第57話 あるいは勇者、あるいは配管工
※が気になった方……素性法師 有明の月 百人一首 で検索してみてください。
西の地における決戦まで、いよいよ12時間と迫ったその日。
まだ早朝と言える時間、鶫は宿泊しているホテルを出て“社”の訓練室へと向かうところだった。
“社”として使っているビル内はまだ静けさが多く残り、そこを九良名学園の制服を着て歩く鶫は異質に見えなくもないが、人気も少なく、退魔師の中では知らない方が珍しい九良名学園の制服を着た生徒会、あるいは風紀委員会から派遣されてきたであろう実力者を見咎める者はこの“社”にはいない。
早朝訓練ということで、訓練室で公浩と二人だけの待ち合わせをしている事実が、鶫の足取りを僅かに軽くさせている。
決戦を前に緊張感が無いと叱られるかもしれないが、ガチガチに凝り固まって萎縮してしまうよりはましだと思うことにした。それに、さすがにルンルン気分というわけではないのだから別にいいだろう、とも。
(待ち合わせよりちょっと早かったかな? でも、もし先輩の方が先に来てたら……………)
私:すみません! お待たせしてしまいましたか?
先輩:いいや、鶫を待たせるくらいなら僕は喜んで※有明の月を待つとも! それに………鶫の顔を早く見たい気持ちを抑えられなかった。
私:そ、そんな……先輩、有明の月を待つのは私の役目ですよ。先輩になら待ちぼうけさせられても………あ、嫌ぁ………やっぱり早く先輩の顔が見たいです。好きな人を待つ時間は時に優しく、時に苦しいですから。
先輩:ああ、鶫! マイスウィート、君を待たせたりなんてするものか! 月を待つまでもない。君との時間は、いつでも優しい夜の時間に変えてみせよう。
私:あっ………先輩! ダメです、こんな所で………
先輩:今は………二人だけの優しい時間だよ。
私:ああっ、先輩! 私…………ひぁああああ………!
……………
…………………
………………………
(ダメだ。自分で妄想しといてなんだけど………想像できない)
有明の部分までのセリフならあるいは……と思わなくもないが、後半は「誰?」と首を傾げざるをえない。
確かに、今朝の待ち合わせ自体、たまにはそうした方が恋人っぽいのでは? と安易な考え方をした鶫が提案した事なのだが………やっぱり一緒の時間を少しでも増やすべきだったか、とも思える。
(というか有明の月って………先輩にそんな気障なセリフが言えるなら、私たちとっくに本物の………)
恋人に……………
……………本当になれるだろうか。
自分は公浩の事が好き……愛してる……公浩が欲しい……彼のためならなんでもする……
しかし、これまで仮とはいえ恋人として過ごしてきたが、一向に好転の兆しは見えて来ない。
公浩は優しいし、自分の事を大事に扱ってくれている。それなりに親しい関係として接してくれてはいるのだ。
だが………そこには恋人になる以前の問題として、大きな壁を感じる。
たまに強く感じさせられるそれは、時に親愛、時に困惑、時に哀れみ、そして時に………負い目。
100パーセント鶫の気のせいだと言えたらどれだけ楽になるだろう。しかし鶫にはまったく心当たりのないそれらの情を、言い知れない不安として公浩と過ごす時間の中で確かに感じていた。
もしかしたら、自分が公浩と結ばれる未来は存在しないのではないか。
それは自分がどんなに頑張っても、ライバルの女性を出し抜いても、健気に尽くしたり、待ちぼうけても………公浩は振り向いてくれないかもしれない。
そんな考えが時おり頭を過り、そしてそれがどうしようもなく恐くなる。
