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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
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第80話 フォルナクスの夜


 朝一番でその報告を聞いた時は、さしもの山本五郎左衛門でも苛立ちが沸点まで急上昇していた。

 報告を齋した愚息に対してではない。ついに頭がおかしくなったのではと疑うレベルに達した仁科黎明に対してだ。


「まさかこれほどに愚かだとはな。仁科黎明、よりにもよって“白面金毛”と繋がっていたなど。曇ったどころではない。奴の目はとうに光を失っていたか」


 士緒は目を覚ましてすぐ五郎左へと一報を入れた。確定した情報ではないため、真偽の確認も含めて五郎左に手を打ってもらおうと考えた結果だ。

 しかし、五郎左は半ば情報については確信を持っていた。ここ最近での仁科黎明が慎重さを欠いている事実を裏付ける最有力の仮説とも言える。


「道理で、彼奴(きゃつ)めが橘花院から奪った『天道無楽』を己が身に宿せた筈よ。だがいい加減、歪み(・・)を誤魔化せなくなる頃合いだ。“白面金毛”と通じていたツケが回ったと思えば、少しは溜飲が下がろう」


 忍者装束を纏った小柄な少年のような女。“日計の毒”への潜入任務を終え、待機状態となって暇をもて余していた加藤(みさご)だ。“真ノ悪”における最古参で、初代“山本五郎左衛門”と複雑ないざこざがあり、五郎左から仕事を命令しても素直にうんと言わない頑固者。そのため仕方無く、変事があるまで遊ばせていたのだが、今がまさに動くべき時だろう。鵈もこれに関しては文句を言うまい。


「焔の仕込みを使わせてもらった。“誓約破り(ウォーロック)”はもはやこちらの尖兵だ。そこからの情報で拠点の幾つかを見つけてある。加藤、お前にもその内の一つに行ってもらうぞ」


「……いいだろう。こうなった以上、連中に容赦する理由も無い。なんなら拠点全て、(せつ)が攻め滅ぼしてやろうか。補佐として“円卓”を何人かと、若殿の『駿空結界』を使用させてもらえれば、そうだな………三日もあれば十分だろう」


「おお、願ってもない申し出だ。お前にしては協力的じゃないか。ただ、“円卓”は今出払っていてな。手が空いているのはパーシヴァルとモルドレッドと――――」


「モルドレッドは遠慮しておく。うるさいし」


「うーむ、ではパーシヴァルと………トリスタンにでも頼むか」


「トリスタンがいるなら始めから言え。その二人を借りるぞ」


「では、手勢は五百もあれば足りるな。追加が必要になったら言えよ? 何人か任せている仕事を空けさせよう」


 五郎左が信頼を置く者を何人か。それは“真ノ悪”における幹部に近い実力者を派遣するという意味だ。

 “円卓”と呼称している実動チームを始め、“真ノ悪”でも上位の戦力が数人も集まれば、それだけで戦略級の働きが約束されている。

 “鬼”の組織一つを相手にするには過剰とも言える戦力だろう。それを行ってでも、“白面金毛”を潰さなければならなくなったという事だ。


「そう言えば、村正が内一つに出張っているぞ。退魔師協会の仕事としての戦力だから表立っては連携できないが、鉢合わせるようなら上手く躱すことだ。先行して先に片付けてしまうなり、高みの見物をするなり、判断は任せる」


「村正殿が。ならば、そちらは手を出さぬが上策であろう。あの御仁も手加減というものを覚えてくれれば良いのだが、そうでない内に万が一にも鉢合わせては例え本気でやり合わずともこちらに被害が出かねん。何より、手柄の横取りは好かない」


