第61話 恋愛問答 中級編
「ぅ………ん………」
鶫が目を覚ました場所は硬質で陰気が立ち込め、四方をコンクリートの壁で囲まれた部屋。
部屋には鶫が寝かせられた硬いベッド以外に家具は無く、その雰囲気から地下室を使った監禁部屋という感じだ。
鶫は身体を起こそうとするが、当然と言うべきか動けない。恐らくは敵に捕らえられているのだから。
手首は頭上で鎖に繋がれ、足も揃えて鎖で拘束されていた。
「っ、こんなっ………ものっ」
鶫は通力で身体強化を行い、鎖を引きちぎろうと試みた。しかし、それも当然ながら出来なかった。
通力がうまく練れない。端から霧散していくような、手足からピリピリとした痛みと共に違和感……異物感が流れこんでくる。
「無駄でござるよ。その鎖は特別製ゆえ」
シュタッと音が出そうな動きで突然に鶫の隣に現れたのは加藤鵈だ。
どうやら先程と立場は完全に逆転してしまったようだ。
「悪く思わないでほしいでござる。拙者も忍の端くれ。汚い手を使おうと勝ちは勝ちでごさる」
「………どこから現れたんですか」
「寝台の下に隠れておりもうした」
「…………………」
鶫は自身の状況をもう一度整理して考えてみる。
まず脱出は困難。しかも見張り付き。
乱暴を受けた形跡は無い。持ち物も大した物は持っていなかったが、公浩から渡されていた術符を含めて没収されたようだ。
「所持品はこちらで預からせてもらっているでござる。それにしても……やはり女子はいろんな所に物を隠し持っているでござるな。下着の中に術符を仕込んでいるとは」
「なっ!!」
思わず鎖の存在を忘れて力を込めてしまった。
鶫は衣服に乱れが無い事を再確認する。それは一度脱がされて、丁寧に着せられたということ。そうでなくとも、所持品を取り上げられている事を考えれば、服の内をまさぐられた事実に行き着く。
それに別に下着に仕込んでいたわけではない。首から提げ、それを谷間に入れておいただけだ。公浩から貰った御守りは肌身放さず持っていたかったから。
「ご安心めされよ。衣服の着脱は拙者だけで行いもうした」
「慰めになりません! どっちにしろ男の人に………」
素肌を見られた。
女の身で退魔師であるなら、そういった事も覚悟の上だったが………公浩を好きになってからはそんな考えも抜け落ちていたようだ。
たかだか素肌を見られただけと言われるかもしれないが、鶫は悔しさにほんのりと涙ぐむ。
「ああ……いや………一応は拙者も女子であるからして。それも慰めにはならないでござるか?」
「ふぇ? ………あ」
鵈の格好は先程と変わっていない。装束の上からは女性らしいラインをはっきりとは確認できないが、それと聞いて注意深く観察してみれば、確かに男にしては華奢で、少年と言うにも目元……長い睫毛や声が、どちらかと言うと女の子っぽさを感じさせる。
とするなら、鶫は自分の勘違いは女性には失礼だったかと若干申し訳なく思う。
「ツグミ嬢はお優しいでこざるな。どうか気になさらぬよう。こんな形もあって、よく間違われるでござる」
顔に出ていたのか鵈が鶫の内心に触れ、フォローした。
布で表情は窺えないが、目元は苦笑いを湛えているように見えた。
「………さて、これでも見張り兼、尋問役も担っておりもうす。質問には素直に答えてくれるとありがたいでござるな」
「………嫌と言ったら?」
「エロ同人みたいな目に遭ってもらうでござる。多鞭型なんてどうでござるか?」
「………そっち系の漫画は読むんですね。私の周りにはいませんけど、もしかして腐――――」
「心外でござる。普通の漫画も嗜んでいるでござるよ。それに、同人誌を読んだ事がある女子が全員腐っているとは限らぬからして。偏見は感心せんでござるな」
「ひゃっ!」
