第66話 地獄に怪士、垂らされるは雲の糸
そこに集まっているのは退魔師30名。
鬼による奇襲を受けて、小田原が早い段階から籠城用に確保していた手頃な大きさのビル……そこに左翼のほぼ全戦力が集結していた。
自分たちがいる左翼はビル街だったが、最早その面影は奇跡的に原型を留めているいくつかの低めの―――あるいは上がごっそり無くなっている―――建物からしか読み取れない。小田原が防衛用の結界を張って立て籠っている八階建てのビルもその一つ。
退魔師たちは周囲を取り囲む夥しい数の鬼たちを各階、屋上から望んでいた。
数えるのも馬鹿らしくなる程の鬼の軍勢を前に、並の退魔師なら心が折れるところ。しかし、ここにいるのは幹部クラスの“鬼”を想定して配置された凄腕ばかり。皆、冷静そのものだ。
とは言え、その凄腕の退魔師も三割が既に倒されているのだが。
そんな退魔師たちを完璧に包囲し、後方に敷いた簡易の座敷にて悠々と茶を飲んでいる男がいた。
正確には茶を飲んでいるのは殆ど連れの少女なのだが、男も時おり翁の面をずらしては湯飲み一杯の茶をたっぷりと時間をかけて減らしている。
「ほっほっほ。あれが五行家の守りの要、小田原か。噂に違わぬ堅牢な城壁よ」
翁の面をかぶった着物姿の男こそ、“日計の毒”の首魁。日本で“真ノ悪”に次ぐ鬼の大勢力を纏める古の“鬼”……“酒呑翁”。
強さは特一級で間違いないが、それでも単体での強さは上の下ほどだ。代わりに配下が強く、数も多い。
あまり知られてはいないが、“酒呑翁”はある意味で二代目だ。初代と言えるかどうか、先代は“酒呑童子”と呼ばれた“物怪”で、“酒呑翁”は彼の伝説級の鬼からあらゆるものを受け継いだ存在である。
目の前の少女も、その受け継いだ物の一つだ。
「ねぇ、オキナ。なんでさっさと潰しちゃわないの? ヤエにやらせてくれればサクッと終わらせて来るけど?」
ベースは着物だが、肩や脚部を露出させて所々にフリルをあしらったピンクの服。小柄で幼い外見も相まって、現代におけるコスプレとしか見えない格好をした少女は“鬼王”と呼ばれる日ノ本最強の“鬼”の一角。特に名の知れた9人―――現在は縁も含めて10人だが―――の災害級の一人。おかっぱであどけない表情からは窺い知れない強大な力を有する“鬼”……“鬼王・八重波”である。
「まぁ、そう急くな。それに、この地域にはこちらのほぼ全戦力が揃っておる。云わば中央は囮の囮。こちらに膨大な戦力があると知れた退魔師たちは戦力を集中せざるを得ない。だからこそ対岸から攻めている透哉たちが敵の本拠地に向かえるのじゃよ」
「でも、敵も馬鹿じゃないよ。馬鹿正直にこっち側だけに戦力を回すはずないよね。スピナトップが梵天丸を従えているからって、そう簡単にいくの?」
「……はぁ。ヤエよ。会議でも説明したではないか。五行樫木の働きであちらは手薄。中央から援軍が送られたとしても、到着する頃には透哉たちが雑魚を蹴散らした後。既に敵の喉元に刃をかけた後よ。おまけに、後手に回っている退魔師側は戦力の配分を少しでも間違えれば致命傷となろう。ただでさえ拮抗していた戦力を、透哉たちが通過した後の戦場に送り過ぎてしまおうものなら、今度は儂らのいるこちらが有利。戦力配置の時点でこの流れは定まっておったのじゃよ」
「でもでも、それなら尚更あいつらを潰さない理由にならないじゃん。じきにやって来る増援と連携される前にさぁ」
「うむ……兵力は揃っておるし、城落としも出来んことはないが、その破城槌代わりにならんかと樫木と加藤を呼びに行かせておる。加藤の素破仕事なら期待に沿うであろうし、あまり当てには出来んが、樫木にも使い道があるやも知れんしの。五行樫木はもはや用済み故、死体でもよいからと“熊罷”と雲水を向かわせたが………連絡来んのぉ」
「なによオキナ、そんな下らないこと考えてたの? ヤエに任せてくれてればそんな無駄な時間使わなくて済んだのに、もぉ!」
八重波がぷんすかと頬を膨らませて怒っている姿はとても愛らしい。