 村正が出向くなら、その拠点への襲撃は失敗することはないだろう。その決まりきった事実は鵈からすれば、既に村正の手柄と同義だった。


「まあ、お前はふんぞり反って待っているが良い。掃除はきちんと済ませて来てやる」


「いや、俺もやる事があってな。最近は“真ノ悪”も人手不足だ。俺も動かないと手が回らない。ついでに運動不足も解消してくるさ」


「そうしろ。最近弛んでるみたいだからな……腹が」


「……失敬な」


 “真ノ悪”……世界一巨大な化物が本格的な動きを見せる。

 世界は息を潜めて化物から身を隠してきた。しかし化物の胎動は世界を震わせ、波を起こす。

 “真ノ悪(バケモノ)”が波を起こす理由は一つ。あまりに利己的で、傲慢な理由だ。


「世界を呑み込む前に、一度キレイに洗っとかないとな」


 五郎左の、無表情で何の感慨も無さそうな声音が執務室に満ちる。

 鵈は腕を組んで壁にもたれながら、その何でもない(・・・・・)言葉を聞いていた。それに対して鵈が漏らしたのはたった一言。


「お前も世界の汚れの一つだろうに」


 容赦の無い言葉を受け、五郎左の無表情は苦虫を噛み潰したようなものに変わることになった。



          ★



「おお………。ボクもこの学園に居着いて長いが、校舎の屋上から天体観測するのは初めてだ。ボクの旦那は女の喜ばせ方を分かっているな」


「期待を裏切って申し訳ないのですが、マサキ先生の旦那様は現在ここには存在しません。すみませんね、喜ばせてあげるような事を言えなくて」


 公浩が学園に帰投した翌日の夜、九良名学園第三校の校舎屋上。

 鶫が家の用事でいないため、その日非番だった梓、凛子、真朱、偶然居合わせた縁、そしてマサキの6人で天体観測を行っていた。

 一人で星を見るのも寂しいかと思い声をかけたところ、思いの外みんな乗り気で参加している。軽い飲み食いをし、マサキと公浩が主に星を見ている中、他のメンバーは敷物を敷くなど、まるで花見のような様相だ。

 屋上の使用許可は今朝、公浩が亜笠に話して取り付けておいた。ちなみに、マサキが今覗き込んでいる望遠鏡はかなりの本格仕様で値の張る逸品だ。公浩……というより士緒の私物。本来、学生の手が届く代物ではないので、凛子が当然の疑問を口にする。


「にしても公浩。自分ようこんな高そうなもん持っとったな。ここだけの話……なんぼした?」


「値段を語るのは無粋だと思うから言わないけど、僕はここに来る前はそれなりに退魔師の活動をこなしてきたからね。そのバイト代を貯めて買ったんだ。術符は養父からの仕送りみたいなものだけど、望遠鏡(これ)は歴とした労働の対価だよ。向こうの“社”が歩合制じゃなくて良かった」


「そう言われると、公浩が糸浦にいた時にはそれほど活躍してなかったなんて信じられへんな。今なら歩合の方が都合ええのとちゃうん?」


「ぶっちゃけると………その通りだけどね」


 公浩の物言いが気に入ったのか、凛子はヒューと感嘆して手を挙げ、公浩とハイタッチした。ここは欧米か。

 そして凛子は飲み物片手に、離れて注意深くこちらの様子を窺っていた真朱のところへ歩いていった。酔っぱらっているわけではないだろうが、そう思わせる陽気なテンションで真朱に絡んでいる。

 士緒は先日の廃ビルでの一件を知っているため、二人が内緒話をしているのがよく分かった。


「黒沼黒沼、この星は何と言う名前だ? 知らないやつだ」


「どれどれ………これはまた、えらく地味な星を見つけましたね。あまり詳しくはないのですが、恐らくこれは『ろ座』の内の一つでしょう。星に固有の名前は付いていなかったと思います。アルファとかベータとか言うやつですね」


「おお、そうなのか。だったらボクが付けても良いか? こいつは今日からUJIHARA(・・・・・・・)だ」


 ………………ろ座ン?


「クイズが強くなりそうだろ?」


 長く艶やかな黒髪。出る所は凄い出て引っ込む所は適度に引っ込んでいる超級の身体。人間離れした美しさを湛える美貌。

 男物らしいワイシャツに白衣、紺のジーパンを着た神掛かった美しさの女は、恐らく無意識なのだろうが、どこか無邪気さを滲ませた笑顔を公浩に向ける。綺麗な大人の女性が浮かべるには若干幼さが際立つが、だからこそのギャップに公浩は一瞬言葉を失い、心臓が跳ね、魅入っていた。

