第51話 悪魔に魅入られた少女
翌朝、公浩たちは駅前でギーネと虎太郎、そして燕尾服のベネディクトに見送られて隣街の“社”に向かうところだった。虎子には先に帰ってもらい、幸子と颯馬には虎子の事は報告しないように擦り合わせもしてある。
「ギーネさん。見送りは嬉しいんですけど、例の封印の方はいいんですか? この間から近くにいる方が少ない気がしますけど」
公浩のもっともな疑問を虎太郎がギーネに伝える。
士緒としては、いざ封印の破壊となった時の情報は少しでもあった方が良いからだ。
ギーネはなんてことはないと言うように答えた。
『うむ、結界の魔術には多少の心得があっての。警報用と防衛用の結界を仕込んであるのじゃ。我が駆け付けるまでの時間ぐらいは稼げるじゃろ』
まあ、手を打ってあるのは当然か。
どちらにしろ、士緒からしたらギーネを含め穴だらけの守りだ。さらに言えば仁科黎明がギーネをこちらに送ることで結果的に封印の場所も士緒に知られることにもなった。
こちらの力を測りかねているのだろうが、今回の仁科黎明の手は悪手と言える。
士緒は既に5通り以上の封印を破壊する方法を思い付いている。これで仁科黎明より先んじる事ができると内心ほくそ笑んでいた。
「なら安心……とは言えませんか。今回の様なことはそうそう無いと思いますが、くれぐれも油断しないでくださいね」
『う、うるさい! 貴様までベネディクトと同じ事を言いおる。どいつもこいつもうるさい家臣じゃ!』
「またそれですか。僕は家臣ではありませんよ」
『黙れい! 貴様は我の……我の……パ、パパ、パンツを見たであろう! 家臣にでもならねば吊り合わぬではないか!』
ギーネの発言に全員の冷たい視線が集まる。
全ての目が雄弁に語っていた。このロリコン野郎……と。
「このロリコンが」
颯馬は実際に口にしていたが。幸子の哀しそうな視線だけは何故か心に響いた。
「た、たとえ黒沼くんがロリコンでも……わ、わ、私なら……う、受け止めて………」
「真田、無理するな。受け止めるな。受け流せ」
その後、公浩は電車が来るまでの間たっぷりと弁明をさせられた。
ギーネ、虎太郎、ベネディクトは各々礼を言ってから別れを済ませた。
★
夜、廃ホテルの前、後始末のために残っていた数人の退魔師を眠らせてから士緒はサフィールを待っていた。
今回、士緒の隣には梢ではない女がいた。
士緒も呪いの解呪はある程度可能だが、サフィールの受けている呪いとなると、より専門家として優秀な彼女に来てもらう必要があった。急な呼び出しだったが、士緒のためならと快く駆けつけてくれた。
レディースのスーツに、年齢は20代前半程、肩を越すぐらいのストレートの髪、透き通った水面を思わせる静謐な雰囲気と顔立ち。有り体に言ってしまえば美女だ。
サフィールとの待ち合わせに具体的な時間は決めていなかったため、士緒は公浩の顔にいつものスーツを着て待っていた。レディーススーツの女性と一緒にいると、公浩のやや幼い顔立ちも相まって就活中の学生か新人会社員のようだ。
二人は待っている間、軽く言葉を交わすことにした。
「久しぶりですね、焔。親父殿は元気ですか?」
「元気にしてらっしゃいますよ。それに五郎左様からの便りが無いのは、息災の知らせとも言えます。そういった意味では、若は随分と元気に過ごされていたようですね」
「……………」
何故か焔が不機嫌だ。普段はもっと棘が少ない感じなのだが。
「澪は相変わらずですか?」
「ええ相変わらず、若がいないと発情期の猫みたいに落ち着きを無くしてます………何ですか? そんなに気になるならたまには顔を見せれば良いではありませんか。それに私の事は気にならないのですか? 五郎左様と澪の事しか聞かないのですか?」
「………あの、焔。まさか拗ねて――――」
「なにか?」
「あ………いえ」
このとき士緒は、たまには五郎左の所へ顔を出す事を心に決めた。
「ずいぶんと楽しそうだねー。私も交ぜてよー」
そこに、待ち合わせの相手がやってきた。どうも九良名に来てからこういった待ち合わせがよくある気がする。いずれもこちらが待つ形になっているが。
「若、この方ですか?」
「焔ならデータの一つも持っているのでは? サフィール・エメロードという名前の聖堂騎士なのですが」