感情の無い翁の面も心なしか笑みを帯びたように見えた。
「つまんな~い。ねぇ、もう十分に待ったでしょ? 久しぶりに抜刀していいよね? ね?」
「久しぶりにて、つい先日にも退魔師を何人か斬っておったではないか」
「一人は道士だった! しかも道士お馴染みの逃げ足で斬り損ねたもん! ついでに言うと、一体は独楽石の人形だったし――――」
「あー、分かった分かった。行ってきてよい。ただし、使うとしても三つまでだぞ」
「はーい。三つね、三つ。血の雨、時々八つめが降るでしょうっと」
“酒呑翁”としては一言念押ししておけば、八重波もとりあえずは意識してくれるだろう。
ルンルンと軽い足取りで結界に近付いていく八重波を見て“酒呑翁”も若干不安だが、最低でも八重波の射線から味方をどかしておけば問題無いだろう。
あの建物の中に、八重波が本気を出したくなる相手がいないことを祈るばかりだった。
★
正面から建物に向かって歩いてくる少女を確認する。
実際に見たことのある者はいなかった。しかし伝え聞いている外見的な特徴はとある“鬼”と一致していた。とてもではないが、少女だからと侮る気にはなれない。
気を抜くような数少ない例外も、幸いこの場にはいないようで安心した。なにせこちらに向かって来るのは、
「あれが“鬼王・八重波”か。もっと出し渋ってくれれば良いものを」
小さな舌打ちと、僅かに険しくなる眉間の皺が小田原の焦燥を物語る。
どこから、どうやって仕組んだのかは知らないが、“御庭番”まで欺いてみせるとはしてやられた。恐らく中央にいると予想された敵のほぼ全軍がこちらに来ているのだろう。
見渡す限りの鬼、鬼、鬼。数は言うに及ばず、種類も多く、個々の平均的な質までもが高い。
日本で二番目に巨大な“鬼”の組織というのは伊達ではないということだ。
そんな連中の親玉、“酒呑翁”の懐刀にして最終兵器。彼女の名前をほのめかすだけであらゆる交渉事がいいように進んでしまう反則的な存在。
そんな奴が上機嫌にてくてく歩く姿は戦場では貴重な癒し成分を多分に含んでいたが、小田原からしたら、だからこそ恐ろしい。この可憐であどけない少女が、人々の災害足り得るその事実が。
正面から競っても押し負けるつもりは無いが、相手は“鬼王”。長くは持ちこたえられないと考えて、二重三重の結界を張り、退魔師たちにも迎撃の準備を整えさせる。
辛い状況だが、ここはなんとしても生き延びる。背中を預ける仲間たちを無事に家へと帰してやることが、今の小田原の仕事だ。
背中に一樹を護る時と同じだけの緊張感を小田原は感じていた。
(一樹様は護衛の対象なのだが、その一樹様の救援を心待ちにしているとは……少し心苦しいな)
そもそも、相棒である稲葉山とも引き離されているこの状況、戦時下でもなければその不自然さにも気付いたのだろうが、そこは内通者が上手だったようだ。
あるいは馬鹿な自分が気付くのが遅すぎただけなのか。
どのみち、退くも進むも地獄と言うなら、蜘蛛の糸が垂れてくるまで踏み留まる。小田原たちに出来るのはそれだけだった。
「各員っ、防御と回避を最優先! 今のお前たちの仕事は生き残る事だ!」
静かな首肯の気配。
小田原は結界の顕で建物と地面、そして退魔師全員にも防御力の底上げを行っていた。
それだけで建物は城塞と化し、兵の纏う鎧は超一級の物となる。
人事は尽くした。が、天命いかんによってはそれを突き返して、また人事の時間だ。
黙って待っていられる程、こちらに余裕など無いのだから。
「むむ~~……どれどれ」
八重波は緩やかな所作で、綺麗で色鮮やかな意匠の鞘から刀を抜き、刃先を小田原の結界へと当てた。
バチチッ
電気でも流れたような火花と反発を受けて八重波の刀が軽く弾かれた。
八重波は感心したような頷きを一つ、体を半身にして、上段に刀を構える。そして左手が添えられているのは柄ではなく、刀の腹の部分。
親指と人差し指の間に挟んで、デコピンの要領で溜めを作った。