 マサキはそんな公浩の様子に気付かずに、そのまま言葉を紡ぐ。


「名前なんて誰しも、あって無いようなものだが………無いとそれはそれでツラいからな。アルファとかベータとかの記号ではなく………いかん、妙な感傷に浸ってしまった」


 何か思うところがあるのか、マサキの表情が(うれ)いを帯びたものに変わり、それを少し残念に感じた。一際輝く星に雲がかかったような気分。正直、空の星よりも見る価値のあるものだったのに、と。


「名前はあって無いようなもの………ですか」


 以前、神野悪五郎(仮)も同じ事を言っていた。

 あの時は胡散臭く感じたが、マサキが言うと何故だか強い共感というか、好意的な感情が湧いてくる。言葉は同じかもしれないが、込められた意味や密度は比べるべくもない。あえて言うなら、マサキの言葉の方が優しいのだ。


(私自身、今は黒沼公浩ですからね。認めたくないですが、楽しく日々を過ごしていると………自分が本当は誰か、見失ってしまいます)


 実際は、見失ってしまいそうで恐い……という感じだ。

 鶫や風音、真朱……生徒会や風紀委員会。メールのやり取りだけではあるがギーネや、あるいは虎子を含めても良い。自分でも驚く程に楽しんでいると自覚し、いつか終わる関係を憂う。本物の黒沼公浩に返さなければならない人生……借り物の人生に入れ込む自分が酷く憎い。

 ふと、似た境遇の凛子に目が行くが、馬鹿馬鹿しいとばかりに目を伏せる。士緒は自分とは決定的に何かが違う公浩と凛子に嫉妬しているのだと。

 最近、本当にナルシストが入ってきたのではないかと自嘲した。

 そんな士緒(・・)に、マサキが先程の幼い笑顔とも違う、妖艶さを含んだような笑みを浮かべて公浩に言葉をかける。


「口付けをしてみるか」


「………はい?」


 唐突に何を言い出すのか。なんの脈絡も前兆も無く、マサキとも思えない言葉を吐いた。

 口付けなどと、普段のマサキなら赤面して照れだすような言葉だ。ましてや、自分から持ちかけてくるなどもっての他。

 公浩は胡乱(うろん)な目付きでマサキを見る。


「折角の星空の下で、いい歳の男女が辛気臭い顔を突き合わせているだけなんてもったいないだろう? (やつがれ)も、たまには衝動に流されてみたい」


 まるで別人のように大人びたマサキがそこにいた。その美貌とマッチした妖艶な雰囲気が、まるで実体化したみたいに甘い香りとなって公浩に届く。

 普段のゆるふわなマサキが演技だとは思えないし、真朱のように別人格があるとも考え難い。

 ただ、これは………単純な切り替わりなのだろう。

 例として、人は集中状態に入ると物静かになるだけでなく、逆に激しい感情の発露があったり、行動が苛烈になったり、とにかく普段の自分からは想像もつかない動きをする事がある。より本能的になると言っても良い。

 トランスやゾーン、ハイな精神状態などが当てはまりそうだが、マサキの場合は何を思っての言葉なのか。いまいち掴めない。


「ちゅーは未来の旦那様に取って置いてください。衝動は後悔の種です」


「言ってなかったが、ファーストキスはお前の父親……日向(ひなた)に捧げてしまった。だが、お前がそれ以上を望むなら………」


「おや、呆れましたね。うぶなフリをして、実際は結構な尻軽さんでしたか。父が無理ならその息子とは。エッチなおねぇさんは歓迎ですけど、ふしだらはお断りです」


「僕は正真正銘の未通だし、日向も自分からはけっして僕に触れようとしなかったからな。あいつ以外の男ではお前だけだ。本心から、お前となら初めての経験を共にしても良いと考えている」


「……お酒でも飲んだのですか? 酔いが醒めたら、硬派で理性的な僕に泣いて感謝しますよ、きっと」


 公浩がマサキから一旦距離を置こうと踵を返す。

 しかし、マサキは公浩の制服……ネクタイを掴み、ぐいっと思いきり引き寄せた。

 まさに顔が触れそうな距離まで近付き、その深い深い夜色の瞳に至近で見詰められる。振りほどくだけなら簡単だっただろう。が、えも言われぬ迫力に不覚にも呑まれ、抵抗が数秒遅れた。


