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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
75/148

第75話 4個で2980、3個で2160、笑顔プライスレス

 

 九良名学園第三校、放課後の第二会議室。

 風紀委員会のほぼ全員が集められた。居ないのは公浩を含めた数人だけだ。

 本日の夜の巡回は生徒会の役目で、本来、風紀委員がこの時間に集められる理由は無い。

 つまりは特別な用件があってのこと。風紀委員たちは微かな緊張感を抱いていた。


 そんな彼らの前に、セミロングの髪をフワッと靡かせ、後ろへ手で払いながら堂々とした態度で現れ、広い会議室のスペースを目一杯使用した長テーブルの上座に当然だと言わんばかりに座った少女こそ、風紀委員長、斑鳩縁。相変わらず目を奪われそうになる整った顔立ち、そこに絶えず浮かぶ微笑。それはどこか妖しい魅力を湛えていた。


 風紀委員長の着席に合わせ、一拍置いて他の委員達も席に着く。

 総勢30人弱が所狭しと居並ぶ長大な空間とテーブル。第二会議室は普段はあまり使わないが、こういった総出の集会時のために小規模ながら『大部屋』の術式が使われている。

 小規模とは言っても、端の方まで行くと大きめの声で話さないと委員長に届かないくらいには広い。

 そこへ風紀委員長から半強制的に集められたのだから、重大な案件なのは間違いないだろう。

 一年生の中には張り詰めた空気に息を飲む者もおり、その極々小さな音を皮切りに会議が始められた。


「皆よく集まってくれた。なぁに、時間は取らせん。他愛の無い通達事項が一つあるだけだ」


 微笑を浮かべ、不遜とも取れる態度の縁。その声音は口調とは裏腹に、学生相応の幼さが滲んでいる。背伸びをする子供の声のようにも聞こえるが、その場の誰も、縁に対して侮りの感情を抱く者はいなかった。

 縁の手腕には疑う余地も無く、またその実力も実際に見た者が少なくとも、恐ろしいまでのものだと伝え聞いているからだ。

 そんな人物が態々自分たちを集めたのだ。他愛の無い話で済むなどとは思えない。

 縁のいつもの皮肉だと認識しつつ、風紀委員達は耳を傾ける。そして、より気を引き締め直した。

 ただし、その殆どは引き締めが足りていなかったと、直後に気付かされたが。


「明日をもって、私は風紀委員長を辞する事になった。後任については――――」


「「「ええ!!??」」」


 縁の言葉に被せるように声を上げたのは、その場に揃った風紀委員のほぼ全員だった。

 縁の実情を知っている者からしたら特に。知らない者からしても、縁が風紀委員長の職務に並々ならぬ責任感を持ち、実力を有しているのは理解していた。それ故の驚き、驚き故に思わず上がった声だ。

 縁が呆れたような面倒臭いような顔を浮かべる。


「静かにしろ。それと貴様と貴様と貴様、席に着け」


 興奮している者達からもっと騒々しい質問攻めが始まる前に、それほど大きくはないはずなのに部屋の端まで届く鈴の音のような声で命令をする。

 有無を言わさぬ命令。例え反論があっても、それでも思わず従ってしまいたくなるカリスマというものが、縁にはあった。

 入学して一年も経っていない風紀委員ですら、縁が強大な存在だと気付く程なのだ。流石に学園内で縁が“鬼王”だと知っている者はごく一部の教師陣だけなので、先輩後輩問わず慕われるのは、紛れもなく縁のカリスマ性によるものなのだろう。

 縁の発する声に、驚きの余り椅子から立ち上がった者、立ち上がりかけている者、席に着いたまま今にも喚きだしそうな者たちは一瞬で気勢を削がれ、気配に呑み込まれた。


「一身上の都合により、私はこの学園を離れる事にした。後任に関しては、私と同等……とまでは行かないだろうが、学園を守護するに足る実力がある者だというのは確かだ。これからはそいつが貴様らを守ってくれる」


 縁の言葉に困惑の色を隠せない風紀委員達。

 あちこちから小声で相談しあう姿が見られる。

 そんな中で、真っ先に挙手をした者が二人。

 松平二朗と、佐助花真朱だ。

 二朗ならともかく、この状況で真朱が手を挙げるというのは数ヵ月前には思いもしなかっただろう。他人の感情を苦痛になるほど敏感に感じ取ってしまう真朱が、この人数の中で目立つ発言行為をするなど、以前ならあり得なかった。

 橘花院士緒から齎された術式により“鬼”へとその身を変じさせてからと言うもの、それまでのように過度に他者の存在が苦痛ではなくなったため、真朱の態度が普段から堂々としたものになってきている。それに伴い、よく笑い、よく話すようになった。