あまり見られない奇妙な構えに見えるが、これはこれで理に叶った歴とした兵法だ。
「『鹿島新当無念一流 我にして邪道をここに刻まん』
まずは一つ目………『一の太刀』」
ヒュンッ
刀を溜めから解き放ち、それが振り下ろされた。
「!!」
小田原が自信を持って張った結界は紙のように切り裂かれ、余波が小田原の真横を通過した。
そして振り返り、建物を見た瞬間、小田原の背筋が凍りつく。
八階建てのビルが、縦に割れたのだ。
損傷により向かって右半分がガラガラと崩れ落ちていく。
中にいた退魔師たちは幸い無事なようで、建物の残り半分にいた者たちを含めて外に転がり出ていた。
二重三重の結界、強化付与。それらをこれでもかと通力を込めて行ったと言うのに、建物はと言えば、今となってはただの書割……砂糖菓子で作ったジオラマ程の価値も無いお荷物だ。屋上から一階まで吹き抜けで、これ以上無い風通しの良さとなった。
「ヨッシャー! 者共っ、掛かれ掛かれーーー!」
ともすれば、気の抜けそうになる少女の声が戦場に伝播していく。
その声を塗り潰さんと鬼たちが不快さを伴う鬨の声、雄叫びともとれる音をほぼ全方位から退魔師たちに浴びせかける。
四面楚歌を実際に我が身で受ける日が来るなんて、誰も思わなかった事だろう。
瞬く間に鬼たちは雪崩の如く押し寄せた。
「くそっ!」
小田原は悔しさに歯噛みしつつも、地面に両手をつき、先程と同じ範囲に、さらに八重波を含む広さで新たに結界を張り直す。
八重波の斬撃を見た後では気休め程度の役にも立たない薄い壁だが、せめて鬼たちの勢いだけでも止めようとドーム状の結界を展開する。
八重波を範囲に収めたのは、下手に目の前に結界を出現させれば先の二の舞になるからだ。中で戦う分には、まだ結界に注意が向かないだろうと判断した。
そして、主にその注意を引く役目を担える人物が、八重波の前に踊り出る。
「がはははは!! 我こそは佐東家当主、佐東市之助なり! その名も高き“鬼王・八重波”に一騎討ちを申し込む!」
佐東市之助。佐東家当主の名に恥じぬ正真正銘の実力者。
既に抜き放っている刀は一等の業物。それを見て八重波は微かな興味を示す。
「む~~、暑苦しいオジサンは勘弁してほしいんだけどなー。でもでも、佐東家の剣術は見るところもあるし、しょうがないから付き合ってあげる。その『同田貫』に免じてね」
八重波が視線を向ける刀こそ『同田貫正国』。永禄頃より名を売りだした肥後の刀匠集団、同田貫派を代表する刀工……正国が手掛けた太刀だ。
鑑賞価値に乏しい無骨な刀だが、その実用性は圧倒的。『折れず曲がらず』を地で行く、いわゆる剛刀である。
そんな『同田貫』の使い手……佐東市之助と言えば、剛柔を併せ持つ佐東家の剣術において剛のみを追求した変わり種だ。異端とも言える。
八重波は古来より大江山の“鬼”の系譜に仕える“物怪”であり、“鬼王”と呼ばれるまでは名も無き剣鬼だった。
長い年月の慰みの一つとして人間に剣の手ほどきをしたこともある。
時に刃を交え、時に教え導いた。八重波が手合わせした中でも、佐東家の剣術は流派を名乗らない稀有なものであるが、ただし、かなりの実戦向き。
人を斬らぬ時代の人斬りの術。八重波はそこに惹かれるものがあった。
「その一騎討ち、乗ってあげる。もっとも、周りの結界が破られるまでオジサンが持つかは知らないけど」
見れば、小田原の張った結界に押し寄せる鬼たちがそれぞれ攻撃を加えている。小田原でも長くは維持できないだろう。
他の退魔師たちは通力を通すだけの簡単な補強を結界に施したり、小田原の通力を回復させる顕を使ったりしているが、ほとんどは八重波の警戒に努めている。
正直なところ、一騎討ちなど話半分だ。それは八重波も、市之助すらも承知の上。
それでも揺るがぬ八重波の自信が、結界内部の緊張感を否応なく高めていた。
「~~~♪~~~~♪♪」
唯一、鼻唄を交えて市之助との距離を測りつつ近付いていく八重波だけが例外だった。
そして、ついに八重波が仕掛けた。
「ぬぅ!?」
ガキンッ!