そのたびに自分を励まし、展望の無い未来と分かっていても切望せずにはいられない日々を送る。
(きっと………大丈夫、だよね)
楽観はしていない。ただ、悲観ばかりしていては、自分が耐えられないだけ。
理解しながらも、手を伸ばす事を止められない。諦めたくない。
鶫は現在進行形でそんな恋をしていたのだった。
(よしっ。切り替え切り替え)
訓練室に向かう前に訓練着に着替えようと、更衣室を目指す。
一階の、訓練室より奥に置かれたその部屋を視界に収めようという所で、一つ奥の廊下―――男性用更衣室があるあたり―――から、うっすらと話し声が聞こえてきた。
それだけなら気にも留めず歩き去るところなのだが、途切れ途切れに聞こえてくる声が飛英のそれだと気付いて、思わず足を止めて聞き耳を立てる。
また何か不快な事実が垣間見えるかもしれないが、もし怪しげな事を話していたらと思うと、褒められた事ではないと解っていてもコソコソと動く自分を正当化してまで鶫にその行為を行わせた。
しかし、聞こえてくるのはかなり断片的で聞き取れたのは僅かだった。
「………んじゃ………っちは………通りに動………そっちは……………とは思うが……………」
飛英以外にも一人分の気配を感じる。ただもう一人の声は聞こえてこない。
今のところ聞こえてくるのは飛英の声だけで、相手は喋っているのかいないのかさえも分からない。
話の内容……聞き取れる単語は、「配置」「手筈」「罠」、そして「つぐみ」。
(私?)
鶫は四宮秘伝の顕術……『色装の緑』を使用して五感を強化し、会話を捉えようと集中する。
「………しいとは思っていたが、お前の感覚から見てもそうか。ちっ、あのクソ野郎っ。すぐに後悔させてやるぜ」
毎度イライラとした様子で記憶してしまった飛英の声がはっきりと聞き取れるようになった。
「にしても、やっぱりお前にしといて正解だったぜ。これで今晩の戦争での心配事が一つ減った。首尾よく皆殺しに出来れば、明日からはゆっくりと眠れそうだ」
穏やかな内容の話でないのは解った。後は具体的にどんな事を話しているのか。
もしかしたら今晩の強襲作戦で、何か良からぬ事を企んでいるのかも。そう思い、ほんの僅かに身を乗りだし、気配を強めてしまったのは失敗だった。
「っ! 誰だ!!」
慌てて投げ掛けた飛英の誰何に、鶫はしまったと思いながら穏形の顕を使い、すぐにその場を離れた。
幸い見つかる事はなかったが、せめてもう少しでも詳しく話を聞けていれば……と惜しんだ。常に頭にあることだが、未熟な自分が恨めしくなってくる。
(やっぱりあの飛英とかいう男……何かやらかす気なんじゃ……)
鶫は飛英への警戒を一段強めつつ、しばらく時間を置いてから更衣室へと向かった。
気が付けば公浩との約束の時間は大分過ぎてしまっている。
おかげで訓練室で顔を合わせた瞬間、笑顔で嫌味を言われてしまった。
「今来むと 言いしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな………意味分かるかな?」
「あぅ………すみません」
分かってはいたが、妄想と現実は違うのだと否応にも実感させられる待ち合わせとなった。
★
日も暮れ、行動が開始されるまで一時間を切った。
梓が高位の指揮権を与えられた中央の部隊には、この地に集められた退魔師のおよそ半数が揃っている。
味方の緊張感は増し、『口伝千里』で味方陣営の様子を細かに把握していく梓。
今のところ怪しい動きは見えない。