 密かに男子の人気も上がっているのだが、『感受』の能力を制御できるようになったため、本人は全く気付いていない。


「うむ、では松平兄。発言を許可する」


 風紀委員次席、松平二朗が立ち上がり、スチャッと直した眼鏡の奥から鋭い視線を縁に向ける。


「一身上の都合というのは、具体的にどういったものなんでしょう?」


 二朗の質問に、縁は常の不敵な笑みを崩さずに応える。


「具体的な説明をしなくても済むように、一身上の都合という便利な言葉を使ったのだ。野暮な事を聞くな。これで理由がオメデタとかだったりしたらどうするつもりだ?」


 縁の軽い冗談に、二郎の隣に座っていた弟の松平三郎が声を上げて立ち上がり、過剰に反応した。が、何かを言い募ろうとしたところで二郎の手によって下顎から頬を掴まれ、口をすぼめられて黙らされていた。

 その間も、二郎の表情は至って真剣なままだ。


「貴女ほどの人が学園を離脱するとなると、そうもいきません。万が一にも敵として会いたくはないので」


 縁が“鬼王・斑鳩”だとは知らなくとも、これまでの特異な立ち位置から、人間の退魔師ではないと気付く者も当然いる。

 理事長あたりが使役する強大な式鬼神だというのも、知る人ぞ知る公然の秘密だ。

 しかし、式鬼神の契約はどれ程の実力差があろうと、ほぼ対等で行われる。対等故に、契約の内容は曖昧になりやすい。

 いつ崩れても不思議ではない危うい関係なのだ。

 そうなった時、縁が敵になる事を考えると、二郎の知る限り最悪の事態だ。以前、たまたま見る機会のあった縁の力………それを思い出すと、とてもではないが敵対する気にはなれなかった。


「安心しろ。今のところは、私がこの学園と敵対する事は不可能(・・・)だ。その意味は分かるな?」


 敵対は不可能。それは恐らく、式鬼神の契約に関わる事なのだろう。つまり、まだ契約が切れていないということだ。

 その上での今回の事態だというのなら、あるいは任務の一環だろうか。


「どうしても理由を聞いておきたいと言うのなら話しても構わんが、そんな大層なものではないぞ?」


「………伺いたいです」


「お、俺も聞きたいです!」


 松平兄弟がそれぞれの思いで言葉を発した。それに続くように他の風紀委員達もその意に賛同していく。

 それを聞き、縁は軽いため息を吐いてから、やれやれと苦笑い気味に告げた。


「男の尻を追い掛けるためだ」



 ………………



 ……………………



 …………………………



「委員長、僕は真面目に聞いたのですが」


「橘花院士緒を独自に追い掛ける。アレは私のモノだ」



 ………………



 ……………………



 …………………………



 ドサッ


「!? お、おいっ、松平弟が倒れたぞ! 医務室へ運べ!」


「だから委員長はやめとけって、あれほど言ったのに!」


「おい、頭を持て。俺は足を持つ」


「イヤよ! なんか変な汁が出てるもん! あんたが頭持ちなさいよ!」


 あらゆる意味で部屋が騒然とする中、二郎はむしろ納得したように落ち着いていた。

 眼鏡拭きでレンズをキュッキュと拭うと、「理解しました」と言って椅子に腰を下ろした。実にあっさりしたものだ。

 縁の答えが、二郎の知る斑鳩縁という人物のイメージと一致したからだ。恐ろしく自由で、突拍子のない事をする女。

 あまりにも食えない女の、あまりにも女らしいその理由に二郎は安堵し、それ以上の追及をする気をなくしていた。


「では、話を続けるぞ。いや、その前に佐助花の質問があったな」


 縁が真朱に話を促す。

 真朱は僅かに躊躇しつつ、おずおずとだが質問を投げた。


「あ、はい。すぐに委員長の話にも出ると思いますけど、後任についてなんですが………」


 それはその場の誰もが気になっていたことだ。

 風紀委員次席の松平二郎と、頭脳明晰な副官として知られる佐助花真朱が知らないということは、この場の誰も知らないということ。

 多くの場合、風紀委員長の跡を継ぐとしたら次席か、でなければ委員長の指名した誰かを信認するための合議などが開かれたりするだろう。医務室へ向かった何人かを含めた大部分の者もそう考え、後釜とするなら二郎か、あるいは公浩あたりではないかと予想していた。

 だが、真朱はそれがあり得ない事だと知っている。縁の事情をある程度は理解している真朱だからこそ分かる事なのだが。


「後任の方も………“()”なんでしょうか?」


 その質問で、部屋の中にザワッとした空気が生まれる。

 誰なのか……ではなく、人間(・・)なのかという質問の意図を、正確に読めない者も何人かはいたからだ。

 一、二年の風紀委員の中には縁が“鬼”であるという話を知らないか、ただの噂と断じて意に留めていなかった者もいる。公然の秘密として知っていた者も、真朱の言い回しからそれが真実なのだと再認識させられた。