八重波の刀が踏み込んだと同時に市之助の構えた刀と合わせられ、市之助がズザザーッと地面を削りながら後退させられる。
体格では文字通りの大人と子供である両者、力負けしたのは大人の方だった。
「なんのぉ!!」
市之助も負けじと反撃に移る。
本来、佐東家の剣術は刀で断ち、鞘でいなすのが基本戦術だが、市之助のそれは刀のみ。鞘は腰に提げたまま、両の手で力いっぱいに振り抜くに尽きる。
剛よく柔を断つ
市之助の基本戦術だ。
対して八重波は、
「あははは! 若い若い!」
蝶の様に舞うとはよく言ったもの。重く鋭い市之助の剣を前後左右のみならず、『虚空踏破』を用いた立体的な動きで躱していく。最小限に留めた曲芸紛いの動きに、市之助は翻弄されっぱなしだ。
さらに、
「ぐぉ―――!」
蜂の様に刺す。本当に僅かな隙ではあるが、八重波はそこを突いて蹴りを入れてくる。
小突くような軽い一撃だが、それは八重波がまるで本気を出していないことを物語っていた。
「えいっ」
キンッ!
時おり刀による攻撃も混ぜてくる。
致命打になりそうな攻撃はなんとしても防ぐ市之助だが、そこにどうやってか、ギリギリ死角になる位置から蹴りが決まる。
見た目に違わぬタフさから、細々とした攻撃は気にも留めない市之助。真っ当な佐東家の剣術なら、これらは鞘でいなすところ。
しかし市之助は持ち前の耐久力と、上級の退魔師でも難しい『不動障壁』を用いながらの高速戦闘を活かした……と言うより、物を言わせる力押しのスタイルで、幾度となく死線を潜り抜けてきたのだ。
それしか知らない男だった。
「オジサン、無理しない方がいいよ。そろそろ息が上がって来たんじゃない?」
「ぬははは! まだまだぁ、これからじゃ!!」
サクッと終わらせる予定をここまで引き延ばして楽しんでいた八重波だが、そろそろ終わらせないと本当に敵の増援とやらが間に合ってしまう。
態度や口調の軽さが目立つ八重波だが、実際は慎重で堅実に物事を進めるタイプ。ひとたび事に当たれば、それほど型破りな行動をすることは多くない。
全ては主人たる“酒呑翁”のため。
敵の増援と呼応するように動かれても何とかしてみせるが、仕事は端から丁寧に、早く終わるに越した事はない。
趣味の時間……剣を交えた語らいはここまでだ。
八重波は市之助の剣を回避するために空中に跳びながら、結界を切り裂いた時と同じ構えをとった。
「それを待っとったあ!!」
心底待ちわびた。そう言っているような表情で市之助の通力が高まっていく。
「!!」
市之助は腰を低く落とし、刀の切っ先を後ろ手に地面に触れさせる構えをとっていた。
それは上段と下段の違いはあれど、八重波が行っている溜めと同じものだと分かる。
驚くべき事に目の前のこの男、八重波の『一の太刀』を見ていながら、敢えてそれと張り合おうと言うのだ。
それほどまでに、その技に自信があるのか。それとも、
(すんごい馬鹿?)