鵈は鶫の脇腹をちょんちょんと突っついた。
くすぐったそうに身動ぎする鶫の横にどこから出したのか丸椅子を置いて腰掛けた。
「せっかく遠方より来ているツグミ嬢を捕虜としたのでござるから、九良名学園の事でも聞かせてもらうでござるか」
鵈は紙とペンを取り出して書き記す準備に入った。
「末端の見習い退魔師を尋問したところで碌な情報は出てきませんよ」
「それも承知の上。では、まず手始めに………交友関係でも聞かせてもらうでござる」
「………………」
他の退魔師見習いたちの情報でも聞き出そうという事だろうか。話したからどうなるという取るに足らない情報ではあるが、馬鹿正直に話すこともない。
このまま無視してやろうかと構えたのだが、次の言葉に調子を外されたというか、ある意味で意表を突かれた。
「友達は何人で、彼氏がいるかどうか……などでござるな」
「………はい?」
「あと、イジメにあっていないかとか、あるいは周りでそういうものを見かけたとか、人間関係の悩みなどはござらんか?」
「え………あの………」
どうも緊張感に欠ける質問だと感じるのは自分の感性が間違っているのか。それとも最初にこちらの気組みを崩して本命の質問があるとか。
鶫はその質問に額面以上の意味があるのか、測りきれずにいた。
「………………」
「? 拙者の顔に何か付いてるでござるか?」
この忍者はどうにもやりにくい。
正面から話しているといつの間にか情が移っていそうで、なんとも言えない感覚だ。
“鬼”とは思えない人間臭さと言うか、その辺の人間よりよっぽど好感を持てる何か……そんなものを感じてしまう自分は、もしかしたら既に鵈の術中にいるのかもしれない。
鶫は鵈を見ていると湧いてくる感情に居心地が悪くなり、忍装束で隠された顔から目を逸らしてしまった。
「むぅ、左様でござったか。友達0…と。不憫でござる」
「います!」
メモに不名誉な事を書き込む鵈に反射的に食ってかかる鶫。
鵈はその反応を見て「にんにん」と言って笑ったような気がした。
この、人をおちょくって楽しんでいる感じ、どこか凛子に近いものがある。この親しみさえ湧く性格が素なのだとしたら、とんだ忍者もいたものだ。
鶫は悔しさで頬が赤くなる前になんとか熱を飲み込んだ。
「あ、あなたよりよっぽどいますよ! もう100人くらいいるんじゃないですかね」
妙な所で意地になり、変な見栄から話を盛っているが、それも鵈の人柄が引き出したもの。鵈は満足そうに頷く。
「それは羨ましいでござるな。拙者には主君や同僚はいれど、友人と胸を張って言えるのは数えられる程度。しかもその数少ない友人にも、最近は会えていないでござる」
鵈は一瞬だけ遠い目をしたが、すぐに鶫に意識を戻して質問を再開した。
「しかしながら、流石に彼氏などはいないでござろう? ツグミ嬢はどう見ても初な未通女にござるからな」
「なっ、決めつけないでください! これでも恋人いますから。暇さえあればデートとかして、隙さえあれば手を繋いで……ほ、他にもいろんな事してるんですから!」
「にんにん、例えば………」
ボソボソボソ
鵈が鶫の耳元で、それはもう色々な具体例を囁いた。
鶫には耐性の無い話だったので、みるみる顔が赤く染まっていくが、ここで取り乱してはいかにも自分は処女ですと語るようなもの。鶫は必至に冷静さを取り繕った。
「とかでござるか?」
「そっ、そりゃあ、もちろん………や、やりまくりですよ! せ、先輩と(ボソッ)………う、うん、もう毎日と言っても過言ではありませんね!」
「むぅ……そうでござるか。相分かった。ツグミ嬢は処…女…っと」
「~~~~っっっ!」
何を言っても無駄だろうという思いもあって、咄嗟に否定する言葉が出てこなかった。だって事実なんだもん!
