第95話 泥の街 七日目~
短めです。
檸梨市、工業地区。
人の気は無し。工場の機械類も稼動しておらず、まるで鉄骨とパイプだけで組まれたような、静寂と無機質が支配する世界が続いている。
その敷地の一角……先日に九良名学園第三校の生徒会メンバーたちによる激しい戦闘が行われたらしき場所。
その場所にて黒沼公浩と、“規格外”こと犬塚戌孝による実戦に近い組手……模擬戦が行われているところだ。
一帯の建物の内外を縦横無尽に駆け、汚泥の空に交差しては光の筋を引く二つの影。通力で強度を上げた一対の木刀を巧みに操る戌孝と、主に身体強化と体術で攻防を行う公浩だが、自らの固有秘術が有する超級の性能を理解している戌孝は、しかしそれだけに自分の未熟さを強かに突き付けられたのである。
正直なところ、戌孝はこの模擬戦で公浩の度肝を抜けるだろうと内心で期待していた。固有秘術を使った今の状態なら自分の方が強いのだと自負を抱いて。そんな優越感が少しも無かったと言えば嘘になる。
ところが、かつて自分に強さの基礎を与えてくれた先輩は、そんな自分の過信を真正面から打ちのめしてくれた。
驕りや油断など無いつもりでいたが、紙一重とはいえ模擬戦で膝を突いているのが戌孝であるという事実が、否応無く自分の甘さを証明しているのだ。
固有秘術で桁違いに強化されている筈の防御を抜いて、公浩の渾身の一撃が戌孝に通った。近接戦闘に持ち込んだのは戌孝の方であるにも関わらず、多少のダメージと引き換えに決定的なカウンターが戌孝の腹部に突き刺さるという形で。
「かはっ――――!!」
固有秘術を得た日から、おおよそ初めて受けたであろう痛烈なダメージ。想定を上回る苦痛が戌孝の酸素を奪い、次の瞬間には数秒ほど呼吸を止めさせるに至った。
ただ当然と言うべきか、公浩とて容易く痛打を決めた訳ではない。一息ついて呼吸を整え、骨が折れたりヒビが入ったりしている箇所に治癒の顕を施している。
これは互いの能力に関する手持ちの情報で付いた差だ。“規格外”の戦闘スタイルを把握し、ある程度を経験差で封殺可能だった公浩と、公浩の戦い方について一切の情報を持たない戌孝では、元々からして公平さを欠くというもの。
だがそれでも、この狂った街において戌孝がつまらない死に方をしないためにも、この敗北は必要だったと士緒は考える。我ながらお人好しが過ぎると自嘲するが、無駄に死なせるには惜しい人材なのも確か。
この件が終わってから戌孝が“真ノ悪”の敵として立ち塞がるならそれも良し。いくらでも対処してみせよう。
今さら山本五郎左衛門の脅威となり得るものなど無く、そんなものは自分がいる限り許す筈が無いのだから。
「ふぅ………いてて、って感じかな」
怪我を負った箇所をさすり、痛みから苦い笑みを戌孝へと向けている。
戌孝はそんな余裕そうな公浩に対するショックで苦笑を浮かべる始末だが。
「固有秘術を十全に使われていたら、膝を突いていたのは僕だったろうね」
「はぁ……は―――ごほっ、ごほ……はは……どうでしょう………僕としては、戦い方の改善点がいくらでもあると……げほっ………指摘されている気がしてなりませんが」
「能力に制限を掛けていない実戦でなら、そんなものは些末な事だよ。話を聞く限り、技術の不足を補って余りある性能みたいだし。まぁ、夜間でなくてもそれなりに戦えるようになりたいのなら、僕もアドバイスぐらいは出来ると思うけど」
前の時もそんな事を言っていましたねと、戌孝が笑う。
戌孝の固有秘術は夜間に強さが上昇するという、たったそれだけの能力とは一線を画す。それこそ、“測定不能級”固有秘術……佐東市花の“夕立暴走乙女”と同等と言える程に。
しかも戌孝のそれは、使いこなす事で今後の発展の余地が多く残されているようだ。
市花の“夕立暴走乙女”は自らの価値観を周囲に反映させ、世界を自分色に塗り替え改変してしまう能力。
