第82話 猫耳のメイド姫
“三代目 山本五郎左衛門”
山本五郎左衛門という存在は一から十まで、虚構の産物。初代の五郎左衛門は後に伝えられるようになった山本五郎左衛門と同じ名前というだけの、全くの別人と言っても良い。
現代。三代目の五郎左衛門は初代と比べると、けっして最強とは呼べない強さでしかない。それでも、山本五郎左衛門の名を世襲するだけあって限り無く最強に近い生物だ。
はっきり言って、そんな強大な存在が人間社会……さらに言えば退魔師となって退魔師協会の中枢近くに身を置いているなど、本来なら絶対にあり得ない。
退魔師にも“鬼”を見分ける術はある。事実、五郎左がこれを受ければ確実に正体を看破されるだろう。
正体がバレないよう様々な絡繰があるのだが、それでも騙し騙しの綱渡りだ。
歳を取って外見が変わる“鬼”はこれまで存在しなかった。だからこそ、若い時分から退魔師の世界に潜り込んでいた五郎左が現在に至って疑われる事はまず無いだろう。現に、そうなるよう振る舞ってきたとは言え、仁科黎明の信用も得ている。
年月をかけて蒔いてきた種、打ってきた布石。それらがここに来て実を結んできた。
自分はミスを犯さず、相手がミスを犯すのをひたすらに待ち続けるのに近い消極的な手段だが、実際に仁科黎明は追い込まれている。本人も気付かない内に、じわりじわりと首が締まっているのだ。
五郎左衛門は現在、カジュアルスーツの上からトレンチコートを羽織った格好で、葉を落とした木々の合間を縫い、とある森を歩いていた。
いや、所々に朽ちた家々が見受けられることから、ここはかつて村落規模の人の営みがあった場所……廃村だった。
散見する近代的家屋はいずれも炎に巻かれた跡があり、殆どが燃え落ちて原形を留めていない。その痛ましさは只ならぬ事件があったことを物語っている。
10年でここまで木々の侵食が進んでいる事も、ここが元は退魔師一族の村である事を考えればそれほど不思議ではない。退魔師の隠れ里であれば鬼に襲われる事も、何らかの顕術の影響を受ける事もあり得るのだから。
ただし、ここに関しては今一つ事情が違う。
それは村を焼き払ったのが鬼の類ではなく、退魔師だと言うことだ。
「……仁科のクソどもが」
橘花院家の隠れ里。表向きは鬼の襲撃で滅びたとされ、仁科家の主導の元、不穏分子と断じられて焼き討たれた悲劇の地だ。
仁科黎明と対立する元“相談役”による独断。そしてそれを見て見ぬフリをした四宮家の愚行。現在、退魔師協会内部ではそういった認識が持たれている。
そこに、仁科黎明本人が関わった事実は存在しない。全ては仁科黎明の対抗派閥が勝手に起こした暴挙で片が付いた。
後は士緒の復讐のために、黎明以外の関係者を全員始末するだけ。復讐はそれで終わる。
………………………馬鹿馬鹿しい
仁科黎明が関わっていない………反吐が出る程の出鱈目だ。
誰もその事実を知らない。実際にその目で見て知っているのは五郎左と………黎明に殺された本人である士緒だけだった。
当時、まだ幼かった橘花院士緒の心臓に黎明が顕術による槍を突き立てる瞬間を思い出す。それを止めなかった自分を思い出す。
五郎左にとっては憐れな子供が一人、死のうが生きようがどうでも良かった。助ける義理など無かった。事実、その後も五郎左は士緒を助けたとは思っていない。
しかしあの時、助けていなくとも………手を差し伸べていて、本当に良かった。今なら心底そう思える。
あいつは俺の息子だ、と………そう思えたから
「丸くなったものだな」
自嘲を浮かべながら抜けた木々の先。そこにあったのは、やはり半分以上が焼け落ちている建物……かつて社だったもの、その残骸だった。
その手前には何人かの退魔師。橘花院家の一件が仁科家の陰謀と発覚してから協会側が調査のために派遣した者たちだ。何を隠そう、その調査の責任者こそ関東“社”統括である稲生平……五郎左に他ならない。
退魔師たちは五郎左……稲生平を見つけると即座に姿勢を正し、それぞれ挨拶を口にしだした。
「統括官殿! いらっしゃるのなら連絡をくだされば………」