鶫は悔しさに顔を歪め、ぬぐぐ~~と呻いた。
「では、次に成績などは……ああ、その前に食生活はどのように――――」
「ま、待ってください! なんなんですかさっきから。変な質問をして、私を辱しめるのがそんなに楽しいですか!」
「………………」
鵈はキョロキョロと視線を配り、部屋の中と、一つしかない扉の奥の気配を探る。
誰もいないと確認したようだが、それでも一応なのか、口に人指し指を当てて声を発さないように鶫に促した。
「他言無用でお願いしたいのでござるが、とある御仁から私的に頼まれたのでござる。調べれば分かる事ではあれど、どうしても本人の口から聞き出してほしいと。一応、情報の鮮度は抜群であるからして」
「……誰がそんな事を」
「ツグミ嬢の事を想う男子はそれなりにいるという事でござる」
「そ、それは………」
鵈の言うことだ。あまり真に受けるべきではないのだろうが、やはり解せない。
“鬼”の陣営……それもなんの関わりもない筈の“日計の毒”に、鵈に頼んで鶫の事を聞き出そうとする者がいるだろうか。
“日計の毒”の構成員以外の可能性もあるが、そうなると鵈が他所の何者かと繋がりがあるということになる。他言無用なのも頷けるが、だとしたらそれを鶫に話す意味は?
どうにも頭がうまく回らない。
ああもうっ! 変な話になったから先輩の顔がちらつく! 邪魔………じゃないけど、でも今は引っ込んでてください! 好きですけど!
「だ、誰でもいいですけど! とにかく、これ以上変な質問に答える気はありませんから。聞きたい事があるなら直接来るように言っておいてください。ストーカーになる前に成敗してやるって」
「むぅ……自業自得とは言え、怪士殿が憐れになる物言いにござるな。せめてその先輩とやらの名前だけでも教えてはくれまいか」
「そんなの――――!」
「言えないということは………はっ、まさか脳内カレ――――!?」
「黒沼公浩、学園の2年生。身長は170センチ体重は59キロ。趣味は鍛練と読書で、本人は何故か否定してるけど好きな食べ物はハンバーグ。ちなみに甘い物が好きと言いつつそれほどでもなさそうで、それから優しくて頼りになって、たまに少し恐いけど笑顔が素敵で……あ、あと着痩せします」
「ほぉほぉ(かきかき)」
「あ…………」
「………ん? どうしたのでござる。どうぞ続けるがよろしい」
ついムキになって喋ってしまった。一応は個人情報なのだが。
ストーカーもかくやの情報量に引かれること請け合いだ。
「あ、あの………今のは聞かなかったことに………」
「むむ? よく聞こえないでござるなー」
いらっ
流石になんと言うか………少しくるものがある。
ここを出たら絶対にやり返す……倍返しだ!
