第88話 一方その頃
その日、仁科黎明所有の巡洋艦にて、ケイトは聖堂騎士序列10位、リサ・ハロルドとの戦闘訓練を行っていた。
その時の戦闘訓練は“神託”を使わない体術、剣を使用した剣術を鍛えるものだった。
退魔師よりも身体強化などの面で及ばない祓魔師だ。この手の訓練は悪魔よりも対人を想定したものとなる。
敵は異形の化物だけではない。人の形をした悪魔もいるし、そのまま人を相手にする場合もある。
例えばそういう悪魔や退魔師と戦っても、所詮は人間の膂力の域を出ない祓魔師では役に立つ場面も殆ど無い。だが、“神託”は汎用性が長所の武器で、使うだけなら誰でも使える……そんな武器を使いこなせるようになってしまえば、後は己を鍛えるぐらいしかする事が無くなるのだ。
極論を言えば、祓魔師の強さは“神託”に依存する。
“聖堂騎士”はその中でも、使用に適正が必要な“神託”を扱える者たちの事。有用性を抜きにすれば、戦闘に適さない“神託”に適合した“聖堂騎士”などは祓魔師よりも戦闘力が劣る場合もあるのだ。
一般の祓魔師だからと、一概に“聖堂騎士”への劣等感を抱く事ばかりではない。故にケイトも祓魔師として、強さの上を目指すために日々訓練を欠かしていなかった。
『あたっ! いった~~い………もお、ケイトぉ、強く叩きすぎ~~』
ケイトの刃引きされた剣がリサの手首を強かに打ちすえる。
リサが剣を地面に落とし、痛みに手をさすりながら蹲った。
『やっぱリサは剣術ダメねー。それでよく“聖堂騎士”なんてやってられるわね』
『私は他が優れてるからいいのよ。1000メートルの狙撃だったら私以上に優秀な人はいないし?』
『というより1000メートルでしか役に立たないんでしょ。せめてその前後200で同じパフォーマンスが発揮できればね………』
『仕方ないでしょ、そういう“神託”なんだから。それにそんな事が出来てたら今頃カールと序列を争ってたんじゃないかしら』
『……それもどうかしら。兄さんは優しいから、たまに標的を見逃しちゃったりしてたし。そんな命令違反さえなければ絶対に一番よ』
『いやー……流石にカールでもミルディンより上は無理よ。任務の成績だけならあるいはと思うけど、ミルディンは戦略級の抑止力で、“大聖堂”の切り札だから。戦って勝てないとは言わないけど、カールとじゃ人材としての価値が違う。命令を聞かないようじゃ尚更ね』
『でも………兄さんはいつか“大聖堂”のトップになるんだから! 教皇にはなれないけど、それでも“大聖堂”って組織を変えるって信じてる。そもそも、組織そのものが古くて凝り固まってるから。だからレイがちょちょいって創った組織に抜かれるのよ』
『はぁ……お子ちゃまなんだから。でも、そう言われるとレイって結構凄いわね。前に平然とカールを勧誘しようとしてたし。出来れば先に私を勧誘してほしかったけど………そういうアグレッシブなとこも素敵よねー』
『そうね、そういう所も……………はっ! 違くて! そうじゃなくて、何にしても兄さんは“大聖堂”には絶対に必要な人だからっ。レイに引き抜かれたら困るわよ!?』
『まあね。レイもあわよくばって感じだったろうし、カールもハッキリ断ってたから。カールが凄い奴だってことは誰も疑わないわよ』
『当然よ!』
ケイトが自慢げに胸を反らす。
ケイトにとってカール・デア・グローセは誇りだった。いつか兄を支える立場になりたい、背中を守れるほど強くなりたい。そう願って止まなかった。
最近は会える時間もあまり無いけど、会う度に自分の努力を褒めてくれる。黎明には時々「いつうちの妹を嫁にするんだい?」などと日本語で尋ねていたが、日本語を勉強中のケイトには二人がどんな会話をしていたのか分かっていない。黎明と出会ってからの、そんな生活が大好きだった。
その関係を続けるためにも、兄と黎明と自分………3人で家族として過ごす夢のためにも、もっと頑張らねば。
兄に恥じない強さはまだまだ遠いが、いずれはと夢に見ながら精進するのは決して無駄にならない……と、黎明から背中を押されたのだ。
ちょうどその時、甲板に現れた黎明を見て、そんな自分を改めて決意できた。
反射的にニヤけそうになる口元を隠し、精一杯そっけ無い態度―――をしているつもり―――で黎明を迎える。後にメリザンドがケイトをツンデレと称したのが仲間内で広がる事になった。