「ほぉ、連絡をやれば何か新事実が見つかったとでも?」
「いえ………申し訳ありません」
「冗談だ。中に入る。問題は無いか?」
「問題ありません。ただ、昨夜から気配の発し方が強くなっています。お気をつけて」
退魔師の一人から注意を喚起する言葉を受け、特に気にした風もなく五郎左は社の中へと入って行った。まだ建物の名残がある奥の部分、火事のせいで剥き出しになっている隠し通路を目指す。
崖を背負う位地に建っている社の奥、そこから洞窟へと続いていた。
ほぼ一本道になっており、五郎左は迷う事なく進んでいく。そして、それほど時間も掛からずに最奥にある体育館程の空間に出た。
その中央には六本の柱と、それらに囲まれた中で屹立している霧を圧し固めて作ったような白い人影。その姿はハッキリと認識できるものではなく、うっすらと人型に見える程度のものだ。
拘束具を纏っているような状態で、手足の輪郭は胴体部分に一体化していてよく見えない。通力で出来た鎖が体に巻き付き、さらには杭のような物が全身あちこちに打たれている。
10年前に仁科家が隠れ里を襲った際には、禁術以外には興味が無かったのか、この場所の存在に気付かず、あっさりと見逃された。
また、外の退魔師たちは知らないが、この白い人影は言葉を交わせる。五郎左が10年前に発見し、情報を引き出したのだ。神野悪五郎に関する情報を。
『五郎左衛門。最近ヨク来ルナ。今代ノ魔王陛下ハ暇ナノカ?』
からかう調子で五郎左に話し掛ける声は、まるで水中で泡でも吹いているかのようなくぐもったものだった。
ただし、これでもいつもよりは聞き取り易い方だ。いつもならガラスを引っ掻いたようなノイズ混じりの声で会話を成立させるのも難しい。
気配の発し方が活発だと言っていたが、確かにこの日は上機嫌なようだ。
「暇なら自分でこんな所に来たりしないさ。それどころか人手が不足気味だから自分で出向いている。せめてお前の我が儘で愚息を学園に押し込めていなければ、こんな人手不足は起きなかっただろうよ」
『相変ワラズノ親馬鹿ダナ。シカシナガラ―――トテ、救イノ手ハ仇敵ノオ前ヨリモ―――ノ方ガ良イニ決マッテイル。何セ、アイツハモウジキ―――ノ――――ニナルノダカラナ』
「おい、肝心な部分が聞き取れないぞ。わざとやってるのか?」
『オ前ガ差シ出シタ贄ハ実ニ良イ。正直、アイツヲ寄越サセタ時ハソコマデ期待シテイナカッタノダガ、アレ程ダッタトハ驚キダ。我ガ半身ニ食ワセルノガ楽シミダヨ』
「……誰がお前のような奴に愚息をくれてやるものか。あいつが欲しかったら俺を倒して行くことだな」
『必要トアラバ吝カデハナイ。ガ、ソレモコレモ全テハ封印ヲ何トカシテカラダガナ。今日ノ用件ハソレカ?』
「いや、今日は俺が向こうに行く。運べ」
五郎左はトレンチコートのポケットから黒い革手袋を着用した手を取り出して見せる。それは五郎左の臨戦態勢を意味していた。
『イツモノ“モルドレッド”トカイウノハドウシタ。タダデサエ使イドコロノ少ナイ奴ダ。仕事ヲ盗ッテ良イノカ?』
「無論、遊ばせてはいない。ただ今回は気分転換の意味もあって俺が来た。たまには身体を動かさないと鈍ってしまうんでな」
そう言って五郎左は握りこぶしを作り、ガンッガンッと音を出して打ち合わせる。
その度に空気が震え、足元の石は小さく跳ねるように一瞬だけ浮き上がった。
『一応聞イテオコウカ。ソンナ装備デ大丈夫カ?』
「大丈夫だ、問題無い」
『………………』
次の瞬間、五郎左の居た空間が全く別のものに変わっていた。その部屋そのものが裏返ったかのように反転し、そこは既に先程までとは違う世界だ。
そして、五郎左の存在を認識した異形の化物たちが遠巻きに吼える。数百では収まらない殺気が五郎左目掛けて放たれ、気配を探るとさらに大量の化物が集まってきているのが分かった。
「少ないな。せっかく運動をしに来たというのに」
『此処ヲバッティングセンターカ何カト勘違イシテイルノナラ、金ノ代ワリニオ前ノ息子ヲ支払ッテモラオウカ』
「うちの愚息を小銭と一緒にするな」