 真朱の言葉は縁が人ではなく、“鬼”なのだという事の証左だった。

 “鬼”という存在に過度な嫌悪や偏見を持つ者は風紀委員にはいないが、実際にそれと聞かされると、納得するのは難しい。

 そんな空気をはっきりと理解し、それでも何の感慨を受けた様子を見せず、縁は常の態度のままに語る。


「当然、そうなる。うむ、知らない者もいるだろうから、ここで説明しておこう。ここ、九良名学園第三校において風紀委員長は代々、仁科黎明が推挙する実力のある“鬼”が就く事になっているのだ。まぁ、代々…とは言っても、この学園の風紀委員長は創立以来ずっと私なのだがな」


「「「ええ!?」」」


 部屋中から驚愕を露にした声が上がり出す。

 “鬼”は人間より長生き、あるいは不老だと知っていても、目の前の縁がと言われれば流石に驚いてしまう。

 現在は二学年の縁だが、三年の風紀委員には自分たちの先輩として縁が存在していた事を知っている者もおり、ある意味今更とも思えるが、はっきり縁が公言したのは初めてだった。


「それは長く学園を守護するために不老の“鬼”でなくてはならないとか、私が最も適任だったとか、理由は色々あるが、一番の理由は私がある程度とはいえ仁科黎明の信用を得ていたからだろう。ふふ、私ぐらいしか信用出来る者がいなかったとは、哀れなジジイではないか。まぁ、それも式鬼神契約があってこそのものだったろうがな」


 縁の口から語られていく話に風紀委員達は唖然としていた。

 話から読み取れる事実を踏まえ、本当は聞きたい事が山ほどある。しかし、話に追い付き、現実を受け入れるだけで精一杯なのだ。縁としてはその方が都合が良い。どうせ質問されても答えられない事の方が多いのだろうから。


「それで後任の者だが、私もまだ詳しくは聞いていない。明日会う事になっているが、仁科黎明が信を置く退魔師が使役している“鬼”だそうだ。引き継ぎは明日には済ませておく。皆、精々守り立ててやってくれ。他に何もなければ本日は解散とするが?」


 困惑の空気が部屋に充満していく。

 先々の心配も勿論あるのだが、そこには縁が明日には学園を離れるという事実に幾ばくかの寂しさも存在していた。

 極めて有能で、いざという時には頼りになる委員長。皆から慕われていたのは間違いない。

 それが明日にはいなくなってしまうと言う。別れの言葉を言うなら今なのではないか。明日、いつの間にかいなくなっていたとなる前に。

 そして、意を決した者たちが互いに目配せをし、これまで世話になってきた礼の言葉を述べようと正に口を開きかけたその時、縁が機先を制するように言葉を発した。


「ちなみに言っておくが、私は学園の所属ではなくなるが、暫くは街を離れないからな。仁科黎明の式鬼神として、学園にもこまめに顔を出す。もし別れの言葉を言うとしたら、貴様らが卒業する時だろうな。………ん? なんだ貴様ら。まさか私が居なくなると思ってしんみりしていたのではあるまいな。いやいや、良いのだぞ、存分に泣いても。そして翌日に涙で腫らした顔で私にばったり会って気まずくなると良い。ほらほらどうした? 何か言いたい事があ――――」


