第69話 その名も『虎子デスペラード』2
五行一樹は紛う事なき天才だ。
五行家の特色である幻術においては、10歳の時には神童と呼ばれ、15歳の時からは天才と称され、現在に至っては世界三大魔法使いとまで讃えられている。
本人もそれらの評価は正しいものだと自負していた。幻術の分野に限るが、周りより自分の方が優れていると理解し、誇りにも思っている。
ただし、今この時、目の前の相手に関しては、その自信も揺らがざるをえない。
災害級……“鬼王・八重波”。
自分の唯一、胸を張って誰にも負けないと言える取り柄……幻術が、目の前の少女には有効打として通らないのだ。
八重波は今、“神託”によって身動きを封じられている状態だと言うのに。
三つめまで使用を許してしまった接続術式……無数の斬撃を雨霰と放ち、本体も高速、高威力の斬撃と化す巨大な光の剣である『二天』。三つ叉の矛先から光の槍が無数に枝分かれし、レーザーのように相手に伸びて広範囲に猛威を振るう『三叉』。
今でこそ凌げているが、一樹の幻術以外のスペックは中の上程度で、本来ならとっくに粉微塵となっていてもおかしくはない。
一樹も災害級に抗しうる実力を持つとは言え、“鬼王”はさすがに別格と言っても良い強さ。圧倒的なまでの力の差がある中で一樹がいまだ倒れないのは、その戦闘スタイルが防御に適しているからだ。
一樹が行う戦いは相手を幻術で騙し、そしてより深い所まで幻術に嵌めるというもの。実際にダメージとなる攻撃をしなくて良いぶん無茶な動きをせずに済み、そんな一樹の動きが読み切れず、時に困惑を覚えながら攻撃を繰り返す。動きが読みにくい故に八重波は一点集中よりも広範囲をカバーできる攻撃を強いられているのだ。
(なんとか種は蒔いた。後は待つだけだが――――)
幻術で僅かに認識をずらしているとは言え、後ほんの少し、八重波の攻撃が自分へと集中されたら、とてもではないが凌ぎきれない。小賢しい幻と、一樹の読み難い動きで八重波の攻撃が分散しているからこその現状だ。
もっと直接的な攻撃を行う事はおろか、斬撃や槍の雨を掻い潜る事すら困難になってきている。長くは持たせられないだろう。
(まだかっ……まだか!)
八重波の攻撃手段があと一手でも増えれば一樹の方が詰んでしまう。
そうなったら、今度こそ………
「今度こそ………終わりだよっ!!」
八重波を拘束していた『ゲイズ』が全て、力技で打ち破られた。
八重波の動きを縛るものが無くなった。ただでさえギリギリの均衡が崩れた瞬間だ。
八重波が自由になったのを見て、一樹の顔に焦りの色が浮かぶ。
「四つめっ、『雨四光』!」
八重波の刀が薄っすらと青い光を纏い、それを無造作に一振り。
――――ズンッ!!
これといった意図があったわけでもなく、八重波が真横に振り下ろしたそれは直後、地面に長大な切れ込みを入れた。
「!? くそっ!」
その光景に、いよいよ窮地に追い込まれたであろう一樹が、やはり幻術で牽制しながらも『光剣』を顕して突っ込んで来る。その姿は破れかぶれそのものだった。
「馬鹿の一つ覚えみたいに幻術幻術と………うざったいよ!」
『二天』、『三叉』による弾幕を受け続け、無理をしてでも突っ込んで来る一樹の身体はズタボロになっていく。
皮が裂け、肉が抉られ、風穴を穿たれた。それでも決死の覚悟と形相で捨て身の特攻を仕掛ける。
そして、後一歩で八重波に手が掛かる位置まで来た時には、一樹は死に体となっていた。
それでも一樹は、決して腕が立つとは言えないそのお粗末な近接技を繰り出した。
「『幻化 残滓』」
“酒呑翁”にも使って見せた幻術。次の瞬間には一樹は八重波の背後で『光剣』を振りかぶっていた。
五行家の幻術は全て『幻化』の括りで伝わっており、一樹が秀でているのはその応用力の高さだ。
