第37話 もうひとつの復讐
「まさか本当に………あの、先輩、わたし………」
治癒の顕をかけられながら担架で医務室まで運ばれる風音を見ながら鶫が言う。
公浩は鶫に微笑みかけながら肩をポンと叩く。
「鶫が本気で風音さんが負けると思ってなかったのは分かってるよ。あんなのは売り言葉に買い言葉だ。心配なら付いててあげるといい。僕も後で行くから」
鶫は「はいっ」と一も二もなく頷いて、担架で慎重に運ばれる風音に張り付いていった。
直後、勝利校の代表として梓が審判の一人に呼ばれて付いていき、凛子と二人でその場を後にする。閉会式のようなものは無く、あっさりと交流戦はお開きとなった。
退魔師協会所有の高層ビルの通路に出ると案内役の女性に来客用の部屋に通され、冷たいお茶を出される。しばらく休憩した後、車で寮へと送り届けてくれると言われた。
高級そうなソファに座りながら、何とはなしに公浩と凛子は会話を始める。
「にしても公浩、自分も怖いやっちゃなー。アレ、仁科んところの養子やろ。なんぞ恨みでもあったんか?」
アレ…とは、仁科暮光の事だろう。
今にして思えば派手に倒し過ぎたかとも思える。要反省ではあるが、思えば独楽石栄太の時も目立ち過ぎを反省していた。
自分はどこまで進歩が無いんだと、少しだけ気分が落ちた。
「気にくわない相手だったから痛め付けた。それだけだよ」
「ひぇ~~~。危ないやっちゃー」
凛子はおどけた様子でお茶を口に含んだ。
公浩も釣られるようにお茶を飲む。
「怖い危ないで言えば凛子さんもだよね。対退魔師の技をあのレベルで使いこなす人は初めて見たよ。風紀委員で閲覧できる情報には書かれていなかったし」
「なんやなんや自分。ウチの事調べたんか? 別の意味で怖いわ」
凛子が対退魔師であるという情報は五郎左にもらった資料には無かった。それは凛子が協会の資料には対退魔師の技能をあえて書かなかったのか。それとも協会が秘匿したのか。
対退魔師の技能持ちは権力闘争を繰り広げる者たちにとっては護衛、もしくは刺客や抑止力として、なんとしても欲しい人材だ。
凛子がそんなくだらない争いに巻き込まれるのを避けるために書かなかった、でなければ秘匿した上で誰かが自分の派閥に引き込むつもりだったのかもしれない。
対退魔師………凛子の事を、士緒はもう少し詳しく調べてみることに決めた。
「まあ、深くは聞かないよ。そこまで興味無いしね」
調査はこの場では行わない。急ぎではないし、後でじっくりと調べることにする。
「最近はあんまし聞かんかったけど、自分たまに冷たなるなぁ」
「気のせいだよ。ところで、そろそろ風音さんのお見舞いにでも行こうか」
公浩が立ち上がると、凛子も「せやな」と言って立ち上がった。
連れたって医務室を訪ねた二人は目覚めたばかりでも元気そうな風音と、いたたまれなさそうに座る鶫を見て頬を綻ばせるのだった。
★
仁科源造の不機嫌は移動中の車……リムジンの中で極まっていた。
最近は忌々しい事ばかりが起きる。
橘花院士緒の存在。“相談役”の解体。才能を見込んで分家から養子に迎えた男の醜態。
どれもが源造に強い不快感を与えるには十分過ぎる出来事だ。
イライラと貧乏揺すりを繰り返す。
羽織に袴といった和装の老人……源造は、目に映る全ての物が憎らしく見えるほど気分が悪い。久し振りに表に顔を出したと言うのにこれでは、わざわざ恥を晒しに来ただけだ。
和装と強面さも相まって、機嫌の悪い極道にしか見えない。
「おいっ! ここはさっきも通った道だぞ! 私はとっととこの街を離れたいんだ!」
運転手に怒号をぶつける様は八つ当たりそのものだ。しかし、車が同じ道をぐるりと回っているのも確かだった。
「は、はぁ……その、申し上げにくいのですが……道に迷ってしまったようで」
「っ!?」
源造は怒りを通り越して呆れ果てた。
源造は運転手の顔などろくに覚えてはいない。もしかしたら、長年仕えている部下なのかもしれない。それでも、源造はこの運転が終わったら運転手をクビにしてやると決めた。
舌打ちをしながらもう一度窓の外に目を向ける。やはり通った事のある道だ。
既に日は沈み、あたりは暗いが、二度三度と通っていればさすがに分かる。
「ふん……ゴーストタウンか、ここは。黎明は廃城の主ということか」
まだ日も沈んで間もないにも関わらず、もうじき九良名を出ようという所で人の姿を見なくなった。人だけではなく車もだ。
舗装が行き届いた見晴らしの良い道を走行しているのは源造の乗るリムジン一台だけ。だれも渡る気配の無い信号を前にポツンと停まる様は物悲しくもある。
人がいなくなるには早すぎる時間。先程から何度も見ている明かりの消えた無機質なビルや店舗が、次々に後ろへと流れていく。