「はーい皆。これにて会議を終了します。解散していいよー」


 二郎の号令で、穏やかな空気のままその場は解散となった。

 縁による冗談で緊張が一気に弛緩したからとはいえ、その瞬間だけはカリスマが陰ったようだ。縁に挨拶する者はなく、全員が雑談などをしながら部屋を後にしていった。


「ふっ、我ながら人望が無いな」


 最後には縁の皮肉げな笑みだけが残った。



           ★



「……そろそろ来る頃」


 種咲の“社”の屋上はヘリポートになっている。現在、そこでは公浩、鶫、梓の三人が九良名学園所有のヘリの到着を待っているところだ。

 そして三人を見送るために見知った顔も何人か集まっていた。


「おぅ、世話になったな黒沼」


 ガシッ


「こちらこそ、飛英さん。ですが、世話になった人の態度ではないですよね? これ」


 公浩は自分の肩に乗せられている……否、掴んでいる手を示す。

 かなりの握力であることから、相応の怨みが込められているのが窺えた。ギリギリと締め上げられる痛みから、苦笑のままに眉を顰める。


「あの後、頭にドが付く変態女にお仕置きを強要されて、挙げ句押し倒されそうにならなければ………心底から礼を言えたんだがな」


「ああ、そっちの件でしたら、しっかりとお礼は受け取ってますよ。小早川さんから」


「てめぇら………共謀して俺を嵌めやがったな」


 飛英の睨み付ける視線が隣の小早川にも向いた。しかし、当の本人は逆に不満そうな顔を返している。


「ハメてほしいのは私の方なんですが?」


「頼むから、恥じらいとか下ネタに対する抵抗とか、蝋燭一滴分でもいいから身に付けてくれませんかねぇ」


 二人がそれぞれに恨み言を言い出した所で、話が収拾つかなくなる前にと、未来夜が痴話喧嘩を他所にして公浩に声をかけてきた。


「黒沼。言うのが遅れたが、佐東を守ってくれてありがとうな」


「東雲くんも、今回は大活躍だったね。まるで何もしていないようにしか見えなかったけど、そんなはず無いもんね? きっと見えない所で何かとてつもない事をしていたんだよね?」


 これが嫌味に聞こえない者はいない。未来夜も例に漏れずその意味を理解し、本心からの感謝を湛えていた笑顔がピキッと凍りついた。


「なぁ黒沼。もう少し謙虚に感謝の言葉を受け取れないのか、ああん?」


 そう言われ、公浩にとってとても良い出来事があったのを思い出す。

 飛英によると、五行家は多忙につき、当日の公浩たちの見送りに来れないとのことだったが、代わりに伝言を預かっていたらしい。

 それは、五行家で分けてもらった秘伝の漬物、あれを毎月九良名学園宛に送ってくれる旨だった。「紗枝ちゃんと食べてね」と付け加えて。

 それを先ほど聞かされて、軽くウキウキ気分なのだ。


「ごめんごめん。ちょっと良い事があってテンションが上がっちゃったよ」


「お前は良い事があると他人を苛めるのか! 真性のドSか!?」


 公浩の周りが賑やかな別れ際となっている頃、梓、鶫はと言うと、少しだけ険しさの浮かぶ顔で佐東市之助と対峙していた。

 話の内容は、八重波によって窮地に立たされた自分達を救った天からの一撃。そしてそれを使ったと思われる怪士面の男についてだ。

 一線級の退魔師ともなれば、関東の糸浦で起きた出来事とはいえ、それなりに重大な案件の報告書を詳しく読み込むことを惜しまない。一線で活躍する市之助も当然のように殿町宗玄の術装が強奪された件を把握している。

 そして、退魔師協会側としても、見過ごせない事実があった。

 術装の強奪の際、“斬首の村正”の異名を取る最高峰の退魔師……赤坂村正とやり合い、出し抜いた男。そいつが怪士面を被り、そして………『色装』を使って見せたという事実が。

 十中八九、八重波を退けた男と同一だろう。その男が実際に『色装』を使うところを見たわけではないが、四宮家の血筋による秘伝を使うとされるその男を目撃した身としては、鶫には話すべきだと思いたった。

 近い内に鶫が自主的に報告書に目を通す可能性もあったが、やはり自分の口で少しでも早く伝えておきたくもあり、話も聞いておきたかったのだ。

 協会は鶫が四宮の跡取りとあってか、事実確認と裏付け作業をしてから事情を聞くという慎重な姿勢を取っている。迂闊に嫌疑をかけるようなことをして不興を買いたくなかったのだろう。もっとも、そんなもの知った事ではないと、市之助が空気を読まずに告げてしまったのだが。


「四宮鶫。本家にいたお主なら、それほどの使い手に心当たりがあるのではないか?」


「………………」


 ポン


 梓が励ますように鶫の肩に手を置いた。

 無理に話す必要は無い、正しいと思った事を言えば良い。梓の目からはそんな言葉が伝わってきた。

 鶫も、自分の一族が重大事に関わっていると聞かされて平静さを欠いていたが、梓とその姉である亜笠という頼もしい存在を思い出し、気を落ち着けた。


「私の知る限り、それ程の使い手は多くありません。具体的にどれぐらいの強さなのかは分からないのではっきりとは言えませんが、最低でも私程度の強さはあると思います。父を含めた本家筋に三、四人くらいでしょうか。もっとも、全員先日の本家襲撃で亡くなっていますが」


「む……そうか。嫌な事を聞いて済まんな」


 市之助の申し訳なさそうな声を受け、鶫は気にしてないとばかりに笑って首を左右に振って見せる。


「いいえ。よく考えてみれば今の言葉、私の強さが四宮でも数えられる程のものだって自慢してるだけなんですよ?」


「……お主が先の戦で災害級の龍を屠った事は聞いておる。そんなお主よりも強いのか」


 あの赤坂村正と相対して逃げおおせるのなら当然と言えば当然の話だ。

 なにしろ赤坂村正は国内外でも数少ない災害級と個で渡り合える退魔師。おまけに仕事においては堅実で隙が無い事で知られている。それを出し抜いたともなれば、“鬼王・八重波”と対峙して引けを取らなかったのも頷ける。


