合ったままの二人の額からは赤々とした液体が流れ、舗装が砕けて剥き出しになった地面へと吸い込まれていく。


 蹴りに続いて頭突き………

 まるで負けず嫌いが張り合っているようである。


「ずいぶんと泥臭い戦い方するじゃねえかボウヤ。見た目ほど可愛らしくはないってか?」


「そう言う貴方は息が臭いですよ」


 橘花院士緒も中々に負けず嫌いなのだ。今まさに伸ばそうとしている体術面で、ここまで苦戦するのは………些か納得がいかない。

 不甲斐ない自分に活を入れる意味での頭突きだったが、思いのほか高くついた。


「むさ苦しい中年と顔を突き合わせるのが、こんなにも苦痛だったとは」


「言ってくれるねえ。俺だって本当なら若いネエちゃんとお近づきになりたいよ………ボスを連れ帰ったら、神崎風音とやらに今とおんなじ事をしてみるのも良いな」


 先の、風音が人質として有効だと証明された時、来栖も何処かで聞いていたと言うことか。

 すぐに仁科亮を助けようとしなかった辺り、忠誠心がある訳ではなさそうだが。


「……挑発のつもりですか?」


「いいや……実はもうヤった後だ。マジな話、カワイ娘ちゃんの腕がちぎれ(・・・)ちまったのは勿体なかったな」


「―――――」


 挑発なのは解っている。

 こんな事で心を乱す程、橘花院士緒は青くはないのだ。


 ………と思っていたのだが


 どうやら黒沼公浩として学園に入ってから……いや、鶫に負かされてからというもの、非情さに陰りが差したようだ。情が湧いた人間は殺さない……そんな偽善に、何時からか囚われていようとは。


 それは微かな動揺だったのだろう。怯んだわけでも力を抜いたわけでもなく、余計な力が入り、ほんの僅か前のめりに体重が掛かった。

 “魔蠍”という名に相応しい狡猾さだ。ニィッと口端を釣り上げた直後、公浩の体勢を崩す絶妙なタイミングで突き合わせていた額を引いた。

 正しく駆け引きと呼べる攻め方は流石の腕前。相手が若さを残していると見抜くや否や、迷わず弱点を突いてきたのだから。


「またなボウヤ」


 来栖は針の穴のようなチャンスを逃さず、踏みつけられていた足を乗っていた公浩ごと蹴り上げる。そして空中に躍り出た公浩の横腹を、刺又の柄で殴りつけた。


「っ――――」


『不動障壁』を集中的に纏う事でダメージこそ最小限だが、来栖もそれは分かっていたのか、インパクトの瞬間に素槍を手放し、刺又を両手で握りこんだ。そしてそのまま野球のスイングで公浩を振り抜いた。


 ガガガガンッッッ――――!!


 吹き飛ばされた公浩は、轟音を立てながら家屋を長々と貫通して行く。

 無論、これで倒したと考える程、来栖もオメデタくはない。

 脇目も振らずに素槍と仁科亮を回収すると『虚空踏破』で空を駆け、これまた一目散にその場から離脱を図った。


 一部始終を見ていた久我山たちではあるが、逃げ去る“魔蠍”を追い掛けようとする者はいない。

 連中が帰る場所は仁科邸だと分かっているし、何より、家屋をぶち抜いた穴を派手に拡大しながら向かってくる特大の殺気………その間に飛び込む意味も、勇気も無かったのだから。


 ドガシャン!!


 吹っ飛ばされたのと同じ場所から、目付きを尖らせて舞い戻った公浩。先程まで戦闘を繰り広げていた車道に飛び出すと、逃げ去る来栖の背中を視界に捉える。

 面倒な事に、この騒ぎで“凶堕ち”も集まり始めていた。『虚空踏破』で追い掛けようものなら、それを見て覚えた“凶堕ち”たちが風紀委員や“社”の面々の負担となってしまうだろう。


 それだけの判断が可能で、実際に『虚空踏破』を控えている事から、公浩は冷静なのだと誰もが思った。

 ところが、その光景を見た途端、彼は冷静ではないと誰もが確信する。


 仁科亮を蹴り飛ばした時にへし折れた電柱……それに向けて走り寄ると、まず繋がっていた電線を切断し、そして掴んだ(・・・)