八重波の攻撃を騙し騙し躱し続けていられたのも、この技によるところが大きい。それをここぞと言う場面で最大の効果を発揮するタイミングで使ったのは流石の一言だろう。
ただし、
「つまんない」
ザシュッ
八重波の刀の間合いで使うには、圧倒的に不足だった。
心底からガッカリとした表情で、後ろを振り向く事なく、逆手に持った刀を背後に突き立てていた。
「ぐっ………ぁ………!」
明らかな致命傷。口からは血が泡となり伝い落ち、吐血した血は八重波の頬や首筋に付着する。立っている力も無くその場に崩れ落ちた。
呆気ない。
『雨四光』を纏った状態でも、肉を貫く手応えというものは確かに存在する。
血の匂い、血の温度、苦悶の声、薄れゆく命の気配。あらゆる感覚が八重波に、五行一樹の命を刈り取ったと告げている。
幻の可能性は無い。
正真正銘の本物の命。これが偽物である筈がない。
永い時を生き、多くの死を与えてきた八重波が抱く、絶対的な確信だ。
そして、それこそが、八重波の唯一にして最大の間違いだった。
「捕まえたぞ」
「!!」
次の瞬間、八重波が居たのは大量の塩水……海の中だった。
反射的に呼吸の心配をするが、“鬼”である以上それだけでどうにかなるものでもない。苦しいのは確かだが、八重波なら数時間ぐらい呼吸しなくとも死ぬ事はない。
ただ、それとは別にかなりの水圧がかけられている。多少の水圧くらいなんでもない筈の八重波の肉体が、圧力に軋み、悲鳴を上げ始めるなど、あり得ない。
(これはっ……完全に掌握されてる!? どうやって、いつから!?)
幻術の影響下に置かれ、幻だと理解している筈なのに、水圧のせいで身体を動かすのにも強い抵抗を感じてしまう。この圧力の中では水中にも関わらず身体を覆う浮遊感など微塵も感じない。いや、そもそも水自体、この場には存在していないのだ。いくら頭に言い聞かせても、全身の感覚全てが本物であると訴えかけてくる。
簡単な思考ですらも流されていた。
(さっき間違いなく殺した筈なのに――――!)
海水の中で、今度はあらゆる方向からの海流に襲われ始めた。身を裂かれそうな痛烈な勢いに揉まれ、頭の中や内蔵がグルグルと掻き回される。
いや、実際に幻術によって頭の中を弄られ、干渉されている状態だ。
(手応えは本物だった………本当に?)
考えてみると、自分は一樹の事を侮っていたのではないか?
確かな実力差を確信して、気を緩めなかったか?
もし一樹にその油断を突かれたとしたら、どこからか。最も意識が無防備だったのは何時か。
思い浮かぶのは、やはり最後の瞬間。
一樹を殺したと確信した瞬間だった。
一樹が相手の精神そのものを深く幻術に嵌めるのに必要な手順は、まず不意討ち。次いで騙し討ちだ。
八重波に対して行おうとしたのは後者。八重波の五感、認識……最低でも一度、それらを一定の段階まで、幻術を用いて欺く必要があった。
嘘、偽装、誤認、錯覚。とにかくそれらを介して精神を掌握する。一樹がそれに成功したと言うことは、どこかで八重波が騙され、そして幻を真実だと信じた瞬間があった事になる。
つまり、八重波が一樹を殺したと、確信した時だ。
(肉の感触、匂い、温度、気配……全部が幻だった。ムカツクッ! 完璧に信じ込まされた!)
一樹は幻術に嵌めるのに必要な一定の段階まで八重波に幻を信じさせた。それまでのギリギリの攻防は確かに本物だったが、だからこその油断とも言える。一樹の内心はと言うと、仕上げとして八重波自身に幻を斬ってもらう必要があったため、『ゲイズ』の効果が切れるのを待ちわびていたのだ。
(でも、あくまで感覚を乗っ取られただけで、思考や肉体の主導権を奪われたわけじゃない。力ずくで押し返してやるんだから!)
八重波は通力を高めたり、あるいは一点に集中してみたり、逆にわざと乱してみたりと、手探りで幻術を打破する手段を模索していく。
――――ちぃっ!