「『雲斬天俯瞰(くもをきりてんをふかんす)』、あれを“社”から強奪している以上味方の筈はないであろうが………今後、関わるような事があれば、くれぐれも、怪士には気をつけよ」


「ありがとうございます。例え親戚だろうと、敵として会うからには容赦しませんから。それに………」


 怪士


 (みさご)の口から何度か出てきた名前だ。

 鵈が自分に拘っていた理由の一つであろう人物。それが四宮の人間であるのなら、どんな因縁があるのかは知らないが筋は通る。

 鵈の言うところによると、その男は自分にただならぬ感情を抱いているらしい。そんな人物には心当たりが無いが、ここまで来ると自分と関係無い筈が無い。

 結局どこかの組織の者なのかは分からなかったが、それでも、鵈は手掛かりを残してくれた。


「………………」


 離れた位置で未来夜たちと会話している公浩を見やる。

 いつもの人の良さそうな笑顔だ。なんら変わる事はない。

 どうしようもなく好きで、幸福。それは公浩が誰であろうと、変わらないのだろう。


「……時間」


 まだ距離があるが、こちらへ向かって来るヘリコプターの姿を見つけた。

 別れの時間が迫り、きちんとした挨拶を交わしていく。


「お世話になりました。またお会いしましょう」


「おう。もう二度と変態を焚き付けんなよ?」


「飛英様共々、手のひらの上で踊らせていただいて感謝いたします」


「向こうで紗枝を頼んだぞ。ただし手は出すなよ?」


 公浩はそれぞれに笑みを返していく。そしてふとした事を未来夜に尋ねた。


「そう言えば今回、花房くんを見なかったけど、最近は一緒じゃないの?」


「ん? ああ、花房なら今回の大戦で行われた人員編成……というより、一時的な人材トレードで遠くに出向してるよ。近いうちに戻ってくるだろうが…………本当は他に聞きたい事があるんじゃねぇのか?」


「………いいや。これといっては無いかな」


「………………」


 未来夜は知っていた。市花が公浩に熱を上げている事を。

 鈍感系と言われる自分でも、市花とはそれなりの付き合いで、おまけにあそこまで明らさまな様子を見せられれば気付かない筈が無い。

 最近は悩みがあったのか、時おり元気が無くなったりしていたが、公浩に執心してからは以前と同じく……いや、以前よりも遥かに明るくなり、笑顔も増えた。同期の退魔師たちの間でも、「大人っぽくなった」「可愛くなった」「ついつい目で追ってしまう」「ついつい物理的に追ってしまう」と言われていたりと、人気も上がったようだ。

 もはや市花の様子は恋する乙女以外の何者でもなく、自分より鈍感な公浩でもその好意に気付いているのは間違いないだろう。

 だと言うのに、今この場には市花の姿は無い。市花の入れ込み具合からして、これは考えられないこと。公浩とて気にはなっている筈だ。


「これは独り言なんだがな………佐東は内心、お前に付いていきたくて仕方ないらしい。住み良い故郷と仲間の元を離れてでもとは、健気だよな。仲間としてはちょっと複雑だが」


「………………」


「まぁ、お前を困らせると分かってて実際に付いていこうとするほど、あいつは非常識じゃなかったってことだ。ついでに言うと、顔見たら付いていきそうになるとかで、今日は来ないとさ」


「………ねぇ、東雲くん」


「なんだ、伝言か?」


「……………いや、なんでもない」


 ヘリが近付き、プロペラ音がそれ以外の音を全て呑み込み始めた。

 もう声も届き難くなり、公浩は笑顔で手を振りながらヘリの方へと歩いていく。

 鶫と梓も軽やかに乗り込み、公浩もそれに続いた。

 数人の見送りを受けながら、実にあっさりとヘリは“社”の屋上から飛び立った。


「…………………」


「? 先輩、どうかしましたか? 物憂げと言うかなんと言うか……………佐東さんの事が気になりますか?」


 少しだけ機嫌悪そうに言う鶫。

 鶫も、見送りには当然市花も来るだろうと思っていた。

 鶫としても、市花の事は嫌いではないし、今後も嫌いになるとは思っていない。けど、こと公浩の話となれば微妙なところだ。

 未だ仮と付く関係である自分がとやかく言えることではないが、他の女の事で哀愁の漂う顔をされているのだから、嫉妬の一つや二つしてもいいではないか。恋人の関係になるにあたって多少の浮気は許すと条件付けたのに、実に勝手なものだと自分が情けなくなった。


