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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
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第96話 泥の街 十一日目

 

 そこは聖川輝真の視点における、何周目かの檸梨市。

 そこは“白面金毛”がこの世に地獄の(あな)を穿った街。

 そこは“白面金毛”が用いた外法にして邪法……『火坑(かきょう)』によって彼女の目的に手を掛けた、あり得ざる(・・・・・)世界。


 世界をまるごと裏返す(・・・)という大それた目論み。


 聖川輝真と橘花院士緒が阻止に失敗したIf。

 全てが手遅れとなったその地は、いわば世界の亀裂だ。特異点と化したその地から徐々に、カサブタや日焼けした皮膚を剥がすように少しずつ裏返し、入れ替えていく。

 “白面金毛”はその日その時、自らの大いなる願いの成就に近付いた事を心底から言祝(ことほ)いでいた。


 かつて檸梨市だった地には何も残されてはいない。人、建物、車、木々や雑草に至るまで、およそ物体と呼べる物は全てだ。空気の()すらも消え失せたモノクロの大地を除いて。

 そんな場所にたった一人、クルクルと軽やかにステップを踏みながら歓喜を叫ぶ者がいた。


「最高っ! 最高なの! オメデトウわたし! アリガトウわたし! もっとホメテわたし! 褒めて誉めてっ、わたしたち!!」


 等身大のビスクドールとでも呼ぼうか。

 美しい造形の日本人形に無理矢理ドレスを着せている……そんな違和感がありありと見てとれる少女。

 歌うように声を響かせ、身長とほぼ同じ長さの髪は少女のステップから一瞬の遅れを見せて追随し、ふわっと広がっては身体の周りを流れている。髪とアンティークドレスの色の組合せによっては、さぞかし芸術的な画になった事だろう。惜しむらくは白と黒しか存在しない殺風景な荒野がその評価を著しく妨げている事か。

 とはいえ、誰が見ているわけでもない自らのはしゃぐ姿を、少女は上機嫌のまま惜しみなく世界に披露していた。


「スゴイでしょ五郎左衛門! わたし、もうすぐ世界を変えるのよ! 約束したわよね五郎左衛門……全てが平等で、悪人なんかいなくて、愛に溢れてる世界になったら、わたしの事も愛してくれるって………約束したでしょう!? 五郎左衛門!!」


 この場にはいない山本五郎左衛門に向けての言葉。

 届かないと分かっていても………あるいは分かっていなかったのか、幼い人格ゆえの狂気を孕んだ声音を放っている。

 少女の声が発された一瞬だけ、世界が色を取り戻す。しかし、またすぐにモノクロが押し寄せ、在るべき姿へと引き戻された。


「忌々しいヘルメスからあなたを解放したら、また会えるわ。それまでに、この世界をもっともっと素敵な場所にして………あなたにあげるの! わたしたち、今度こそ一緒になれるのよ五郎左衛門!!」


「いいえ、“白面金毛”。それは無理でしょう」


 少女しかいないと思われた世界に、唐突に現れたスーツ姿の侵入者。

 その男を見て少女……“白面金毛”にも驚きが浮かんでいる。

 上等な仕立ての服、何を考えているのか分からない笑み、不気味にすら感じる泰然自若の立ち姿。そして何より異質なのは……その男にだけ、()が与えられている事だろう。

 この裏返った世界において明らかな異物。地獄の底を生者が闊歩するなど、許されない筈なのにだ。


「根本的な問題として、貴女の目的も手段も既に破綻しているからです。そうでなければ、私が破綻させます」


IR(イル)………まぁイルっ、橘花院士緒! お久しぶり! いつだったか殺されかけて以来ね。あの時あなたが“真ノ悪”と知っていたら、取り引きなんて有り得なかったのよ? もっと真剣に殺しあってあげたんだから。あなたに正体を隠させるなんて、ヘルメス(・・・・)ったらズルいわ! ほんと性悪ね」


「……あの方も、貴女にだけは言われたくないでしょうね」


 何でもなく会話が成立しているが、内実では殺伐としたものだ。お互いに相手をどう殺すかしか考えていないのだから。

 士緒は言わずもがな、これまでの遺恨と檸梨で“白面金毛”の計画を阻止できなかった事で。“白面金毛”はこれまで“真ノ悪”から計り知れない痛手を被り、辛酸を舐めさせられてきた事に対して。それぞれに相手が憎い。

