第60話 倶利伽羅竜王は災いを齎す
「あぅ………頭が痛いよぉ~~」
二日酔いでグロッキー状態のOLのような顔でうずくまっているのは、ほんの2分程前まで神のごとき権能を行使していた少女……佐東市花。
“誓約破り”こと北大路煉をその圧倒的なまでの力をもって蹂躙した少女は、力の反動に打ちのめされていた。
市花の固有秘術……『夕立暴走乙女』と名付けられたそれは、全ての通力、体力を消費し、数分間の無制限能力行使を可能にするというものだったのだ。
それに気付いた時には既にこの有り様……刀を杖代わりにしてどうにか歩けるという状態だったわけだが、例え知っていても使っていただろう。
「まるでスター○リオ………」
○リオはスター状態が解けても二日酔いにはならないが、間違いなく無敵という点は共通していた。
「それに………あんなの私じゃないよぉ~。あんな………あんな乱暴なところ、もし黒沼くんに見られたら………うぅ、いっそ消えてしまいたい」
この固有秘術の事は知られない方が賢明だろう。人格があり得ない変貌をすることもあるが、あれほどの力………知られれば厄介事に巻き込まれるのは想像に難くない。
「せめて黒沼くんのために使えれば……でも、もうすっからかんだし」
このまま公浩のもとへたどり着けたとしても、足手まといになるのは明らかだ。
そうなるくらいなら、この場所で少しでも体力の回復に努めた方が良い。
市花は仰向けに倒れ、満天の星空を眺める。斬られた背中の傷がズキズキと痛むが、頭を割るのではないかと思える痛みに比べたら些細な事だった。
冬の星空は特に綺麗に見える。市花は知らず内に空へと手を伸ばしていた。
「『私だけを見て』とか……………あぅ」
やはり恥ずかしさが後から後から湧いてくる。なぜあんな台詞が出てくるのか、自分の事ながら理解できない。
腕がポトッと倒れ、強烈な眠気が襲ってくる。
ここはまだ戦場なのだと理解はしているが、抗えない脱力感に流されて、まぶたが徐々に下りていく。
しかし、その眠気も直後に吹き飛んだ。
「限りなく確率の低い賭けだったが、私は見事に賭けに勝ったぞ、小娘」
「!?」
市花は反射的にそちらへ向き直ろうとするも、一度緊張の糸が切れた身体は思うように動かず、視線を向けて身動ぎするのが精一杯だった。
「負ければ即死する賭けなどと、戦いの中では極力したくはなかったが………人生で一度きりの顕術、作っておいたのは正解だったようだ」
そこにいたのは先ほど跡形も無く消し飛んだはずの“鬼”……煉だった。
「やはり不思議か? 私が生きている事が。無理も無い。私も成功するかは半信半疑の、偶然の産物とも言える顕だった。よもやそんなものに頼らなければならない日が来ようとはな」
煉は先程より普通へと寄せられた落ち着いた服装だ。しかも、よく見ると体格も顔付きも幼くなっている。
「命を削り、分身体を安全圏に飛ばし、消し飛ぶ間際に意識を移した。“転移”の顕術を研究中に生まれた副産的な“根源型”接続術式であったが、世の中何が幸いするかは分からんな」
「くっ……ぅ」
市花は身体に鞭を打ち、白木拵えの刀を支えにしてなんとか立ち上がった。
その息は荒く、眼鏡が無いことを除いても視界はかなりぼやけ、脚は感覚を失ったかのように覚束ない。
絶体絶命。ささやかな抵抗として、なけなしの殺気を放って睨み付ける。
「お互い、なかなか不様な姿ではないか。私は見ての通り肉体も満足に復元できない有り様、貴様は生まれたての仔鹿。だが、こんな形でも私は貴様を殺す事が出来る。どちらが主導権を握っているかは言うまでもあるまい?」
「………何が言いたいの」
「決まっている。今一度選ばせてやろうというのだ。私と共に来るか、ここで死ぬか。喜べ。モルモットからパートナーに格上げだぞ」
「………………」
もはや自分には刀を振るだけの力は残っていない。抵抗も出来ずに殺されるだろう。
少しでも会話を長引かせて時間を稼ぐべきなのだろうが、その時、市花は一切の迷い無く言葉を放っていた。
「おととい来やがれ」
「――――!」