一方、戌孝の固有秘術はその逆で、世界に元々存在する基準の最も高い位置まで自分を引き上げるものだと士緒は分析している。無理矢理に説明をするとしたなら、世界に強いるのではなく、接続術式のように世界に刻まれた強さの最高地点に自分を合わせると言ったところか。
市花の固有秘術が暴君のそれとするなら、戌孝のそれは王に従う騎士の精神に近いかもしれない。
さらに言えば、特権を行使できる騎士……夜の寵愛を受けた特別な騎士だ。
「剣が届く範囲なら何でも出来る。転移でも絶対防御でも、認識と思考が及ぶ限りにおいて不可能が無いとはね。そんな飛びきりの反則があれば、半端な戦術を覚える必要があるかは微妙かな」
公浩はニコニコと機嫌良さそうに手を差し出して戌孝が立ち上がるのを手助けする。
実を言うと、いまだ引く様子の無い鈍痛が残っていて立つのは辛いのだが、公浩はその辺りは意外とスパルタだった。このくらいは慣れておけと、暗に言っているのだろう。
何かの顕術を使ったのか、ただの打撃とは違う後を引く痛み。第一校で受けたイジメという名の暴行の経験から、こういった苦痛には耐性があると思っていたのだが、公浩からの洗礼はそんなものとは比べ物にならなかった。
そのおかげで自分の無意識下にあった過信に早い段階で気付き、引き締める事が出来たのだから、公浩には感謝しかない。
「戦い方は一つでも多く覚えて損はないですから。是非とも教えてください」
「ふむ………じゃあ、ある程度なら。今はそれ以外にやれる事も少ないし」
戌孝が自分よりも経験豊富な退魔師の助力を必要とした最たる理由は、自らの知識面の貧弱さを補いたかったからだ。事態に際し何の手も打てず、指針も立てられないのはそのせいだと確信した上で。
その点では公浩は文句無しに能力が高い。一学年しか違わないとは思えない程に頼もしく、舌を巻く知識もレクチャーしてくれる。
しかし、そんな紛れもなく天才と称せる公浩でさえ、やれる事は殆ど無いと言う。今、自分たちに出来る事は、状況に僅かでも変化が表れるまで備える事だと。
聞けば世界最強の退魔師もこの街に来ているとか。神崎紫瞬が街の何処かにいる事を考えれば、“社”側の戦力だけならこれ以上の安心感は無いと言って良い。
だが、それだけでは未だ問題を解決するに至らないのが、この街を襲う災害の厄介な所だ。あるいは敵を排除すれば解決できる問題なのかもしれないが、肝心要の排除する相手が見つからないのだから。
「けどまぁ、幸いと言うべきか街の人々を助けるためのお仕事……そのお手伝いが残っているから、今のところは忙しくしていられるよ」
「あ~……あの話ですか。本当にやるんですか? 生徒会長、泣いてましたけど………」
「準備と調整が終わり次第すぐにね。“社”も全面的に協力してくれるってさ。支部長代理が話の通じる人で幸運だったよ」
「会長……お父さんが躊躇無く自分を売った事に絶望してましたね」
「街の異変が収まるまでの間だし、辛抱してもらおう。生け贄の少女は身を投げ、やがて人々の希望の女神と相成りて穢れし地上に降臨せん………なんて」
………………………
(栄太が言っていたのとは違うけど、けっこう怖い人なのかも………)
計画を聞いた時、誰もが久我山絢里に強く同情を覚えた。
しかし、涙目で周囲に救いを求める彼女の視線からは、あっさりと目を逸らしたのである。
世界を穿つ災禍まで
あと7日
★
檸梨の街が地獄に変わってから十日。
絢里が地獄の中の、さらなる魔境へと叩き落とされてから三日が過ぎた。
ああ、分かっているさ。元はと言えば自分の軽率な行動のせいだ。納得は未だ出来る気がしないが……償いはしよう。
例え、生まれてから一度も歯医者にかかった事が無い男の、歯の詰め物がふっ飛んだと圧力を掛けられた結果だとしてもだ。事実として彼を殴ってしまった事は負い目であると認めよう。
さらには罰から逃れようとした自分が自爆して借金を上乗せしただけだという事も………ああ、認めるとも。
でもだからって、これはあんまりではないだろうか?