……………ネタが古かっただろうか
ちなみに現在のトレンドは真田○。
「拙者は大河ドラマは見ないでござるからなー。にんにん」
いらっ
心を読みやがった。
それに忍者なら少しは大河見ろよ。というより、真田○が大河だとしっかり理解している時点で胡散臭すぎだ。
「とまあ、ツグミ嬢で遊ぶのはこれくらいにして、一つ真面目な話にござる」
出会った時には想像もしなかった鵈の、人をオモチャのように弄ぶおちょくった態度に精神的な疲労感を覚え始めた。
今は確かに真面目そうな雰囲気ではあるが、鵈のこと。いつまた脱力いらっと空間に引き戻されるか分かったものじゃない。
これまでとは違った警戒心を新たに組み直した。
「ツグミ嬢はその黒沼なる男を確かに好きで、色んな事を知っているようでござる。しかしながら、ツグミ嬢。ツグミ嬢が知っているその男の姿……果たしてそれが本当の姿なのか、欠片も疑った事は無いと言えるでござるか?」
「………………」
「人間であるならば……いや、人間でありたいならば、そこには必ず表と裏があり、また持つべきでござる。なるほど確かに、ツグミ嬢が見初めた男子なら、間違いなくそれに値する人間なのでござろう」
考えなかったわけじゃない。
先送りにしていたわけでもない。
見て見ぬふりもしない。
公浩と自分の歪な関係。
奇妙な関係。
煮えきらぬ関係。
何故、自分がこんなにも悩みを抱えなければならないのか。思うところが無いわけではないが、それは苦労をすると分かっていて好きになったのだから受け入れるべきだろう。
それに、公浩にだって悩みはある。あるいは自分など及びもつかない程の悩みかもしれない。
そしてそれこそが、鵈が鶫に対して言いたい事ではないだろうか。
「ツグミ嬢が見てきたのが、その者の表か、あるいは裏かは知らぬでござる。問題はツグミ嬢がどちらか片面だけを見てその者を好きになったのではないか、という事」
鵈の言いたい事は恐らく、相手の全てを知らない内に好きだのなんだのと言っている鶫の、その気持ちの真贋を問うているのだろう。
なんでこんな話になってきたのかは知らないが、まるで父親から説教でも受けているような気分になる。
だからこそ、鶫は落ち着いて話を聞いていられるし、無意識に気持ちの整理も始まっていた。
「ツグミ嬢のそれは恐らく初恋と呼ばれるものに相違ござらん。しかし、拙者の敬愛する人間の御仁……男性にござるが、その方はこう仰っていたでござる。
初恋というものは厄介な代物だ。こんな自分でも気付けてしまうほど分かりやすいエラーだ。それは幻想、錯覚、あるいは相手を好きでいたいという願望で出来ている。魅力的な相手を好きになった、良さを見出だしたという優越感もあるのだろう
と、そのように。拙者もそれには同感でござる」
「ずいぶんとひねた感性ですね。その人も、あなたも」
「重々承知しているでござるよ」
鵈は微かな自嘲を、その瞳で語った。
鵈は徐に口元を覆うマスク部分に指をかけ、それを下ろした。
表れたのは健康そうな潤いを纏う少女そのものの唇。そして頬から耳元にかけて刻まれている幾何学的な模様だ。
顔を隠す布が無くなり、より幼さが増したその顔にはあまりにも不釣り合いなそれに、鶫は思わず息を飲む。
「一応、拙者にも初恋らしきものがあったでござる。今は刺青として残るだけのこれも、元はその相手から受けた“呪い”にござった。曰く………鬱陶しい、飽きたからもう近付くな、と。拙者が近付けないようにする“呪い”にござる」
「…………………」
「強い男にござった。優しい男にござった。拙者を殺さなかっただけまだ優しいと言えなくもないでござるが、添い遂げる約束までしておいて、いきなり飽きたとは………くく、なかなかどうして、あんまりではござらんか?」
鶫が鵈の表情、言葉から読み取れた最も強い感情は………後悔だ。