流石は“鬼王”といったところか。凄まじいまでの勘の良さで一樹の幻術を押し返し始めた。
かつてこの状態まで持ち込んで、その上で破られた事は数える程しか無い。
八重波は一樹を頭の中から追い出そうとし、一樹はそれを拒む。先程までとは打って変わって静かな攻防が始まった。
並の相手なら幻術に嵌まった時点で物理的に止めを刺すところだが、相手が災害級ともなると幻術を維持するだけで精一杯だ。てくてくと歩み寄って足を踏みつける程度の余裕すらも無い。
一樹は額に汗を浮かべながら幻術の維持に努める。
これではずっと平行線のまま。むしろ通力の消費を計算しても、一樹の方が先にバテる。
完全に手詰まりだ。お互いに膠着状態。
八重波に至ってはとにかく待ちの一手だ。幻術の燃費は良いと言っても、それでも通力は使い続ければ無くなるのが道理。
二人の戦いは我慢比べに突入した………そう八重波に思わせた、一樹の勝ちだった。
「かふ――――っ!?」
それはほぼ直感だった。
全神経を集中して両腕だけを顔の前でクロスさせ、頭部を庇ったのだ。
八重波は相変わらず水流に揉まれているが、その時だけは、違った衝撃が腹部と腕を襲っていた。
痛みと、火事場の底力によるものか、幻術による支配が緩み、八重波の目に現実の光景が映る。
「どうなって………るのよ」
八重波を囲むように4人。刀や槍、匕首などが八重波の身体を刺し貫いている。
そして両腕で辛うじて防げている水の刀身を怒りのままに、力任せに押し退け、周りの男たちも振り払った。
「っ――――ぁあああ!!」
八重波の上げた咆哮はそれだけで周囲に物理的な圧力をかけるが、流石に限界に近いのか、その場で片膝を突いて刀を支えにして倒れる事を防いでいる。
「これが本当の切り札だ。幻術は相手を惑わしてこそ。欺く事こそが俺の力だ」
八重波を取り囲んでいるのはある意味で異様な一団。袖を引きちぎった革ジャン、モヒカンにリーゼント、上半身を埋め尽くす刺青。
一言で表すなら、世紀末の住人といったところだろうか。
そんな頭のおかしい連中と、その中心で二刀の水の刃を油断なく構えている男に八重波の目が行く。
あるいはこれらも一樹の術中ではないかと疑いたくなるが、流石に自分から溢れ落ちていく命までをも欺かれる事は無い。
「いつから………ううん、最初っからか」
恐らく、一樹が“酒呑翁”と接触する前から。
一樹は、この時のためだけに、これらの戦力を伏せ、そして今度こそ正真正銘、最高にして最大の威力を発揮するこのタイミングに札を切った。
完全に一本取られた形だ。
「秋、向こうの様子はどうだ?」
「はい。死傷者は無し。佐東市之助氏が軽傷を負ったのみとなります。現在、鬼の残党に足止めを食らっていますが、小田原さんが結界を張りつつ鬼の殲滅を指揮しているので、時間の問題かと」
小田原率いる退魔師数十人。八重波が心をへし折り切れなかった者たちだ。
思えばあの時点から一樹の掌の上だったのだろう。“酒呑翁”が襲撃されたタイミングが、まるで計っていたかのようなものだったのだから。
「よし。こっちも片付けるぞ」
飛英は水の刃を構え、無駄の無い言葉で会話を切り、周囲に戦闘態勢を促す。
飛英は瀕死の八重波に対しても、欠片も油断をしていない。このまま行けば何事もなく淡々と仕事をこなしてしまうだろう。容易く、呆気なく、容赦無く。
八重波も、自らが絶体絶命だということは理解し、そして考える。
(やっばい、ヤエちゃんピンチ! どうやって逃げよう?)