 指はガッチリと電柱に食い込ませた状態で、槍投げのような遠投の構えをとった。

 およそ退魔師という存在は常識から外れているが、未だ学生である少年が平然と電柱を持ち上げている光景は、悪い夢でも見ているかのようだ。

 当然、それを投げられんとしている本人からしたら、恐怖を抱かない方がおかしい。


「おおいボス!? 何処であんな化物を敵に回して来たんだよっ!」


 痛みのせいでいつの間にか意識を手放していた仁科亮を叱責する声が街にこだまする。

 来栖は可能な限りランダムな回避運動を取りながら地上へと駆け降りていく。

 が、彼らにとっては不幸な事に、士緒は肩とコントロールには自信があった。さらに言わせれば、背中を向けて逃げる相手は動きが読みやすいとも。


 要するに………外す理由が無い。


「せぇ――――りゃっ!」


 重量のある電柱が威圧感とソニックブームを伴って放たれた。軽く投げた掛け声を置き去りにして。


「くそが!?」


 来栖城一は所詮、金で雇われただけ。命を懸ける義理は無い。

 一瞬の判断で、仁科亮を盾にしつつ『不動障壁』を全開にする。

 公浩の目的は仁科亮(こいつ)だ。それが死ねば、無理に自分を追っては来ない筈。

 希望的観測だが、自らの回避能力を上回る攻撃は熟練の退魔師すらも弱気にさせるのには十分過ぎた。


 骨の数本を覚悟し、衝撃に備えて身構えた来栖を………しかし衝撃が襲う事は無かった。


「「!!」」


 公浩と来栖が見たのは、飛来する電柱を貫く一発の弾丸。

 横腹に命中したそれは電柱を半ばから砕いて軌道を逸らし、結果……仁科亮と来栖城一の逃走を幇助した。


 標的は既に地上に降りて姿を消している。

 狙撃手がいるだろう方向へと忌々しげに視線を飛ばす公浩だが、その鋭い目はすぐに落ち着きを取り戻した。

 また輝真の把握していない事態かと溜め息が溢れそうだが、今回に関してはやり過ぎを防げて幸いだったのだろう。

 危うく汚い花火を上げてしまうところだ。“呪い”の事もあるため、まだ死なれては困るというのに。


 弾丸の主にあわやの所で救われたが、礼を言いたくてもその主の気配は探れなかった。腕が確かなら、まだその場に留まっている訳がない。

 相当な実力者である事を鑑みるに、先日に黎明と話した屋上を覗いていた人物だろう。公浩はそちらを一睨みだけしてから、小さく息をついた。

 髪をかき上げれば血がべっとりとへばり付く。見た目は派手な傷だが、退魔師にとっては掠り傷と言って良い。

 治癒の顕で軽く手当てだけ済ませ、そのまま仁科亮の館がある方角に身体を向けた。


「黒沼先輩、どちらへ?」


 戌孝の声を背中に受け、足を止める。

 振り返らずに応える公浩の顔は、いつもの穏やかな微笑に戻っていた。


「ちょっとそこまで、城攻めにね。幸い羊が率いる狼の群れなら、三倍の兵力が無くても落とせると思う」


「定石に倣う気があるのなら、()を待ってみてはどうですか? 怪我の治療も出来ますし、頭も冷やせます」


「……………」


 夜になれば一緒に行ってくれるという戌孝の申し出は嬉しい限りだが、正直に言ってしまうと一人の方が都合が良い。

 いざとなれば、単騎で四宮家を壊滅せしめた手腕を遺憾無く発揮してどうとでも出来るのだから。

 仁科千豊が絶大な信頼を置く城塞だろうと、橘花院士緒にとっては飛び越えられる壁に過ぎないのだ。

 とは言え、考えてみれば無理に急ぐ必要性は薄いかもしれない。仁科亮の言葉を信じるなら、風音は囚われの身。そこに人質として価値がある以上、今さら危害を加えるとも思えない。それに………


(人質の件が事実なら、聖川さんから聞いていた情報にも納得がいきますね。なるほど……風音さんの本来の(・・・)価値を考えるとするなら、暫くは問題ありませんか。厄介な相手がいる事には変わりないですが………)


 戌孝の協力を得るのが吉と出るか凶と出るか。

 取り敢えず、周囲にわらわらと集まり出した“凶堕ち”の掃討を手伝ってから、夜までゆっくり(・・・・・・・)と考えてみるのも悪くないだろう。


「アレと君を関わらせないために、わざわざ僕が殴ったんだけど………まぁ、夜を待つのも良いかな」


 振り返り見せた公浩の笑みに、戌孝は自分がこの人の役に立てるかも知れないと感じていた。隠しきれない喜びの感情を露にして。


「黒沼公浩ーーーっ!! 退魔師の世界にも始末書はあるんだからなあ!?」


 襲い来る“凶堕ち”の群れを殴り飛ばしながら公浩に向けて恨み言も飛ばす久我山を見て、一番の敵は始末書の群れになりそうだと、穏やかな笑みが早くも苦笑に変わっていた。



        世界を穿つ災禍まで


          あと3日


           





4話の海辺のシーンを見返してみると、随分とハゲな内容だったので、ずらっと書き直したズラ。


久しぶりに自分の文章を見ると、やたら恥ずかしくなる事がありますね。

今もさして変わりませんが………


なので、これからちょくちょく恥を上塗りして(なおして)行きます。何かやらかしてたらスミマセン………



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