『何よレイ。今リサをイジメて楽しい所なのに』
『ちょっと! さっきの打ち込みちゃんと手加減してたんでしょうね!?』
ケイトとリサは仲が良い方だ。リサはこれで世話焼きだし、ケイトなどは若さもあってか世話を焼くのに事欠かない程度には危なっかしい。
気の合う二人がじゃれ合う光景は黎明も嫌いではないのだが、その時はそんな二人を見ても楽しいと思える心境ではなかった。
暗く沈んだ様子で二人の前に立つ黎明を見て、ケイトもリサも事の深刻さを理解した。
『何があったの?』
リサが真剣な声音で黎明に尋ねる。
ケイトもしっかりと聞く態勢を取って次の言葉を待っていた。
『ケイト。落ち着いて聞いてくれ』
『………?』
自分へと向けられた言葉。まるで初めて聞く知らない人間の声のような黎明の声音。
それは懺悔のような、沈痛で見ていられないものだった。
黎明のあまりにも辛そうな顔。目を逸らすべきではないと思いながらも、あと数秒その状態が続いていれば、きっと堪えられずに顔を背けていたかもしれない。
しかしそうなる前に、黎明は自身にとっても残酷な話を語った。
『………カールが死んだ』
その言葉を疑うことはなかった。
黎明の顔を見れば分かる。
その現実から逃げる事もしない。
しかし、だからこそ、その瞬間ケイトの目の前に広がった現実は残酷に過ぎた。
視界の限りに真っ白な世界が広がる………それがケイトの現実だった。
★
『もう、一瞬でも現実から全てが無くなるなんて嫌なの! あの時もレイやタマがいたから私は壊れずに済んだ………私が知ってるタマはこんな事しない!』
自分勝手な願望と思い込み。
根拠にもならないし、理屈の体も成していない。子供が駄々を捏ねているだけとも言えた。
ケイトがどれほど親しいかは知らないが、少なくとも士緒の知る“白面金毛”の本性は彼女の感じている印象とはかけ離れているようだ。
あの阿婆擦れの思想……妄想とも言えるイカれた目的を思うと、とてもではないがケイトには共感できない。
だからと言うべきか、士緒のケイトへの口調や態度に険しいものが表れるのは当然の反応なのだろう。
『貴女の知らない一面があっただけの話でしょう。と言うより、貴女は“白面金毛”の何を知っているんですか?』
『っ………、私が辛い時励ましてくれた! 特訓に付き合ってくれた! 一緒に笑ったり、泣いてくれたっ! 優しい人なのっ!』
「………ふ」
『ッ!!??』
ケイトは衝撃を受けたように呼吸が止まり、怒りに言葉を失った。
鼻で笑われた。
ケイトの人を信じる想いを、正面から嘲笑ったのだ。
竜胆もその様子を見ていて、穏やかではない空気を感じている。少し話しただけだが、黒沼公浩がこのような挑発的な態度を取るというのには少なからず意外だった。
『優しい人なら凶悪犯の中にだって2、3人はいるんじゃないですかね。そもそも、“教会”は人間に友好的かどうかに関わらず鬼や悪魔の類を一切認めていませんよね? 教義が変わったのでしょうか。『汝、隣人の家に住む悪魔も愛せ』……とでも?』
『“大聖堂”の考え方はまだまだ古いわ………でもっ、レイと行動するようになってから色んな人に会って、考え方も変わった。“悪魔”とか“鬼”とか、悪い奴ばかりじゃなかったのよ!』
『そんな事は当然です。“鬼”だろうと“悪魔”だろうと、中には解り合える者だっている。僕にとっては今更な話ですよ』
『………っ、な、なら――――』
『しかし、僕は“白面金毛”がその限りであるとは思いません。この眼で、アレが行った非道を見たからです。それに………』
『――――っ!?』
公浩は徐にケイトへと距離を詰め、気圧されるように一歩退いたケイトの心臓に『光剣』を突きつけた。
竜胆たちもその行動に焦りつつも、何時でも飛び出せるように構えて何事かを見守っている。
『悪くて信用できないという点では、どちらかと言えば人間の方が適当でしょう』
『あんた………どういう――――』
公浩は腕を伸ばす形でケイトに『光剣』を突きつけている。このままの体勢なら『光剣』がケイトを害する事は無い。
しかし、次の瞬間には公浩の足は一歩踏み出されていた。
『――――っ!?』
この間合いで公浩が『光剣』を突き出せば間違いなくケイトの心臓を貫く。
流れるような鮮やかな動作。ケイトはおろか、竜胆たちですら気付くのが遅れた。
そして、誰もがケイトの心臓に『光剣』が突き刺さった光景を幻視したことだろう。