「……そうだね。気になると言えば気になるよ」


「………………」


「ッッッ!! い、痛いです会長。足を踏まないでください」


「…………優柔不断が」


「い、いや、そういう訳ではないんです。気になるというのはそういう意味ではなくて――――痛だだ!!」


「……懺悔以外に聞く気はない」


 なぜか梓の方が鶫より圧倒的に不機嫌になってしまったが、それを見て不機嫌を忘れた鶫が慌てて梓を宥めに入っていた。


「佐東さんの好意は嬉しいけど、さすがに受けられないからね。ただ、だからこそ気掛かりな事もあって………」


 そう言って公浩は学園の冬服の内ポケットから可愛らしい包装の袋を二つ取りだし、それぞれ鶫と梓へと渡した。


「先輩? これは………」


「………………」


「可愛いシュシュがあったから買ってみたんだ。前、会長にだけ御守りを渡さなくて不機嫌だったから、ちゃんと二人分」


 爽やかに笑顔をみせる公浩。たが………


 ガシッ


「か、会長?」


 梓のアイアンクローが公浩の顔面を鷲掴みにした。わなわなと小刻みに震えているが、そこまでの力は加えられていないようだ。


「こ、ここ、こんな物で、ご、誤魔化そうったって!」


 そう言いつつも、反対の手ではプレゼントの袋をギュッと大事そうに抱えていた。

 梓は常になく慌てた様子で、顔もこの上なく紅潮している。視線はグルグルと泳ぎ回り、明らかに照れ隠しのそれだ。

 それを見た誰もが、梓のそんな可愛いらしい態度にあれこれと勘繰りそうなものだが、幸いと言っても良いのか、鶫も公浩もそんな事態には気付かない。

 公浩はアイアンクローで視界が塞がれて。鶫は、


「嬉しいです……素敵過ぎます先輩っ。こ、これはもう、体で御返しするしか――――」


 プレゼントを抱えながらあれこれムソウ(・・・)し始めてしまい、梓が落ち着きを取り戻すまで元には戻らなかった。


「……ごほんっ。そ、それで……本当に誤魔化すためにこんなものを買ったとでも?」


 それから暫くは梓が公浩を面と向かって見れなくなったが、取りあえず体裁だけは整えて喋る事が出来た。


「実は………佐東さんが大事にしていた髪飾りが戦いの中で壊れてしまったらしくて。それでせっかくなので鶫と会長の分も一緒に買って、そして代わりの物を………」


「「………………」」


 渡したのか。二人の目がどこか責めるようなものになった。

 例えるならその目付きは、メジェド様のような目だった。


「い、いや、恐らくは大丈夫! 直接は渡さず、郵送してもらったから。多分、着くとしたら今日中だと思う」


「先輩、それはそれで………」


 質が悪い


 そう思わずにはいられなかった。



           ★



 カンッ カカンッ カンッ


 カラッとした小気味良い音を発しているのは2本の木刀だ。

 五行本家のものよりかなり小さく、板張りの床で剣道の仕様となっている道場。佐東家の敷地に建てられた道場だ。

 その場にいるのは木刀を打ち合わせている兄と妹、そしてそれを座って観戦している長兄。

 長兄は既に妹に打ちのめされた後。次兄も、殆ど手も足も出ずに圧倒されていた。


「せぇい!!」


「ふっ!」


 次兄が上段から今日一番の速度での振り下ろしを繰り出した。しかし、妹にとってはその一撃は驚異でも脅威でもなく、むしろ絶好のカウンターを打ち込むために敢えて隙を作って誘い込んだものだった。

 妹は一瞬で木刀を逆手に持ち替え、柄頭の部分を振り下ろされた木刀の腹に叩きつけ、勢いそのままに次兄の首筋に木刀を押し当てた。


「ぅ………参った」


「…………ふぅ」


 次兄が負けを宣言し、妹……佐東市花が息を吐いて木刀を引き、一礼をしてから壁際までさがった。次兄は長兄の側に寄り、腰を下ろした。


「いよいよ勝てなくなってきたな、弟」


「兄貴も、前はもう少し食い下がってただろ?」


 見ると、市花には殆ど息を乱した様子が無い。直前まで打ち合っていた次兄は汗にまみれ、息も荒いというのに。

 長兄はと言うと、左手が包帯に包まれている。つい先程、市花の相手をしていて思い切り打たれたのだ。

 いずれも完封に近い負け方。少し前までは15回に一回は辛うじて勝てる事もあったのだが、今は兄弟揃ってまるで勝てる気がしなかった。


「さっきのあいつ、メチャメチャ恐かったけど………お前何かしたか? どう見ても機嫌が悪いぞ」


「兄貴が何かしたんじゃないのか? 前に兄貴が未来夜を連れてキャバクラ行こうとした時よりおっかなかったぜ?」


「ばっかおめぇ、あの時はまだ紗枝ちゃんと付き合ってなかったからセーフだろ」


「市花にとっちゃもっと悪いわ! そりゃ怒るわ!」


 市花が正座をして精神統一をしている横で、兄弟二人が喧しく声を上げている。市花にはそれを気にする素振りすら無いが、そんな二人の後ろから「ガキを酒飲み場に連れてくでない」と、もっともなツッコミが入れられた。