力比べにしろ技比べにしろ、人間が及ぶ領域ではない。
八重波は何の感慨も抱かず、淡々とその刀を振り下ろした。
「『虚影斬滝』!!」
市之助の振り上げた刀が八重波のものとぶつかり、金属が発する甲高い音すらも飲み込む程の凄まじい衝撃波が周囲に広がった。
「!」
「ぬ、おお………」
勝負は一瞬で着いた。
市之助は刀も握っていられなくなる程の衝撃を受け、膝を突いている。
対する八重波は僅かに後ろへと押し戻されるも、大きなダメージを負った様子は無い。八重波自身には。
キンッ
元は舗装されていた地面に、八重波の持っていた刀が突き刺さった。
半ばから折れた刃がクルクルと宙を舞った後、八重波の背中越しに硬質な地面に突き立つ音を響かせたのだ。
「やるねオジサン。『同田貫』ほどじゃないけど、それなりの一品だったんだけどなー」
折れた刀をまじまじと見つめる八重波の肩口から、うっすらと赤い血が滲み出てきた。肩を露出するデザインの服だけに、浅いとは言え少女の体に痛々しい傷が刻まれたのが確認できてしまう。
「ぬかせ。お主には一山いくらの数打ちみたいなものじゃろう」
市之助は精一杯に強がって見せるが、手はしばらく使い物にならず、おまけに足にまで来ている。今なら簡単に首が獲れるだろう。
一騎討ちに相応しいだけの兜首だ。
「思ったよりは楽しめたよ、オジサン」
八重波がにこやかに笑いながら一枚の紙を袖から取り出した。
それは『大部屋』の術式で、そこから先程と全く同じ意匠の刀が鞘とセットで現れた。
それを見て市之助から苦笑が漏れる。何がそれなりの一品なのやら。
「およ?」
それまで黙って見守っていた他の退魔師たちが八重波を取り囲んだ。
時間を稼ぐ、という目的から二人の戦いに割って入る事はしなかった。下手に加勢して八重波が一息に味方を全滅させるリスクを避けるためだ。
だが、こうなってはもう倒すつもりで立ち向かうしかない。小田原の結界も限界に近く、市之助をむざむざ死なせる選択肢も無い状況では。
「良いこと教えてあげよっか。大人しく投降するなら、命だけはとらないよ。約束する」
無邪気そのものの笑顔で案を提示する八重波。
だが、退魔師たちは誰一人として、その提案に心を動かされなかった。八重波はそれを確認するや、無邪気から一転、妖艶で冷たさを感じさせる笑みへと変わる。
あまりにも愉快。久しく見ていなかったヒトの強さを、彼らの中に垣間見た。
自らの眼前で緩やかに抜かれた刀は月光を浴び、八重波の纏う空気を一層妖しく煌めかせる。
「いいよ。オジサンも、おにいさんも、おねぇさんも……あ、おじいさんもいたか。みーーーんな、その綺麗な生き様のままに、ヤエの記憶に残してあげる。そしてその生き様を飾るのは、なんと言っても死に様だよね」
八重波が刀の切っ先を空に向け、星の煌めく夜天を仰いだ。
「冥土のお土産だよ。お代は見てのお帰りだ……ってね」
何か合図があったわけではない。ただ全員の覚悟がそうさせた。
退魔師たちは一斉に八重波へと攻撃を仕掛けた。
西洋剣、戦斧、棍……多様な武器や徒手空拳で距離を詰める者。遠距離から『刺突槍』や弓矢を放つ者。いずれも特一級に見合う実力者だ。
しかし、そんな彼らをしても、八重波という眼前に迫った死は避けられない。
八重波が振り撒く死が今、刃となって閃く…………………はずだったのだが、結局それは退魔師たちに届くことはなかった。
天を仰ぐ八重波に、その光は落とされた。
「!? これは――――」
突如、その光の柱は現れ、退魔師たちが八重波に斬り捨てられるのを阻止した。
それは並の相手なら間違い無く死に至る破滅の光。その中にあっては、流石の“鬼王”と言えどただでは済まない。
「――――ッッぅあああっ!! っつ―――これはっ、殿町宗玄の――――っがああああ!!」
小田原の結界を貫いて降ってきた光の柱は、どこまで伸びているのか、果て無き空の向こう側から降りているようだった。
それも、光が落ちているのは八重波だけではない。
結界が貫かれた直後、辺り一帯の鬼たちにも同じ光が無数に降り、触れた端から焼きつくされていった。
「な、何が起きておる………」
退魔師たちが困惑する間も、無数の光の柱は鬼を追うレーザーのように動き、あれだけ大量にいた鬼を10数える頃には半数以下まで減らして見せた。
地を焼く天の雷とでも言おうか。光を浴びた後の地面は赤く染まり、ドロドロに溶けきっている。
そして光が止み、そんな馬鹿げた威力の攻撃を受けても、“鬼王・八重波”は刀を支えに膝立ちになっていた。
服は焼けきっていて跡形も無い。晒されている素肌は所々が焼け爛れており、少女の姿もあって、敵とはいえ素直に喜べる光景ではなかった。
「ぅあ………はぁ、はぁ………そんな………あれは、後一年は充填が終わらないって………どういうことなのよ、加藤おおおおっ!!」
八重波の誰に向けてのものなのか、怒りの咆哮は夜闇に呑まれて消えていった。退魔師たちはその咆哮で僅かに身をすくませたが、おかげで冷静にもなれた。退魔師たちはこの隙に体勢を建て直そうと、動けない市之助を担いで撤退を図る。
「っ! 逃がさないよ!」
八重波が持っていた鞘を地面に突き立てた。刀をどかすと、そこには印を押したような後が残り、八重波が所有する『大部屋』に繋がる術式へと変化していた。
八重波はそこから先程と同じ服を取り出し、マジシャンばりの早着替えをして見せた。
「やってくれたわね。盗まれたとか言っておいて、実は協会が隠し持っていたとか………認めてあげる、このタイミングは確かに絶妙だよ」
でも、と八重波が続ける。
その先の言葉は、その場の誰もが分かっていた。
「でも、それもここまでだよ。惜しかった、とまではいかないけれど、痛手には違いないし」
八重波が切っ先を牽制のつもりで撤退に移ろうとしていた退魔師たちに向ける。
「さあ、今度こそ終わらせて――――っ!?」
ズガンッ!!