パキン
公浩は『光剣』を顕した腕を、踏み出した足から僅かに遅れてケイトの胸へと伸ばしていた。
間違いなく『光剣』が心臓に達する間合いだ。実際、公浩の拳はケイトの胸に当てられている。
ただし、腕の延長線上にある筈の『光剣』は根元からポッキリと折られた状態でだが。
「先ほど仁科黎明の名前が出ましたが………まさか貴方ではないでしょうね?」
突如、公浩の背後には何処から現れたのか、年の頃は少年と呼んでも差し支えない容姿の男が立っていた。
左側を大きく開けた丈の長い外套を着用し、移動した時の風圧で靡くそれをバサッと音を鳴らして広げて見せる。
「意外に若いとよく言われるが、俺が“退魔師協会”会長……仁科 黎明だ。頭が高い」
仁科黎明と橘花院士緒、ここに相まみえる
★
そこは三王山家の邸宅。
いや、邸宅と呼んで良いものか……超高級マンションの最上階の部屋だ。尤も、二階分のフロアがまるごと個人の持ち家と考えれば、邸宅かどうかなど些末な事だろう。
高い天井、広々としたリビング、空気のように柔らかなソファ。太陽の光を余すことなく取り込んだ空間はさしずめ黄金の宮殿と言ったところか。
そして現在、適当に寛いでてね❤ とキャピキャピした女性にリビングへと案内されたのは次期四宮家当主、その最有力候補の少女……四宮鶫だ。
亜笠の助力もあり、鶫が四宮を実質掌握できるだけの力は揃っている。事実上の当主と言っても差し支えない程に。
「はあ~い、お待たせ。紅茶で良かったかな? お砂糖いる?」
「いえ、どうぞ御気遣いなく。えっと………他の方たちは」
「一樹くんと剣助くんの二人は少し遅れるみたいだけど、も少し待ってね。あ、テレビ見る? 映画鑑賞しよっか」
鶫の隣に腰掛け、溌剌と話し掛けてくる女性。スレンダーな体型に腰の括れを強調する露出や、女性の憧れとも言える細い脚を際立たせるデニムは若者のファッションを体現したような出で立ちだ。それとは逆に胸元まで伸びるカールした茶髪は育ちの良さを表しているようで、それとなくアンバランスさがあった。
見た目の印象としては、風音と同じくらいスラッとしていて、梢に近いファッションセンス、そして凛子の馴れ馴れしさからウザさを取り除いた雰囲気だ。
「それは皆さん揃ってからにしましょうか、春陽さん」
初見の時、大抵の相手は信じない。このどう見ても若く見目麗しい外見の、精々が多目に見積もって大学生くらいの少女が、現三王山家当主……三王山 春陽だとは。
それはつまり、亜笠と梓の父親だと言うことだ。
「あは、そうだね。それに剣助くんなんかはあれでホラーとか苦手だからー、海外の連ドラとかにしよっか。でも今日だけじゃ全部見れないし………あ、じゃあこれから暫く皆で集まる理由が出来るね! 鶫ちゃんはウェスティンとマクギャレットならどっちに会いたい?」
距離感を忘れそうになる程グイグイと来る春陽に鶫も苦笑いが混じる。
それと、鶫はおろか本人ですら既に忘れているが……春陽は男で、三児の父親だ。
格好といい性格といい、女装とかの域を越えているクオリティーに多くの者が騙される。その中に含まれる実の娘たちからすれば、トラウマを生む程のホラーとなっていた。妻は自分より綺麗な夫に病んで別居する始末とくれば尚更に。
化物じみているその美貌に人外の疑いを、割と真剣に掛けられた事もあった程。
その疑いを掛けた本人も、ある意味で化物じみている事は棚に上げて。
「久かたぶりに顔ぉ見たけど、相変わらずの化物っぷりやねぇ、春陽君は」
「!」
気配を感じて振り返った鶫は軽く心臓を跳ねさせた。
断りも無しに部屋へと上がり込んで来たのは青を基調とした着物を纏った女性。
ゆったりと優雅な物腰、落ち着いた雰囲気。大人の女が持ち得る余裕の塊は溢れんばかりの色香を漂わせている。うっすらと顔に刻まれた皺などは、女の気品を際立たせるための装飾品のようでさえあった。
「お肌の手入れはどないしてんの? あはは、やっぱ答えんでええわぁ。どうせ何もしてない言うんやろ? ああ感じ悪いわぁ、憎たらしい。ウチなんてついに皺が隠せんようになったぁ言うのに」
………本人は結構KOJIWAを気にしていた。
ニコニコしてはいるが、春陽を見る目が笑っていない。いっそ殺意でも込めるかのように嫌味を口にしているくらいだ。
