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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
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第74話 微かなるよりも顕かなるは莫し

 数時間後には種咲市を発つ。

 まだ夜も深い時間、公浩………橘花院士緒は転移術式でいったん種咲を離れ、五郎左のいる実家へと帰って来ていた。

 五郎左の書斎。そこには焔と、最近あまり会えなかった梢もいる。梢は士緒が来る前に焔と話したようで、得意気な笑みを浮かべる焔に飛び掛からん勢いだった。実際に飛び込んだのは遅れて登場した士緒の胸なのだが。

 なんでも、先日の焔へのご褒美がどうとかで、「自分も! 自分もっす!」と言って士緒をソファに座らせて、そのまま士緒の膝にしなだれ掛かるように頬を乗せた。焔も対抗して士緒の横から艶かしい体勢で密着している。

 それだけ見ると、まるでマの付く職業のボスが情婦を侍らせているように見えなくもない。五郎左がそれをデスク越しにニヤついて見ていた。

 そして、その部屋にはもう二つの人影があった。その内の一つがからかうように声をかける。


「流石は若殿(わかとの)。あちこちで女子(おなご)を侍らせて高笑いとは、愛が深うござるな。いや、深いのは業でござるか?」


「………………」


 部屋の壁際に立つ二人……ベタな忍者装束を着込んだ加藤(みさご)と、腕を組んで背中から壁に寄りかかっている怪士(あやかし)面でオールバック、ライダースーツ&ジャケットを着た男が、そんな士緒の様子を見ていた。

 士緒も、そこで照れ臭そうにして見せれば可愛げがあるのだが、恥じ入る様子も無く鵈に笑みを返した。


「お久しぶりです加藤さん。定期報告で顔を会わせて以来ですね。“日計の毒”への長期潜入、お疲れさまでした」


 そう、加藤鵈は“日計の毒”に入り込んでいた“真ノ悪”の密偵……所謂“草”というやつだ。

 まさか忍がそのままスパイだとは、“日計の毒”も盲点だったに違いない。

 半分冗談みたいなキャラも、疑いはあっても強い警戒心は生まなかった要因だろう。これぞ、初代“山本五郎左衛門”の時代から仕える最高峰の忍の手管というものだ。


「なんのなんの。不愉快な仕事も多ござったが、これも我らが若殿のためとあらば苦ではござらん。正確には“真ノ悪”のためにござるが、今回の数年に渡る任務の成功は若殿に捧げるでござるよ」


 口元は布で覆われているが、その可憐な笑顔は誰もが見てとれた。それを見て梢と焔の目がキリッと鋭くなる。

 鵈の士緒に対する好意はあくまで主君に向けるそれだ。梢と焔が心配するような事は一切無く、本人たちもよく分かっているのだが、士緒なら誰を惚れさせても不思議ではないので、そちらも十二分に理解している二人は条件反射で心がざわついてしまうのだ。

 鵈は小柄な少年のような(なり)だが、実は士緒の周りでは一、二を争う年長者、大人の女性でもある。鵈からしたら梢と焔は正しく子供のようなもので、そんな二人を微笑ましく思っていた。


「二人とも、お座りになってはいかがですか? どうぞ楽にしてください」


「………………」


 怪士面の男は士緒の言葉に手だけで「結構」と意思表示し、あっさり部屋を出て行ってしまった。

 五郎左は笑みを湛え、士緒と鵈は苦笑を漏らしながらその背中を見送る。

 梢と焔はあからさまに眉を顰め、険のある表情を作った。


「なんっすか、あれは」


「若の御前で、無礼にも程があります。やはりあの男は気に入りません」


 梢はともかく、焔が感情で誰かを評価するのは珍しい。

 二人とも、仲間に対しては強い信頼と敬意を抱く方だ。つまり、未だに怪士を本心から仲間と認めていない事になる。ほぼ毎回、先程のような態度のため、打ち解けていないのも無理は無いが。

 そもそも会話でのコミュニケーションが成立しないのでは距離が縮まる筈もないのだ。


「あの御仁も悪気は無いのでござる。ここにも、一応は顔を出すのが最低限の礼儀だと思っての事。ただ、それでも若に対しては未だに思う所があるご様子。特にツグミ嬢の事などで」


「……当然と言えば当然ですね」


 士緒も、彼が鶫に対してどういう感情を持っているかは知っている。そして彼も、鶫が公浩(・・)に心から想いを寄せていることを知っている。

 しかし、当の本人が目の前で鶫以外の女とイチャイチャしていれば、それはそれで気分が良いわけがない。

 だからこそ士緒も、そんな怪士の心情を察して苦笑を向けているのだが。


「しかし、彼はこれから先ずっと口を利かないつもりなのですか? 会話が成立するのは加藤さんと親父殿だけというのは………」


「あいつにも色々ある。特に愚息、お前に対しては尚更な。それにお前を嫌っているなら、そもそもここに顔も出さないだろう。まぁ、その内ちゃんと応える(・・・)日が来る」