「サフィール………ああ、確かに覚えがあります。幼くして“悪魔”に家族を奪われ、代わりに呪いを受けた可哀想な少女が名乗っている名ですね」
焔のクールな表情は嘲笑を湛え、明らかな挑発を行っていた。
焔が初対面の相手に行う儀式のようなものだが、肝心のサフィールは若干イラッとした顔をするも、すぐにニコニコとした笑みに戻り、公浩を見た。
前日に公浩からも似たような事を言われていなければもっと尾を引いただろうが、今は落ち着いたものだ。
「君が私の“呪い”……“呪刻印”を解けるっていったから私はここに来た。それを信じたからこそ、私は道理を受け入れるよ。同情を引きながら、それを受け入れなかった自分を反省してみせる。藁にもすがる思いって言うんだっけ? こう言うとき。日本語って難しいね」
ここに来て自分の短気でチャンスを棒に振りたくない。幼いままの精神で精一杯自らを御した結果だった。
「道理を弁えてるのなら結構。私は若に頼まれた仕事をこなすだけです。こちらの橘花院士緒様に恩義を感じるのも、また道理です」
橘花院士緒……という名前を聞いた瞬間、サフィールは目を剥いた。
「………へぇー。君がIRだったんだ。ということはそれ、素顔じゃないんだよね」
「ええ、この通り」
士緒は首から上の術式を解いた。怪盗がするようにベリベリっとはいかないが、士緒が手を翳すと煙のように公浩の顔が消え、素顔がそこに表れた。
「改めまして、橘花院士緒と申します。貴女とは長い付き合いをと考えております」
そう言って士緒は優雅に一礼して見せた。
明らかにサフィールの警戒の色が濃くなったが、正体を明かさねば始まらない取り引きだ。どの道、ここに来た以上サフィールには後戻りさせる気は無い。契約は既に決定事項なのだ。
「取り引きは単純です。貴女の“呪い”を解く代わりに、貴女は我々……“真ノ悪”に加わる。ご安心を。何十年も縛り付けようなどとは考えておりませんから」
「具体的には何をさせるつもり? 言っとくけど、この“呪い”が解けるならなんだってするよ。私に出来る事ならね」
「簡単ですよ。これまで通り、敵を殺すだけです。ただ、その中に元お仲間たちが含まれます」
元お仲間……聖堂騎士や祓魔師のこと。それを聞いたサフィールがクスクスと笑みを溢す。
「なら今までと大して変わらないね。今までは退魔師も相手にしてきたけど、それが祓魔師、聖堂騎士に変わるだけだもん。……ああ、なるほどね。だからかー」
サフィールは士緒を興味深そうな目で見る。士緒は相変わらずニコニコとしていた。
「私がそちらで言うところの対退魔師だって気付いてたんだ。だからわざわざ仲間に引き入れようなんて」
そう、サフィールは日本で言う対退魔師。
大聖堂、教会。それらの組織も一枚岩ではない。当然内にも敵がいる。
そういった対祓魔師、聖堂騎士用に訓練された者が少数ながら存在する。
今回は、根が甘いカールにそれとなく付けられた監視役。カールが裏切るようなら背中から刺すことくらいは出来ただろう。
もっとも、対祓魔師、聖堂騎士に特化したサフィールにとって、日本の退魔師……特に公浩はやりにくい相手だったに違いない。
「いいよそのくらい。お安いご用ってやつだよ。この火傷がある限り私の時間は止まったまま。それが動くのなら、元仲間を裏切るくらいなんてことないからさ」
「ふん、たかだか見た目に難がある程度で大袈裟な物言いですね」
「焔、そこまでです。人が抱える物の重さはその人にしか解らない事もあります。それ以上は怒りますよ」
「………失礼しました」
心なしかムスッとしながら焔はサフィールに向けて頭を下げた。
現に士緒なら女性の火傷跡なんて気にしないだろう、という言葉は飲み込んだ。欠片でも、サフィールが士緒に惹かれる可能性は排除したかったからだ。
梢を筆頭に、士緒に深く関わった女たちは8割以上が士緒に想いを寄せていると焔は計算していた。もうこれ以上は、という思いだったのだ。
「そんな事はいいからさ。さっさとしてくれない? それとも、“契約魔術”で私を縛ってからじゃないと信用できないとか?」
「その点は信用していますよ。ただ、万が一の裏切りには相応の代償があるということだけは覚えていていただきますが。とはいえ、そろそろ始めましょうか。焔、お願いします」
士緒はあっさりとそう言っただけで、これといった強制力は働かせなかった。