森林部に接し、所々に枯木を混ぜ込んだ木々を見据えるように布陣した退魔師側の軍勢は、あちこちで夜営のような形を取っている。その中でも梓が特に注意を払っているのは、同じく中央の一部隊を率いている五行飛英の動向だ。
数時間前に鶫が告げてきたのは、飛英の怪しげな会話について。もし奴が裏切るとしたら中央で事を起こす可能性が高い。
そうなると一番危険になるのは主戦場……梓のいる地域だ。
梓は飛英が自らのテントへと入っていくのを確認し、内部まで意識を向けて見る。
大型のテント内は広く、その中に設けられた寝台に腰掛けた。そしてその傍らには先日飛英に頬を張られた白スーツの女性がスッと立っていた。
樫木の話によると、女性の名前は小早川 秋。数年前に五行本家からなぜか飛英に付けられた秘書のようなものらしい。
樫木によると、本家が飛英を監視するために付けたのではないか、と言っていた。
梓はそんな二人の会話を捉える。
『ちっ、もうじきに開戦だ。準備は出来てるんだろうな?』
『はい。問題はありません』
『どうだかな………まぁいい。時間まで退屈だ。俺を楽しませろ』
『………かしこまりました』
小早川はおもむろに服を脱ぎだし、下着姿になったところで、ゆっくりとした動きで飛英の足元に跪いた。
『時間内には終わらせろよ? 終わらなかったら、またお仕置きだからな』
『………はい』
小早川が無表情のまま飛英の股座に顔を近付けた所で、梓は不機嫌のままに舌打ちして『口伝千里』を外に向けた。
「……悪趣味」
いかに監視とは言え、他人の情事まで覗くような趣味は梓も持ち合わせていない。それに、小早川からしたら勝手に覗かれるなどいい迷惑だろう。飛英なら罪悪感など皆無で行えるが、あんな下種の情事を見させられるなど、極力は御免被りたい。
梓は飛英のテント周辺に意識を割きつつ、別所で動きが無いか監視していた。
あるいはこの時、味方の陣地ではなく、戦場予定地の向こう側にいるであろう鬼の様子を確認していたなら、結末はまた違っていたのかもしれない。
★
退魔師陣営、右翼
軍隊で言うなら大隊規模の集まりを、公浩は悠然と見回っていた。
100人未満の人数ではあるが、あくまでこちらは下級~中級の鬼への対処だ。それほどの人数は必要ない。
流石に五行家が陣頭に立つ戦争。工作、情報収集と操作に長けた部隊を多数抱え、そこからもたらされた敵の戦力や配置などの情報には誰もが信頼を置いている。
でなければこの規模の戦いで、戦場の一角にこれだけの戦力しか置かないのはあり得ない。
こちらの戦闘はそこまで激しいものにはならないと、皆の認識は共通していた。
ここは郊外の閑散とした風景が広がっているが、居住地がすぐ後ろに控えていることもあり、決して油断して良い状況ではない。
それでも一応は事前に住民たちの避難が進んでいたこともあって退魔師たちの心持ちは幾分かは穏やかでいられた。
しかし完璧な避難というのも難しく、背中に守るべきものを背負っていることには変わりがない。
ここは守りに重きを置いている戦場なので、無茶をやらかす場面も少ないだろう。
ただ、そうなると一つ妙な点が見えてくる。
なぜ、公浩がここに配置されたのか。
公浩が“社”の退魔師と比べてもかなり優秀で強いということは知られているはずだ。にも関わらず、比較的危険の少ない戦場へと配置する理由としてはいくつか考えが浮かぶ。
分かりやすいものだと、わざと戦力を分散させて戦況を鬼に有利な形に作ること。
この場合、件の裏切り者が動いているのは間違いない。公浩たちの配置を手っ取り早く弄れる人物と言えば樫木だが……………