 見た目ほどの穏やかさは、この二人の間には存在しなかった。


「さて……そのヘルメス様は貴女の命を御所望です。大人しくしていればすぐに排除しようとはしなかったでしょうに。それに先日のメッセージはお聞きになられたかと思いますが………」


「あっははは! やだわ、何を本気になっているの? ちょっと蛆虫を潰しただけなのに怒っちゃって、可愛い子たち」


 蛆虫とは石刀が拉致に失敗した仁科賢十郎の事。

 さらに、笑い声以上に不愉快な点は、爆発で吹っ飛ばした場所の地上で巻き添えになった少なくない一般人を指していることだ。

 五行家の主導で表向きガス漏れによる事故とされたが、仁科賢十郎と何らかの繋がりがあった“白面金毛”による隠蔽の一環だと、五郎左は承知していた。女の人形が自爆する直前の言葉は、演出家気取りで妙な拘りを持つ“白面金毛”の、ここ数年で使いだしたお気に入りの文句と知っていたのだから。

 そして、それが遂に五郎左を……“真ノ悪”を本気にさせる切っ掛けとなった。仁科賢十郎が“白面金毛”にとってどのように不利益な情報を持っていたのか、未だに興味は尽きていない。


「そーれーに。もう“真ノ悪”なんてどうでもいいの。見てっ、この世界を! わたしやったのっ、裏返してやったわ! 今度こそ泥梨(ないり)を作り出したんだから。“真ノ悪”でも、これは止められない………わたしを殺しても“裏返り”は加速するわ。どうしようもないのよ、キャハハハ! だからわたしの勝ちよヘルメスっ! そして五郎左衛門!! アッハハハハ!!!」


「ふ………くく………」


 “白面金毛”の笑い声に埋もれながら、士緒が小さく漏らした声。

 大声で笑いたいのを堪えているようなその声は、しかし“白面金毛”の耳に届いた。

 最高潮に昂っていた気分が、たったそれだけで急激に冷めていく。

 士緒の笑みは不敵で、不愉快で、不気味。高笑いどころか、表情すら浮かばない最低な気分へと“白面金毛”は落とされた。

 取り繕わずに認めるならば、不安と恐怖。それらを感じさせる程のプレッシャーがあるのだ。

 幾度となく辛酸を舐めさせられてきた経験から、“真ノ悪”という存在の怖さも厄介さも理解している。これがハッタリや、トラウマから来る考え過ぎでないとするなら、とても喜べる事態ではない。


「どうしました、今の内に笑っておけば良いでしょうに」


「あらぁ……余裕ぶっちゃって。ほんとは慌ててるんでしょ、どうしようか悩んでるんでしょ、落ち込んでるんでしょ? いいのよ悔しがって。子供みたいに泣いて、地団駄踏んで、周りの物にやつ当たりすればいいじゃない。ほらどうぞ! こんな何も無い世界で良ければ、いくらでも怒りをぶつけて構わないんだから!」


「くく……私から見れば貴女は実に滑稽です。自分に都合の良い現実だけを見て、勝った気でいるのだから」


「見えないの!? ねえ見えていないのっ、この泥梨が!? 現実が見えていないのは貴方よ……現実に無い世界を(・・・・・・・・)、私が顕現させたのよ? 認めなさいよっ、わたしの勝ちだって!」


「この結果(げんじつ)は、我々にとって夢幻となるでしょう。泥梨とやらは世界の誤差として修正が始まるまでの、束の間の仮初め………取り壊される予定の掘っ立て小屋です」


