第39話 その逢瀬は決断を強いる
さらに三日が経った。
何か理由があったわけではない。紗枝は放課後に駅前のショッピングモールを一人でふらっと訪れていた。
何をするでもなく、ただただブラついてウィンドウショッピング。綺麗な洋服やアクセサリーを見ても、紗枝の心は静まり返ったまま。感動も何も失ったようであった。
強いて言うなら、時おり口から漏れるため息が失意と悲観を表しているくらいだ。
「………帰ろ」
うつむき加減にその場を後にしようと駅の改札前を通った、そこに声をかけられた。
「サエっ!!」
「………!」
紗枝は声の方へと振り返った。
聞き馴れた声の主の顔を見る。やはり見馴れた男の顔がそこにはあった。
「ミキヤ………」
公浩と出会った時の紗枝と同じ色合いとデザインの制服を着た男子、紗枝の恋人でもある東雲未来夜だ。
「俺だけじゃない。花房と佐東も来てる」
未来夜の後ろにはやはり同じ制服の男女が立っていた。
男の方はやせ形だが華奢な印象は受けない。むしろ硬質な気配すら感じられる。
女の方は眼鏡をかけ、地味で気弱そうな子だ。真朱とよく似た雰囲気である。
「急にいなくなるもんだから心配したんだぞ。お前がここにいるのを突き止めるのだって結構苦労したんだからな」
未来夜は紗枝の手をガシッと掴んで引き寄せた。
「もう離さないから。だから……早く帰ろう」
「………え?」
「無理矢理の婚約なんてする必要ない! 親父さんは俺が説得するから、だから帰ろう」
「……………」
「しばらくの間は佐東の家に泊めてもらおう。親父さんは絶対に俺が………」
「……………」
「どうしたサエ。お前だって早く帰りたいんじゃ――――」
「……あたし、帰らない」
「え………?」
未来夜だけでなく、花房と佐東も驚き、互いに顔を見合わせる。
三人の中では既に今後の流れというものが決まっていた。
とにもかくにも、まずは紗枝を見つけて連れ戻し、そして退魔師としては名家の佐東家でしばらく匿ってもらう手筈だった。紗枝を手元に置いた状態で、かつ紗枝の固い意志を示し、紗枝の父親を説得するつもりだったのだ。
それが、紗枝の放ったたった一言で意味を無くした。
未来夜たちは動揺し、それを隠しきれない。
「もういいの……諦めたの。お父さんは何を言ってもあたしとミキヤの仲を認める気は無いって分かったから。あたしがここにいるのが何よりの証拠でしょ?」
紗枝は自嘲の表情を浮かべ、肩をすくめて見せる。それに対して眼鏡の少女……佐東 市花が慌てて口を挟む。
「で、でも! 紗枝ちゃんだって嫌々連れて来られたんでしょ!? うちの事なら気にしないでいいんだよ? うちのお父さんも紗枝ちゃんの事は気に入ってるし、佐東家なら、五行家でも簡単には手を出せないから――――」
「それもそうだけど、そういう話じゃないのよ市花。もう………どうでもよくなったの。実家で鬼に怯えるのも、ミキヤの事でお父さんと喧嘩するのも、全部疲れた。こんな気持ちを覚えちゃったら……知らない土地で一生を過ごすのも、知らない男と結婚させられるのも、別にどうでもいいかな…って思えるようになったからさ」
「……………」
市花は紗枝の顔を見て、黙るほか無かった。こうと決めた紗枝は意見を曲げない。何度も見てきた顔が、そこにはあった。
「……ふざけんな! そんなのただの自棄じゃねえか! まだ諦めるのは早ぇよ。とにかく、話は戻ってからでも――――」
言うが早いか、感情に任せて紗枝の手を引いて連れていこうとするミキヤ。その手を、別の男が捻り上げた。
「い――――っつ!」
ミキヤが呻くと同時に、市花と、事の成り行きを見守っていた花房が構えをとった。
「すみませんが、そうもいかないんです。手荒な事はできる限りしたくはないので、そっちの二人は動かないでください」
現れた男は紗枝と同じ、白を基調とした九良名学園の夏服を着ている。
パッと見は普通の男子生徒。しかし実際は歴戦の雰囲気と隙の無い佇まい。余程のど素人でなければすぐにただ者ではないと気付くだろう。
「黒沼……なんで……?」
公浩は未来夜の手を放し、紗枝の方へと向きなおり、声をかける。
