第56話 布石
“日計の毒”への強襲作戦の日が近付いていた。
裏切り者がいる可能性が高い以上、敵の幹部への奇襲はほぼ不可能と言えるだろう。
正面からの強襲は各責任者による多面同時攻略ということになっている。
公浩、鶫、梓の三人もそれぞれ違う場所での攻撃に参加することが決まった。
今も“社”の一室で作戦の確認中だ。
「三王山殿には中央の主戦場をお任せしたい。貴女の『口伝千里』が戦局を左右するでしょう。貴女が担当する範囲にいるであろう幹部クラスは5体。こちらもそれなりの数をあてますが、最も戦いが激化すると思われます。それに………飛英殿もこの地域の担当です。それも踏まえて、どうかお気をつけて」
「……わかった」
続いて樫木はテーブルに広げられた地図の一点を指した。そこは郊外ではあるが住宅地も近い場所で、梓の戦場と少し距離があった。
『口伝千里』や通信符がギリギリ届く距離だが、連携は難しそうな微妙な位置だ。
「黒沼殿はここ。右翼にあたります。見ての通り住宅地が近く、ある意味最も防衛が困難な場所です。幹部クラスは確認されていませんが、下級から中級の鬼が多く、位置的にも無視できない。どうか、一般の人々を守ってください」
「勿論です」
公浩の心強い頷きを受けて樫木も視線を地図に戻す。そして今度は公浩とは反対側の位置、左翼を指差した。
そこは中央からも離れ、『口伝千里』も通信符も届きそうもない隣街のビル街だ。
「四宮殿と私はここを。人型の鬼が少数でこの街に潜伏しています。確認されているのは幹部クラスが二人と最低でも上一級以上が3体。特に幹部の一人は人食いの衝動がかなり強い。街でも何人か犠牲者が出ている状態です。『人避け』の結界を構築後、速やかに掃討してしまいましょう」
「分かりました」
ここでも裏切り者の弊害が出ていた。
現在個室を借りきって行っている話し合いは公浩たち三人と樫木の四人だけ。他の退魔師たちも各々で話し合っているだろうが、大まかな行動以外は互いに連携できていない情況だ。
これでも強襲を敢行するというのはかなり危険に思えるが、五行一樹にも何か考えがあるのかもしれない。
「私が預かる部隊は総じて遊撃です。仕事が片付き次第、別所の応援に向かいます。三王山殿だけは中央の指揮がありますから、殲滅できない限りは無理でしょうが、黒沼殿と四宮殿は私の責任の下、自由に動いてもら事になるでしょう」
「それは構わないのですが、先日も言われた通り僕たちは外様です。完全な指揮下に置いておかなくてよいのですか?」
もし勝手な行動で何か問題が起こった時の責任や、手柄の話もある。それを考えると樫木の差配はなかなか大胆なものだ。
「少なくとも私は外様だなんだとつまらない事は言いません。戦いに勝つために最適な判断を下したと思っています」
「良い判断だと思いますよ。多少心配な事もありますが、貴方を信頼して鶫をお任せします」
「先輩………」
感極まった様子で公浩を見る鶫。公浩はそれに照れくさそうな笑みを返した。
「ええ。必ずやお守りしてご覧に入れます」
樫木の返事を聞いて公浩はうんと一つ頷くと、御守り袋を二つ取り出し、それを鶫と樫木にそれぞれ渡した。
「御守り型の術符だよ。鶫のは居場所探知と簡易防御結界術式が刻まれてる。いつでも会長の『口伝千里』が使えるとは限らないし、あって困るような物でもない。まあ念のためにね」
「あ、ありがとうございます! 先輩からの贈り物……愛の証ですね」
心底嬉しそうに満面の笑顔を浮かべる鶫に公浩は苦笑気味だが、満更でもないという感じだった。
「それと樫木さんには“炎符”を。『炎柱刺突槍』五本分までの炎が出せます。威力は平均ですが、通力消費は通常より抑えられる仕様です。気休めですが、見た目通りの御守り程度と思ってください」
「わざわざ私にまで………ありがとうございます」
「……私には?」
「会長は、必要とあらば走って駆けつけますよ」
「……………」
どことなく梓の機嫌が悪くなったのは気のせいだろうか。
公浩は梓なら万が一でも大丈夫だろうと思って渡さなかった。しかもいざとなれば本当に駆けつけられる距離だ。
(一人だけ贈り物が無いというのも失礼だったでしょうか……以後気をつけましょう)