憎しみでもなければ、ましてや未練などでもない。そこにあるのは、ただただ失敗を嘆く少女の姿………誰かを好きになったことを心の底から後悔している、無垢な少女だった。
「ツグミ嬢は、自分は絶対に裏切られないと言えるでござるか? 自分が知らない相手の一面が、いつか自分を傷付けないと、なぜ断言できようか。それを踏まえて、もう一度考えてみるがよろしい。ツグミ嬢は相手の事を、それでも好きでいられるか」
鶫は鵈の言葉を真っ向から受け止めた。
ほんの僅かな間にこれでもかと言うほど心の中で反芻し、慎重に、あるいは直感かもしれないが、既に出されていた結論と照らし合わせる。
改めて自覚する想いを、力強く口にした。
「好きに決まってます」
それはとっくに答えの出ている問題だ。
鶫が公浩に抱く不安はただ一つ。公浩が自分を好きになってくれるのか、ただそれだけ。それ以外など、仮の恋人の話を持ちかける前から覚悟、納得済みの問題に過ぎない。
本当なら、今さら考えるまでもない事だった。
「先輩は私を裏切りません。裏切るとしたら、それは私の方。例えば先輩の別の一面……醜さを知ったとして、私がそれもまとめて好きになれなかったとするなら、それこそが先輩に対する裏切りです。一方的に好きになっておいて、ほんの少し違う姿を見たからと言って一方的に嫌いになるなんて、自分勝手ですから」
「…………………」
流石の鵈も言葉を失った。
どうやら自分は勘違いをしていたようだ。
鶫をただの少女………恋に恋するかつての自分だと、同じ存在だと勝手に思っていたが、それは改めるべきだろう。
鶫の愛はオモイ。
それは病的で、偏執的。純粋で盲目。
見返りを求めない一方的なオモイ(・・・)。相手を無条件で愛する。その代わり唯一の愛がほしい。唯一人をずっと愛させてほしい。
愛は矛盾する。
士緒は気付いているのだろうか。
かつて自分を殺してでも欲し、求めた女は人間でありながら、心が裏返っているということに。
「羨ましい程に、壊れているようでござるな」
鶫の恐い程に真っ直ぐな想い、鵈がかつて持ち得なかった強さ。
正直、鵈からしたら鶫の愛情は気味が悪い。狂おしいほど誰かを好きになれるというのは、羨ましくもあり、しかしそれ以上に自分を安堵させる。
自分はこんな風にならなくて良かったと、裏切りで正しく心を痛める事ができる自分はまだましだと。
できることなら鶫も元の無垢な少女に戻してやりたいと思うくらいに、憐れな強さだった。
鶫が言っている事が口先だけで、実際には裏切りに対して普通に嘆く事ができるだけの感性であることを、会ったばかりの気の合う知人に願っていた。
「父親の死から逃避するために恋愛に逃げているようなら、このまま怪士殿の元へ連れ去る予定でござったが………怪士殿にとっては、より深刻な事態にござったか。にんにん」
「誰のことかは知りませんけど、勝手に連れ去られるのは迷惑なので、今後も遠慮してください」
「まあなんにせよ、いずれツグミ嬢が黒沼なる少年の別の一面を知ったとき、あるいは四宮家がなぜ橘花院士緒の恨みを買ったのかを知ったとき、ツグミ嬢は少年やお父上に対して変わらぬオモイを貫けるのか、楽しみでござる」
「……………え?」
「好きな人間は許せても、自分の事は許せなくなるなどよくある話でござる。はたしてその時、ツグミ嬢の想い人は代わりに赦し、支えてくれるのか………しかと見届けるがよろしい」
「加藤さん………何か知っているんですか?」
鵈は口元を再びマスクで覆った。
その上からでも、鵈がニコニコと優しげな笑みを浮かべているのが分かった。
「さて、どうでござろう。なにぶん忍は口が堅い故、例え知っていても話さないでござるよ」
「口が堅い、ですか」
鶫と鵈はお互いに笑みを向け合った。
鵈はそれから他愛のない質問を再開し、まるで親しい友人同士による女子トークのような空気が、陰湿な監禁部屋を僅かに明るくしていた。