直後、五郎左による虐殺が開始された。さながら草むしりでもするかの如く、気楽な様子で化物たちの歪んだ命を刈り取っていった。
ちなみに、五郎左は○ルシャダイというゲームを知らない。
★
メイド喫茶『りゅうのあにゃ』阿刀田店。
高山虎太郎は家宰が入れたコーヒーを飲みながら、軽く言葉を失っている。
その驚きに比べれば、慣れないメイド喫茶で感じていた緊張と居たたまれなさなど、簡単に忘れ去ってしまえる程度のものだ。
虎太郎の視線の先では標準よりも圧倒的にサイズが小さく、袖やスカート丈が長い大人しめのメイド服を着た子供………のようなメイドさんがちょこちょこと忙しなく動き回っている。
ブロンドのツインテールがあっちへ揺ら揺らこっちへ振り振りと動く姿はとても癒される光景だ。客たちも、満席になるほどには居ないまでも、殆どの席が埋まる程度の客入りで、そんな彼ら彼女らは一様にツインテールのメイドさんを見てほんわかした笑顔を浮かべていた。
ブロンドで碧眼のメイドさん……ランクSSSの“悪魔”にして“暁”の首魁である、ゲオルギーネへと。
「オ、オカエリナサーイ、おに………オネーチャン」
新たに入店してきた女性客に対したどたどしい日本語で、お嬢様ではなくお姉ちゃんと言った。これは日本語を間違えたのではなく、この店においてのギーネの設定。オーナーの『テトラちゃん』直伝だ。
テトラちゃん曰く、
「最近はやれコンプライアンスだとか煩いにゃよ。ロリっ娘にご主人様なんて呼ばせたら後が怖いにゃ」
とのこと。
結果的に、ギーネには男性4、女性6の割合で固定客が付いた。不慣れな日本語に四苦八苦しながらも健気に接客をこなす姿が客たちの心を撃ち抜いた形だ。
中途半端な田舎町に建つメイド喫茶であるにも関わらず、売り上げが他店舗に引けを取らないのはギーネの貢献によるところが大きいだろう。
ちなみに、他店に比べて客の割合が男性より女性に偏っているのは、寡黙なイケメン執事―――その実、日本語が喋れないだけ―――として女性客に笑みを配るベネディクトを目当てとした者が多いからだった。
虎太郎は学校帰りにそんなギーネたちの様子を見てみようと、友達と二人で足を向けたのだ。
慣れないながらも生き生きと仕事をしているギーネの姿に、元から備わっている日本人離れした綺麗な顔立ちもあって、思わず息を飲んでしまったのは秘密だ。
「メイド喫茶なんて初めて来たけど、すっごく可愛いメイドさんだね! 東京のメイドさんは皆ああなのかなぁ? ねぇねぇ高山くん」
「え、あっ………ど、どうだろうね。僕もメイド喫茶なんて初めてだから分からないや」
虎太郎は向かいに座る女子、クラスメートの早田 紗耶香に慌てて取り繕う。
美形とはいえ幼女に見惚れていたなどと、口が裂けても言えない。ましてやそれが、最近少し気になっている女子の前だと言うのなら尚更だった。
「他のメイドさんも可愛い娘ばっかり。制服も可愛いし………私もメイド喫茶で働いてみようかな?」
「えっ! 早田さんが……メイド」
虎太郎の脳内に早田紗耶香のメイド服姿が映し出されるまでコンマ1秒もかからなかっただろう。
ギーネに見惚れた時よりも顔が緩んでいた。やはり高嶺の花より、身近なタンポポの方が親しみやすく現実感もある。
高山虎太郎は根っからの小市民なのだ。実に単純で分かりやすい。
「まぁ、私じゃ無理か。私があんな可愛い娘たちの中に入れるわけないもんね。メイド服も似合わないだろうし」
「! そんなこ――――」
「そんな事はないにゃ!」
ガタンッ
テーブルに乱暴に置かれた―――しかし一滴も溢れていない―――二杯目のコーヒーとオレンジジュースに目が行き、次いでそれを運んできた猫耳猫尻尾のメイドに二人の視線が吸い寄せられる。
会話に乱入してきたメイド……オーナーの『テトラちゃん』が周りに迷惑のかからない絶妙な声量で否定の言葉を発した。
「お待たせしましたにゃー。こちらブルーマウンテンとオレンジジュースですにゃん。それとお嬢様、宜しければこちらをどうぞにゃ」