一瞬、煉は先程まで自分が置かれていた状況に戻ったのではないかと心臓を跳ねさせるが、すぐに落ち着かせて判断する。
ここで殺しておかないと駄目だ。
煉は右手に『光剣』を作りだし、市花へと近づいていく。
「実に惜しいが、やむを得んな」
市花は覚悟をした。
でも最後に、呪いの一つでも残して死んでやる……そんな思いで煉を睨んでいた。その時、
「でしたら、ぜひとも我々に譲っていただきたいですね」
「!!」
煉が向き直った先にいたのは、何時からいたのか艶のある黒髪ストレートの美女だった。
レディースのスーツを着こなし、秘書然とした佇まい、そして鋭い視線は静かな圧力を煉へとかけている。
(私が気付けなかっただと? 特殊な固有秘術か………)
煉の警戒レベルは否応なく高められるが、目の前の女が今の自分では手に負えない事を一瞬で理解する。
現状、並の退魔師にも及ばないほど弱体化している煉に戦うという選択肢は存在しなかった。
「初めまして。焔と申します。なんとも……いい歳をした老人がお子様相手に本気になって、あまつさえあっさり消し飛ばされる様は愉快でしたよ」
嘲りをたっぷりと含んだ焔の物言いを受けても、煉はそれに反発することはしなかった。それどころではない。
ほんの少し前まで市花が受けていたプレッシャーを、今は煉が受けている。
焔が誰の味方かはっきりしない状況ではあるが、少なくとも煉に対して友好的でないのは明らかだ。緊張感が増すのも無理はない。
「その少女の能力は見させていただきました。貴方が取り込むのを諦めるというのなら、我々……“真ノ悪”のためにその力を役立ててもらいたいのですが」
「っ!! “真ノ悪”だとっ!? 馬鹿な! 山本五郎左衛門はこの戦争には関わらないはずでは――――!」
「ふふ、誰がそんな事を言ったのか知りませんが、その考えは改めた方が良さそうですね」
「っ………! そうか。あいつは貴様らの手の者か」
一人で納得する煉に、焔は微笑を浮かべながらスッと腕を上げ、二本の指先を煉へと向けた。
「『縛』」
「ぬっ………!?」
煉は両腕をギュッとすぼめ、見えない縄で縛られているような体勢になった。
身じろぎ程度にもがいた煉は、すぐ抵抗は無駄だと悟り、焔の能力の分析に入る。
「貴方ごときに貴重な“呪力”を使うのは勿体無い限りです。雑魚を縛り上げるのにも費用と労力がかかるというのに」
それだけ言い捨てて焔は煉から視線を外し、その興味を市花へと向けた。
それまで蚊帳の外だった市花は歩み寄って来る焔に警戒心を露にする。そして焔が市花の前に立った。
「はぁ………なってしまったものは仕方がありません。事実は事実として受け入れましょう」
「…………?」
焔が市花に向ける目は微かな敵意と僅かな嫉妬、それと……市花を通して別の誰かを見ているようだった。それは諦めと納得を通り越した呆れという感じだ。
「あれとは別口の勧誘です。厚待遇をお約束します。我々、“真ノ悪”と共に歩みましょう」
焔が市花に握手を求めるように手を差し出してきた。
市花は早速自らの力の厄介さに辟易とさせられる。
煉ほどの嫌悪感は抱かないものの、この焔という女は間違いなくまっとうな人間ではない。
“真ノ悪”と言えば世界最大の“鬼”の組織。その強大さから、都市伝説と同じ類の眉唾な噂だと思っていたが、この女はその構成員だと言う。
今日一番で自分の分を越えた事態……手に余る案件だ。
とはいえ、市花の答えは決まっている。
「お断りします」
きっぱりと拒絶の言葉を口にする。
しかし、市花の強い視線を受けても焔の表情はピクリとも揺るがない。この返答は当然予想していただろうから。
「ここで死ねば、想い人と添い遂げる機会を失いますよ?」
「っ………それは」
市花が現段階で唯一、言葉に詰まり、決意が揺らぐもの。公浩への執心を見透かされ、それを交渉材料にしてきた。
だが、“鬼”に加担して後ろめたさを抱えたまま公浩が振り向いてくれるとも思えない。
公浩なら案外あっさりと受け止めるかも知れないが、万が一にも嫌われる事態だけは避けなければ。そんな思いが強かった。