「……親父殿がそう言うのであれば」


 士緒は皮肉っぽく笑って見せる。自分と怪士の奇妙な関係について。

 何とはなしに、ムスッとしている梢と、表情がほとんど浮かんでいない焔の頭を撫でて、「「はにゃん❤」」とさせてみた。二人と、そして自分を落ち着かせるつもりで。


「では、仕事の話をしましょうか」


 その言葉に室内の空気が引き締まった。

 梢は士緒の横に座り直し、焔も居住まいを正す。鵈は壁際に立ったまま話を聞くようだ。五郎左は肘を突き、顔の前で手を組んで話をする姿勢を取っている。

 士緒はこの後、種咲の“社”に戻らねばならない。なんでもない会話をしていたい気持ちはあるが、あまり時間を掛けられなかった。

 士緒の話は分かりやすくスムーズで、思いの外サクサク進んだ。


「私からの報告はこれくらいですね。それと、以前にも報告した神野悪五郎を名乗る者からの情報は確かだと確認できました。ですが積極的に利用するつもりはありません。親父殿も、それでよろしいですね?」


「九良名で起こった事は全てお前の判断に任せる。お前が嫌いな相手は、俺も嫌いだ」


 不敵に笑い合う二人からは、強い親子の絆が感じられた。梢も焔も、そんな楽しそうな二人の様子に暖かな笑みが浮かんでいる。


「時に五郎左。若殿に仁科賢十郎の事は伝えたのだろうな? よもや先伸ばしにするつもりではあるまいな」


「っええい、嫌な話を振りやがって」


 え、今の誰? と思わず突っ込んでしまう言葉の主は、加藤鵈だ。決してキャラをミスったわけではない。

 鵈は基本、優しく包容力があり、親しみやすいキャラで通っている。

 それも嘘ではない。間違いなく鵈の素の顔なのだが、極一部には当たりが強いのも事実。

 具体的には山本五郎左衛門、厳密には初代から三代目の山本五郎左衛門に対してだが、その話は別の機会に語ろう。今は渋い表情になった五郎左の話だ。


「あーー………その、なんだ………仁科賢十郎は………」


歯切れの悪い五郎左に、普段からは考えられない程に尖った雰囲気で鵈が苛立ちを露に言葉を発する。


「未だ先代二人よりも詰めの甘い己を恨むんだな。お前が言えないなら、(せつ)の口から若殿に伝えてしまうぞ」


「待て、分かった。はぁ………愚息よ。実はお前に謝らねばならん事があってだな………」


言い澱む五郎左に、しかし何でもない様子で話の内容を理解した士緒が言葉を引き継いだ。


「仁科賢十郎が死んだ話でしたら、既に聞き及んでいます。誰を遣わしたのかは知りませんが、親父殿にしてはお粗末でしたね」


「ぅ………知っていたか」


「五行家の屋敷で軽く情報を集めてみたら耳に入ってきました。流石に漬物の話をするためだけに行ったわけではありませんよ」


「………そうか」


 露骨に表情に出すことは無いが、五郎左の声が気落ちしたのを感じられた。

 仁科賢十郎は、士緒の両親を手に掛けた直接の仇だった。士緒は賢十郎について、これまで特に何も言わなかったが、五郎左としては何としてでも士緒の眼前に引き摺り出し、地を舐めさせた後にあらん限りの懺悔の言葉を吐き出させ、涙ながらに命乞いをした所で絶望を与えてやりたかったのだ。

 五郎左と士緒の両親はただの一度も面識は無い。それでも、士緒の本物の両親を殺したと言うだけで、五郎左が憎しみを抱くには十分過ぎる理由になる。

 それを、下らない横槍で台無しにされた。敵の目星は付いているが、それでも五郎左としては、士緒が過去を清算する機会を奪ってしまったと、強い負い目を感じてしまうのだ。

 五郎左はその場で罵倒されるのを覚悟した。ただ、それは五郎左の罪滅ぼしの念でもある。

 士緒は五郎左を責める事は無いと、頭では分かっている。現に士緒も、欠片も怒っている様子は見られない。

 それでも、何かしら自分を許せる理由が欲しい。自己満足の言い訳が欲しい。自分が責められる事でそれが叶うのだから。

 五郎左も人の親となってからは、だいぶ変わってしまったようだ。古い知り合いである鵈などは特に、その変化を強く認識できた。

 肝心の本人に自覚は無さそうだが、もうこの二人は完全に親子なのだと思える程に。

 そして五郎左は、なんとか説明を終えた。石刀からの報告を余す事なく、全てを。


「なるほど。まぁ、少しモヤっとしますが、死んでしまったものは仕方ありません。割り切りますよ」


「………それだけか?」


「いいえ、ペナルティー無しなんて甘い事を親父殿に言う筈がないじゃないですか。罰として、メイド喫茶『りゅうのあにゃ』2店舗分の出資を親父殿のポケットマネーから出していただきます。それと、どんな遺恨があるのかは知りませんが、しばらくの間はギーネさんとのアレやコレやを忘れて、臙脂を引き上げさせてください。今ギーネさんにちょっかいをかけられると、非常にやり辛いので」