まさか本当に全面的にサフィールを信用しているわけではないだろうとは考えていたが、それはサフィールにはどうでもいいことだった。
実際にサフィールは“呪い”さえ解いてくれるなら、組織に入れと言われれば、それに忠実に従うつもりでいた。士緒はそれを見抜いた形だ。
「承知しました。では、とりあえず見てみましょう。服を………って、さっきから思ってましたが、何故セーラー服なんて。いい歳してコスプレですか?」
「ああ、これ? 可愛かったからたくさん買っちゃった。こんな体だし、せめて外見くらい見栄張ってもいいでしょ?」
「………今度、貴女に似合いそうな服を見繕って差し上げます。さすがにそれは怪しすぎますので。………なんですかキョトンとして。同じ組織に所属するのなら、少しは常識を弁えてほしいだけです。それに貴女のコンプレックスの元はこれから無くなるのですから、もっと露出もできますし。ほら、さっさと服を脱いでください」
不可思議なものでも見たように焔を見るサフィール。士緒にも視線を送って見るが、何を勘違いしたのか、「これは失礼」と言って後ろを向いてしまった。
サフィールは焔の、急に表面化した優しさに若干呆けながらも服を脱ぎ始めた。
焔は晒された肌……“呪い”の部分を無遠慮に見つめる。
「やはり、ただの“呪い”による痕ではありませんね。なるほど、実に胸くその悪い“呪い”です」
焔はサフィールの“呪い”に手を触れる。サフィールからしたら、特に優しい波動や温もりを感じる事なく、かなり作業的に“呪い”の半分が消え去ったと感じた。
「……え」
体内に“呪い”の残滓が有ることを除けばサフィールの肌は完全に癒えていた。火傷の跡が消え去ったのだ。
「あー、えっと……これは、何と言うか……呆気なかったね。一回で終わらないのは予想してたけど、まさか表面だけでも先に治してくれたのかな」
「ええ、まあ。しかし体内に“呪い”が残っている以上、また表面化してきてしまいます。定期的に処置を施せばその限りではありませんが。結論を言うと、この場で“呪い”を食らいきる事は可能です。ですが、そうすると貴女が死ぬ事になります」
「どういう事ですか、焔」
サフィール本人より先に口を出したのは士緒だった。
その表情が僅かに怒りを湛えているのを読み取った焔は、士緒も薄々は結論を見いだしていると確信した。
「この“呪い”……“呪刻印”は悪魔によるものですが、実際には人間の誰か。教会か大聖堂関係者が裏で糸を引いているものと思われます。何故なら、これには特定の誓約に反応して隷属を強制するものと、特定の誓約無しに解呪を行うと即座に死に至る信託が仕込まれているからです」
「っ! それって………」
「恐らくですが、貴女に“呪い”をかけた悪魔は大聖堂と繋がっている。貴女を利用して、反抗されれば“呪刻印”を発動させるつもりだったのでしょう。でなければこんなお粗末な“呪い”、解呪できないなんて言うはずありません。しかも、ご丁寧にも解呪された時には貴女が死ぬように細工を施して」
「………そんな」
打ちひしがれるように俯くサフィール。もうこの時点で、焔の事を疑うなんて考えが頭から抜け落ちている。もっとも、焔も嘘は言っていないのだから、ある意味では真実に近い思考だろう。
「焔が“呪い”を食っても死んでしまうのですか?」
「はい。むしろ、この“呪刻印”が命をつなぎ止めていると言う感じです」
これも推測だが、サフィールと同化した再生能力のオラクルは副作用があり、“呪い”がそれを抑える要因の一つではないかと思われる。その副作用が命に関わるものなのではないかという事だ。
「すみません。今の私にはこれが限界です。後はもう少し研究すれば副作用だけを取り除けると思いますが、それは………」
それは必然的に人体実験に近い扱いをサフィールに強いることになる。それこそ、大聖堂にいた頃と変わらない扱いだろう。連中がそういった事をしてこなかった訳がない。
「ああ、大丈夫大丈夫。私はそういうのなれてるし。完全に“呪刻印”が消えるなら、人体実験でもなんでもしてくれて構わないからさ」
「……そうですか。焔、今後の仕事の優先順位は彼女のオラクルの解析を上に置くようにしてください。二番目に親父殿の補佐を。親父殿には私から言っておきます」