「ここで殺されたとしても、好きな男性に顔向けできない事はしたくないので」
「………………」
やはり焔の表情は動かないが、ちょっと機嫌が悪くなったように感じた。
焔は差し出した手を下ろし、言葉を続ける。
「ほとんどの人間は貴女の決断を見上げたものだと評価するでしょう。ですが………正直がっかりです」
焔は次の瞬間、市花の頭部に強めのチョップを入れた。
「うきゅっ!?」
突然の一撃に市花は変な声を上げてしまった。
刀を杖代わりにしていた体がぐらつく。
「本当にその人が好きなら、こんなつまらない死に方をしてはいけません。その人のために死ねるまで、生きるべきです」
「………!? ………?」
頭部に手をやり、キョトンと焔を見る市花は端から見たらとても愛らしいが、本人からしたら混乱の極みだ。
「ですが………貴女の考えも解らなくはありません。なので、こうします」
またしても唐突に、焔の指先がスッと市花の額に当てられた。市花は半ば反射的に目を瞑る。
煉に殺される時には強い覚悟があったが、毒気を抜かれた今となっては覚悟など飛んでしまっていた。
公浩の顔が瞼の裏に映り、湧きだすのは強い未練だ。
一瞬の恐怖を塗り潰すように公浩の事で頭の中を埋める市花。そこに焔は一つの“呪い”を残した。
「『封』」
焔の指先が小さく光り、その光が額に触れ、市花の中で何かに鍵がかかる音が聞こえた気がした。
市花は何が起きたのか分からず目を開く。
「これは“呪い”です。今後、貴女が固有秘術を使う際に制限がかかります。いえ、制限というより……条件ですね」
「条………件………?」
いまだ身体に残る気だるさと、頭の中に異物が居座る奇妙な感覚が市花から落ち着きを奪う。
「貴女は直前に何を考えていましたか?」
直前………?
市花が今の今まで考えていたことは………
「一応言っておきますが……好きな人の記憶を奪ったとか、その感情を抑制したとか、そういったものではないので安心してください。“呪い”もそこまで万能ではないので」
ああ……なんとなく理解できる。
つまりこれは――――
「『夕立暴走乙女』が…………」
固有秘術が金庫にでも納められてしまったかのような感覚。画面に暗証番号を打ち込まないといけないような、モヤモヤした引っ掛かりを覚えた。
「簡単には解呪できません。固有秘術が使えないわけではないですが、いま貴女が咄嗟に考えたもの……その倍の想いが必要になります」
「なっ………そんな」
市花が直前に考えた事はその100%を公浩が占めている。
つまり……さっきの強い好意のさらに倍、公浩を好きになる必要があるということ。
市花の公浩への好感度はカンストとまでは行かなくとも、ほぼ上限に近い。少なくとも本人はそう感じている。
これより強い恋心があるのなら教えてほしいくらいだ。
「一つ、予言しておきましょうか。“呪い”は関係無く、貴女はいつか必ずこちら側に来る。貴女の愛が本物ならば。もっとも………」
焔は身動きの取れない煉のもとへと近付き「ふんっ」と一息、高速で回し蹴りを腰の辺りに放った。煉は「ぐはっ!?」と声を漏らしてゴロゴロと転がる。
「私は貴女の愛が本物でない事を願っています」
「…………?」
さっきまでと言っている事が違う。
ひとを勧誘しておきながら、それは自分の側に来ない事を願っていると言っているように聞こえた。
愛が本物ならば
市花には、焔が何を考えているのか、まったく分からなかった。
「おいっ、貴様! なぜ私を蹴り飛ばす必要があった!?」
「これは失礼。八つ当たり用のサンドバックかと思いました」
この二人は敵………なのだろうか。
だとしたら焔が煉を殺さないのには、何か理由があるのか。殺すつもりならすぐにでも出来るはずなのに。
ますます分からない。
これではまるで、焔が市花を助けるためにわざわざ出てきたみたいではないか。固有秘術に関しては物のついでと言わんばかり。
「焔……さん、でしたね。あなたはいったい――――」
その時、遠くから何かが飛来する気配を感じた。
そして感じたとほぼ同時に、それは市花たちのそばに着地した。
ドゴォッッッ!!