「美浜ちゃん、いらっしゃい! あはは! ホントだ、前より小皺がくっきりしてきてるー」
ピキッ
着物の女性……独楽石 美浜。独楽石家当主のその顔に、皺だけでなく青筋までもが浮かんでいる。
春陽に悪気があるかはさておき、この二人は致命的なまでに相性が悪いらしい。気心の知れた者同士の軽口では済まないアレやコレやが感じられた。
「おほほ、嫌やわぁ、春陽君はほんま冗談が通じんのやから。ウチにそんな目立つKOJIWAなんかあらへんて」
「そうなの? そっかー………………………はいこれ、鏡あげる」
「……殺されたいん?」
悪気は無いと信じたいが、美浜の不機嫌がこれ以上悪化されると鶫が困ってしまう。
春陽に自重を求める視線を送りつつ、鶫は美浜の前に立って愛想良く話しかけた。
「独楽石美浜さんですよね? 初めまして、四宮鶫です。今日はお手柔らかに、とまでは言いませんが、出来れば穏やかなままに終わる事を願っています」
「そーそー、あまり怒ってると小皺が増えるよー?」
春陽も悪のりしてきたのか、今度こそ意図的に美浜をからかっているようだ。
流石にこの後の話し合いで悪影響が出かねないので、鶫も少し本気で怒って見せた。
「……春陽さん」
「「!!」」
春陽に向けて鶫から窘める声が掛けられた。
しかし単純に窘めるだけの言葉には確かなプレッシャーが含まれている。春陽などは圧に押され、目を丸くしてソファにストンと座り込む。直接受けていない美浜ですら気が引き締まる程だ。
「あ、はは………あっ、美浜ちゃん、座って座って! ハルちゃんお茶入れてきまーす!」
スタターッと春陽がその場を後にする。
美浜はと言うと少し面食らってはいたが、鶫が改めて自分へ視線を向けたと分かって、しっかりと外行きの顔を作っていた。これでも六家の現当主、海千山千の強者である。
事前の情報ではそれほど重要視していなかった四宮の跡取り、その器の片鱗を確かに見た後とあっては、評価を改めざるを得なかった。
(聞いてたより肝が座っとる。子供は成長が早いんやろか………)
鶫本人も無自覚ではあるが、黒沼公浩の存在が夏場からの鶫の心に変化を齎していた。鶫にとって強い女性の象徴であった亜笠をトレースし、虚勢を張って落ち着きの無かった鶫に良い影響を与えたのが黒沼公浩。
父親を失って恋愛に逃げているかと思えば、そうでもない。鶫本来の資質なのだろうが、ここ最近になってからは特にその成長が顕著だ。
美浜もそれを感じ取り、独楽石家当主として真剣味を帯びた気構えへと変わっていた。
「独楽石美浜いいます。四宮鶫はん、どうぞよろしゅう」
「あ、はい、こちらこそ」
美浜の目を奪われるような綺麗な礼に、鶫も礼を返す。良家の令嬢だけあってそちらも堂にいったものだ。
「ほなら座ろか。ああ、それと……ウチはドラマ見るために通い詰めるんは堪忍や。鶫はんも、春陽君の言うことはあまり真に受けんときな」
「心得てます」
ここに来る前は美浜もそこまで気を許すつもりは無かったのだが、鶫を見て気が変わっていた。この娘の器なら、自分が目を掛ける価値はあるだろう、と。
先の一瞬だけで美浜にそこまで思わせるというのは、ある種異常とも言える。何やら得体の知れない力が、そこにはあった。
それから数分程。険悪さも無く、軽い談笑で時間が過ぎる。
時おり春陽と美浜が肌艶やお肉について喧嘩になりかけるが、二人も本気で仲が悪いわけではないようだ。気が置けない関係、遠慮の無いやり取り……と、見えなくもない。
近況も語ったりしたが、鶫の場合は内容が濃厚すぎるため後回しとなった。
今日この場は、鶫が“六家”……四宮の当主の座に座る事を他家に知らしめる場でもある。
ここで他の“六家”の反感を買えば、最悪、当主の決定は流れる事になるかも知れない。
四宮家そのものが弱体化している現在、他家からの許しが無いと当主も決められない状況。なんとも情けない限りだが、今は雌伏の時だろう。
本来ならあり得ない事だが、四宮家の当主を決めるその場に鶫が同伴できるのも、他の当主が資質を見極めるために敢えて立ち会わせているのだ。
そしてとうとう、鶫の“六家”としての……当主の座を懸けた戦いが始まる時が来た。
「二人ともー。やーっと男共が到着したよ~。遅刻だ、ぷんぷん! 女の子を待たせるような男共に文句を言ってやろう!」
春陽さんも男ですけどね………の言葉は飲み込んだ。