「………………」


「貴女には、さぞや立派な城に見えるのでしょうね。この………一時の吹き出物(イラプション)のような唾棄すべき世界が」


「………さっきから負け惜しみばっかり聞かされて、冷めちゃったわ。もう帰るわね」


 士緒の言葉を負け惜しみと断じ、興醒めだと吐き捨てて“白面金毛”は踵を返そうとする。

 ただ、言葉とは裏腹に、それは背中を見せて逃げる行為と同義だった。不安に駆られ、士緒と向かい合っていることに堪えられなくなったと認める事と同じなのだ。

 しかし、例え尻尾を巻いて逃げる相手だろうと、士緒は簡単には逃がさない。しっかりと結果を見せ付けて、伸びた鼻と心の一部でもへし折っておかないと気が済まなかった。


「まぁそう言わず。もう少し待てば、面白い物が見れますよ」


 士緒が現れたのと同じく、その時は唐突に訪れた。

 呼び止めるまでもなく、“白面金毛”はその瞬間が来た時に足を止めた事だろう。泥梨が塗り変わり、現世(うつしよ)を取り戻していく、その瞬間に。


「っ!? ………やってくれたわね、橘花院士緒。なるほど、修正(・・)……ね」


まず最初に在るべき姿を取り戻したのは空の色だ。続いて木々や建物などの街並み……この世ならざる光景は全てが無かった事となり、泥梨は現世に呑まれて消滅していく。


「ああ……その吠え面を見れただけでも、この街を走り回った甲斐があったというものです。言った通り、良い見せ物になりましたでしょう?」


「あら、そう………あなた街に居たの。例えそうでも、成功する自信あったのに」


 世界の修正……かつての街並み、色ある世界が士緒と“白面金毛”を覆っていく。泥が払われた青空の檸梨(ねいり)市だ。

 正しい世界(・・・・・)へと塗り変わり、ここでの会話が事実として残るかは分からない。それでも、これだけは言ってしまいたかった。


「貴女が勝つ未来は最初から存在しなかった。私と、私の未来(・・・・)の勝ちです」


「っっ……覚えてなさい。人間も、鬼も……全部わたしが救ってやる(・・・・・)から!! いつか絶対っ、憎たらしいヘルメスから五郎左衛門を取り戻して――――」


 世界の修正が二人を呑み込んだ。

 そこに在るのは所々で壊れた跡が垣間見える街。しかし、紛れもなく正しい歴史を辿る街の姿であった。



           ★



 相も変わらず汚泥に満ちた空。

 時間的には夜明けだというのに、白む空も夜の帳もそこには存在しない。泥が脈動するかの様に蠢き、尋常ではない不快感を見る者に与える……そんな空だ。

 時間の間隔さえ見失いそうな街にあって、それでも多くの住民たちはそれまでの習慣に従い生活している。さらにはこの異常にして超常の空間ですら、十日も過ごせば幾ばくかの慣れや適応を示す者も多い。

 “社”による民間人の精神面でのケアが安定した成果を出し、その働きの賜物として“凶堕ち”という狂気の現象も落ち着きを見せ始めた。

 若干1名、成果と反比例して心の有り様を崩しかけている少女もいるが、それを除けば大いに喜ばしい結果だろう。期せずして(・・・・・)、黒沼公浩の行動は多くの市民と“社”を救った形となる。

 仁科黎明も事態の収拾に動いているし、魂の器が壊れて“凶堕ち”と成り果てる程の絶望感は希望(アイドル)の登場により散らせる事が出来た。

 絶望が“凶堕ち”となる原因だと知るよしも無かった黒沼公浩の行いは偶然だったろうが、それでも檸梨市“社”支部長代理の久我山の心労は大きく軽減され、手放しで喜べる偶然だ。


 その日の早朝……久我山は暫くぶりに数時間単位の睡眠を取り、意気軒昂とも言える晴れやかな気分で、視察の形を取って九良名学園第二校にいる立役者たちに労いと感謝の言葉を述べようと訪れたのだが………

 良い流れをぶち壊す空気の読めない阿呆に台無しにされるのは予想外だった。


「朝っぱらから何の騒ぎだっ、仁科亮! 独楽石栄太!」


 数名の退魔師を引き連れて学園を訪れた久我山が校門にて出くわしたのは、よくある事と片付けられない険悪な場面。どう見ても一触即発な空気で向かい合う学園生たちと仁科亮の護衛たちだ。