ここまでダメージを負った状態で、一樹を含めた手練れを相手するのはあり得ない。
八重波の中では既に、“酒呑翁”を拾った後、逃げる選択肢以外は排除されていた。
飛英が八重波に肉薄するまでのコンマ1秒の間に、あらゆる逃走の可能性に考えを巡らせ、兎にも角にも“酒呑翁”目指して走りながら考える事にした。まだ走って逃げるくらいの力は残っているのは幸いだ。
八重波が転身して走り出そうとした、その時……八重波の知覚でも追い付かない速さで真っ黒な壁が現れた。
八重波はそれに激突。「ぅぎゃん!?」という声を漏らし、振り抜かれた壁が八重波を宙高く舞い上げた。
「なんだなんだ!?」
飛英を始め、夜の闇に紛れるように現れたそれ……漆黒の鱗を纏った龍に、混乱が一帯に伝播していく。
その様子を遠目に、天高く打ち上がった八重波は視界に収めた。
空中で体勢を立て直し、『虚空踏破』でその場に留まる。
辺りを見渡し、“酒呑翁”の姿を探す。が、すぐにそれは不要になった。
「逃げるぞい、ヤエ!」
八重波を脇に抱えるようにして、“酒呑翁”がその場を全力で駆け抜ける。
八重波は“酒呑翁”の無事を確認し、安堵の表情を浮かべた。
「一人で逃げられたんだ。見直したよオキナ」
「呑気に構えてはおれんぞい! 退魔師どもの注意が逸れている今の内にここを離れんと、儂らも巻き添えを食うわい!」
眼下では、逃走している八重波と“酒呑翁”に意識を向けている者も何人かいるが、突如目の前に現れた漆黒の龍がとてつもない脅威だと判断して、断腸の思いで二人の存在を脇に置いていた。
二人の追撃に戦力を裂いている余裕も無いほど、その龍の存在に呑まれていたのだ。
“酒呑翁”と八重波はみるみる内に戦場から離脱した。
「ねぇ、オキナ。あれってもしかして………」
「うむ。以前、“龍首”に譲って貰った“龍神神楽”の出来損ないじゃ。………そんな目で見るでない。儂とて切羽詰まっておったんじゃ!」
「………ヤエには五つまでとか言っておきながら、自分はあんなヤバイもの使うなんて。あれってば、ヤエちゃんの『源氏八龍』に匹敵する代物だって言ってなかった?」
「十全に使いこなせればの。やってはみたが、とてもではないが制御など出来んかったわい」
「要は台風みたいなものかぁ。分かりやすい程に災害級ってことね」
「梵天丸と一緒にスピナトップに弄らせても良かったのじゃが……あやつは肝心な所で詰めが甘いタイプじゃからのぉ」
「うん、さっきのあれは梵天丸より手に負えないやつだと思う。スピナトップにどうにか出来るものじゃないよ」
「……じゃな。何はともあれ、逃げおおせた事を喜ぼうではないか。ほとんど全てを失ったが、先代から受け継いだ物と、お主だけでも残って良かったわい。もっとも、随分と危うい所だったようじゃがの。お互いに」
「むぅ……ほんの少し甘く見てたのは認めるよ。五行一樹……“日計の毒”との戦いをここまで有利に運んだだけの事はあったかな」
「お主は気楽よのぉ。今頃になって敵を脅威と認めるとは。油断するのはこれっきりにしとくれ?」
「は~い」
“酒呑翁”と八重波は、冬の夜空を疾走していた。
まるで荷物でも抱えるかのように脇に挟まれている八重波は、“酒呑翁”の背中を見やる。
昔から変わらず小さくて、頼りない。
先代からはこの背中を守れと言われた。
“酒呑翁”は八重波の小さな身体の感触を腕の中に感じる。
昔から変わらず小さいが、誰よりも頼りになる存在。
先代からはこの最高の女を手放すなと言われた。
二人の間にあるのは特別な絆。
それを互いの背中越しに、改めて感じていた。
背中越しに………
「ヤエの尻は相変わらず小さいのぉ」
「ぎゃあああ!? バカ! エッチ! 変な触り方すんな!!」
そのほのぼのとしたやり取りは寒空の下にあって、二人をほっこりさせた。
★
中央の拠点。怪我人用の天幕にて、焔は公浩の太股に頭を乗せ、滅多に無い機会と思い、全力全開で甘えていた。
「あ、あの、若……申し訳ありません。まだ報告が残っていました」
若の感触と匂いが幸せ過ぎてつい…という言葉は飲み込んだ。
申し訳ないと言いつつ、脚に頬を乗せたままで話し始める。
「先日、澪に行わせた書類整理ですが、何をどうやって間違えたのか、若に目を通していただく書類が雑多な資料の中に紛れておりました。若が追加で調査を指示した学園関係者数名の個人データです」
本当なら種咲に来る前に渡せたはずなのですが……と、若干気落ち気味になる。
以前、五郎左から受け取った九良名にいる退魔師やその関係者の情報で、詳細が不明な者や、あるいは特殊な事情がありそうな者を士緒は追加で調査させていた。