表情は変わらないが視線だけがいつもより冷めている梓と、ホクホクと幸せそうな鶫。対照的な二人を連れて、樫木に促され小会議を終了して部屋を出た。
後は夜を待って散発的に現れる鬼を駆逐するのが今日の仕事だ。
一部が慌ただしい清潔感のある“社”のビル内を四人で歩いていると、エントランスで飛英の姿を見つけた。
第一印象が悪かった事もあり、鶫と梓がどことなく嫌そうな顔をする。
だが、その嫌悪が剥き出しになるのは、ほんの一瞬先の事だった。
パシンッ
飛英が右手の甲で向かいに立っていた白スーツの女性の頬を張ったのだ。
女性は頬を押さえて倒れこんでしまった。
「この役立たずの馬鹿女が! 何度書類でミスをすれば気が済むんだ!!」
「………申し訳………ありません」
声は平静だが、女性の身体はよく見ると小刻みに震え、顔は俯いている。
女性は立ち上がり、飛英に頭を下げた。
「毎度毎度同じようなミスを繰り返しやがって………そんなに痛い目に遭いたいなら、望み通りにしてやらあ!」
飛英が今度は平手ではたこうと手を振り上げ、鶫が我慢出来ずに飛び出そうとしたその時だった。
「止めてください。見苦しいです」
「ああん?」
振り上げられた手に、そっと添えられるように当てられた白木拵えの刀が鞘に納まった状態で飛英の手を止めていた。
刀の持ち主は制服姿の少女。前髪を上げる桃色の髪留めが映えるセミロングの黒髪、丸縁の眼鏡をかけた大人しそうな見た目とは裏腹に、なかなか思いきった行動をした少女は、公浩も少しだけ顔を合わせた事のある相手………佐東市花だった。
「なんだ嬢ちゃん。今は大人の話をしているんだ。引っ込んでお家に帰んな」
「いい大人が聞いて呆れます。女性に手を上げるのは大人以前の問題です。恥を知ってください!」
「んだと、このガキが! てめぇも痛い目に遭いたいのか!?」
飛英が拳を振り上げた。そこには明らかに通力が込められている。
市花は反射的に刀を腰だめにし、居合いの構えをとった。が、そこに、
「そこまでです」
「「!?」」
間に身体を挟むように滑り込ませた公浩にそれ以上の行動を止められた。
飛英の首もとには手刀の形を作った手を当て、市花には額を小突くように二本の指先が優しく当てられている。
二人とも不意を突かれたとはいえ、ここまで易々と懐に入り込まれて急所を握られたことに驚愕していた。
「双方、それ以上の争いは不毛です。大事な決戦前に戦力を減らしたいのですか?」
「………………」
「………ちぃ」
市花は構えを解き、飛英は悪態をつきながら身を翻してその場から歩き去る。
飛英に頬を張られた女性はこちらに深々と礼をしてから飛英の後に続いた。
成行を見守っていた周囲の人間もすぐに散っていった。
「困った人だ。佐東さんも、少し現在の状況が見えてないんじゃないかな? ここの人たち全員の士気に関わるよ」
「黒沼……くん」
若干驚き気味に公浩を見ていた市花だったが、すぐに強い視線を向けてくる。自信と抗議、そして少しの怒気を含んだ瞳だ。
「あんな酷い仕打ち、見過ごすなんて出来ない。私は間違った事をしたとは思っていません」
「ああ、ごめん。言い方が悪かったね。そこまで責めてるわけじゃないんだ。君が出なければうちの鶫が飛び出していただろうから」
「え……ああ、はい」
言い合いになるかと身構えていたが、意外とあっさり折れた公浩に市花は面食らった。
「ただ、止め方はもう少し考えてほしかったな。例えば、相手が喧嘩腰になる前に不意を突いて戦闘不能にしてしまうとかさ」
「ふぇ!? あ………はい」
僅か数秒前にも増して市花は面食らっていた。
公浩とは陸道家へのカチコミで少し顔を合わせただけの間柄だったが、ちょっとだけ強引に事を進める印象を抱いていた。
実際は想像の斜め上を行くレベルだったわけだが。
「わざわざ一声かける必要のある相手じゃないみたいだし、当て身の一つもくれてやれば良かったかもね。そこを言うと僕も佐東さんも、少し優しすぎのようだ」
「ええ、と…………ふふ、そうかもしれませんね」
困惑を終えた市花は公浩の物言いに楽しそうに笑った。見た目の印象は真朱に近いものを感じていたが、実際はより勝ち気で積極性が強く、しかし真朱ほどの闇は抱えていない。