イヤだと言ったのに。ヤメテと言ったのに。聞き入れてくれない。
父親は寝不足でラリった頭で悪魔の甘言に乗って私を売った。兄は腹筋が崩壊するほど爆笑して私を売った。
絶対失敗する、恥をかいて笑い者になるだけだ。そう説得してみたが、悪魔が聞く耳を持つ筈もなし。
そして今にいたる。
一見して頭のおかしい作戦はしかし、忌々しい事に成功してしまった。これで絶望した市民が“凶堕ち”と化す事案は減少するはずだと、“社”は大いに期待して。
成功している以上、止めたいと言ってもそりゃ誰も聞かないだろうさ。
そこは檸梨市内にある自然公園。その中でも開けた場所。
自分がしている事を見ると泣けてくる。無駄にヒラヒラした可愛い装い……スポットライトに映えるようなキラキラのアイドル衣装だ。癖の強いウェーブの髪はなんとツインテールに括られ、疲労感と悲壮感が浮かぶ表情を隠す軽いメイクまで施されて。そして“社”の全面的なバックアップのもと特設されたステージに立ち、マイク片手に普段より気持ち高めのトーンで声を張り上げて観客たちを元気づけているのだから。
「おまえたちーーー!! 生き抜いているかーーー!!!」
『『『生きてまーーーす!!』』』
久我山絢里改め、戦って踊れるアイドルこと『あやりん』の掛け声に、腹の底から全力で応える大歓声。“社”の管理が行き届いている一部地域に至っては中継までされるという大がかりなイベントの様相である。
未だ駆け出したばかりでミスらしいミスも無く、何も起こらなければこの調子を維持できると思われる順調な滑り出し。しかし、そもそも絢里はアイドルの知識はおろか、若者の間で流行りの歌にも疎く、ダンスなどにも殆ど触れた事が無い完全な素人。なので基礎知識とお約束事、キャラ作り、それから歌と振り付けなどは公浩と……何故か色々と知識が豊富な兄の竜胆プロデュースだ。
不幸中の幸いと言えるかは分からないが、歌やパフォーマンスに関してはそこそこの水準で披露できていた。体力と運動神経は良い方だし、いざとなれば通力を使ったトンデモ現象で如何ようにも誤魔化しが利くのも救いだろう。
極限の状況下で街ごと孤立している市民たちは娯楽に飢えていたのか、絢里の拙い公演でもかなりの熱狂ぶりだ。
広場の周辺は退魔師が万全に固めており、下手な家屋に籠るよりも安全な場所であるという事も影響していた。
「おまえたちーーー!! 希望を持ってるかーーーー!!!」
『『『持ってまーーーす!!』』』
「おまえたちの希望の名は!!」
『『『あやりーーーーーん!!!』』』
付け焼き刃の特訓と調整を終えて速攻のお披露目を行ってから二日目とは思えない一体感。
人々にとって冗談でも何でもなく、『あやりん』は希望の星に映ったのだろう。初日のパフォーマンスとして、公浩と戌孝がありったけの“響きの呼び符”で誘きだした10メートル強の獣型……禍々しい熊の形をした鬼を『あやりん』がマイクスタンド―――得物の九節棍を改造したもの―――を華麗に振るってド派手に薙ぎ払う光景を見れば、これまで退魔師の世界と無縁だった人々が魅了されるのも当然と言えた。
ちなみに巨大熊の鬼は上一級ではあったが、大きさの割には見かけ倒しの強さだ。
パフォーマンスに手頃な鬼を見繕って“社”に提供すれば、後は支部長代理が上手く手筈を整えるだろうと考えてのお膳立て。戌孝には明かしていないが、こうもあっさりと手頃な鬼を見付ける事ができたのは輝真の情報があればこそではあったが。
そこからはもう電光石火の急転直下。あれよあれよと絢里の偶像化が進んでしまい、気が付けば後戻りも軌道修正も不可能な域にまで追い込まれていたのである。
落ちるところまで落ちる? 生ぬるい。地の底に落ちたと思ったら、次はスコップを渡されて自ら穴を掘れと言われたのだぞ?