(さてさて。そこまで単純な話で済みますかねぇ)
樫木が戦力を分散させようとするなら、もっと効率の良い方法はあるはず。しかし戦力は偏りすぎているわけではなく、どちらかと言うと均等だ。
公浩たち三人や、未来夜たち知った顔ぶれがうまい具合に分かれているからそう感じるだけなのかもしれないが。
(最も気掛かりなのは鶫の方ですが………)
そちらにも打てる手は打ってある。
裏切り者の存在のせいでこちらの動きは制限され、相手の出方に合わせるしかない現状が少し気に食わないが………後は鶫を信じるしかない。
とは言え、僅かな苛立ちが顔に出ていたのか、それを案じて近付いてくる人物がいた。
彼女は努めて平静な様子で公浩に声をかける。
「いよいよですね、黒沼くん」
「佐東さん……持ち場はいいのかい?」
佐東市花も右翼に配置された。前に一緒だった他の二人……未来夜と花房が中央、五行本家からは小田原が左翼に充てられている。
本来なら守りに適した小田原こそ右翼にいてもらいたいのだが、ここまで状況が見えない中だと何が起きても裏切りの一言で片付いてしまう。
左翼はビル街だ。こちらと同様に避難が行われているとはいえ、防御力が必要と言えば必要にも思える………が、どうにも引っ掛かる。
「私の持ち場は問題無いです。でも、黒沼くんはなんだか恐い顔をしていますね。こう言うとなんですけど、黒沼くんの人間っぽいところを見れて少し安心しました」
「……ごめん。そんなに顔に出てたかな。士気に関わるくらい?」
どこかで聞いたような言い回しに、二人は同時に苦笑を向け合った。
「佐東さん、同学年だよね? 言葉、もう少し崩してくれてもいいんだけど」
「……そう? じゃあ、そうするね」
市花は、どこかホッとしたような笑みを浮かべる。その笑顔に、士緒も穏やかさを取り戻した。
「決戦前だから仕方ないのかもしれないけど……何か心配事でもあるの?」
「……まぁ、少しだけね。でも、佐東さんの顔を見たら、なんだか落ち着いたよ」
「ふぇ!?」
顔を赤く染め、俯いたかと思うと、髪を弄ったりモジモジと落ち着きを無くす市花。
梢を始め、鶫や真朱もたまにこういった仕草をする。士緒は女性のそんな仕草がどうしようもなく好きだった。
女性からしたら憎たらしい事実だが、士緒はそれが異性として魅力を感じているのだと気付いていない。その欠点さえ無ければ、とっくの昔に梢が士緒を落としているはずだ………と、梢は信じている。
「可愛いね」
「――――ッッッ!!」
何の前触れも無く放たれたその言葉と微笑みに、市花の呼吸は停止した。
可愛い……なんて、初めて言われた。
市花の呼吸と反比例して心臓の動きは加速していく。そこに追い打ちをかけるように公浩の手が市花の顔のすぐ横まで伸びてきた。
呼吸の次は心臓を止めてやろうかと言わんばかりの行動に、市花の体はビクッと跳ねる。
そしてそこに、公浩がその言葉を発した。
「可愛いね。この髪留め」
………………………
「――――――っふはぁ」
市花は呼吸機能を取り戻し、深呼吸をして心臓を静める。
髪留め……公浩がそう口にした瞬間、やっぱりと納得する気持ちと、かつて無いほど残念に思う気持ちとが一気に押し寄せてきた。なぜそんなにも残念に思うのかについては考えが及ばない。
なぜなら市花は、髪留めの事と分かったこの瞬間ですら、公浩へ向いている奇妙な感覚に戸惑っていたからだ。
ちなみにこれまでのやり取りで、士緒にはいっさいの悪気は無かった。梢曰く、だからこそ質が悪いっす!