「僕は酒が好きではない」


「っ!!」


 ネクタイなどではない。瞳に引き寄せられるなど、生まれて初めての経験だ。

 もし、曲がりなりにも鶫という恋人(よくしりょく)が居なかったら、自分を抑えられていたか自信が無い。それ以前に、我慢する(・・・・)理由も無い。

 理性とフェミニズムの塊とも言える士緒でも、元々からして恋愛は初心者。その場では自制が効いても、恐らくマサキの魅力に参っていただろう。

 様々な要因があってなんとか耐えている状態だ。士緒はそれらの要因があって心底良かったと感じていた。


 まあしかし………それでも万が一の事は起きなかっただろうと断言はできる。その理由は一目瞭然だった。


「…………………きゅぅ」


 操り人形の糸が切れたかのように、マサキがその場でストンと崩れ落ちた。グルグルに目を回したマサキを、しっかり公浩が受け止める形で。


「本当にお酒飲んでるじゃないですか」


 ぐいっと顔を引き寄せられた時、明らかに酒の匂いがした。それを差し引いてもマサキの魅力が殆ど損なわれていないのは恐れ入るが。

 夜の暗さで分からなかったが、顔がかなり赤い。

 酒が嫌いと言うより、単純に弱いのかもしれない。

 ………なんで飲んだんだ? 近くに置いてあった日本酒の瓶を見てそう思った。

 酒のラベルからして亜笠の趣味だろうから、進められるままに飲んでしまったのかもしれないが。

 公浩はぐてっとしたマサキをお姫様抱っこして、屋上の扉へと向かう。

 女性を冬の寒空の下で寝かせるなど言語道断。とりあえず保健室まで運ぶことにした。


「会長、マサキ先生を寝かせて来ますね。冷えますから、辛ければ中に入っててください」


 梓からの返事は無かったが、公浩はそのまま建物の中へと入って行ってしまった。

 知らぬが仏とはよく言ったもの。真朱は公浩の腕の中ですぅすぅ眠っているマサキへ、梓はそのまま真っ直ぐ公浩へ。それぞれ殺気を送っていたことに、当人たちは気付いていなかったのだから。



           ★



 イライライライラ


 公浩から貰った髪留めでサイドテールに纏めている梓は目の前の斑鳩縁と会話をしながら、しかしその視線はチラチラと望遠鏡へ……公浩へと向けられている。

 縁がそんな様子の梓をニヤニヤして見守っていた。


「………………」


 上機嫌に望遠鏡を覗き込むマサキと、それに笑顔を返して会話を行う公浩。そんな二人をモヤモヤしながら見ている内は良かった。

 風紀委員長を急に辞めた縁に対して小言と憎まれ口を叩いていたが、それでもそれなりの付き合いをしてきた二人は時々笑い合える程度には関係は良好だ。ただ、梓にとってはそれが災いしたとも言える。

 時折、縁との会話に上の空となり、ジーっと公浩を見ていれば、たいていの相手は梓がどのように心を揺らしているのか察しがつくというものではあるが。


「蛇に睨まれた蛙だな」


「…………なに?」


 公浩から意識を戻した一瞬の隙に掛けられた唐突な縁の言葉に、梓は疑問符を浮かべる。


「だが、お前の場合は………さしずめ毒牙にかけられた蛙だな。死に際の熱い視線で、逆に毒蛇を睨んでいたではないか。そういった意味では、まな板の上の()にも似ているが。まな板の」