そして春陽の後に付いて部屋に入って来た二人を見やる。
「春陽、貴様……わざと遅い時間を指定しやがったな」
忌々しそうに春陽に苦言を呈するのは、見るからにその筋の人間といった印象の男。
スキンヘッドで、顔全体には大小様々な痕。紋付き袴がそんな雰囲気をこれでもかと際立てているような、そんな人物だ。
陸道 剣助。陸道家当主。
強面だが美形寄りな鏡とも、強面を装っているが素顔は優男な石刀とも似ていない剣助だが、歴とした二人の父親である。
「ああーっ、言い訳とは見苦しいぞハゲ! 美浜ちゃんはきっかり時間通りに来たよ!」
「はぁ………春陽、俺は戦後処理でこの場の誰よりも忙しいんだ。四宮鶫と美浜を先に顔合わせさせた事に、何か意味でもあるのか?」
疲れた様子で小言を漏らしながら側に置いてあった四脚の椅子に座ったのは五行一樹だ。
鶫とも面識はあるが、今はそれを感じさせないよそよそしさで、鶫の方を見ようともしない。
“六家”の当主、ないしそれに準ずる立場の人間が集まるここは、公正であり正式な会見の場である。少し極端な対応かもしれないが、公正を重んじるならば、知り合いだからと特別扱いはしないよう、一樹は敢えて冷たいとも取れる態度でいた。いや、先の戦いで知り合い、その力を評価しているからこそ、他の者たちにも鶫自身を評価してほしい……そんな想いの一樹による不器用なエールだ。
「もおっ、うるせー! ガタガタ文句言ってないで働けよ! まったく~、男共ときたら」
イラッ ×2
お前も男だろうがっ!!
一樹と剣助は喉元まで出かかったその言葉を余程言ってしまおうかと思ったが、言っても無駄どころか機嫌を損ねた春陽が今以上にめんどくさい存在だと知っている二人は懸命に抑えた。
二人とも、もうさっさと話を済ませて帰りたいのだ。
「えー、ではでは。ほんとなら黎明くんにも居てほしかったけど、捕まらないんじゃあしょうがない。ちゃちゃっと進めちゃいま~す。まず最初のお題だよー。鶫ちゃんが当主になる事に異議ありっ、て人は手を挙げて~」
“六家”の当主会談とは思えない気の抜けるような進行だが、実に単刀直入。
春陽の家で会談を行うと毎回の事なので、最初の頃は注意をしていた一樹も何も言わない。開始早々から春陽が鶫に肩入れする気満々なのは考えものだが、これも持ち味なのだと諦めていた。
「保留だ。まだ判断するには早すぎる」
最初に発言をしたのは一樹だ。
手を挙げて……とは言ったが、春陽のノリに合わせて実際に挙手をする者はいなかった。
「俺は“日計の毒”との戦いで四宮鶫の力量を見た。確かに、戦闘能力に関して言えば、歳の割には有能だ。だが、だからこそ言おう。その若さで“六家”の当主に座ろうとするのは、些か早い」
「ん~? 一樹くん、それは反対って事じゃないのかな? 力量は認めてるんでしょ?」
「“六家”の当主が強さだけで務まるならそれも良い。しかし、だ。正直言って洋一郎でさえ、当主としての器には疑問があった。それについては、仁科の相談役と通じて橘花院の村を滅ぼす事に荷担したのが良い証拠だろう」
「……………!」
橘花院の村が仁科家に焼かれた事実を知っているのは、協会の幹部でもごく一部だ。鶫も、今初めて聞いた。
本来こんな形で明かすような話ではない。鶫が正式に当主に決まったら伝えるつもりだった春陽も、額を押さえて「あちゃ~」とばつが悪そうにしている。
春陽としてはここが一番おっかない所だが………亜笠にも話していない事だった。なので、そこから鶫に驚愕の真実が伝わる筈もない。
一樹は敢えてその情報を語った。
今この場において、鶫に口を挟んで進行を妨げる権利は無い。故に、どんな形にせよ、ここで鶫が騒ぐようなら当主の資格無しと即刻断じている所だ。
一樹の見る限り、多少表情に表れる驚きはあれど、情報のわりにそのリアクションは最低限である。欲を言えば、それでも顔に出さず平然と聞くフリをしてほしかったが、まあ及第点と言えた。
「ましてや、四宮鶫が強さの面でも、かつての四宮洋一郎に及ばないのでは尚更だ。あの時の接続術式を十全に使ったとしても、漸く足下に及ぶかどうか――――」
「えーー! 鶫ちゃん接続術式が使えるようになったの!? すごいすごいっ! 去年の夏からずいぶん進歩したんだね」
「……………」
話の腰を折った春陽に抗議の視線を送る一樹だが、目が合ったというのに華麗に無視された。