大きな地鳴り……恐らくは『踏鳴』によって八重波の直下の地面が隆起した。
『踏鳴』に強制的にバランスを崩される前に、八重波は地を蹴って空中へ飛んだ。
そして、そこに合わせるように人影が一つ。八重波の背後に現れた。
「なっ!? きゃあっ!!」
ドガンッと鈍い音をたてて地面に叩き落とされた八重波を追撃しようとする―――おそらくは―――男。しかし、流石に“鬼王”。すぐに体勢を整えて迎え撃つ。
「なめんなあああ!!」
八重波の刀が上段から振り抜かれた回し蹴りとぶつかり、その勢いで八重波の足下の地面が広く陥没した。
男……“怪士”の面をつけた何者かは、合わせられた刀を足場にして八重波と距離をおく。
身長は175センチ前後。髪はオールバック。黒ずくめのライダージャケットを着ている。
退魔師たちは、いったい何が起きているのか理解が追い付かない。
援軍……にしては妙な雰囲気だ。男は一人のようだし、視線を交わし合う退魔師たちの誰も怪士面の男に心当たりは無い様子だった。
小田原が警戒しつつ市之助の側までたどり着き、互いに確認を取るも、やはり首は横に振られた。
「さっきの……『雲斬天俯瞰』、アレはあんたの仕業ね? 退魔師………ではなさそうだし、術装を奪った奴か」
「………………」
八重波が周囲の空気から少なくとも正規の退魔師ではないと読み取った。
怪士面は沈黙したままだ。
八重波がイライラをどんどん募らせていくのが目に見えて分かる。
「もうっ、もうもうもう!! もうったらもう!! ヤエちゃん怒ったからね! 全員ぶった斬っちゃうんだからね!!」
八重波が戦闘体勢に入ろうとした、正にその時、通信符による通信が八重波に届いた。
ヤル気を削がれた八重波は渋々ながら通信に応じた。
相手は“酒呑翁”。内容は簡潔。
『救援を求む』
その言葉に、“酒呑翁”がいるであろう方角に目を向けると、確かに戦闘による光らしきものが確認できた。
“酒呑翁”の命令は何をおいても優先される。八重波にそれを拒む意思は無いのだが……しかし、だ。
「なーんかムカつく……納得いかない煮え切らない! もうっ、オキナのバカっ!」
言うや否や、八重波はその場の全員を置き去りにして、追撃を気にする気配も無く、一目散に彼方へと消えた。
あまりにも呆気なく、自分たちの命が助かった事に、その場の退魔師たちの困惑は極まっていた。周囲にはまだ少数ながら鬼が生き残っていたが、小田原が軽く結界を張っておけば済む程度の問題だ。
この状況に何かしらの答えを求めて小田原が怪士面に視線を送り、言葉を投げようとしたが、
ヒュンッ
小田原の声がかけられる前に怪士面は風のように立ち去ってしまった。
残された者たちは命拾いをして言うこと無しなのだが、言葉が出ないのは別の何とも言えない上にやり場の無い感情のせいだった。
直面した『死』から解放されたばかりの彼らが仕事に戻れるまでに精神が安定するのは、それから30分後だった。
八重波の台詞に、鹿島新当流、神道無念流、二天一流を繋げた文言があります。
ちなみに、『一の太刀』で使われたのは鹿島新当流ではなく神道無念流の構えとさせていただきました。