 久我山も学園生を全員把握しているわけではないため、この場を仕切っている人物の心当たりとして栄太に状況の説明を求めていた。


「何でもねぇよ。ちょいと血の気が多い奴が血迷いそうになってるだけだ」


 見ると、仁科亮に対して敵意を剥き出しているのは栄太ではなく、栄太を囲む他の生徒たちだ。主に風紀委員の犬塚戌孝を先頭にして。

 戌孝は能力面では平均的だが、普段は誰よりも温厚で心優しく、何事にも動じない冷静さを持った学生であると久我山は記憶していた。

 しかし目の前の戌孝は久我山の記憶とは大分印象が違う。なにせ目を血走らせている他の生徒たちと比べても、憤怒の形相で戌孝が発している怒気は特に激しく荒々しい。別人と言われても納得できるほどに。

 仁科亮が醜悪で不愉快極まる俗物だと知ってはいたが、戌孝をここまで激昂させるとは余程の真似をしたのだろう。

 とはいえ、個人的には仁科亮に肩入れする気など更々無いが、久我山も一応は公平に場を収めなければならない立場だ。

 とにかく落ち着かせなければ話にもならない。風紀委員たちと仁科亮の間に入る形で戌孝に顔を向ける。


「いったい何事だ。殺し合いを始める前に説明してくれないか?」


「………………」


 戌孝はと言うと、久我山が問い掛けても仁科亮を睨み続けていて話が出来そうにない。

 見かねた栄太が、まるで他人事のように説明を入れる。


「教祖様によると、俺は人を殺して喜ぶ人格破綻者なんだと」


 それは仁科亮が独楽石栄太に謂われの無い(そし)りを行った事で、戌孝が憤ったという訳か。

 自分ではなく友達を貶められた事に腹を立てる戌孝に加勢してやりたい所だが………

 栄太が檸梨に追いやられた際、外部から入ってくる不審の者や訳有りの人物などは可能な限り“社”が調査を行う。調査の結果、栄太の事情をある程度まで把握した久我山としては、ただの中傷だと切って捨てることの出来ない言葉であった。


「ま、半分ぐらいは間違っちゃいないがな」


「いいや間違ってる! 栄太はクズなんかじゃないっ!」


 栄太本人は至って冷静だと言うのに、戌孝を先頭にした友人たちの方が熱くなり過ぎている。

 久我山が調査で知り得た独楽石栄太は確かに責められても仕方のないような人物だった。

 だからこその驚き。同時に、ここまで生徒たちに慕われている事実は素直な称賛に足るものだとも思う。


「犬塚くん、彼はクズだよ……クズなんだよ! 彼は自分の付き人二人を殺して喜ぶようなクズだ! そんなやつに付き従っている君たちも憐れでならないよ。今からでも遅くない……僕の下に付くというのなら、今までの無礼は水に流して――――」


「黙れよ!!」


 仁科亮の暴言、そして妄言に対して戌孝の一喝。

 周りの生徒たちもそれに追随して声を上げる。

 だが、怒りのボルテージが否応なく上がっていく状況に反して当事者たる栄太は実に落ち着いたものだ。少なくとも、溜め息を溢して周りに落ち着くよう促しているくらいには。


「栄太の事を何も知らないくせに、よくもそんなデタラメを――――」


「僕に言わせれば知らないのは君たちの方だ。どうせ詳しくは聞いてないんだろう? 彼が前に居た場所で何をやらかしたのか」


「っ……………」


 感情のままに怒鳴り散らしてしまいたい所だが、肩にポンと置かれた大きな手の感触が戌孝に辛うじて冷静さを取り戻させた。


「………ほぉら、何も言えない。無理も無い……彼は本当の自分を隠して君たちを騙していたんだからね。彼は“真ノ悪”の手先となり、ちっぽけな力を手に入れるために己の従者二人をその手で殺しただけでは飽き足らず、学園の要人(・・)まで手に掛けようとしたんだよ」


 (――――!? あの馬鹿がっ)