「たまたま、なんて理屈は都合が良すぎるから正直に言うけど……鏡さんに頼まれたから、かな」
「っ! ………そう」
紗枝は一瞬だけ動揺のようなものを見せるも、すぐにそれまでの空虚さを思わせる表情に戻ってしまう。
すると未来夜が公浩に怒りを向けた。
「お前、何しやがる! サエは俺たちの仲間だ! 仲間内の話に首を突っ込むな!」
「仲間? 君がかい? そうか……だとしたら、君は彼女の仲間として失格だ。いや、君たちは…かな」
「なに!?」
今にも掴みかかりそうな空気を出す未来夜に、公浩はどこ吹く風という感じだ。
「彼女がここに連れて来られた理由を知っているかい? 五行の本家が鬼の脅威に晒されて、彼女の身も危ないからだ。それを君たちは、また彼女を危険地帯に連れて帰ろうと言っているんだよ」
「違うっ! そんなのは建前で、実際は政略の道具にしようとしているだけだ! 俺の事が気に食わないから、親父さんが俺との事を反対して――――」
「だから君は彼女の仲間としても、恋人としても失格なんだ。君のその短絡的な思考は実に度しがたい」
「なんだと!?」
未来夜は公浩に掴みかかった。襟首を掴み、公浩の首を圧迫する。
しかし公浩もまたその手を掴み上げ、大きな動作も無く、ほとんど腕の動きだけで未来夜を投げ、背中から叩きつけた。
「ぐぁっ!!」
手を捻られた時以上の苦痛に呻き、花房も市花も飛びかかって来そうな体勢だが、公浩の威圧の視線で再び動けなくなった。
駅前だけあってチラチラと人が様子を窺っているが、さすがに退魔師の街だけあって慣れているのか、足を止める人は少なかった。
公浩は未来夜の腕を引いて無理矢理立ち上がらせた。未来夜の怒気のこもった視線が公浩に向けられる。
「質問をしよう。君は……自分が彼女に愛されるに足る男だと言えるかい? 彼女に命を懸けさせるだけの男だと」
「っ………それは」
紗枝が未来夜に連れて帰られるというのは、紗枝に命を懸けさせてでも自分の手元に置いておきたいと未来夜が望むという事だ。
それは身勝手に彼女を振り回しているだけではないのか、紗枝の父親と同じ事をしているのではないのか。一度その考えに至ってしまえば、自分のしようとしている事がただの我儘のように思えてならなかった。
「君の事は少しだけ聞いたよ。君は力を持ちながらそれと向き合わず、彼女を守る事に使おうとはしなかった。また、力に頼らず守れるようになるだけの努力をしても、自信を持って彼女を守れると言える結果も過程も積み重ねてこなかった。だから僕の問いに即答できない」
「……………」
未来夜は黙るしかない。ぐうの音も出なかった。
手を強く握りしめ、唇を噛み、己の至らなさを非難したい思いでいっぱいになっていた。
「彼女を想うなら、君が進むべき道は2つあった。一つ、彼女の安全を第一に考え、彼女の婚約に納得すること。二つ、己の力と向き合い、彼女を守れるだけの強さを持つこと。だけど、君に後者を選ぶだけの度胸が無いことはよく分かったよ。どちらの道も選べない、中途半端な君を見ればね」
「っ………ぁあああ!!」
未来夜が衝動に任せ、拳を振り上げて公浩にそれを振るった。
しかし公浩は余裕の動きでそれを躱し、足を引っ掻けて未来夜を転ばせた。
「うっ、く……」
「君自身の力なんて、所詮はその程度だ。分かっただろ……君の拳は僕には届かない」
未来夜は手と膝を突き、うちひしがれたように動かない。
公浩がその様を無表情に見下ろしていると、紗枝が未来夜との間に入るように公浩の前に立ち、そして
パシンッ
公浩の頬を張った。
紗枝は泣き出しそうな瞳で公浩を見据えている。
「ミキヤだけで届かないなら、別の誰かがその間を埋めるわ」
紗枝はそれだけ言うと、花房と市花に近付いて言った。
「連れて帰って。もうあたしの事はほっといて」
紗枝はスタスタとその場を後にしようとする。
市花は追いかける素振りを見せるも、花房に促されて未来夜へと近寄り、立ち上がらせた。振り返った時には紗枝の姿は見えなくなっていた。
「一応教えておくけど、五行さんの婚約相手は“六家”の陸道家……陸道石刀。鬼より質の悪い人たちを敵に回したくなければ、彼女の意志を尊重して、さっさと帰る事だね」