「半年でそんなに成長するなら、絶対に将来有望だよー。ね、一樹くんもそう思うでしょ?」
春陽の言いたい事は分かった。
未熟さには目を瞑り、将来性を見ろということ。戦闘面でもすぐに洋一郎に追い付き、当主の務めもキッチリこなせるようになる。春陽が鶫を暗に推すという事は、その将来性にお墨付きをしたも同然だった。
「それから言っとくけど、鶫ちゃんの後見には亜笠ちゃんが付いたから。間違いなく重荷になるって分かってて亜笠ちゃんが決めた事だもん。親としても、応援したくなるってもんでしょ」
………そうだ
亜笠はこの場にいなくても、自分を助けてくれるのだ。
学園の生徒なら例外無く亜笠は手を差し伸べるだろう。鶫もその中の一人に過ぎない。
だが、だとしても、こんなにも頼もしい亜笠の存在は、鶫の支えとなっている。鶫は心にじーんと染みるものを感じていた。
「ええんやないの? ウチは賛成に一票」
鶫が受けた第一印象そのままに、穏やかな物腰で発言をした美浜。一樹などは少なからず意外に思い、剣助にいたっては驚愕に目を剥いて美浜を見ている。
美浜はおっとりしているように見えて、その実“六家”の当主の中では最も苛烈で大胆な思考と辣腕を振るい、それに伴う結果が目立つ存在だ。
そもそも研究畑の人間であるせいか、研究第一で他人への興味は希薄だ。他人と関わる時間があれば家に帰って顕術の発展に力を注ぎたいと。
ただし、誰に見せたいわけでもないが、アンチエイジングにはそこそこの執念を燃やしている。だからなのか、女以上に女らしい春陽とは火花を散らしている事が多い。その光景は仲が良いのか悪いのか、周りを大いに困惑させて来たが。
そんな美浜が、積極的に誰かの後押しをするとは考えもしなかった。
自分達が来る前に、鶫の何かが美浜の琴線に触れたのだろう。春陽が何を狙って二人を先に会わせたのか、これで合点がいく。
もはや賭けに等しい行為であるが、春陽と、何より四宮鶫は賭けに勝った。
様子見を決め込むつもりだった一樹だが、この話の流れなら、自分もその流れに乗ってしまっても文句は言われまい。賛成に票を入れる理由が一つ増えた。
「ウチは人付き合いはあんませぇへんし、見る目がある方ではないけども、賭け事は得意な方でねぇ。この世で一番侮ったらあかんもんはな、賭博師と研究者の直感やよ」
賭けに勝てない者は賭博師に非ず
美浜は日頃からそんな言葉を漏らしていた。
そして美浜は、ギャンブルで負けた試しが無いのだ。
「ふんっ、くだらん! お前たち揃いも揃ってどうかしちまったのか? 儂に言わせれば、そもそもこんな話をいちいち議題に上げて論ずる事が信じられんわ」
春陽、美浜、一樹が肯定的な雰囲気で纏まりかけたところに、陸道剣助が吐き捨てるように反対を口にした。
陸道の当主とはそういうものなのだ。とにかく誰にでも噛み付いてみる。話はそれから。
役割というわけではないが、陸道の家は憎まれ役の気質を貫いている。
“六家”では一番の嫌われ者。空気を読まない言動で多くの敵を量産してきた家柄。
しかし実際には、柄の悪い言動とは裏腹に、かなり人道的な一族だ。ヤとか暴の付く職業だが、それこそ仁義には篤い。
今回も、鶫が学生である事を留意しているのだ。学生にそんな重荷を背負わせるべきではないと考えて。
それらを口に出して言えば可愛げがあるのだが、これでは本当にただの嫌われ者にしかならない。つまるところ、ちょっと度が過ぎたツンデレであった。
「話し合うまでも無い事だ。そんな小娘に“六家”の当主が務まるわけあるか。務まるようなら、それはそれで世も末だ。お前らがこんな馬鹿者共だったとは、呆れて言葉もごぉっ――――!!??」
一樹と美浜は流石に慣れたもの。事態に際し冷静そのものだ。
その光景に面食らっているのは鶫だけ。
無理もない。
華奢な女にしか見えない三王山家の当主が、厳つい外見をした陸道家の当主の口を、すぼめるように掴んで高く持ち上げている光景など、誰が見ても驚愕に固まるであろう。
「馬鹿? 今ハルちゃんのこと馬鹿って言った?」
「しゅ、春陽!?」
「おいこら、ハゲ。ハルちゃんはいつもキレッキレに決まってるだろうが。くだらない事を言うのはこの顎か? ああ?」
剣助は足をバタつかせて抵抗を試みるものの、身動ぎがウザったいとでも言わんばかりに春陽が剣助のボディにブローを見舞っている。