「ピンクの薔薇の飾り………何となく佐東さんのイメージとは違う気がするけど、自分で買ったのかな?」
すぅ~~~、はぁ~~~、と息を調える市花を尻目に公浩の視線は髪留めへと注がれていたが、数秒間の深呼吸を繰り返す市花に気付き「………? 大丈夫かい? 具合が悪そうだけど」などと心配そうに問いかける。市花はそんな公浩にも苛立ちの欠片も覚えない。
いまだドキドキが治まらない状態で、市花はなんとか「だ、だいじょうぶ………」と答えた。
「こ、この髪留めは………前の誕生日に東雲くんがプレゼントしてくれた物なの。ちなみに眼鏡は紗枝ちゃんが選んでくれたんだよ」
苦笑気味に前髪を留めるそれに触れているのは、既に紗枝と佳い仲となっている未来夜からの贈り物を未練たらしく身に付けている自分をみっともなく思っているからだ。
紗枝が見れば当然良い気分にはならないだろう。分かってはいるのだが、かと言って捨てる気にもなれない。少なくとも、今のところは。
「東雲君が女の子に贈り物とはね。気が利いているようで利いていないと言うか何と言うか。女の子の気持ちが分かっていないようだね、彼は」
「あ、はは………」
苦笑を通り越してひきつった笑みに変わる市花。
黒沼くんも大概……いや、黒沼くん程じゃないよ。いっそのことそう言ってしまおうか。
流石の聖母のごとき心持ちの市花でも、少し考えさせられる公浩の物言いだった。
「彼は………五行さんの事に精一杯で、君の事を考える余裕が無かったようだ」
「……………」
公浩は先日の会議室にて、市之助が未来夜へと絡む姿を見ている。
市花が未来夜を憎からず想っていたという意味合いが、あの会話からは読み取れた。士緒は自身については鈍感だが、他人の恋愛の機微なら多少は感じ取れる………そこがまた憎たらしい部分だ(コズエ談)。
「………ごめん。無神経な事を言ったね」
「ううん……私も同感」
市花の笑みが陰った。
それは、さながら自分が起こした風でせっかくの花を散らしてしまった気分にさせられる笑みだ。どうせならその風で月にかかった叢雲も吹き飛ばしてしまえれば良いのだが、士緒もそれだけの事が容易くできると思うほど自惚れてはいない。
なんとも儘ならないものだ。自分だって鶫や風音、真朱、さらには幸子の事まで問題として抱えているというのに、どう考えても人様の事を言える立場ではないだろう。
むしろ………市花の心情を聞けば、自らの参考になるのではないか。そんな甘えた考えまで出てくる始末。
だが、そういった悩みは誰かに打ち明けたり共有したりすれば、お互いに楽になる場合もある。
若干言い訳のようだが、今はそれ以外にやれることも無さそうだ。公浩は自分に呆れながらも、もう一度市花の笑みを見たいがために語りかけた。
「僕はね、これでもいろんな事を考えているつもりだよ。最近では………女の子の事が多いかな」
「……………」
市花が公浩を見る目は、まさにキョトンという感じだった。
よりにもよってこの場面で、自らの女癖の悪さを告白するような事を言う公浩を、何とも言えない複雑な気分で見つめている。
「僕は正直、恋愛なんて眉唾な物だと思っているよ。現在の彼女に好きだと告白された時も………いや、好きだと言われる度に、かな。自分の事が嫌いになる」
「………どうして?」
「それが、はっきりとコレが理由……とは言えないんだ。そこがまた嫌いなんだけど」
やれやれと肩をすくめる公浩から、市花は自嘲の気配を感じ取った。
初めて会ったあの時、あのふてぶてしいまでの自信に溢れた様とは似ても似つかない弱々しい笑みだ。
「強いて挙げるなら自分の弱さ……好ましいが故に感じる負い目……純粋な恋愛感情の欠如。そんな中途半端な僕が、あんなに眩しい想いを向けられたら………とてもじゃないけど直視できないよ」
「で、でも………黒沼くんは良い人だと思う! 会って間もない私が言っても説得力無いかもしれないけど……ちゃんと相手の事も考えられるし、私の事も………」
「どうだろう。考えるだけで良い結果は出ていないし、誰かの最善を心から願った事もない。情けは人の為ならず。僕の行動は全て自分の為なんだよ」