市花の笑顔は普通の女子高生が浮かべるそれだ。とても魅力的な笑顔として士緒の瞳には映った。
本当にあの厳つい市之助の娘なのか疑わしい程に。
「先輩………また新しい女の子………」
「……………」
「ああ、鶫。それと会長も。こちら佐東市花さん。五行さんと東雲君の愛の試練の時に知り合ったんだ。市之助さんとは………」
「あ、父です。それと初めまして。佐東市花です。お二人は四宮鶫さんと、三王山梓さんですよね? ここの“社”ではこの間から三人の名前を聞かない日はありませんよ」
「あ、初めまして。四宮鶫です。名前が知られてるのは、ちょっと恥ずかしいですね。あとちなみに、先輩の彼女です」
鶫は何故か対抗心らしきものを剥き出しにして腕を組んできた。そして彼女と言うところに若干の誇らしさが含まれているようだった。
「……三王山梓。噂と言うなら、貴女の事も聞いている。居合い……抜刀術の天才で、既に達人の域に達していると。東にいても少し耳を傾ければ聴こえてくる程の……実力派の退魔師」
「ぅえ!? そ、それは、あらぬ噂に尾ひれが付いて広がっていると言いますか………三王山さんの耳が良すぎるのだと思います」
市花は自分の事が離れた地にも届いているとは思いもよらなかったのか、狼狽えた様子で手を振り、顔を伏せた。
鶫は梓の情報収集能力に「おお、さすが会長」と感心している。
「ここで立ち話もなんだから、どこか落ち着いて話でもどう?」
「あ、せっかくですが、これから父と会わないといけないんです。軽い打ち合わせなんですけど」
「そう。じゃあまたの機会にでも」
「はい。それでは皆さん、失礼します」
そう言って市花は一礼し、公浩たちが来た方へと歩いて行き、全員でその背中を見送った。
「………じゃあ、僕らも夜まで時間を潰そうか。鶫、訓練室で組手でもどうだい?」
「いいですね。ちょうど体を動かしてすっきりしたい気分でしたので」
やっぱりさっきの飛英に対して憤っているようで、いつもより獰猛そうな笑みを浮かべている。
「では、私は別の仕事へと行ってきます。何かありましたら、遠慮なく呼びつけてください。どうせ今の状況では意味のある仕事の方が少ないので、すぐに駆け付けられますから」
そうして公浩たち三人と樫木は別れ、その場を後にした。
その時、訓練着に着替えて行った組手では、鶫はやや荒れ気味で派手な動きが目立ったが、心の奥底では冷静で、公浩とも危なげなく稽古を行った。
そして日も暮れ始めた頃、またもや嵐のように場を乱す存在が現れた。
「ちっ、またお前らか」
そろそろ訓練室を出ようかと話していた三人の前に飛英が姿を見せた。先程一緒だった女性はいないようだ。
鶫と梓は露骨に嫌そうな顔を向けていたが、公浩は普段の表情を崩すことはなかった。
むしろ、どことなく機嫌は良さそうにも見える。
公浩は鶫と梓より一歩前に出て、飛英に対した。
「これはこれは飛英さん。先程はどうも。お一人で訓練ですか?」
「だったらどうした」
公浩と飛英は睨み合いを始めてしまった。
公浩はニコニコと。飛英は見下すように。
それが数秒続いたあたりで飛英が口角を僅かにつり上げ、公浩に言った。
「ちょうどいい。一人で訓練ってのも味気無いと思ってたところだ。お前、ちょっと付き合えよ」
訓練室の広い空間の一角に顎をしゃくって来るよう促す。
公浩は「構いませんよ」と言ってから、「ただ………」と付け加えて言葉を続けた。
「これから我々は夜番です。あまり長くお相手できないので――――」
公浩は不敵に笑うと、掌に拳をバシッと打ち付け、周囲に闘気を放った。訓練室に少数ながらいた他の退魔師たちもそれに反応して公浩に目を向ける。
普段は見られない公浩の演出に、鶫と梓は少しだけ驚いた。
「さっさと気絶していただきますが、よろしいですね?」
「………あん?」
明らかに不機嫌さが増した飛英が、公浩に負けじと闘気を放つ。それに当てられて周囲の退魔師たちが若干浮き足立つが、鶫はどちらかと言うとワクワクと状況を見守っていた。
内心↓
(きゃあ~~~!! やっちゃえ先輩! そんな奴やっつけてください!)