鶫は困惑しつつも理解し、納得した。思い出したと言うべきか。
春陽は紛う事なき、亜笠と梓の父親なのだと。
そして、少なくとも見た目は落ち着いた様子でいる鶫へ、一樹が解説らしきものを挟んでくれた。
「昔あったんだ………色々と」
普段は温厚で優しく、それでいて滅多にキャラを崩さない春陽がここまで素をさらけ出しているからには、余程の因縁というか、軋轢が剣助との間にはあるのだろう。
そのわりには一樹も美浜も全く心配そうな気配を発していない所を見るに、そこまで深刻な問題ではなさそうだが。
そこで一樹に続いて美浜が一言、耳を疑う事実を語った。
「剣助君が学生の頃な、春陽君にプロポーズしたんよ」
「ぇ……………」
鶫の剣助を見る視線が、途端にアレな感じに色を失った。
春陽はパッと見……いや、じっくり見ても女性にしか見えない。剣助が血迷ったとしても有り得ない話ではないが………♂×♂でキャッとなるほど、鶫は腐ってはいないのだ。少なくとも、今のところは。
「二人とも若かった。剣助は盲目、春陽もまんざらでもなさそうだったのがある意味では不幸だったな」
「ところが、流石の剣助くんも春陽くんの性別に気ぃついてなぁ。あっさり今の嫁はんに鞍換えしたんよ」
「……………」
それはそれで眉をしかめるような話だ。春陽が男だからと言って、告白しておきながらあっさりと翻すなんて。顔だけしか見ていない最低男の典型とも言える。
鶫に言わせると、春陽が怒って態度がキツくなるのも当然だろう。
鶫の視線はアレな感じから軽蔑の色に変わっていった。
「何とか言えよハゲ。顎が不自由なのか?」
「ふぉぐぉ―――~~~っっ――――ふはあ!! はぁ……ああ、春陽……貴様のせいでな」
春陽のクローをなんとか引き剥がした剣助が息を上げながら文句を垂れる。
そして話に上がった剣助の過去話。それを聞いた側も話した側も、冷めた目で剣助を射抜いた。
「ああ? なんだ貴様ら、その目は」
「……別に」
「なんもあらへんよ」
「最低です」
一樹と美浜が適当に誤魔化す中、鶫が初対面の剣助へと向けた第一声がそれだ。
剣助も一瞬、自分が言われたものだと気付かない程にさらっと発せられた言葉だった。
「なんだと? ガキ、儂に言ったのか?」
剣助が鶫を威圧するように声を発する。
並の相手ならこれだけでかなり効果があるのだが、他の“六家”の当主も含め、鶫が気圧される事は無い。それどころか、圧力を掛けられた事で反抗心のようなものを覚え、ムッとなった鶫が逆にプレッシャーを掛け返す。先程、春陽に向けたものと同じだ。
鶫は立ち上がり、剣助にドシドシと詰め寄る。
「そうです、貴方に言いました。実は男だったからって女の子をキズつけるなんて最低です!」
「なっ――――!?」
剣助が一樹と美浜を睨み付けた。
二人はどこ吹く風だと茶を飲んでいる。
「何を聞いたか知らないがな小娘。今の言葉に盛大な矛盾がある事に気付いてんのか?」
「性別はこの際どうでもいいんです! 問題なのは貴方が春陽さんの外見だけで告白したあげく、身勝手に翻した事でしょ!」
「ああん!? 男なんかと結婚できるか!! そもそもっ、春陽があの時思わせ振りな態度をせずに断っていれば――――」
「は? なんですか?」
ゾクッ
鶫の底冷えする声を聞いた瞬間、剣助は息を呑み、言葉を喉奥まで押し返された。
ここまで来ると、鶫も意地になっている。なんとしても剣助を黙らせないと気が済まないのだ。
後でガッツリ後悔すると分かっているのだが、どうにも止まらない。
度胸が付いたり、精神面で成長するのも良し悪しだ。恋愛による急激な成長の、一種の弊害であった。
だが、既に引くに引けない。こうなれば後は進むだけ。とことん言いたい事を言ってやろうではないか。
「自分の身勝手さを棚に上げて、女の子を責めようって言うんですか? 好きな男の子に告白されるのがどんなに嬉しいか………それを踏みにじられたらどんな思いになるか分かります?」
「いや、だから男――――」
「なんです?」
「ぬぐっ――――」
剣助は再び黙らされた。
有無を言わさぬ謎の迫力。何故か抗えない鶫の圧に、剣助は屈服してしまった。後はひたすら調教が進んでいくことだろう。
「ハルちゃんそこまで剣助くんの事を好きってわけじゃなかったんだけど………」
「黙ってろ春陽。今いいところだ」
五行家にとって陸道家は長年の宿敵のようなものだ。