「お主らもまだまだヒヨッこじゃのぉ」


「「親父!」」


 顔は良く言えば軍人、悪く言えば山賊な男。三人の父にして佐東家当主……佐東市之助が入り口から顔を出した。


「今日はそのぐらいにしておけ。ああ、市花はもう少し精神統一な」


「はい」


 市花が再び目を閉じて心の内に意識を集中させていく。

 これでしばらくは会話に入って来ることはないだろう。


 兄「親父は何か知ってるのか? 市花が不機嫌な理由」


 弟「まさか親父、また市花と風呂に入ろうとして、ついに堪忍袋を木っ端微塵に吹き飛ばしたんじゃないだろうな」


「んなこと最近はしとらん!」


 弟「いつまでやってたんだよ!」


 兄「俺は見たぞっ! 最低でも今年の始めまではやってた!」


「違いまーす。去年の暮れですうー。後ひと月でちょうど一年なんですうー」


 兄「偉そうに言えたことか!!」


 弟「兄貴、間違いねぇ。親父が犯人だ! こいつが市花を怒らせたんだ!」


「ええい!! だから貴様ら揃いも揃って未熟なんじゃ! よいか、市花は別に怒っているわけではない!」


 一喝するも、父親としての畏敬など地に落ちている市之助の言葉では説得力が弱いのか、兄弟は納得しなかった。

 市之助の言うことが戯言にしか聞こえていない。


 兄「適当言うなよ!? 見ろよこの手を! 市花がお兄ちゃんに怪我させるなんてよっぽど荒れてるからだろ!!」


 弟「いや、兄貴はしょっちゅう怪我するだろ」


「お前はアタマを怪我しとるんじゃい」


 兄「んだとぉ!?」


 兄がさらに喚きだそうとしたところで、このままでは話が進まないと気付いたのか市之助が咳払いで強制的に場の流れを断ち切る。

 いつもよりほんの少し力の込められた咳払いに、流石に兄弟も一旦動きを止めた。


「市花はな、この間ようやく孺子のことをふっ切ったんじゃ」


 兄「こぞう、って………未来夜の事か?」


 弟「めでたい………んだよな?」


 兄弟も、市花が未来夜を好きで、それが儚くも散った事は知っている。

 自覚は薄いようだが、市花は特に引き摺る方だったみたいで、兄達も然り気無く励ましてはいたのだ。しかし効果は見られず心配ばかり募っていたが、それなら一先ずは良い知らせだろう。市之助の言い方からすると、何か問題でもありそうに聞こえるが。