穴があったら入りたい。決して、掘るのではなくて………
「よーーーしっ!! まだまだ元気の足りないおまえたちを、私の歌で励ましてやる! 最初のタイトルは――――」
笑顔を向けつつ、心で泣くアイドル。
結果は上々、歌はそこそこだった。
世界を穿つ災禍まで
あと4日
★
檸梨市、仁科の邸宅。
仁科とはいえ、分家の持ち家としては破格の豪邸である。これは元“相談役”、仁科 千豊が莫大な私金を投じて作らせた洋館だ。
外観はありふれた、と言って良いのか、ゴシック様式。内装も基本的には同様となっている。
仁科千豊が有り余る権力と私財を何に費やしたのか。
それは退魔師としては、ある意味では当然の備え。しかし極度の人間不信と被害妄想の果てに、家のいたる所に術式を設置し、『大部屋』による空間拡張や防衛機構をこれでもかと、いっそ過剰なまでに組み込んだ城塞……あるいは迷宮とも呼べる代物を作り出してしまうのは幾らなんでも、といったところ。
この館は仁科千豊という男の狂気の産物なのだ。
現在。この館を実質的に使用しているのは千豊の実子である仁科亮。
全員が身を隠している元“相談役”の一人、仁科千豊が潜伏する場所と言うのなら誰もがこの館を疑うだろう。実際、“真ノ悪”がその行方を追う際、真っ先にこの館を調べた程。その結果、この館……それどころかこの街には、仁科千豊の存在を確認できなかったのだが。
しかし結果に反して、仁科千豊はこの街に潜んでいると判った。当の本人と他の元“相談役”以外に知り得ない事実を、橘花院士緒は突き止めたのだ。
仁科亮は千豊がこの街に居る事を知らない。それは同時に、自分が千豊と“真ノ悪”の間でふんぞり反っている危うさにも、気づいていない事を意味していた。
今となっては実父の行方などには興味の無い仁科亮は、千豊から譲り受けたと思っている館にて、能面のような笑みを貼り付けながら苛立ちを募らせていた。
街は凄惨を極める状況だというのに、不必要な程に長いテーブルで豪華なディナーを食して。それも何が気に入らないのか、少量を口にしてはさっさと料理を下げさせている。
人が見たら呪いを吐き出す程の贅沢三昧。この光景を見ていながら亮に付き従う者たちは、ともすれば亮本人よりも異常な者たちだ。
彼らを見る周りの人間も、まさか大喜びで尽くしている訳ではないだろうとは思っている。しかしそれでも、“社”でまっとうに働いている者からは冷たい目を向けられ、背中を見せれば堂々と後ろ指を指される日々。当然ではあるが、彼ら使用人たちも好きで亮の手下に身をやつしている訳ではない。
今も、自分の思い通りに動かない街の連中に苛立ち、メイドへの暴力という形で理不尽な怒りを発散させている。容赦なく殴り付けられた末、気絶して動かなくなったメイドを亮の寝室へと運ばせ、倒錯した趣味のために亮は食堂を後にした。
ガチャンと扉が閉まる小さな音と数人の使用人だけが残された食堂では、人間のクズが食べ残した料理を片付ける屈辱的な作業が待っている。
正規の使用人以外にも、ここには退魔師の技能をもった戦力としての人材が多い。そんな彼らに言わせれば、プロの使用人たちのなんと立派な事か。よくあんな奴の下で嫌な顔をせずに働けるものだ、と。それも自分らよりも遥かに長い期間をだ。
使用人としてのプロ意識に欠ける退魔師上がりの男が、そんな恨み辛みを、ふと溢していた。
「くそっ! 『呪い』さえ無ければ、あんな野郎に――――」
「止せっ。愚痴ったところで何も変わらない。今はどうしようもない事だ」
壁に耳あり……それはこの館では比喩でも何でもない。下手な会話は筒抜けになる。
その場にいる他の使用人たちもプロを含めて全員が同じ気持ちということもあり、彼らから告げ口される心配はない。だがそれでも、滅多な発言は愚痴であろうと聞きたくはないのだ。
荒んだ心持ちで自分を抑え込み、男は黙して仕事に戻った。
それを諌めたもう一人も食器を下げていく。その口元に一瞬だけ不敵な笑みを浮かべて。
「ま、長くは続かないさ」
「?」
その小さな呟きを隣にいた男以外、誰も聞き取る事はなかった。