そのトップに君臨する男が少女にたじろいでいる姿である。それはもう見応えのある見せ物なのだろう。
「大体ですねえ! 男と女って言うのは――――」
ガミガミ
「こんなことを若い私が言ってるようじゃ――――」
くどくど
「私だって好きな人に告白されたいのにっ――――」
愚痴愚痴
………………
………………………
………………………………
………一時間後
「………反対はしない」
げっそりした顔で剣助が言う。
どんな形でも良い。とにかくこの議題を終わらせたかった。
早く帰って妻と過ごすんだ………
四宮家当主に関する会談は、全員が承認という形で決着した。
一樹は然り気無く煽ったり、話を変えようとした剣助の邪魔をして説教を長引かせたりしていたが、ありったけ吐き出した鶫が冷静になってきたため、その場はもう落ち着いている。
忙しいと言っていた一樹だが、この日はそれなりに息抜きにはなった。
「は~い、剣助くんにお灸も据えたし、次の議題行ってみよー!」
「あ、では私は席を外します。まだ正式な当主ではありませんので、ここからはご当主の方々の領域です」
「ふん、それくらいは弁えていたか(ホッ)」
「まぁ、こんなざっくりとした会合やし、今更やけどね」
「春陽が仕切ると緊張感が薄くなる。三王山家の代替わりはまだなのか?」
確かに、“六家”の当主会談と言うには些か緩い空気だ。春陽が進行する場合が特別なのだろうが、厳正な場を覚悟していた鶫としては拍子抜けである。まあこれも、春陽からの気遣いだったのだろうと納得し、今後の期待に応えようと改めて気合いが入っていた。
橘花院家に洋一郎が何をしたかの話は気になるが、後で会合が終わってから聞くと春陽に言っておく。連絡をくれると言うことなので、その時まで外で時間を潰すことになる。
春陽の「また後でね~」という言葉を受けて、鶫はその場を後にした。
「………んーじゃ、次のお題はご存知、橘花院士緒の件について。仁科の“相談役”の殺害を阻止するか、しないか」
「「「………………」」」
「それと平行して、仁科の元“相談役”がいるっていう檸梨市の異変にどう収拾を付けるか。一樹くんに色々と調べてもらってきたから、それを聞こうかな」
先程までよりは真剣な空気が場を包む。
鶫が当主になるかどうかは、殆ど答えが出ていたようなものだ。結果が分かっているだけに余裕があった。
ここからは議題としての重要度が跳ね上がる。なにしろ、
「最初に俺の見解だけ述べておく。檸梨市と、橘花院………放置すれば世界が滅ぶレベルの危機となるだろう」
そこから、一樹が五行家の力で調べた橘花院の禁術や、それを欲した仁科家の裏、そして檸梨市の結界が齎す影響などを語って聞かせる。
世界の危機が決して大袈裟な話ではないことを否応にも納得せざるを得ない内容だ。
日も暮れかける頃、結論が出たわけではないが、一つの指針となるものを導き出した。
「じゃあ決を取ろうか。仁科家に、表舞台から降りてもらう事に賛成のひとー」
一樹、美浜、剣助が無言で視線を交わす。
探り合い、あるいは牽制しあい、そして出た答えは………
「………満場一致。ざーんねん。黎明くんは嫌いじゃなかったんだけどなー。仕方ないかぁ………ま、橘花院の件が片付くまでだし、いいよね?」
不穏な空気。
橘花院士緒の主な標的となっている仁科家……その裏側を本腰を入れて調査したことで、このまま橘花院、果ては“真ノ悪”と全面的な争いとなる水際で止まるための消極策が提示された。
仁科家の当主……仁科黎明に、形式上ではあるが責任を取ってもらうのだ。
それは江戸の火消しと似ている。橘花院という火事でこれ以上火の手が広がる前に、仁科という建物を壊していく。
勿論、復興の手伝い程度はする。しかし、これは仁科が撒いた火種。多少の痛みが伴うのは自業自得だと諦めてもらうしかない。
「黎明くんには悪いけど、恨まれても仕方無い理由が出てきちゃったもんね。禁術欲しさに村を焼き払ったなんて、そりゃ橘花院士緒だって激おこだよ」
仁科家の悪事は露見した。
だがやはり、“六家”の当主たちは冷静だ。
冷静に、最善の手を打っている。
「これが相手の思惑通りだと思うと少しムカつくけどね」
春陽が不満そうに呟いた言葉に、他の三人も同意だ。
“真ノ悪”へのメッセージ………休戦の申し出は、間も無く山本五郎左衛門の元へと届いた。