いや、それは落下だった。飛来した物体の下敷きとなった煉が「ぐへっ!!」っとみっともなく呻く。
「なかなかタフですね。もうそろそろ力の差に恐怖してくれても良さそうなものなんですが」
そこに現れたのは公浩だった。
市花の見る幻覚ではない。間違うことなく本物。
落下したのは先ほど見かけた特一級の鬼……“恐慌獣王”だった。
離れた場所に“木枯し”と、軍服の男がシュタッと着地した。
「ん? やあ、佐東さん。無事……ではなさそうだけど、とりあえず良かった」
公浩はほぼ無傷。
普段通り余裕の笑みを湛えて市花の側へと寄った。さりげなく他の鬼たちとの間を隔てるように立っている。
「こちらは見ての通り敵を一人追い込んだところだよ。そっちの状況は見えないけど、簡潔に説明してくれないかな?」
「今下敷きになったのは“誓約破り”で、あと一歩まで追い詰めたんだけど、結果はこんな有り様で、立つのがやっと。それで、そこの焔という女の人が現れて、結果的には助けられたというか………敵には違いないけど、今のところ積極的に敵対する必要はないし、それは避けるべきだと思う」
公浩は焔を見やる。
本人たちにしか分からない目配せで、何か不測の事態だということを士緒は読み取った。
本当なら焔が姿を現す予定は無かった筈だ。後でこっそりと会うつもりではあったが、いつ接触するかのタイミングは焔に任せていた。
“誓約破り”と思われる男に『縛』がかかっていることから察するに、焔が市花に手を貸したのだろう。ただ、追い詰めたのは市花で、そこまでは良いものの詰めが甘かったのを見かねた焔が世話を焼いたといったところか。
市花がどのように“誓約破り”を追い詰めたのかは分からないが、おそらくそれも焔が登場した理由の一つではないかと考えていた。
「とりあえず、あなたの立場をはっきりとさせてほしいのですが――――」
公浩が焔の立ち位置を明確にしようと言葉を投げ掛けた。その時、痺れを切らした獣の王が猟犬を放ってきた。
地面を深々と抉りながら獣たちが公浩を口内に収めようと大口を開けて襲いかかる。
公浩は動けない様子の市花を膝裏から掬い上げるように持ち上げ、両手でしっかりと抱えて瞬時に跳びすさった。
「――――っ!!」
こんな時だというのに、市花は突然のお姫様抱っこに心をときめかせる。
焔が複雑な顔をして公浩と市花を見ていたことには気付かなかった。
「だぁあああ!! 殺したい!! でも殺すのはもったいないって思うし………やりにくいよ!」
“恐慌獣王”が手心を加えているという事はないだろう。そもそも手加減が出来るほど器用でもなければ能力や性格面でも可能とも思えない。
間違いなく命を奪う攻撃を繰り返してきたが、どこか無意識に公浩を殺してしまわないようブレーキがかかっていると取れなくもない。
他から見ればどちらが優勢かは火を見るより明らか。その状況に余裕を無くし、焦った様子で声を上げたのは煉だった。
「透哉っ、スピナトップ! 何をしている! さっさと加勢して仕留めろ! 今がどれほど厄介な事態になっているのか解からんのか!?」
いまだに戦闘に参加する気配を見せない透哉とスピナトップに煉が若干のヒステリーを含みつつ急くように叫んだ。
「あー……やっぱり煉だったか。いったい何事があったんだよ」
「見たところ、かなり消耗してその姿になっているようですが………」