「めでたいだけで済む話ではない。市花が新しい恋を見つけてしまったんじゃぞ!?」


 弟「ああ、なるほどな。まぁ仕方ねぇんじゃねぇの? またフラれて落ち込まれるのは鬱陶しいけど、別に珍しい話じゃねぇし」


 兄「相手がどうしようもないクズなら止めようはあるけど、そうじゃないなら俺らにはどうしようもないだろ」


「確かにの。相手に関しては、それほど悪い奴でもない。既に付き合ってる女が居らねばな」


 市之助の言葉に兄弟は苦い顔を浮かべる。

 何でよりにもよってそんな男ばかり好きになるんだと、市花に咎める視線を向けた。


 兄「男運が悪いのか?」


 弟「じゃなきゃ趣味が悪いのか」


「いや、眼鏡も壊れとったようじゃし、悪いのは視力じゃろ」


 兄弟「「誰が上手いこと言えって言ったよ」」


「それだけではない。さらに悪い事にそやつ、えらくモテるらしい。ライバルてんこ盛り」


 兄「ドン・ファンか………」


 弟「ドン・ファンなのか………厄介だな」



           ★



「っくしゅ!」


「先輩、風邪ですか? 看病します?」


「……男のくしゃみなのにカワイイとか。ムカつく」


「ちょっと鼻がむずむずとしただけだよ。あと会長、こんな事でムカつかないでください」


「………………」


「さっきから顔合わせてくれませんけど、もしかしてプレゼント気に入りませんでした?」


「…………違う」


「あれ? 会長、なんだか顔が赤くなってきましたけど……会長の方が風邪ですか?」


「僕のコートで良ければ、どうぞ羽織ってください」


「………………ぁりがと」


 女たらし(ドン・ファン)絶賛発動中につき、『彼女の前で優しくされて罪悪感を抱きつつも逆らえない自分にまた罪悪感現象』が日本の空にて発生していた。



           ★



「ドン・ファンだろうがマルキ・ド・サドだろうがどっちでもよい! しかし、このままでは市花がまた傷付いてしまうのが目に見えておる。その男が先ほど九良名に帰ってしまったと言うのに機嫌が悪くなるどころか、逆に研ぎ澄まされているのがその証拠じゃ。孺子の時など比ではないほど真剣(マジ)じゃ! この間の大戦では身を呈して市花を守ってくれるくらい良い奴じゃから何も言えぬし! だがっ、それでも、あの話だけは――――」


 兄弟「「あ」」


「な、なんじゃ。今の不吉な『あ』は」


 兄「大戦(おおいくさ)で思い出したけど、あの時、市花がよく付けてた髪留めがあったろ」


 弟「さっきまで何処にでもありそうなやつで代用してたんだけど……ほら、あれ」


 弟が指したのは市花の前髪を留めているシンプルなデザインの綺麗なクリップ。

 シンプルと言っても、滑らかな曲線と、鮮やかだが派手過ぎない瑠璃色が、品の上質さを物語っている。高級品ではないが、作り手と買い手のセンスが光る逸品だ。

 さらに、道場内では外しているが、普段かけている市花の眼鏡とセットで合わせれば一見してクール系の印象を相手に与えるだろうという計算も読み取れる。いつもの丸縁の物ではなく、もう少しほっそりした眼鏡をかければ尚良しだ。

 そんな髪留めを見て、市之助が目を剥いた。


「あ、あれはまさか!」


 弟「郵送で送られて来たから、てっきりネットで注文したものだと思ったんだが、差出人と同封されてた手紙らしきもんを見て泣きそうな顔して喜んでたのはそういう訳か」


 兄「暫くそれを見つめながらうっとりしてた」


「ぬぅおぉおおお………あの男、なんて恐ろしい奴なんじゃ~~~」


 市之助が公浩の手管(無自覚)に戦慄していると、市花の瞳がスゥッと開かれ、半眼の状態で声を発した。


「お父さん、あの話……考えてくれた?」


「!!!」


 弟「あの話?」


 兄「あの歯無し?」


 市之助は手がぷるぷると震える程に強く握りこみ、必死で何かに堪えているような苦悶の表情を浮かべていた。


「イヤじゃ! 認めん、お父さんは認めん! 転校して寮住まいなど、頼むから考え直すんじゃ!」


 兄弟「「テンコウ…………………………転校!!??」」


「お母さんの許可は貰ってるから」


「し、しかし! 九良名は最近何かとキナ臭いし……いや、でも、かあさんが賛成していては…………ぬぐぅ~~、まさか儂まで一樹と同じ気持ちを味わう事になろうとはっ――――」


 兄「お、親父、いい歳して泣くなよ」


 弟「オッサンのガチ泣きとか引くわー」


 市之助が顔を押さえて嗚咽を漏らす姿は、人に見せたらリアルに引かれそうになる光景だった。

 そんな姿を晒す父親にも容赦無く追い討ちをかける娘は正しく、『泣きっ面にイチカ』と言うやつだろう。


「正直、さっきまで結構迷ってたけど………もう決めたから」


 髪留めに愛おしそうに触れ、兄弟ですらドキッとしてしまうような微笑みを魅せた。

 この間までは、どこか垢抜けなくて控え目だけどちょっと可愛いな、くらいの娘だったのに、こんな顔をするようになっていたとは………

 市之助も断腸の思いだが、こんな成長を見せられて、それでも反対するなど出来ない。年貢の納め時だ。


「…………いつでも帰って来い」


「うん」


「…………こまめに電話しなさい」


「うん」


「…………食事はしっかり摂って、食事の内容は撮影してメールで送ること」


「うん……………うん?」


「寝る前に必ず電話で『パパ愛してる』って言うんじゃぞ?」


「…………………」


「それから、息子二人を護衛として付けるから、何かあったらこいつら盾にしてでも帰ってくるんじゃぞ!」


「絶対やめてね?」


 美しい姿勢で正座をした状態で笑顔を向ける市花から、あり得ないくらいマジな声音が放たれ、別の意味でドキッとした兄弟たちであった。                                                        

兄と弟の部分、ズルをしてスミマセン。

外見の描写が無いばかりか、セリフで見分けが付けられないキャラを登場させた事を御詫びします。

m(__)m ⬅この通りです

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