プロとして仕事はきっちりこなしつつ、虎子は地元民向けに刷られたスタッフ募集のチラシをいつの間にか隣に出現したベネディクトから受け取り、オレンジジュースを置いてすぐ紗耶香の前に差し出した。
「灰かぶりの姫に魔法をかけるのは得意分野にゃ。その気になったらいつでも連絡してほしいにゃ」
シンデレラにドレスではなくメイド服を着せようとするのは何か間違っている気がするが、深くは突っ込まないでおこう………
「………あの、テトラさん」
「もう、ご主人様~。トラの事は気安く『テトラちゃん』と呼んでほしいにゃ」
……………鬼だ。
仕事の鬼がここにいる。しかも仕事とプライベートはきっちり別けるタイプの鬼だ。家で『テトラちゃん』と呼んだら鬼のように怒ったのに。
「テトラ――――ちゃん。本気で早田さんを?」
「至って真面目な話にゃ。それに、そうなれば間違い無く固定客が付くにゃ。トラが保証するにゃよ」
チラッ
口元にニヤニヤと笑みを浮かべた虎子の視線が虎太郎に向けられた。
その視線を受けて、虎太郎はハッとなる。
虎子は恐らく、紗耶香を目当てに通うであろう虎太郎から搾り取るつもりなのだ。
やられた! こんな策略、抗う術が無い!
なんという鬼策。不可避の罠を前にして虎太郎は戦慄していた。
「え……と、つまり、バイトの面接をしてくれる……のかな」
戸惑い気味に虎太郎へと問い掛ける紗耶香。虎子はここぞとばかりに畳み掛けた。
「その際はこれを面接官に見せると良いにゃ。簡易的な紹介状になるにゃよ」
虎子は先程のチラシに謎のマーク―――どこか猫っぽい―――と、筆記体でアルファベットを書いた。ええと、これは………とらころーる?
「何となくゴロが良かっただけで意味は無いにゃ。それじゃ、電話待ってるにゃー」
それだけ言って虎子は仕事に戻っていった。
その尻尾はとても偽物には見えないような動きをして御機嫌に振られている。
あ、虎子のは本物だったか。
「た、たた高山くん。私なんかでもメイドさんになれるって………あれ? さっきの人誰だったの?」
「あ~……あの人はオーナーさんだよ。ちょっとした知り合いだけど、言わなかったっけ」
「聞いてないよ!? ど、どどどうしよう。とぉ、とりあえずっ、お父さんにバイトしても良いか聞いてみないと………」
「早田さん、本気でやるの?」
取り立てて言う程の美少女的特徴は見受けられないが、平均より小柄で、夏は水泳部で健康的な肢体を披露し、親しみやすい笑顔と性格で男子の友達も多い。
クラスの男子に聞けば10人中8人は可愛いと言うタイプの娘だ。正直言って、そのメイド服姿は金を払ってでも見てみたい。その価値はある。
しかし虎太郎にとって、比較的割高なメイド喫茶でのそれは自殺行為と言えた。
いっそ自分だけ吸い取られるくらいならクラス中に宣伝して一人でも多く道連れにするべきか? 虎子がターゲットする相手が多い方が自分へ課せられる負担が減るかもしれない。
「高山くん、私やってみたい! そうのうちアルバイトはしたいと思ってたし、やるだけやってみても良いよね!」
紗耶香が期待に満ちた笑顔をパアッと輝かせる。
虎太郎はその笑顔を見て、とてもじゃないが自分の懐具合が心配だからやっぱり考え直してなどと言えなくなった。
ついでに言うと、誰かが自然に気付くまで自分から他の男子に教える気も無くなっていた。しばらくは自分一人だけで堪能してやろう、と。
「うん、応援するよ。僕も(財布的な意味で)頑張って応援するから。何かあったら相談して」
「ありがとう高山くん! 私も高山くんのこと応援するよ。あのメイドさんとのこと」
………………………はい?
「バレバレだよぉ。高山くん、あのちっちゃい外人のメイドさんが好きなんだよね?」
「………………………はい?」
「高山くんが見てるの、殆どあのメイドさんだもん。あと執事のお兄さんもチラッと見てたけど……男の人よりは、小さくても大人の女の人の方が健全だからね」
虎太郎の視線が困惑のままにギーネと紗耶香の間を行ったり来たりする。そして恐ろしい物に気付いてしまった。
ギーネの研修用の名札の所に、21歳と書かれていることに。
(21という数字が微妙にリアルだ!?)