(どおりで、少し遅いと思っていましたが。相変わらず澪はデスクワークに過度な緊張をするようですね)
士緒が特に気になっているのは斑鳩縁、ジェーン・スミス、浪川凛子、そして真桜。九良名が仁科黎明のお膝元で、その中でも情報が秘匿されている事を考えると、詳細を掴むのは難しいだろうが、駄目元で調べてもらっていたのだ。
「ふむ。では簡単な内容と、焔の所感を聞かせてください」
「はい。まずジェーン・スミスについて。情報が意図的に隠匿されているようで、本名、年齢、国籍など、性別以外の一切が不明。5年程前から仁科黎明の秘書として周囲に認知されてきたようです。その頃からか、あるいはそれ以前からの付き合いなのか、三王山亜笠が学園長に就任すると同時にそちらで正式に働き始めました」
「人間ですか?」
「微妙な所です。5年前より以前の情報は全く得られませんでした。しかし、最も古い写真を見る限り、容貌にも多少の変化があった……と見えなくもありません」
あるいは“鬼”の類かもと思っての質問だったが、焔でも断言できないのであれば仕方ない。
これだけ情報をひた隠しにしているのは気になるが、今はここまでだろう。
焔にはサフィールの“呪い”の件を優先させているから、別の誰かに深く探ってもらう事になる。正直、焔に匹敵するだけの仕事ができる配下は数える程しか思い付かないが、元々何か見つかればめっけもんぐらいの調査だ。気長にやってもらおう。
「では次を」
「はい。続いて浪川凛子についてですが、少々面白い事が判りました」
焔が使うにしては珍しい表現だ。
面白い………焔の言う面白いとなると、余程に有益な情報なのか、はたまた感情面に訴えかけるものなのか。心踊る言葉だった。
「対退魔師の技能が協会のデータに記載されていなかった件については、単純に厄介事を避けるためのものだったようです。仁科黎明の主導で行われていました」
対退魔師は謂わばカウンターアサシンのようなもの。
余程の事が無ければ此方から刺客を送り込む事は無い退魔師の世界で対退魔師は必要性が薄いようだが、送られてくる心当たりがある者には別だ。
敵が多い人間ほど欲しがる。そして、そんな敵が多い者に雇われると、基本的に面倒事が付いて回る。
凛子がそれを嫌って黎明の力を借りたとしても、なんら不思議ではない。
「そして面白い点なのですが、浪川凛子は関西で独楽石家が運営する児童養護施設の出身でした。そして施設で共に過ごした同じ世代の子供の中に、あの銀箭 羽々矢を確認しました」
「!」
銀箭羽々矢。
人間でありながら、退魔師の敵。
来歴などの一切が不明なれど、若くして国家規模の指名手配者リストのトップ10入りをしている危険人物。やっている事はIRのそれと被る節がある。どちらもテロリストには違い無いが、強いて分類をするなら、士緒は要人暗殺を行う過激派。羽々矢は要人以外もついでに暗殺してしまうサイコな過激派だ。
そんな男に凛子が関係していると言う。
確かに、強く興味を引かれる話ではあった。
「浪川凛子は現在も僅かながら接触を持っているようです」
「浪川凛子は銀箭羽々矢の活動に加担しているのですか?」
「現在その辺りも探らせています。ただ、浪川凛子が九良名学園に入学してからはその徴候を確認できませんでした。あるいは昔の馴染みというだけの顔見知りの可能性もありますが………」
あるいは…………そうではないかもしれない。
そうであったのなら、“真ノ悪”としても無視できないファクターだ。
「銀箭羽々矢とは厄介ですね。この事を親父殿には?」
「若の頭を飛び越える事になってしまいましたが、それなりに重要な案件ということで既に報告をしてあります。現在、ベイリンとガラハドに詳しく探らせているところです」
「………なにやら不安な二人ですが、ガウェインはどうしたんですか?」
「なにしろ、もう冬ですので。日の入りが早くなってから彼の活動時間にも影響が出ていて、やむなく」
今名前を上げた三名は優秀ではあるが、それぞれに問題を抱えた者たちだ。銀箭羽々矢という男にあたらせるには不安を拭えないが、最悪でも死ぬ心配はしなくてもよい二人が任務に当たっている事には納得できた。
「ふむ、様々な組織に潜り込ませているからとはいえ、こういう時に動かせる人員が不足しているのは問題ですね。まぁ、この戦争が終われば少しは上向くでしょうが。銀箭羽々矢については、親父殿が最大限に利用してくれるでしょう。では、次の報告をお願いします」
「次は九良名学園、養護教諭の真桜についてですが、こちらもジェーン・スミスと同じく、殆ど情報が得られませんでした。ただ、その………九良名学園で若のご両親と同じ年度の卒業生であるのは確かなようです」