 久我山は呆れを通り越して、いよいよ看過できないものとなった仁科亮の発言に怒りを覚える。立場的に公平でも中立でもいられない公式な案件として。

 学園の要人とは生徒会長の三王山梓の事だろうが、これまでの話を有り得ない程に誇張した事は百歩譲って無視しよう。

 しかし、“真ノ悪”の部分は見過ごせない。それは情報自体が機密扱いとなっているものだからだ。

 だからこそ独楽石栄太も詳しく語らなかった。いや、語れなかった。

 協会側からしっかりと口止めがされていたのだから。

 未だ幹部会議でも推測の域を出ないが、橘花院士緒が“真ノ悪”と繋がっているという情報。それは、とてもではないが学生の前で語って良いものではない。“真ノ悪”とは、そもそも存在自体が公開できないような連中だ。

 その気になれば退魔師協会はおろか、下手をしたら世界中の退魔師組織が束になっても消し飛ばしかねない強大な敵の名前など、末端まで知らせても良い事があろう筈も無し。実際のところ、“真ノ悪”の名前が噂話や都市伝説レベルに留まっているのは幸運でもある。

 それをあの馬鹿は………末端とも言えない退魔師の卵たちの前で。


 故に、ここで久我山が介入するのは職務の一環だ。

 機密保持の何たるかを知らない大馬鹿者に、“社”への出頭を命じるという仕事の。


「仁科亮、喋り過ぎだ。貴様は協会の機密情報の漏洩を行った。“社”支部長代理の権限で出頭を命じる。これに背く場合は捕縛の後、最大無期限の拘束もあり得る。機密へとアクセスする権利を持たない貴様がどうやって情報を得たのか、じっくり聞かせてもらおうか」


 久我山の毅然とした態度での言葉に、忌々しげな視線を向ける仁科亮。

 だが、それもすぐに不敵な笑みへと変わった。


「今、出頭と言いましたか? いいでしょう。ですが出頭(・・)では即座に強制力が働くことはありませんね。協会の規則によると、召喚に必要な文書に纏めた後、僕がそちらに顔を出すまで三日は猶予が有りますか」


「っ!」


「さらに言えば、僕は協会に所属する正式な退魔師ではないので、支部長代理……貴方が僕を今すぐに連行するには組織外の人間に向けた召喚令状が必要です。あるいは緊急執行という形で捕縛するしかありませんが、機密レベルがそこそこの情報漏洩では………貴方の権限では無理があるでしょう」


「………………」


 仁科亮は規則を細かく把握している。それを利用し、逆手に取るだけの悪知恵に関しても、本来こういった仕事からは距離を置いていた久我山よりも上手だ。

 現状では仕方なく支部長代理などという位地に居るが、元より規則を用いた舌戦などには気質的に向いていない。

 だから今のように逆手に取られる。ルールを振りかざした以上、自らもルールに縛られなければならないのだ。

 慣れない事をしてないで、さっさとふん縛って置けば良かったと、今更ながらに後悔していた。


「そもそも、この街の有り様を見たらどうです!? 社会から孤立した地獄で“社”に従う理由も、従わせる強制力も無い。ここで自由を得るために物を言うのは確固たる力だ。僕はこの街で、それを手に入れたんだ!」


 今、“社”と全面的にぶつかれば、仁科亮もただで済む筈がない。事態が終息した後には確実に破滅が待っているだろう。

 この愚か者は……どこまで本気でほざいているのか。度しがたいにも程がある………誰もが思ったその時だった。


「ふ……家柄を笠に着て無理矢理に人を従えている方が言うと、説得力がありますね」


 嘲りと軽蔑の気配を隠そうともせずにさらっと言い放った学園生に、その場にいる全員の視線が集まっていた。

 ヒートアップしていた戌孝たちの数歩後ろで冷静に状況を見守っていた黒沼公浩へと。


「君は?」


「さて………確固たる力とやらで吐かせてみたらどうです?」


 鬼、“凶堕ち”などの存在と並べて見たとしても、彼ほどに人を食った(・・・・・)人間はいないだろう。

 少なくとも、仁科亮の神経を逆撫でする事に関しては天才としか思えない。ニヤリとワラうその笑みは、明確な見下しの表れだった。


「仁科亮……特技は誇大妄想か虚言癖とかですか? 貴方が言っている独楽石君が殺したという人たちが、後の調査で独楽石家の人形だと分かっています。憑依のフィードバックで目覚めていないのは事実ですが、厳密には殺したとは言えません」