衣擦れの音でサフィールが服を着た事を察した士緒は振り返り、「あ、それとですね」と前おいて焔に向き直った。
「臙脂の事、焔は親父殿から聞いてましたか?」
「いいえ、何も。私も長い任務と言って出て行った臙脂殿が、まさか“女帝”へちょっかいをかけるためだけに駆り出されていたとは思いませんでした。五郎左様の深遠なお考えは私には分かりかねます」
「そんな考えがあれば良いのですが………」
「ああ、そう言えばあのライオン君、“真ノ悪”を名乗っていた事もあったって聞いたけど、やっぱり君たちの勢力なのね。ほんと、恐い組織だね」
サフィールは改めて士緒とその仲間、所属する組織の強大さに身を震わせるのだった。
★
少女はとある農村で産まれた。
一人っ子で、15歳になる頃には都会への憧れを抑えきれずにいた。
そしてついには両親を何とか説得して、都会の親戚の家から学校に通うようになる。
親戚の叔父さんは教会で司祭をしているらしい。聞けば悪魔祓いの仕事をしているとか。
田舎の画質の粗いテレビで、そういった仕事を見たことがある。とても怖い仕事だと思っていた。
ある日、雨が降っていたので傘を届けに叔父さんのいる教会まで出向く。夜だったが、この町はそれなりに治安が良いので気にしてはいなかった。
教会の中は暗かった。おかしい。この時間はまだ灯りが灯っているはずなのに。
異変はそれだけではない。
今まで嗅いだ事の無い酷い匂いが教会内を満たしている。暗い中、叔父さんの名前を呼んだ。
「う、うぅ………」
呻き声のようなものを聞いてそちらに目を向ける。入り口そばの足元からだ。
「う、ぁあ………」
這うように近付いてくるのは黒い何か。よく見るとそれは、芯まで炭となった元人間だとわかった。
少女は声にならない悲鳴を上げ、傘を落とす。
人間だったそれは、少女の足を掴もうというところでボロボロと崩れていった。
少女は咄嗟に教会の外に逃げだそうとしたところで正面から何かにぶつかってしまう。
それは雨でびしょ濡れになった叔父さんだった。
「イレーヌ! なぜここに!?」
叔父さんが少女の名前を呼ぶ。そしてすぐに家へと帰るように言った。
おぞましい物を見て混乱していたイレーヌはその指示にコクコクと頷く。その時だった。
「あはははー、待ってたよー司祭様」
教会の席から立ち上がった男がひょいっと跳ぶように中央の通路に出た。
「貴様っ、“悪魔”!! やはりここにいたのか!」
叔父さんはイレーヌを背中に回すと目の前の悪魔へと苛烈な視線と剣型のオラクルを向けた。
「滅びよ悪魔! 『ジャッジメント』!」
剣から光が伸び、男を呑み込んだ。
しかし光が晴れた時、そこにいたのはいかにも悪魔という風貌の蝙蝠の羽を生やした異形の存在だった。
悪魔が叔父さんに手を翳すと、それは一瞬だった。
叔父さんが炎の塊へと変じ、それが爆発へと転じる。イレーヌは今度こそ悲鳴を上げながら爆風で教会の外に吹き飛ばされた。
熱風で服のあちこちは肌ごと焼け焦げ、雨の下で痛みに意識を朦朧してくる。
「あ~あ、子供も巻き込んじゃったかー。まいっか。ちょうどレアな焼き加減だし、たまには――――」
「待て」
朦朧とする意識の中、男の声を捉える。無意識に向く視線の先には帽子を深くかぶり、トレンチコートを着た男の上半身だけが見えた。
「最近は退魔師協会とやらの台頭が激しい。猫の手も借りたい程なのだ。実験台の一つの調達にも難儀している。何が言いたいか解るな?」
「わからないなー。具体的に僕にどうしろと?」
「いつもと同じだ。服従の“呪刻印”を刻んでおけ。後はこちらで多少記憶を弄る。そこから先は………」
「はいはい、僕には関係無い話なんでしょ? いいよ、それが契約なら」
悪魔はイレーヌに手を翳す。すると激痛がイレーヌの患部を走った。
イレーヌは痛みで薄れゆく意識の中で最後に聞いた言葉をその日、思い出した。
「ねえクルーォル。この娘、きっと役に立つよ。僕の勘がそう言ってる」
それだけが耳に届き、イレーヌは気を失った。
“呪刻印”を受けた翌日。ついでとばかりにサフィールの住んでいた村が悪魔の手によって地図からその名を消すことになる。
再び少女の時間が動きだすのは、十数年後の今日の事。
そして“呪い”が半分消えたその日、サフィールは全てを思い出すのだった。