「しっかりペナルティーを用意してやがったか。我が愚息ながら容赦ないな」


「ええ。親父殿の息子ですからね。なのでこれ以上暗い顔をするのは止めてください。辛気くさくて敵いません」


 五郎左が ふっ と一つ笑みを溢して、その話は終わった。


「では、次は私から。サフィールの“呪い”についてと、それと仁科黎明が枢機卿派に肩入れした理由に関してです」


「ほぉ、随分あっさり突き止められたな。流石は焔、仕事が出来る女だ」


「恐縮です。しかし、今回は私の仕事と言うより、マーリン様のお手柄かと」


「なに? あいつは今確か………」


「はい、国外にて活動中です。そして最近まで、間抜け……枢機卿アルフレッドが抱え込んでいました。詳しくはこれを」


 そう言って焔が全員に渡したのは報告書だ。それを読みつつ、焔が補足を入れていく。

 そして話が進んだ所で……なるほど、これは確かに間抜けな話だと納得する。

 枢機卿も、仁科黎明も、揃って落とし穴を踏み抜いた事に気が付いていないのだから。


「くく……ははは………仁科黎明、奴は自分が何をしているのか、全く気付いていないということか」


「罠……ではないですね。焔の報告書にある仁科黎明の動きを見るに、これは………」


「素でやらかしたみたいっすね」


「にんにん。仁科黎明、近頃は悪手が続いているようでござるな。決して与しやすい相手ではなかった筈でござるが」


「いや、これでいい。面白くなった」


 五郎左はクツクツと笑う。それは実に凶悪な笑みだ。

 狩人が一発の弾丸を放った。そして一発で複数の獲物を仕留めたようなもの。さらに、仕留めた獲物に爆弾を巻き、腹を空かせたドラゴンにそれを丸呑みさせる。

 仁科黎明は今、腹の中に爆弾を抱えた状態となった。これが楽しくない筈がない。


「仁科黎明が手に入れたものは、俺たちがスイッチを握っている世界最強の爆弾だ。愚息よ、お前ならこのスイッチ、どう使う?」


 その言葉に、士緒も堪えきれずに黒い笑みを溢す。

 使い方など決まっている。難しく考える必要はない。そして、まだやる事もある。


「スイッチは押します。ですがその前に」


 士緒のその表情を見て、その場の全員が震えた。

 世界に対して全く容赦する気が無い、その表情(かお)を。


「もっと爆弾を呑み込んでもらいます」


 ドラゴンは一度、それを呑み込んだ。ならば二回でも三回でも同じことができるはず。

 間抜けで愛らしい竜に、魔王はほくそ笑んだ。



           ★



 公浩が種咲に帰った頃には、日が昇り始めていた。

 朝早くに出歩いている言い訳は、お馴染みのロードワークだ。既にジャージに着替え、軽く走り込んできた。

 出勤途中の会社員にも出会さない時間帯、薄く霧が掛かるビル街を公浩は走っている。“社”に戻り、シャワーを浴び、出立のための身支度を整えてから何人かに挨拶をして、九良名へと帰るのだ。

 一瞬、市花になんと声を掛けるか迷ったが、結局は「またね」ぐらいしか言えそうにないと気付く。

 鶫に告白された時と同じだ。完全に突き放す言葉を言えるような度胸は士緒には無い。


(進歩が無いですね)