透哉とスピナトップも煉の状態に疑問を抱くが、焔の存在を捉えたところで「こいつか?」と要因について当たりをつける。
芋虫のように這いつくばりながら二人の視線が焔に向いた事を確認し、透哉とスピナトップにも状況の危うさを認識させようと声を上げる。
「その女は“真ノ悪”だ。学生よりそちらを先に片付けろ!」
煉の様子と、“真ノ悪”という単語に透哉の僅かに残っていた気だるげな雰囲気は完全に吹き飛んでいた。スピナトップに至ってはこれまではまったく無かった殺気を濃く露にしている。
「“日計の毒”の幹部はどいつもこいつも小心者ですね。私ごときにいちいち震え上がっているようでは、若や五郎左様と対峙しようものならそれだけで息の根が止まってしまうのではないですか?」
焔はやれやれと肩を竦めてみせる。
皮肉と嘲りをたっぷりと混ぜ込んだ視線を、特にスピナトップへと向けた。
「まさかこんな所で貴方のような方に会えるとは。死んだと思っていましたが………“日計の毒”で引きこもりでもしていたのですか?」
「ほぉ、私を知っているのですか。“真ノ悪”にも私の事を知っていただけているとは、光栄です」
「ええ、嫌でも聞こえてきましたよ。妄想癖が強く世迷い言を語らせたら右に出る者のいない、碩学を自称する夢みがちな与太郎だと……喜劇王も真っ青な道化っぷりに退魔師の世界から追放になった希代のキ印野郎という話はもはや伝説です」
「………言葉には気を付ける事です。私の研究は正しかった! その成果も知らず、いたずらに私を貶めるとは………貴女も、かつての愚かな退魔師共も、頭の悪い奴にはうんざりします」
「貴方も、そこに転がっている木偶も、やっている事といったら研究と称した資源の浪費ばかり。もったいなくて頭が痛いです。うちの若頭が成した事を知れば、少しは身の程を弁えるのでしょうか」
殺伐を通り越してあの世にでもいるような冷気を垂れ流す双方を公浩は観察していた。
とりあえず、いったん市花を横に立たせる形で降ろした。
「焔」
「!」
表情の変化は僅かに片眉がピクッと動いた程度だが、公浩に名前を呼ばれて分かりやすい反応を示した。
名付け親に名前を呼ばれるのは何度経験しても嬉しくなってしまうようだ。
「……さん。どうです? 今だけでいいので、僕たちとは敵対しないでくれると有難いのですけど。別に味方しろとは言いません。余計な手出しを控えてくだされば」
「っ……ごほんっ……私は最初から中立です。ここには戦の末路を見届けるために来ました。そこの少女が、我々の利益になる存在だったのでひとまず介入しただけです」
公浩は横目でチラッと市花を窺う。
焔が判断したのなら必要なことだったのだろうが、それだけの価値が今の市花にはあるという事。
それについて興味はあるが、今は置いておく。
期せずしてだが、市花の状況を見る限り決着を急ぐのが良さそうだ。別れる前の見通しよりも市花の消耗が激しい。それを見て、速やかに敵を排除する気になった。
「あなたとはゆっくり話をしたいところなのですが、生憎と今は手が離せない。見届けるのが目的なら、少しそこで待っていてもらえますか?」
「……言われなくてもそうするつもりです。助けが必要でしたら仰ってください。応援だけならしてあげます」
「ははは、有難いですね。ですが、あなたが考えているよりは早く終ると思いますよ」
GOAAAAAAA!!!