「……………!」


 仁科亮との会話でささくれた戌孝の感情が、公浩の言葉で僅かに平穏を取り戻した。本人の口からもその事実を聞こうと、栄太に期待と信頼のこもった視線で問い掛ける。


「事実だ。もちろん、それが言い訳になるとは思ってないがな」


「ちっ………だけど、彼がその事を知ったのは全てが終わってからだ。事実として、彼は殺すつもりでやった。はっ! とんだ異常者だ! 人を殺しておいて平然としているなんてさ。善人のふりをして、のうのうと学園生活を楽しんで………どうかしてるよ。君たちも、いい加減に目を覚ましたらどうだい?」


「――――ッッ!! お前がっ、それを言うのか!!」


 学園の教員を殺しておいて。その上さらに、人間同士の足の引っ張りあいを助長しているような奴が。

 戌孝は仁科亮に飛び掛かろうとしていた。


「止せ戌孝! これは俺の問題だ」


 戌孝はキレていた。栄太が肩を掴んで止めなければ、間違いなく学園を巻き込む殺し合いに発展していた事だろう。


 今日まで、戦力集めが自分の思うように進まない事に業を煮やしてきた仁科亮は、ついに乱心したと言って良い。学園から人材を引き抜く事は諦め、争いのための大義を作ろうとしたのだ。

 学園側から手を出した。だから反撃して、勢い余って皆殺し(・・・)にしてしまったとしても、“社”から責められる謂われは無い、と。

 栄太を含めた勘の良い者は、この時点で仁科亮の狂った考えを感じ取っていた。


 街の異変から十日余り。

 元よりまともな思考をしていないとは思っていたが、あるいは仁科亮こそが、この街を覆う結界に狂わされた人間なのかもしれない。

 仁科の権力を甘受するだけであった亮。優越感、選民思想、支配欲求、そして野望………それらに従っただけなのか、虐げてきた者たちから復讐される事を恐れたが故なのか。結界が顕れた日から、その行いはより過激さを増した。

 なんであれ身勝手な振舞いに同情の余地は無し。害悪そのものと化している仁科亮に、かつての自分が重なる栄太をしても、憐憫より怒りが勝る程だ。

 本気で学園にいる人々を守るのなら、出来ればこの男とはこの場で決着を付けるべきではないかとも考えていた。


「あいつだけはっ………絶対に許せない!」


「同感だが……今やり合えばあの野郎、中の連中も巻き込んでくるぞ。相手にするな」


「彼の言う通りだよ犬塚君」


 栄太に続いて公浩も冷静に諭そうとする。

 どう足掻いても収まらないこの状況。しかし何を思ってか、どう落ちを付けるつもりなのか、前に進み出たのは戌孝を止めていた公浩であった。


「こんなのは安い挑発さ」


 一見してニコやかなままに公浩は歩み寄って行く。当然、護衛の退魔師二人は迂闊に近寄らせないように行く手を阻むが、こちらも当然の如く二人の間をすり抜ける。

 その動きに学生とは思えない技量を見た二人は驚愕の色に顔を染めていた。

 公浩はそんな二人には興味を示さず、呆気に取られている仁科亮の前に立つ。


「な、なんだ? なんのつも――――ぶばっ!!??」


 拳が顔面にめり込む瞬間の音を心地よいと感じる人間は少数派だと信じたい所だが、この時だけは音を聞いたほぼ全員が気分を良くした事だろう。

 すぐには事態が飲み込めずに混乱していた者も、この光景を思い返せば爽快に違いない。


 仁科亮はろくに受け身も取れず、学園の塀沿いに舗装された地面を派手にバウンドして転がっていった。

 高級な背広とコート、そして何よりも顔面がズタボロで見る影も無い状態になって漸くバウンドを止める。

 仁科亮の鼻を本当の意味でへし折った公浩はと言うと、実に平然とした笑顔で、しかし全く笑っていない目で言った。



「君が相手をする事もない。なので………僕が相手です」



 これから始まる面倒を考えて、“社”支部長代理の久我山は頭痛を堪えるように額を押さえ、顔を俯かせる。

 しかしながら、盛大に笑い出さないよう我慢している事実を隠す方が頭痛を堪えるよりも余程、困難ではあった。



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