 梓は、縁が二度言った所に悪意を感じた。


「……うっさい。この胸デブが。変な勘繰りはすんな」


「トルストイ曰く、嫉妬は愛の保証への欲求だそうだ。愛を求めているのなら、貴様は嫉妬しているのだろうな」


「……言っておくけど、その言葉は日本語の翻訳過程でかなり変化している。厳密にはトルストイはそんな事を言っていない」


「トルストイは今はどうでもいい。それより黒沼だ」


 自分が言い出しておきながら一瞬でその話題を切ってきたことに、梓はさらにイラッとした。話題を切ったというより、戻したというのが正確なのだが。


「黒沼は良い男だ。異性としての魅力があることは認めるな?」


「…………まぁ」


「なら、誰が好きになってもおかしくない。それも認めるな?」


「…………まぁ」


「では、奴が好きだと認めるな?」


「…………まぁ。…………っ!? ち、ちがっ、今のはそういう意味じゃ――――」


「私はお前自身ではないから無責任な事は言えない。だが、アドバイスくらいはしてやれる。否定だけでは見えないものもある、とな」


 縁にしては希に見る真面目なニュアンスを感じ取り、梓も口をつぐんで吐き出しかけた言い訳の言葉を呑み込む。


「想像してみろ。異性を一生好きにならない自分を。亜笠などは色んな意味で手本とならないか?」


 反面の、だが。

 縁の言葉に理解を覚えだす自分を反射的に否定しそうになるが、それは一旦押さえつけておく。

 それでも縁と目を合わせているのが気恥ずかしく適当な方へ視線を逸らす。

 縁と話しているとたまに起こる事だ。全てを見透かされているようで、つい反抗的になる事も。

 だからこそ、これまでの縁からの忠告で無駄になったものは少ない。


「では次に、黒沼を好きになる自分を想像してみろ。客観的に見てみるんだ」


 …………男など、これまで好きになったことはない。

 好感は抱くが、恋愛感情まで発展したことは無いと断言できる。

 だから、好きになった自分と言われても分からない。

 どのように近付き、どのように話しかけ、どのような関係の築き方を心掛ければ良いのか、全く浮かんでこないのだ。


「ふっ、その調子だ。奥手で何も出来ない自分が見えるだろう?」


 まるで心を読んだかのような言葉に、縁は悪くないのにムッとして睨んでしまった。奥手なのではない。男に異性としての魅力を求めていないだけだ。

 まあしかし、どちらも同じ結果を生み出すと考えると、癪ではあるが的外れとは言い難いのだが。

 梓は想像してみる。くろn………誰か(・・)を好きになった自分の姿を。

 好きになったはいいが、恐らく遠くから見るだけで何も行動を起こせない。

 その内に、その誰かに別の女が近付いてきた。イメージは何故か鶫だったが、違和感が無いのでそのまま先に進めてみる。


 仲良くしている。手を繋いでいる。楽しそうにおしゃべりをしている。優しく笑いかけている。

 そして顔を近付けて、そのまま――――


「~~~っ!!」


 ぶんぶんと頭を振ってイメージを振り払った。

 見ていられない。ツラすぎる。怒りとも嫉妬ともつかない感情で心が壊れそうだ。

 縁は梓の思うままに整理させようと、その場は黙って見ている。


 次に梓のイメージに現れたのは、風音だ。

 鶫と公浩(・・)が腕を組んで歩く中、反対の手を取って体を密着させる。

 自分が何もせず、黙って見ている間に場所が埋まってしまった。公浩(・・)の隣が。


 さらには風紀委員の佐助花真朱、第一校の真田とかいう女生徒も、公浩の両サイドに入れ替わり立ち替わり現れた。

 さらにはだめ押しとばかりに、先程見たばかりで記憶に新しいマサキ養護教諭が公浩を引き寄せて、あわや唇が触れそうになっている光景まで見えた。

 自分は何をしているんだ? さっさと自分もそこに加わって腕を取ってしまえ。そして二度と放すな。

 動きを見せない自分の幻影のあまりのもどかしさに苛々が募っていく。

 だいたい、なんで公浩(おまえ)の周りには女ばかりが居るんだ! さっきから見ていれば、女を取っ替え引っ替え………モテすぎだ!

 梓は公浩の目の前に立ち塞がり、女の子の幻影を消してからその胸ぐらを掴み、真っ直ぐ顔を見て抗議の視線を送る。

 この優柔不断! 女たらし! 不能野郎!