咆哮と共に悪食の獣の群れが地面を削りながら迫ってくる。
「狩り尽くせえええええ!!」
“恐慌獣王”が今日一番の獣の群れを差し向けてきた。
周囲一帯を飲み込む特大の大きさと範囲。公浩と市花、狙っての事かは分からないが焔もそこに含まれた。
これを回避するのは困難だ。“恐慌獣王”もここに来て自らの押さえが効かなくなったのか、文句なしに必殺の攻撃だった。
「一つ、言っておきましょう」
公浩は余裕そのものの態度で一歩進み出る。
数十センチまで迫る多種多様な獣の頭部……無数の牙が公浩にかけられる。その直前だった。
「ゲームは僕の負けでいいです」
「――――え」
その一言は“恐慌獣王”の死角、すぐ傍から聞こえてきた。
獣の群れの一部には人が通れるだけの、障子に手を突き刺したような大雑把な穴がぽっかりと空いている。
そこを通り、公浩は“恐慌獣王”に肉薄した。直後、“恐慌獣王”の首が公浩の『光剣』によって切り飛ばされていた。
「死んだ相手に恐怖を与えるのは無理ですね。約束が果たせなくて申し訳ありません」
ゴトッ
熊の毛皮を被ったままのその頭部は地面に落ちると、ゴロゴロとスピナトップの足下へと転がって行った。
「まず一体」
ふと見ると、隣にいたはずの透哉が消えている。その姿はすぐに見つけられた。
「っつ!」
透哉は公浩を間合いに収め、正面から槍による突きを放ってきていた。
回避はしたが、槍の穂先が公浩の脇腹を掠めている。
公浩は距離を置く前に牽制として『光矢』を五つ、透哉に向けて放つ。
透哉は鋭い槍捌きで全ての『光矢』を切り裂いた。
「っと………ふむ………お仲間が死んだ直後ですら、迷わず僕の隙を突いてくるとは。余程余裕が無いのですね」
公浩が可笑しそうに笑って透哉を挑発するが、透哉は挑発を無視し、公浩を警戒しつつ“恐慌獣王”の首無し死体に近付く。
本来“鬼”は死に至った時、その身体は灰や霧状になって霧散するはずだ。しかし“恐慌獣王”のそれはいまだに人の形を保っている。
怪訝に思いつつ観察を続けていたら、透哉が徐に槍で“恐慌獣王”の身体を突き刺し始めた。
「ん?」
「な、何を………」
公浩と市花の困惑を余所に、透哉が突き刺していた死体………右脚太股辺りから硬質な何かにぶつかった音が響いた。
透哉はしゃがみこみ、手刀をその部分にねじ込む。
そして手のひらだいの大きさの黒いゴツゴツした石を取り出した。
「あったぜ旦那、一つめだ。そっちはどうだい?」
透哉が声をかけたその先、スピナトップは地面に転がっている“恐慌獣王”の首を見下ろすと、ベシャッと音をたてて踏み潰した。
繰り広げられる異様な光景に公浩たち(焔も含めて)は唖然としている。
「こちらもありましたよ。熊君の“獣軍”の存在を知ってから50年余りですか………けっこうかかりましたね」
スピナトップは飛び散った脳漿の中から透哉が見つけた物と似た石を拾い上げた。
「おいスピナトップ! まさかアレを使う気か!? だったら私のいない所でやれ! でなければ私の拘束を解いてからにせよ!」
煉が慌てた様子で捲し立てる。
アレ……とは、何か切り札の事だろう。
煉の様子からして、かなりヤバそうな感じだ。
今すぐにでも止めたいところなのだが、透哉は隙があるように見えて誘いを行っている。スピナトップなどは殺気と得体の知れない通力を周囲に放っており、迂闊に手を出しにくい。面白くはないが、様子見をすることにした。
「煉殿は肝心な時に格好がつきませんね」
スピナトップが透哉から核を受け取り、煉に近付いて拘束を解こうと試みている。