「にんにん。ツグミ嬢はなかなか強く生きているようでござるな。そのまま学園生活を存分に謳歌するがよろしい。今度遊びに行ってもよいでござるか?」
「一応敵地なので、それほど寛げないと思いますけど。というより、私がここを抜け出した暁には、あなたは漏れなく捕虜として退魔師協会でエロ同人な目に遭ってもらいますから。まあ、それが嫌なら………私の式鬼神にでもなることですね」
「エロ同人は勘弁願いたいところでござるなー。然らば、いざとなったらツグミ嬢にすがることに――――」
唐突に、フッと鵈の気配が鋭くなった。
鶫に喋らないように促し、微かな警戒心を部屋唯一の扉に向けた。
人の気配、小さく響く靴音を扉のすぐ外で感じとり、鶫も緊張感で若干心拍数を上げる。
直後、当然と言えば当然、ノックも無しに扉が開け放たれた。
「これは残念。もっと扇情的な光景を期待していたのですけど、捕虜にわざわざ服を着せておくとは……加藤殿は紳士ですね」
現れたのは鶫にとっては憎き裏切り者……五行樫木。
本日の決戦用に支給された動きやすくシンプルなデザインの戦闘服は着たままで、最後に見た時となに一つ変わっていない。
強い嫌悪感を抱かせる嫌らしい笑みも、先程と同じ。もしかしたら今までもこんな笑みを浮かべてたのかもしれないが、鶫の目にはもはや別人のそれに思える。
「何の用でござるか? ここは拙者の領分。お主の出る幕ではござらん」
鵈ですら樫木に対しては明らかに冷たい態度を見せている。
この男に嫌悪を覚える自分の感性は、とりあえず間違ってはいないようだ。
「まあそう仰らず。こちらの仕事が一区切り付いたので、暇を潰そうとこちらの様子を窺いに来ただけです」
「それは重畳。しかしながら、こちらはそちらほど楽な仕事ではない故、芳しくはないでござるな。ただでさえそんな状況でありながら、暇を持て余した下衆の相手までせねばならないとなると、いよいよ眠る暇が無くなるでござる。同胞を罠に嵌めて喜ぶだけの簡単なお仕事とは違うのでござるよ」
「ククク……何故、加藤殿が私をそこまで毛嫌いするのかは分かりかねますが、ついでに報告しておきましょうか」
樫木は横目で鶫を見た。わざわざ捕虜の目の前で話す必要はないはずだが、その吐き気を催す不快な笑みを見れば何がしたいのかは察しがつく。
殆どが嗜虐的思考から来る単なる嫌がらせ。鶫の精神に少しでもダメージを与えてやろうという嫌らしさが透けて見えるようだ。
「散り散りになった退魔師たちの約3割程を削れたようです。私の仕事は仲間のふりをして馬鹿な退魔師たちに連絡を取り、罠まで誘導するだけの簡単なものでした。流石にここまでやれば勘の良い退魔師は引っ掛からなくなる頃なので、とりあえずお役御免です」
「恐らく残りの退魔師は小田原あたりが纏めて態勢を立て直している頃にござろう。あの御仁はなかなかタフでござるからな」
「正しくその通りのようですよ。尤も、こちらには幹部数名を除く全戦力が揃っているので、一網打尽にするのも時間の問題ではありますが」
そう言って樫木はあまりにも自然な動作で鶫へと近付き、当たり前のように胸部に手を伸ばした。
「っ!?」
鶫は樫木がしようとしている事に咄嗟に思いいたり、ジャラッと鎖が鳴るほど身体を強ばらせた。
「おっと………これは何の真似ですか?」
樫木の首には短刀が当てられている。
短刀を逆手に持った鵈は、妙な事をすれば即座に首を落とす事など容易いのだと、そう感じさせる殺気を纏っていた。
「何の真似か? それはこちらの台詞にござる。ツグミ嬢は拙者が預かっている捕虜にして、此度の戦における唯一の褒美。“酒呑翁”には話は通っているはず」
「くく、そうでしたね。先の戦闘がなかなか真に迫っていたので、もう要らないのかと」
喉元に押し当てられた短刀が強めに押しこまれ、樫木の首からつーっと血が流れた。