とても21には見えないが、誰かに聞かれても、そこは日本語が話せない事でいくらでも誤魔化しが利く。お役所の事案も、メイド喫茶のアルバイトはともかく、仁科黎明の名の下に合法にして正式な書類は偽造済みなのだ。
虎太郎は自分の世界を構築していた常識がいかに脆いかを痛感した。
「ちがっ、違うよ! 彼女も知り合いで、うちの居候みたいなものなんだ!」
みっともなくても、ここは何としても取り繕わなければ。
ロリコンと謗られるのは嫌だし、何より紗耶香は最近気になっている女の子なのだから。
「居候? よく分からないけど、別に隠さなくてもいいよ。幼く見えても、大人の女性だもん。そういう気持ちになってもおかしくないって」
「いやいやいや、間違ってるよ早田さん! 確かにあの人は大人だけど、そういうのじゃないし! 第一実際には21じゃなくて2ひゃ――――」
「お待たせしましたにゃー!」
ギーネが21歳というのは日本国内―――と『りゅうのあにゃ』―――における一応の公式設定。例え誰も信じないような年齢だとしても、それでもうっかり口を滑らせようとした虎太郎を止めるために虎子が現れたのは必然である。虎子は日夜ガラの悪い客からメイドたちを守るため、『地獄猫耳』と『ヌコ足』という技を体得しているのだ。
「え、あの、何も頼んでないですけど―――ひぃっ!」
虎子が虎太郎の首根っこを引っ掴み、虎太郎の身体が一瞬床を離れて浮き上がる程の力で立たせた。
「もぉ、シャイなご主人様にゃね。ご注文の『メイドさんと写ろう!』になりますにゃあ。なんと本日開始のサービス、ゴールド会員様専用となってますにゃ!」
「あの………僕、そもそも会員ですら――――」
虎子が無言の笑顔で取り出したるはゴールド会員証。
なんという事だ。女友達の目の前でメイド喫茶のゴールド会員という事実を捏造されてしまった。
虎子はニッコリしながらそれを虎太郎の服のポケットに突っ込んだ。
「ささ、そちらへどうぞにゃ」
虎子に促され壁際に立たされる。
そしてやんわりと軽く腕を組んで、別のメイドさんが持つカメラへと向かう。それは男の悲しさか、虎太郎は虎子に腕を組まれて、不覚にもドキドキしてしまった。
「メイドの素性をバラしたら殺すにゃ」
「―――――――」
直前までとの落差もあり、今度は別の意味でドキッとさせられる。同時に血の気も引いていた。
終止にこやかで仕事を終えた虎子は『メイドさんと写ろう!』の会計伝票を、そっと虎太郎に握らせて店の奥へと消えていった。
そしてその日、虎太郎の財布からは諭吉が消えたという。
★
「うむうむ………メイドさんは良いものですなぁ」
メイド喫茶『りゅうのあにゃ』阿刀田店に、見るからに穏やかで優しげな表情でメイドたちを眺めている老紳士がいた。
ほっそりとした体型、仕立ての良い服と杖、品の良さが際立つ豊かな口髭などは、メイド喫茶の客としては些か浮いてしまう身なりだ。
それでも、孫を見守るような暖かな視線や上品な雰囲気が他の客から向けられるであろう老紳士への不審の目を軽減している。
事実、老紳士は孫に会いに来たようなもので、そこに不審な点は無い。誰もその老人を咎める理由など無いのだ。
その老紳士が只者ではないと見抜き、警戒度を上げるベネディクト以外は。
「………………」
燕尾服の腰に提げられている薔薇の装飾が施されたサーベルにそっと手を掛ける。
キン
鞘から僅かに刀身を表したそれを客は小道具だと認識しているが、実際には歴とした本物。それを、いざとなれば客の前でも躊躇無く抜き放つだろうベネディクトだが、流石に今抜き放たれては堪ったものではない。虎太郎に向かって行った時よりも険を帯びた表情で虎子が止めに入ろうとする。
しかし、それよりも早くギーネがベネディクトの側に寄って行き、その膝裏を蹴り付けて跪かせた。そして流れるような動きでベネディクトの首元に食器のナイフを添えた。
『止めよ』
独語でたった一言。メイド服を着た主人から諌められ、頭を冷やした上で周囲を見渡す。店内には緊張感が満ちていた。
周りの客たちはベネディクトがサーベルに手を掛けた所で、その異様な空気を感じ取って注視していたのだ。何か良からぬ事が起きるのでは、と。
そして、ベネディクトが落ち着いたのを確認したギーネはナイフを引っ込め、スカートの裾を摘まんで優雅な一礼を披露した。
おぉ~~~!!