固有秘術に似て非なるもの、一部の“鬼”が持つ固有の能力がある。“恐慌獣王”の場合は“獣軍”と名付けられたそれだが、解析、分析を得意とした退魔師が調べた結果、二つの核が体内を巡りながらそれを中心に能力を発動するものだったらしい。
透哉とスピナトップが回収したのはその核だと思われる。
(データによると、変異と吸収、凶暴化と低レベルの従属でしたか)
“鬼”の能力が核として物質化することは稀で、しかも取り出せたからといって術式のように簡単に使用できるわけではない。
何かしらの手段を用意していれば話は別だが、いったい何をしようと言うのか。
そこで、スピナトップという男の存在を思い出す。
(まさか………)
煉の拘束が“呪い”によるものだと気付いたスピナトップは解呪を行い、煉の束縛を解いていた。
やはりというか、透哉もスピナトップも確実な隙を見せず、公浩は攻めあぐねている風を装っている。
何もしないのもそれはそれで格好がつかないので、『炎柱刺突槍』と『氷柱刺突槍』を二本ずつ放ってみた。結果として、スピナトップが散布している通力の圏内に入った『刺突槍』が威力を大幅に下げ、それを透哉が斬ったり叩き落としたりして防いだ。思ったよりはつまらない絵面だった。
「さあ、今こそ証明いたしましょう! 私の研究の正しさを! 長きに渡る退魔師たちの歴史の愚かさを!」
スピナトップは腰に差していた巻物を広げ、直後に巻物に描かれていた『大部屋』の術式が巨大な魔法陣となって膨れ上がった。
中空に浮かび上がった術式から、15メートル四方の黒い立方体がゆっくりと降りていく。
立方体の表面に描かれているのは封印術式のようだ。
「この日のために苦労して捕獲したのですから、しっかり働きなさい!」
スピナトップが両手に持つ核を立方体へと押し付け、核は立方体へと呑み込まれた。
ドクン
それは鼓動のようだった。
立方体は一瞬だけグニャリと歪み、直後、全体にピシッと亀裂が入った。
表面から徐々に剥がれ落ちるように黒い立方体は崩れていく。
「おおっと………これは」
「な、なに?」
「………………」
立方体は一つの輪郭を残して、余分な所を剥がしていく。
最初に見えたのはボールだった。やがて輪郭がよりはっきりしてくると、それが蝙蝠の羽のようなものに覆われている何かだと分かった。
「これは少し厄介だ。佐東さん、走れる?」
「……ごめん。むり」
黒い何かは軽く身動ぎをする。
その体に付いている僅かな封印の跡をパラパラと落とし、次の瞬間、物凄い勢いでバサッと翼を広げた。
ブォンッッッ!!
翼は風を生み、風の中心でその圧倒的なまでの存在感を放っているのは、誰もが一度は話に聞いたことがあるだろう空想上の生き物。
ファンタジーでは最強クラスの生物とされ、退魔師の基準では幻獣型と定義されているもの………“ドラゴン”だった。
「ここに来て災害級とは………」
幻獣型で竜の姿を形取った“鬼”、“悪魔”は確認されている限り3体。いずれもランクSSS。その内2体は日本にはいない。
十年ほど前までは日本でも一体だけ存在を確認していたが、いつからかまったく姿を見られなくなった。
海外の“悪魔”がここにいるとは考えにくい。おそらくこのドラゴンは、その消えた一体だろう。
退魔師協会に残っているデータでは、知能低く、敵と対峙したら三秒とじっとしていないほど凶暴な性格だったとされている。しかし目の前のドラゴンは強い威圧感はそのままに、先程からまったく動かない。
命令を待つその姿を見れば、完全に操られているのだと理解できた。
「まずは実験してみましょう。“梵天丸”、放ちなさい」
GUROOOOOOOO!!!