「まぁまぁ、落ち着いて。ほんの冗談ですよ。ちょっと借りようと思っただけです」
「拙者の褒美に勝手に手を付けようとした言い訳がそれでござるか」
「減るもんじゃあるまいし、ちょっと楽しむくらい良いではないですか………あ~ウソウソ、嘘ですよぉ。残りの退魔師たちを誘き寄せる餌か人質に使えるかと思い、連れていこうとしただけで危害を加えるつもりはありませんでした。だからこれ以上それを押し付けないでください」
樫木は涼しげな顔で両手を挙げて降参の意を示した。
鵈が短刀を納める気配は無い。むしろ殺気に関しては、忍にあるまじき強さの気配……ピリピリした雰囲気を垂れ流している。
これではっきりしたが、鵈は始めから鶫を目的としていたようだ。
自分とどういった縁があるのかは知らないが、そうなると先程の一戦で鶫を殺す気はなかったという事になる。むしろ樫木に鶫の配置を操作させ、ここに鶫が来るように仕向けたのも鵈かもしれない。
鵈の目的というのがますます読めなくなってきた。
「今すぐに引くならば良し。さもなくば頭と胴体がお別れにござる。死体は犬の餌ならぬ鬼の餌にしてくれよう」
「参りましたねぇ。何故、加藤殿がそこまで彼女に執心するのか教えてくださいませんか?」
「詮索無用も契約の内にござる。いかにお主が“日計の毒”に入って日が浅いとはいえ、それぐらいは下達されているはず。でなければそれは“酒呑翁”の落ち度。責任を持ってお主を処断していただく事になるが………いかに?」
樫木の瞳がここに来て始めて険を帯びた。
“日計の毒”の頂点。世界でも指折りの大勢力を纏める強大な存在……“酒呑翁”の名は樫木にとっても軽く受け流すことの出来ないものだった。
「“酒呑翁”ですか。あんな老いぼれ、“鬼王”が側に居なければとっくに始末して、その手柄を持って私の協会での地位は盤石となっているはずでした。生かしておく代わりに埋伏の毒として協会に送り込まれる事もなかった。忌々しい事です」
「まるで嫌々従わせられているような口振りにござるな。埋伏の毒として、今まで何人の退魔師たちを手に掛けてきたでござる。気に入った女子などは、それこそ毒牙に掛けてきたようでござるな。お主が嬉々として虐め殺した女子たちの死体と、それから後始末………誰がしていたと思うでござるか」
「おかしな方ですね。“鬼”でありながら人間以上に善良な事を言って。実に惜しいです。そんな貴方がもし女性だったなら、それまでの女性たちと同じ目に遭わせて、その口から人間らしい嬌声を上げさせているところですよ。考えてみたら、“鬼”を犯した事はありませんでしたねぇ」
「それは生憎でござったな。さあ、暇ならもう十分に潰したでござろう。その胸糞の悪い顔が胴体と繋がっている内に疾く失せよ」
樫木の目が嗜虐的な色を纏い始めたところで、鵈は嫌悪感を湛えた目で見返し、短刀と首の間にほんの少し隙間を開けてから、樫木を足で軽く扉へと押し出した。
樫木は小さくバランスを崩して後ろへよろめき、やれやれと肩をすくめてから鵈に背を向けてその場を去ろうとした。
「………なーんて。やはり少し遊んでいくことにしました」
「む?」
樫木の足元から一瞬で伸びてきた黄色い鎖のようなもの……『雷縫の縛鎖』が瞬く間に鵈を拘束した。
「自分が何をしているのか分かっているのでござるか?」
『雷縫の縛鎖』は本来、派手な放電で相手を牽制し隙を突くように対象を捕縛する顕術だが、樫木のそれは一部を省いて、しかも顕の発動のプロセスも簡略化している。とても高いレベルの技だった。
「本当はちょっと連れ出してすぐに返すつもりでしたが、気が変わりました。貴方の目の前で四宮鶫を犯してみましょう。どうです? なんなら加藤殿もご一緒に」
「どうやら自分の立場を理解していないようでござるな。こんな物で拙者を捕らえたつもりでござるか? 拙者はいつでもお主の素っ首、切り飛ばす事ができるのでござるが」