「いや、待て……何だこれは」
いくらなんでも不自然だ。
街に人の気配が無さすぎる。
明かりは街灯ぐらい。なぜ今まで気付かなかったのか、流れていく建物からは全て、光が抜け落ちていた。
「停めろ!」
源造の指示で運転手は車を停めた。運転手も何かがおかしいのには気付いていたが、源造の不機嫌さに腰が引けた形だった。
源造が車を出てみると、違和感が確信へと変わった。窓からは見えなかったが、うっすらと霧がかかっている。
「結界による異界化だと? っ!! 橘花院か!」
周りを落ち着き無く見回す。するとそこで、ようやく人の気配を感じて振り返った。
「ご明察です。この結界は四宮家を壊滅させた時にも使ったものですから、応援は期待しない方がよろしいかと」
そこにいたのは黒のスーツ姿で笑顔を張り付けた青年。明かりの少なさも相まって、士緒の笑顔からは邪悪さや禍々しさすら感じられた。
「私を殺しに来たか。貴様の結界がどれ程の代物かは知らんがな……私が護衛の一人も連れずにこんな所に来ると思っているのか?」
嘲るように言う源造。自信を持って言えるだけの腕利きを配置しているのだから、当然の余裕とも言える。
結界の中にはいないようだが、じき異変に気付いて駆けつけるはずだ。
「その護衛というのは……彼らの事でしょうか」
士緒がスッと手を挙げて合図すると、大きな麻の袋が空中からドサッと落ちてきた。
袋の口が傾いて中身の一つがごとりと転がり出た。出てきたモノを見て源造は目を疑う。
護衛を行っていた男……その内の一人の頭部だった。
「演出というものは大事だと思いませんか? ほんの小さなものではありますが、貴方に絶望という名のプレゼントです」
かつては特一級の退魔師として活躍していた源造の全身を冷や汗が伝う。
情報通りの男なら、逃げる事は難しいだろう。時間稼ぎも意味があるかどうか。
できる事と言ったら、ほとんど皆無とも言える逃げる隙を窺うか、効果が極めて薄い時間稼ぎをしつつ交渉にもっていく事くらいだ。
「何が望みだ。可能な限り叶えよう」
この歳でも死ぬのは怖い。死を凌駕する苦痛を受けるのはもっと怖い。
もはや源造には己の保身以外に考える事は無くなっていた。
「そうですねぇ………でしたら、元“相談役”のご老人たちの居場所をお教え願えますでしょうか。あなた方はまるで透明人間か穴熊のように姿を見せませんからね。今回、貴方に接触できたのは僥倖でした」
「……教えれば、私の事は見逃してくれるのだろうな?」
「ふむ……いいでしょう。情報を頂ければ、私は貴方の前から消えてさしあげます。結界も解いておきますので、どうぞお帰りください」
難航すると思っていたが、源造はとりあえずは交渉成功と見て安堵する。
そして早速とばかりにペラペラと他の仁科家の人間の居場所を語りだした。仲間を売る事に関しては何とも思っていないのだろう。
10人分の名前と居場所だったが、士緒はメモをすることもなく、ふむふむと納得の表情を見せるだけだった。
「私が知っているのはこれだけだ。約束通り、見逃してもらいたい」
恐々と口にする源造に、士緒は笑顔を崩すことはなかった。
そして頷きを持って答える。
「ええ、構いませんよ。私は約束は守りますので。十の魚が手に入るのでしたら、小魚一匹泳がせたところで、なんの痛痒も感じません」
小魚……そう言われた源造も僅かに眉をひそめて歯噛みする。しかし、だからと言って何かができるわけでもない。
源造は努めて冷静を装った。
「では、早く去ってくれないか。貴様がいては安心して背中を向けられん」
源造の強がりとも言えない物言いに士緒は不敵な笑みを一瞬だけ強めて背中を向ける。自分ならお前に背中を向けるくらいわけないのだと言わんばかりに。
「情報が確かでなければ、貴方の死体からある程度の記憶などを抜き出す事になると思います。そして、私が貴方を見逃すのは今回限りです。死にたくなければ二度と、光の下を歩かない事です」
士緒がそう言うと、結界が消えたのか建物に明かりが見え始めた。
人通りは『人避け』でも行っているのか、変わらず皆無ではあるが。
士緒はフワッと浮き上がったかと思うと、ビル屋上の死角に入り見えなくなった。
ここに来て、源造はようやく重圧から開放された。それでも、呼吸は僅かに荒く、体が異様にダルく感じるのは、久し振りに対した『死』に、怯えが抜けていないからだ。
源造は重い体を引きずり、リムジンへと乗り込んだ。そして運転手に「出せ」と、発進するよう命令する。
………………
しかし返事も無ければ発進する様子も無い。
源造は運転席に目を向け、運転手がいない事に気付く。