 自嘲に頬が歪み、それを振り払うように走る速度を上げる。

 すると、あっと言う間に“社”に着いてしまった。

 少しだけ息が上がっているのは未熟さ故だと、自分を戒めた。

 と、“社”のビル前に人が立っているのを見付ける。


「………………」


 公浩は、ほぅと息をつく。

 朝霧の中、壁に背を預け物憂げに佇むその少女は、ある意味での幻想的という言葉を体現していた。いっそこのまま絵画にして飾って置きたいくらいだ。

 それは見惚れていたのかもしれない。少女がこちらを振り向くまで、一度も目を離せなかったのだから。


「先輩!」


「え、あ………鶫」


 未だ、鶫に対する気まずさが抜けきっていない。五行樫木の件でも、たった今まで見惚れてしまっていた事でも。

 鶫は髪を下ろし、白いシャツと紺のベスト、パンツルックといった感じだ。

 もう出発の準備は整えているらしい。そこで公浩がいない事に気付き、外で待っていたのだろう。

 鶫は公浩を視界に収め、すぐさま立ち竦む公浩に駆け寄った。


「いつものロードワークですか? 誘ってくれれば良かったのに」


「あ………うん、そう、だね。ゴホッゴホッ! ごめん、ちょっとペースを間違えたみたいだ」


 鶫を見て頬が紅潮しているのだと気付き、咄嗟に誤魔化す。

 そんな自分の状態が何なのかについては、気付かないふりをして。


「………………」


「………? なんだい? 鶫」


「先輩………なんだか、その………嬉しそうです」


「!!」


 頬を赤らめ、両手の指を絡ませながら照れ臭そうに視線を逸らす鶫の姿を見て、言い知れぬ感情が湧き出してくる。

 心臓が早いのは走って来た後だからだ。呼吸がし難いのも走って来たからなのと、きっと霧のせいで酸素が薄い(?)からだ。やけに視界が狭くて、その殆どを鶫が埋めているのも霧のせい。

 そう、これらは全て、鶫とは関係無い。


「あ、あの、その………ひょっとして、私の顔を見れて嬉しいとか………ですか?」


 上目使いに頭をひょこっとしないでくれ。何故か肺活量が………血圧が安定しなくなるではないか。

 これは士緒の経験上、心打たれる芸術を見た時や、感動的な本を読んだ時に覚える胸の圧迫感に似ている。

 自分だって人間だ。鶫が綺麗な女性である事は認めるとも。だからこれは、どこにでもある普通の感動なのだ。鶫の姿に芸術的な感動を覚えただけ……それだけだ。


「………うん、まぁ、そんなところかな。朝霧が見せる一時の幻想だ。良い事を考えた。今後はずっと全身に靄を張ってみるっていうのはどうだい?」


「それは流石にキズ付きま………す………よ?」


 なんとか普段通りに振る舞えた。

 この分ならすぐに調子も戻るだろう。そう思って油断していたのだ。

 普段通り……それは公浩か(・・・)士緒か(・・)、どちらの日常だったのか。それを曖昧にしてしまった故の失敗。士緒はその油断に最後まで気付かなかった。逆に鶫はその微かな……本当に微かな空気の違いに気が付いた。

 鶫以外の誰が気付けただろうか。

 納得のいく違和感。

 ああ………これってもしかして………

 鵈が言っていた事を思い出す。なるほど、鵈が何を言いたかったのか、理解できた。

 でも………それでもやっぱり、自分は変わらないんだと思った。

 先日、公浩が幼馴染みの手を掴み上げた時から薄らと感じていたそれ(・・)

 手元には鍵が一つ。それを鍵穴に差し込んで見るのも、悪くはない。


「………先輩、聞いてもいいですか?」


「うん? なんだい?」


 もう、いつもの黒沼公浩(・・・・)だった。

 それでも鶫は言葉を止めない。


「初恋って………あると思います?」


「? 初恋の相手が誰か、って話ではなく?」


「はい。率直な意見が聞きたいです」


 鶫の質問がそこはかとなく奇妙で、ずれているというのは分かった。それでも、その質問に深い意味があるとは考えず、また、同じ話をかつて別の誰かとしていた事に思い至らなかったのは、士緒が緩んでいたからだけでなく、何か、大きな歯車が噛み合った事による止められない働きのせいだったのかもしれない。


 禁術……『天道無楽』は、ここに再び(まみ)えた


「そうだね………幻想、錯覚、あるいは相手を好きでいたいという願望、かな。期待通りの答えじゃなくてガッカリしたかい?」


「………いいえ」


 ギュウッ


 鶫が公浩の腕を取り、思いっきり抱き寄せた。


「先輩がひねているのは知っていますから。…………それでも、好きですから」


「鶫………?」


 ギュウッッッ


「ほぉら、早く中に入りましょう。外は寒いんですから。先輩も早く着替えないと風邪ひいちゃいますよ?」


「っと、そんなに強く掴まれたら歩きにくいんだけど」


 鶫は公浩の腕を引いて“社”へと入った。

 公浩(しお)は腕を引かれながらも、その時の鶫の顔を見ることはなかった。

 見ていたら、恐らくまた動きを止めてしまっていただろう。霧の中でも灯台のように光を放つ、その眩い笑みを前にして。                                                                

怪士面の男がどこぞのゴールデンなライダーに似ているって? ふっ、んなアホな………


…………………………………ほんとだ

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