「大した強がりですが、立場を理解してないのは貴方の方だ。先程の戦闘で四宮鶫から受けたダメージが完全には抜けていないのは判っていますよ」
鶫は鵈を横目で見てみる。
表情の多くは読み取れないが、視線には力がこもり、拘束されていることを抜きにしても、その姿は山のようにどっしりとした佇まい。そして余裕のある態度だ。
とても樫木の言うように手負いで力が落ちているとは思えない。何か切り札を隠し持っているような、そんな気配が感じられる。
そもそも、たとえダメージが残っていても、鵈がこんなにもあっさりと捕まるのは不自然だ。
鶫の目にはどちらが劣勢なのかはっきりとは分からなかった。
「四宮殿、良い事を教えてあげましょう。右翼に配置された退魔師たち、あなた方の中で一番いけすかなかった黒沼公浩も含めた全員、今頃は幹部クラス数人に皆殺しにされていることでしょうね。“木枯し”や“恐慌獣王”らに始末させるためにそこへ配置したのですから」
「そういうこと………ついでに聞いておきますけど、私たちが着いてすぐに鬼の奇襲があったのは………」
「ええ。あなた方の到着に合わせて襲わせました。あなた方の力を測っておきたかったので。あっさり殺される事を期待してたのですが、逆にあっさり返り討ちですよ。まぁ、そんな彼でも今度ばかりは相手が悪いでしょうね。生きては帰れないかと」
「………………」
鶫の瞳には多少の心配があるが、それ以上に公浩への強い信頼があった。こんな下衆の思い通りになる人ではないと。
その目が気に入らなかったのか、樫木は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「外には私の手勢の鬼を置いています。どのみち逃げられません。加藤殿はそこで大人しく、貴方の所有物が辱しめられるところを見ているといい」
不機嫌から一転、ニヤニヤと、何度見ても気分を悪くする嫌らしい笑みを浮かべて樫木はベッドへと歩み寄っていく。
鶫としては、とりあえず足を拘束している鎖だけでも外れれば、なんとか脱出の足掛かりにできると思い、嫌悪感から来る吐き気を堪えて隙を窺う。
最低でも玉の一つは蹴り潰してやろうと、強く睨みつけながら鶫は身構えた。
「ほぉ……思ったより早かったでござるな」
鵈が漏らした呟きに、意味を図りかねた樫木が「はい?」と疑問符を浮かべ、歩みを止めた。
「拙者が手を下すまでもなくなった、ということでござる」
「それははったりのつもり――――っ!!」
ようやく異変を感じとった樫木が後ろへ思いっきり跳び退いた。
ドガァッッッ!
直後、天井部分が砕け、部屋に粉塵が充満した。
そして細かくなった瓦礫と共に、一つの人影が降りて来た。樫木はその人影の顔を確認して目を剥いている。
「馬鹿な……なぜ貴方がここに」
鶫の位置からは粉塵が邪魔をして、しかも背中を向けられているため誰なのかは正確には判別できない。ただ、両手には砂煙の中にあっても全く刀身を濁らせない水の刀を持ち、どこかで見たことのあるようなシルエットだということだけは分かった。
降り立った男は水の刃を一振りし、室内の砂煙を払いつつ刀身から湧き出た細かな水球を辺りにふわふわと滞空させる。
それは中々に幻想的で美しい光景だった。
ただ一つ、その感動に水をさす事があるとすれば、晴れた視界で鮮明に映る男の後ろ姿が、嫌いな人物のそれだと判ってしまった事だろう。
男は樫木を見下すように見て、こう言った。
「随分とおいたが過ぎるじゃねぇか。一樹様に言い付けちゃうぞ?」
男……五行飛英は不遜な態度で刀の切先を向ける。
本来いないはずの人物の登場に、鶫は軽く困惑し、樫木は不愉快そうに顔を歪めた。
「さぁて……一樹様に反旗を翻したクソ野郎を成敗と行こうか」