逃げた……そう確信する。会話を聞かれていたとは思えないが、どのタイミングで逃げたかと考えると、護衛の首が転がった時だろう。ミラーで見える位置であり、怖くなって逃げるとしたらそこだ。
士緒に集中していたとはいえ、自分が気付かないうちに逃げたのだとしたら、運転手よりも忍者が向いているのではないだろうか。
もはや怒る気力も無い。源造は車内に付いている電話を使って別の車を呼ぶことにした。
そして電話に手をかけたその時だった。
「電車とか徒歩で帰ろうとか思わないんっすか? どんなに腐っても退魔師なんっすから、それぐらいはできた方がいいっすよ?」
「っ!?」
何時からいたのか、向かい合う席には今時の若者のファッションを体現したような、片側の肩を露出し、腰のくびれを服で覆えていない上衣と、ダメージの入ったデニムのショートパンツを着こなした女が座っていた。
源造は咄嗟に身構える。
「自分は“千影”っす。あんたとは個人的に因縁があるんっすけど………」
梢の放つ敵意や殺気は士緒に引けを取らないものだった。源造にとっては再びの恐怖の時間だ。
「“千影”……だと? 話が違うっ! 見逃すと言ったではないか! 約束を破る気か!?」
「喚かないでほしいっす。それに、そういうことは約束をしっかり守るやつが言うセリフっすよ。それにそれに、言っておくっすけど、若は約束通りあんたを見逃したっす。これは自分の個人的な用事なんで。どうしてもって言うなら、自分とも交渉してみればいいんじゃないっすか?」
源造のぱくぱくと開いた口はさながら金魚のようだ。
源造は無理矢理に口を閉じ、忌々しげに梢を睨む。
「な、何が望みだ………」
先ほど士緒にも言ったその言葉。梢はやれやれと肩をすくめる。
「本当に交渉する気っすか? まあ当然っすかね。でも……あんたには自分の願いは叶えられないっすよ」
源造は足元から伸びた黒すぎるという表現が似合う影に巻き付かれ、身動きを封じられた。動くのは口くらいだ。
「50年前、あんたがその手で皆殺しにした一家がいたっす。どうせ覚えていないと思うっすけど」
「な、何の話だ………」
源造の声は震えている。身体も少なからず震えているが、影に縛られて振動すら起きない。
「あんたはその家の父親に近付き、言葉巧みにこう言ったっす。当時の五行家の腐敗を正したい。協力してくれたらお前を五行家の当主にしてやる。病弱な娘もなんとかして助けてやる。だから五行家の不正を掲げて一緒に戦ってくれ………なんとも無茶な話っす。当時の五行家の不正は仁科家のでっち上げだったっす。ありもしない巨悪と戦わせられた挙げ句、用が済んだら殺される……あんまりな話っすよね」
「五行家………“千影”の梢………っ! 貴様っ、五行むぐっ――――!」
「気安く名前を口にしないでほしいっす。耳が腐る」
源造の口を影が覆い、言葉も封じられた。驚愕に見開いた目で梢を見る。
梢からはあり得ない程の巨大な怒気と嫌悪が放たれていた。
そして唐突に感極まった様子で目を閉じ、天を仰いだ。
「ああ、遂にこの時が来たんだね。お父さん、お母さん、お兄ちゃん……皆を殺して、あたしを“裏返り”まで追いやったこの男を、今………殺すよ」
メキメキメキメキッ
「むぐ~~~っ!!!」
源造をす巻き同然に包み込んだ影が、内側に向けて強烈な収縮を行った。
血管や内蔵が破裂し、骨も砕ける音が車内に満ちる。
「ああっ………いいよっ、すごくいい!! 最っっ高っっ!!?」
ゴキッ ブシュッ グチャ グチャ
どこかの骨が折れる音。どこかの臓器が破裂する音。どこかの肉が潰れる音。どこかの肉片が影の隙間から押し出されて落ちる音。
その一つ一つに梢は恍惚としながら己の体をかき抱き、身を震わせた。
源造はすでにただの肉塊となっており、大きさは本来の半分くらいまでに圧縮されていた。
「はあぁ~~~………若、素敵な時間をプレゼントしてくださってありがとうございます。やっぱりあたしの願いを叶えられるのは若だけです」
肉塊は処理せず、その場に置いていくことにした。これで、この事実を知った他の元“相談役”の面々はより表に出なくなる。こちらが居場所を聞き出したとも知らずに。
中にはそれを察して行方を眩ませる者もいるだろうが、一度穴熊の囲いから出れば、どうしても痕跡が残る。追跡も捜索もこれまでより簡単だ。
梢は士緒が動きやすいように、あえて脅しとなり得る方法で殺したのだ。もっと苦痛を伴う殺し方はいくらでもあったと言うのに。
ただただ、士緒のためを思って。
「あぁ、若……お慕いしています」
梢は士緒の術式を起動し姿を消した。
恍惚とし過ぎて緩みきった表情を、誰にも見られないように。