客たちは一様にそれを演出だったのだと信じ込んだ。
すぐさま立ち上がってギーネに続くベネディクト。笑顔で胸に手を当てての一礼が客たちを一気に安心させる。これはほんの10秒にも満たない余興だったのだと納得させた。
たった数秒とはいえ、本物の殺気が飛ばされていたとは知らない客たちにしてみれば、正に真に迫る刺激的な一時だったことだろう。
それもこれも、全てはギーネの機転があってこその事だったが。ギーネはそのままベネディクトを店の奥まで引っ張っていった。
虎子はほっと胸を撫で下ろし、ギーネには後でご褒美を用意してやろうと決めた。
「………………」
ベネディクトが殺気を向けた張本人、老紳士は虎子へと視線を向けている。相変わらずの穏やかな笑顔のままでだ。
虎子もそれに応えるように笑顔を振り撒き、トテトテ~と小走りに駆け寄った。そして胸元に『休憩中』と書かれた札を張り、老紳士の向かいに腰掛ける。店員としてはあまり褒められた事ではないのだが、これくらいのワガママは許してほしいところだ。
虎子にとって折角の旧交を暖める機会で、懐かしの家族と触れ合える貴重な時間なのだから。
「爺、息災かにゃ」
老紳士は虎子の身内であった。
数百年来の付き合いで、モノノケとしての幼少時、虎子の教育係を務めていた者だ。
「ええ、中々に死ねないもんですな。御姫ぃ様もお元気そうで安心いたしましたぞ。しかしながら、この老骨めを御姫ぃ様が直々に呼び戻さねばならぬ事態を招くとは、扇と喜助はお役に立ちませんでしたか? 奴等の始末を爺やにお望みですかな?」
「あんま物騒なこと言うにゃ。奴等だって精一杯生きてるにゃよ」
「風の噂によると、扇が店長となってから本店の業績が落ち込んだとか。有能なメイドを数人も失ったのは奴が至らなかったためでありましょう」
「にゃふっ………それを言われると痛いにゃね。ちょっと山奥に秘密基地を造ろうと思っただけなのににゃ。まさか退魔師協会のピクニック行進で蹴散らされるにゃんて………」
「扇にそれを何とかできる能力があれば、本店の精鋭メイドを失わずに済んだのです。やはり儂がメイドさんたちを率いるべきでしたか」
「相変わらずメイド好きな爺さんにゃ………」
自分がメイドだから強くは言えないが………ちょっと引くにゃ。
この見た目でメイド萌えとは。実際に見た目通りの老紳士で、ただのスケベジジイではないので嫌うに嫌えないところだった。
「それに、御姫ぃ様が新たに拠点を造ろうと思いたったのも、“白面金毛”の女狐めを牽制する意図があってのこと。扇が下手を打たなければ、そもそも退魔師協会と衝突することも無かったでしょうに」
「にゃぁ……流石にそれで扇を責めるのは酷にゃよ。聞いた話によれば、“真ノ悪”が協会をけしかけたらしいにゃ。それに、後には面白い出会いもあったにゃよ」
虎子は黒沼公浩に出会い、ビジネスライクな関係であることを語った。公浩が“真ノ悪”の一員であるという虎子の推測も含めて。
そして本題。公浩が提示した契約の条件、その一つの話に入る。
「それで、爺とも会っておきたいとのことなのでにゃあ。“鬼王・刃桜”………これは咒水の名においての命令にゃ」
「……承りましてございます」
“鬼王・刃桜”。
最強の一角……そんな“鬼”と公浩との面会の約束を、虎子は確かに取り付けた。
今日の小ネタ
・『ソンナ装備デ大丈夫カ?』
『………やっぱり一番良いのを頼む』
・「ねぇねぇ、高山くん (うん○ズマだよ?)」
・「た、たた高山くん (うん○ズマだよ?)。私なんかでもメイドさんに―――(以下略)」