士緒の両親の話は当然、焔も知っている。
十年前の凄惨な出来事を思えば、口に出すには憚られる話題だと、焔はどこか申し訳なさそうに話す。
士緒もそれを感じたのだろう。少しでも焔の気を楽にしようと、ただただ優しく微笑み、焔に先を促した。
「学生時代に名乗っていた名前は真桜 静。退魔師としての経歴、能力に関するものは一切が不明。こちらは情報が消されていると言うより、そもそも人に知られていないのか、あるいは偶発的に間違った情報……眉唾な噂が広まったものと思われます。人目を惹く容姿ですから、学園生当時から注目度は高く、それだけに信憑性のある話が少いのです。正しい情報の選別には更に精査が必要かと」
「ふむ………」
正直なところ、士緒はマサキについての情報がそう簡単に手に入るとは思っておらず、ハッキリ言って期待はしていなかった。
ただ、それだけに何か掴めたとするなら、それは今回一番欲しかった情報だ。
調査した部下を責める気は毛頭無いが、ほんの少しガッカリした気持ちがあるのも仕方ない。
それに、士緒の両親と同じ年代というのが事実なら、あの外見からして“鬼”の類であるのは間違いないだろう。さらに、亜笠の学生時代にも学園に関わりがあったような事も言っていた。
完全に信用はしないが、少なくとも、あからさまに敵ではないとだけ思っておくことにする。
「それだけでも判ったのなら御の字です。ありがとうございます、焔。では、最後に斑鳩縁についてですね」
「はい。とは言っても、斑鳩縁についてはそれほど目新しい情報はありません。若のご推察通り、正体はあの“鬼王・斑鳩”でした」
………やはり
“鬼王・斑鳩”はここ数年程で“鬼王”を名乗り、そして誰もそれに文句を付けられない確かな実力を示した。
当時、日本で“真ノ悪”に次ぐ鬼の組織は“日計の毒”ではなかった。
質を度外視した数による戦力だけなら“真ノ悪”にも迫る規模を誇っていた組織。斑鳩は何の気紛れか、その組織を単騎で、そして短期間の内に殲滅した。何の事はない、ただ拠点となる場所を順々に潰していっただけなのだが、その殲滅力は間違う事なき災害級のそれだった。
それに対して退魔師協会はある意味過敏な反応を示す。協会幹部にとっては悪夢の代名詞とも言える“鬼王”の称号。斑鳩をその一角に加えてしまったのだ。
それ以降は目立った動きは殆ど見られなかったが、なるほど……仁科黎明の式鬼神として九良名学園を守護していたわけか。
しかし、だとしても、“鬼王”ともなればいかに仁科黎明でも隠しきれる存在とは思えない。五郎左の手に入れた資料に斑鳩の正体について書かれていなかったのはなぜか。士緒はその疑問を焔に投げ掛けた。
「それは………はい。退魔師のデータを書類に纏めた澪と、それを安易に任せた五郎左様のミスです。決して私の責任ではありません……ですので、お、怒らないでください」
なんでも、澪が縁の書類の一部をファイルし忘れたらしい。
後になって士緒が縁についての情報を把握していなかった事が判明し、士緒の足を引っ張ったと知った澪が子供のように泣きじゃくったとか。
澪はあれでいて気が弱い娘だからなぁ、と納得する。
「まぁ、実害が出る前に気付けて幸いでしたし、澪の事はあまり責めないであげてくださいね。それに………今となっては斑鳩縁は脅威にはならないでしょう。仁科黎明が仕掛けた罠……という可能性も否定できませんが、黒沼公浩の正体が判っていない中での今回の行動は合理的ではありませんしね。そこまでの警戒は必要無いでしょう」
「仰る通りかと。若の正体に気付いているのなら、この時期に斑鳩縁が風紀委員を退く筈がありません」
全くの偶然なのだが、五郎左がとある理由で斑鳩縁の辞任を知った。
士緒はなんとも言えない笑みを浮かべて、斑鳩縁という人物を想う。
「どうやら彼女は橘花院士緒に関心を寄せているようですからね。それが、仁科黎明と手を切ってでもとは思いませんでしたが」
士緒は何とはなしに唇に意識が向く。
あの時の事が脳裏を過った。何気に、女性から口付けを受けるなど初めての経験だ。モヤモヤとした複雑な心境になり、思わず咳払いをして思考を振り払う。顔を見ていなくても、焔がそれを敏感に感じ取った。
「…………どうかされましたか?」
「……いえ、なんでもありません。ちょっと、慣れてない出来事があったなと、思い出してしまって」
「………………」
「――――っつ!? ほ、焔? あの、脚を抓られると痛いんですが………」
「何故でしょう………少しイラッとしました。すみません」
謝りつつも、その後、焔は時間を目一杯使って士緒の太股を抓り続けた。