そう言って公浩は紗枝がいなくなった方へと歩き去り、人に紛れるように見えなくなった。
残された三人はどうしようもなく打ちのめされていた。
「花房くんはどうする? 私は、ギリギリまで紗枝ちゃんと話をするつもりだけど」
「俺も付き合おう。未来夜の言うように、紗枝が自棄を起こしているように俺も思う。だが………」
二人の視線は未来夜へと向かう。
うつむき、黙りこんだ未来夜の背中は、いったい何を思っているのか。
「東雲くん。紗枝ちゃん言ってたよね。東雲くんだけで届かないなら、誰かが間を埋めるって。その言い方をしたってことは、紗枝ちゃんの心が揺らいでる証拠だよ。紗枝ちゃんがそう言う時って、大抵何か思い詰めてる時だった。東雲くんが悩んでいることを、紗枝ちゃんが東雲くん以上に思い悩んでくれてたんだから」
「……………」
「東雲くんは、そんな紗枝ちゃんの優しさに胡座をかくだけの人なの? 東雲くんは紗枝ちゃんに、何か返してあげられるんじゃないの?」
「未来夜、決断しろ。紗枝を諦めるか。さもなくば、自分を諦めるか」
「…………そんな二択なら、選ぶのは決まってる」
未来夜は顔を上げ、紗枝の去った方向を見据える。その瞳は力強い決意に満ちていた。
「俺だって……決断できるって事を、あのいけ好かない野郎に教えてやるよ」
未来夜の姿を見て、花房と市花の表情が綻ぶ。
未来夜はふっ切った顔をしていた。
★
「どちらの道も選べない中途半端な君……か。自分の事を棚に上げてあんな事を言うなんて、恥知らずもいいところだ」
呟きながら、公浩は紗枝の後ろにくっつくように歩き、風紀委員寮に着いた。
紗枝はそのまま部屋へと引っ込み、公浩はそれを遠巻きに見ている。
そこへ、紗枝の護衛の女性が近付いてきて、公浩の隣に立った。今のところまだ名前は聞けていない。
「先程の話は本当でしょうか」
護衛の女性が公浩に訊ねる。公浩は「なんの事ですか?」と返した。
「鏡様から頼まれて、というのは本当でしょうか。だとするなら、どこまでお聞きになりましたか?」
「全部……とはいかないでしょうが、大まかなシナリオについては聞きましたよ。先程のやり取りは我ながら良くできたと思います。もっとも、僕がやらなければあなたが上手くやっていたんでしょうけど」
「よく言いますね。私と彼らが懇意にしていたのを鏡様からお聞きになっていたのでしょう? 事が済んだ後、私と彼らの間に蟠りが出来ないように配慮してくださったのですよね。それについては、感謝いたします」
「そうしようとした事を否定はしませんが、物のついでみたいなものです。僕も彼らと顔を合わせておきたかったので」
「では、鏡様から彼らに協力するよう依頼を? あれでは逆効果なのでは………」
「いざとなったら無理矢理にでも手伝うだけです。彼らの信頼は必要ではありません」
護衛の女性は無表情に「そうですか」と言うが、どこか公浩を慮っていると感じられる視線を送っていた。
二人は黙ったまま木の影に立ち、女子風紀委員寮の方を見ていた。
しばらくすると、護衛の女性の携帯に連絡が入った。メールを読み終わると公浩に伝えた。
「先ほど東雲様たちがいらした事を旦那様にお伝えしておきました。なので、陸道石刀様とのご結婚を早めると、たった今連絡が来ました」
「確か陸道家では、花嫁は式までの一週間、家の人間として一緒に住む決まり………でしたか?」
「その通りです。なので明日からお嬢様は陸道家の屋敷に、実質軟禁状態になるでしょう」
士緒としてはどうにも苦笑を禁じ得ない状況だが、五行家の本気は十分に伝わってきた。
「では、彼らに教える役目はお任せします。その方が彼らもわかりやすいでしょうし。僕は少し準備をしておきますので」
「ではそのように。黒沼様におかれましては、お手数をおかけいたします」
綺麗な礼を公浩に向けて行おうとするが、公浩がそれを制するように手を上げる。
「鏡さんから頼むなんて言われたら断れませんよ。あの人、嫌いじゃないので」
公浩は護衛の女性に背を向けてその場を離れていった。片手に電話を持ちながら。
離れた所での「工藤君、一つ用意してほしい物が………」という会話はすぐに聞こえなくなった。