災害級の竜……梵天丸はその口から雷のような音を轟かせ、そしてただでさえ膨大で漏れだしている通力を爆発的に上昇させた。
「っ!! 止せっ――――!」
公浩が使える限りの飛び道具……符術や中遠距離の顕術を撃ちまくる。
「不粋ですよ」
スピナトップがまたも通力を阻害する空間を作り出して威力を削ぎ、梵天丸に届く頃にはその溢れ出す通力の渦に呑み込まれ、ジュッと音をたてて消滅した。
そして、その僅か数秒の溜めの時間で、恐ろしい破壊の嵐を顕現させる。
梵天丸の口から、正確には眼前に展開された法陣から、それこそ神話レベルでしか見られない強大な力を凝縮した炎の奔流を放った。
それは災害級の名に恥じない結果をもたらした。
――――ゴォオオオオンッ!!!
走った炎の奔流は地面を遥か遠くまで溶かし、その先で巨大な火柱を上げる。
地上に太陽が現れたかのような光の波。数秒とはいえ、それは確かに夜を打ち払った。
「そんな…………あっちには」
撤退させた退魔師たち。そして間違いなく、住宅地の一部を巻き込んでいるはずだ。
市花が悲嘆の声を漏らす。
「制御は完璧。いやあ、凄いですね。流石は“鬼王”を凌ぐと言われる程の暴威を振るったとされる天災。まぁ少し残念ですが、多用は出来ませんね」
「煉よぉ、ここまで制御できてるなら遠くよりは近くにいた方が安全かもしれないぜ?」
「時と場合によってはな」
少し厄介な事態だ。
“日計の毒”には別に一体、災害級がいる。最初の情報ではそいつは中央にいるはずであったし、この周辺にも姿は見えないので油断していた。
まさか敵の手持ちに別の災害級がいたとは。
しかもそれが最も手薄なこちらで使われるとは想定外だ。
公浩はチラッと焔に視線を送る。
焔もそれに気付き、了承の意を表すかのようにそれの準備に入った。
「『繋』」
焔が中空に指先を向け、術式を描き始める。
「! スピナトップ! あの女が先だ。今すぐ殺せ!」
焔の怪しい動きを察知した煉は語気を強めてスピナトップに指図をする。
煉がここまで警戒するのも解る。なにせ相手は“真ノ悪”。警戒をして、それがし過ぎるということがまず無い。
本当ならここは煉の言う通り焔を狙うところなのだろうが、スピナトップはあえてそれをしなかった。
「梵天丸。潰しなさい」
スピナトップが殺すように命令を下したのは、公浩と市花だった。わざわざ中立を宣言した相手を襲って“真ノ悪”と事を構えたくはないからだ。
梵天丸は翼を広げ、次の瞬間には公浩たちの目の前に現れ、その巨大な足で地面を踏み砕く。
「っ!」
公浩は市花を抱えてなんとか回避した。
あの巨体で縮地レベルの動き。しかも踏み砕かれた地面は広範囲に衝撃を伝え、周囲一帯の地面が隆起している。
公浩は地形が変わっても変わらず高い機動力を維持しているが、距離を置こうと隆起した地面をピョンピョンと跳びまわる公浩を嘲笑うかのように、梵天丸は翼を広げて空中へと舞い上がっていた。
梵天丸の口先にまたしても法陣が浮かぶ。先程見せた高火力のものではないが、とてつもなく危険なものだというのは士緒の経験をもってしなくても十分に伝わる。
公浩は市花の襟首を掴み、敵の攻撃の外まで思いっきりぶん投げた。
「え――――」
直後、降り注いだのは斬撃の雨。
まるで斬るという現象そのものを詰め込み、散弾銃で放ったかのよう。公浩を中心とした地上に広く深い爪跡を刻んだ。
市花は宙を舞いながら、そのまま焔の描いた法陣へと吸い込まれ、長距離の転移をした。
転移の直前、市花が見たものは………公浩が自分を投げた方の腕が、斬撃によって二の腕から斬り飛ばされた所だった。