 それほど思い付かない悪口を幻影に向かって吐き出し、掴んだ胸ぐらをグワングワン揺らしていると、ふと、現実の手が掴まれた。

 ハッとなって見てみると、自分は縁の私服の胸ぐらを掴んでおり、そこに縁の手が添えられている。

 視線を上げればそこには、縁の困ったような、愉しんでいるような、何とも言えない顔があった。

 梓は即座に縁の服から手を放す。


「世話の焼ける奴だ。だがまあ、恋愛下手を拗らせる前の忠告ぐらいは出来ただろう」


 縁は梓のサイドテールにそっと触れ、すれ違うように望遠鏡の方へと歩いていく。望遠鏡を覗いて星を見ながらほぉほぉと感心していた。


「……恋愛下手はお互い様」


 鶫は以前、凛子に背中を押された。そして梓はこの日、縁に背中を押された。

 縁と梓は自分たちが好きになった異性の趣味が被っていることには、まだ気付いていない。



          ★



「よおーっす! 飲んどるかー?」


 凛子が気安いノリでベンチに腰掛ける真朱へと近付き、恐縮気味な雰囲気をものともせず、肩にガシッと腕を回して逃げられなくした。


「あわわ、あの……この間の事は誰にも言いませんから、見逃して――――」


「ふぅーん、何で誰にも言わんのやろな」


 陽気な笑顔とは裏腹に、声の調子には僅か凄みを効かせる意図が読み取れた。それに応じて真朱の表情も困った感じの笑みに変わり、乾いた笑いを漏らす。


「普通なぁ、あんなキナ臭い会話聞いたら即行で報告してもええもんやけど、自分はそうせんかった。何を考えとるんやろな?」


「最初から会話を聞かせるつもりで私を放っといたんですから、その情報を私がどう扱おうと文句を言われる筋合いはありませんよね?」


「まぁ………せやな」


 凛子だって真朱が思惑通りに動かないからといって、今さら始末しようなどとは考えていない。

 あの場で羽々矢がもっとヤバい話をしたり、逆に何でもない世間話で済むようなら凛子の対応もまた変わっていただろう。真朱が動かなくても、自分で学園側に情報のリークをしていたかもしれない。

 幸いというか、羽々矢の用件は街中で戦略兵器を使用するなどのものではなく、凛子の考えうる許容範囲に収まるものだった。その上で真朱が報告をして自分の立場が危うくなっても、それで良いと考えていた。

 最悪、学園は追い出される事になっただろうが、亜笠や仁科黎明ならそこまでキツい処分にはならなかっただろう。ここまで凛子が嗅ぎ回ってきても何の反応も無かったのがその証拠。高い確率で泳がされていたと分かる。

 だからバレたとしても、今更という感じではあった。

 故に真朱が一切の報告をしていないのは、少なからず意外には思っていたのだ。

 何か企んでいるのではないか、と。


「それに浪川さん、私を守ろうとして結構焦っているようでしたから、そのお礼も含めてです。まあ、お礼だとか言っても、浪川さんが何か探っていたなら風紀委員長が気付いていたはずですから、多分もう知られてますよね。放っといても平気だと判断されてたんですから、変に報告して浪川さんを処罰せざるを得ない状況にはしたくなかったですし」


「……なるほどな」


 真朱のせめてもの気遣いだったようだ。

 報告された時点で学園側としても何らかの処置をしなくてはならなくなっただろう。公式な記録に残れば、そうでもしなければ示しが付かない。


「んじゃ、礼はいらんな。世の中、持ちつ持たれつやんなー」


「ええ、全く――――っ!?」


 ふと目線を凛子から外した真朱が隣に座る凛子の首を両手で掴み、ぎゅうっと締め上げた。


「ぐぉっ――――!? ぐぃ――――ぎぶ」


 一瞬の事で何が起きたのか理解が追い付かない凛子。首を絞められている間に真朱が「近い!」とか「お姫様抱っこ!」とか言っていたが、凛子はそれどころではないので耳に入ってこない。

 公浩がマサキを連れて屋上を後にするまで絞首は続いた。凛子は解放され、肺活量をフル活用して酸素を取り込みまくった。


「ぅえっ、ゴホッゴホッ――――な、なんや………」


「うぅ………黒沼君、ごめんなさい」


 冷静になった真朱が最初に思い浮かべたのは、廃ビルで出会った橘花院士緒の顔だ。公浩に対して誠実とは言えない自分の気の多さに自己嫌悪が押し寄せ、それ故に無意識に口をついて出た言葉だった。


「ゲホッ、ぅおっほ!! はぁ、はぁ……いや、謝るなら、ウチや、ろ」


 凛子の言葉は虚しく夜の闇に飲み込まれ、星々の彼方に消え去った。                                                             


「黒沼黒沼、(はい、○ズマだよ?)この星は何と言う名前だ?」

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