今でさえ、市花を励ますというよりも、自分を励ましているだけだ。自己満足、欺瞞、傲慢………挙げ句それらを踏まえての自己嫌悪。
まるで自分は不幸なのだと誇らしげに語るナルシストの様ではないか。
「なのに、誰も僕の事を軽蔑しない………鶫たちは恐くなるくらいにキラキラした目で僕を見て………でも、誰も本当の僕を知らなくて………それが憎しみに変わる瞬間なんて想像もしたくない………おかしいな………告白を受けた時だって、こんな筈じゃなかったのに………私は、どこかで間違えたんだろうか」
「………黒沼、くん?」
「!」
市花に呼ばれ、我に返った。
いけない。こんなに気分が落ち込んでしまうとは。
今までこんな状態になったことは一度として無かった。それも鶫たちと出会ってから……彼女たちを心のどこかに置き始めてからだ。
ぬるま湯に浸かりすぎて絆されたか。
まさか市花を浮上させるつもりで自分が沈んでしまうとは。ミイラ取りがミイラになるとはこの事。
士緒は気を取り直して市花に向き直った。
「まぁつまり、何が言いたいかというと、君は僕みたいに考えすぎてはダメだってこと。君は魅力的な女の子なんだから、いつまでも東雲君に囚われる必要はないんだ。髪留めだって、別に彼や五行さんに憚ることもない。一度大事に思ったなら、最後まで大事にすればいい。けど、考え過ぎは身体に良くない。君はいつでも自由になれるよ……囚われのお姫さま」
「……………」
結局、無責任に自分の言いたい事だけ言って、自分の考えを整理しただけの時間になってしまった。
市花の話も聞きたかった筈なのに、自分だけ勝手に納得して終わった。そうとも……さっき言った事は全て自分のための方便。でなければ気持ちの悪いナルシストの戯言。士緒は気のままに自慰をしただけだ。
(最初から分かっていたことです。もっと楽に腑に落ちてくれれば良かったんですがね)
実際に言葉にしてみないと自分を納得させられないとは……………
今晩は自嘲が止まらない。このままではワラい過ぎて、落ちる腑そのものが捩れてしまいそうだ。
肝心の市花も呆れているのか、公浩をポーッと見つめ、歯も浮いたままだった。
公浩は目の前で手を振って意識を確認してみる。しかし市花は、
ガシッ
公浩のその手を掴み、ゆっくりと胸元へと引き寄せた。
流石に士緒も羞恥の念が湧き、少し強めに引き戻そうとするも、市花の潤んだ瞳を真っ直ぐに受けたままびくとも動かせなくなっていた。
「あの………佐東さん?」
「………だったら」
先程までの公浩もかくやといった弱々しい、しかしハッキリと伝わる声音を発する。
これはいよいよおかしな状況になったと理解するも、この嵐の晩の激流にも似た力に抗う術を士緒は持ち合わせていなかった。
「だったら、あなたが………私を自由に………囚われの身から救いだして………くださいませんか?」
「!!??」
何故そうなる? 私はここでも何か間違いを冒したのか!?
市花の好意は全く腑に落ちない。解せない!
というか、佐東さん? 顔近付いてません? ゆっくりと唇がっ!
「さ、佐東さん! 君は今正気を失っている! 君を後悔させたくないんだ!」
公浩は自由な方の手を市花との間に差し込み、顔をガシッと押さえた。が、
「ぐ……どこからこんな力が!? ま、待って! わた……僕には鶫という女性が――――」
抵抗虚しく、キャラ崩壊した市花のそれが近付いてくる。
これは、不貞は避けられないな………などと諦めかけ、鶫にどう謝ろうか考え始めた、その時だった。
――――ドオォォォン
開けた土地の一角から地鳴りと振動が伝わり、夜を照らす光となって二人の視界に飛び込んだ。
幸いにも市花はその音で正気に戻ってくれた。明らかな戦闘の気配を前に、二人の空気が一瞬で戦いのそれへと切り替わる。
「どうやら不味い状況のようだね。行きましょうか、囚われのお姫さま」
「エスコートをお願いします、王子様」
まだまだ酔いが醒めきっていない市花に軽く笑みを返し、常に市花を後ろに置きながら月夜の中を疾走する。
決いの火蓋はこの瞬間に切られたのだった。