梓も少なからず同じ思いを抱いており、公浩の背中をバシッと叩いた。
「……多少のやり過ぎなら許可する」
「一応は組手ですよ。飛英さんも、最近は先程のようにお仕事でお忙しいでしょうから、これから快適なお休みを差し上げます。疲れが取れるまでベッドの上にいてもらうのもまた良しです」
「ガキが。あんま調子乗ってると、今晩のお仕事がお休みになるのはそっちになるだろうぜ」
二人はいつのまにか訓練室の中央を陣取り、僅かなギャラリーの中で距離を置いて目線を交差させる。
合図はいらない。お互いが攻め時と判断したら攻める。そんな空気が流れていた。
そして先に動いたのは飛英だった。
「おらぁ!! 食らえクソガキゃあ!!」
流石に速い。現役の特一級退魔師で、実力は折り紙付き。
組手でありながら結構な力が乗せられている拳を公浩に繰り出してきた。
強さ的には以前に闘った仁科暮光よりは強いと断言できる。
だが………それでも公浩にとっては対処するのは造作もない事だった。
公浩は繰り出された拳を流し、脚を突き出された飛英の腕に絡めて腕挫を極める。
「こいつっ!?」
飛英は即座に公浩を地面に叩き付けようとする。退魔師の強化された身体能力だからできる動きだが、公浩は体を捻って力を加え、無理矢理に飛英をうつ伏せに地面に倒した。
「ぐっ!」
飛英が呻き声を上げるのも気にせず、公浩は飛英の背中に腰掛けながらとった腕を傾け、飛英の肩を容赦なく外した。
「ぐぁあああ!!」
公浩は飛英の頭部に手を置き、通力と共に地面に押し付けた。
ズンッという震動が広がり、訓練室の床に小さくヒビが広がっていた。
「……お見事」
と、梓が呟く。
本来なら頭蓋が粉々になって頭部も残らない程の力が加わったが、退魔師相手だから出来る絶妙の手加減でもって公浩は飛英の意識を刈り取った。
飛英は白目を剥いて動かない。
公浩はふぅと息を吐き鶫へと話し掛けた。
「樫木さんに、組手で負傷者が1名出たと伝えて医療班を寄越してくれるように伝えてくれるかい?」
いつもの優しげな顔で頼んできた。
鶫は飛英の方をチラッと見る。怪我は大した事はなさそうで、治癒の顕を使えば簡単に治るだろう。
公浩の鮮やかな手際に、鶫は目をキラキラさせている。
「分かりました!」
鶫は樫木へと連絡をとり、公浩は飛英を邪魔にならない場所へと運び、軽く応急措置だけはしておいた。
「……………」
公浩はやれやれと肩をすくめて飛英を見る。その顔はやはり上機嫌だった。
三人はそれぞれスッキリした心持ちでその晩の戦闘へと出た。
そして公浩たちが鬼を駆逐して帰る頃には飛英は目を覚ましていたが、治癒士に悪態をつきながらどこかへ行ったと言う。
鶫なんかは、「いっそ決戦が終わるまで眠らせておけば良かったんじゃないですか?」と言っていた。
梓も、同感だと頷いており、公浩はそれに苦笑で返した。
(さて………この後どう動くか、楽しみですね)
公浩は来る決戦の前に、可能な限りの手を打っていく。
その時、鶫の顔がちらつくことから、やはり守ってやりたいのだと改めて感じていた。




