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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
33/148

第33話 俗物

 三年前の事だった。

 中学に上がろうという時期の戌孝は両親にささいな事で反発を起こして家を飛び出した。

 季節は冬、時間は夜。月は満月で、道は明るい。

 走っていても転ぶことはなく、周りからはその戌孝がよく見える明るさ。

 どれだけ走ったのか、どこかにある神社の境内の壁で吹き荒ぶ寒風をしのいだ。

 初めて訪れる場所。雪はそれなりに積もり、薄着で飛び出した戌孝は寒さに震えていた。


 ザク ザク ザク


 雪を踏みしめる音が聞こえてくる。そして神社の脇から人が現れた。血塗れで、雪に血の道を描きながらフラフラと歩き、雪の上に倒れこんだ。

 戌孝は怖い思いを押さえつけ、倒れた男に駆け寄って声をかける。

 男は怨嗟の声で「クソ……IR(イル)……め」と吐き捨て、そのまま息絶えた。

 戌孝は人を呼ぼうと立ち上がり、周りを見る。誰もいない。走って呼びに行かなければ。

 駆け出そうとした戌孝の前に、そいつらは現れた。


 グルルルル


 唸り声を上げる狼が、そこにはいた。ライオン程に大きな狼が四方から取り囲むように姿を現す。

 戌孝は悲鳴を上げながら境内を走り、一本の大きな木を背に狼たちを見回した。

 狼たちは戌孝を弧を描くように取り囲んだ。

 戌孝を寒さとは別の震えが支配する。自分が死ぬだろうということが理解できる状況に、戌孝は涙が溢れだす。

 そしてついに、狼の一匹が戌孝に向けて走りだした。


「………っ!!」


 戌孝はおもいっきり目を瞑り、あの大きな牙か、爪が突き立てられる瞬間を待った。


「……………?」


 いっこうに何も起きない。牙も爪も突き立てられなかった。

 恐る恐る目を開けて見ると、そこには人の背中があった。丈の長い黒のコートを着た、とても大きな背中だ。

 実際には一般的な学生くらいの背中だったが、戌孝にはどうでもいい事であり、事実としてその背中が自分を助けた事だけ分かればよかった。


「所詮は下級の鬼、(けだもの)ですね。男を見つけるだけで良いのに、子供を襲おうとは」


 男の呟きを戌孝は聞いていられる状態でなく、ただ男の背中に希望を見いだす。

 背中を向けた男はまだ少年と言える程だった。少年は戌孝に襲い掛かった獣型の鬼の頭部をねじ切っており、無造作に放り捨てる。

 次に横一閃、少年は手を振るう。

 残りの三匹は蒸発したように消滅していた。戌孝には何が起きたのか全く分からなかったが、とにかく凄いという事だけは分かった。

 少年は振り返り、戌孝に向き直る。


「怪我は無いかい?」


 優しい声音だ。戌孝の緊張の糸が一気に切れていた。


「は、はい、大丈夫……です」


 なんとか答えるも、力が抜けて言葉がはっきりと発音できない。

 少年はニコッと笑いかけ、頭を撫でた。


「そうか。良かった」


「あ、あの! 父さんと同じ、退魔師さんですよね?」


 戌孝は無理矢理力を込めて声を絞り出す。

 少年は「まあ、そんなところかな」と答えた。


「ただの通りすがりだけどね。とりあえず家まで送ろう。歩けるかい?」


 少年は戌孝を連れて神社を後にした。戌孝は先程の男の死体を一瞥するも、後で別の退魔師が回収するのだろう程度に認識していた。


「君は中学生ぐらいかな? こんな時間に子供が一人で出歩いたらいけないよ? 気を付けてね」


「………はい」


 戌孝が知っている道まで出ると、後は戌孝の案内で家までの道を行く。

 戌孝が家を飛び出したのは、父親に退魔師になれと言われたからだ。

 一方的に、押し付けるように言う父親の言葉につい反発してしまい、意地を張る形で嫌だと言った。

 しかし、今はそうでもない。

 頭が冷えたからだけではなく、少年に助けられた事が少なからず影響していた。

 とは言え、そんなころころと変わる単純な自分の思考が恥ずかしくて、とてもじゃないが話せなかった。

 やがて家に着き、少年は家の前で待っていた母親に戌孝を引き渡した。父親はまだどこかを探し回っているらしい。

 少年は事情を軽く説明し、母親から感謝の言葉を受けながら踵を返して去ろうとした。


「兄ちゃん! 名前教えてよ! 俺、いつか兄ちゃんみたいな退魔師になるから!!」


 少年は驚いた様子で戌孝を見た。そして苦笑しながら言った。


「名前は……()、かな。ただ、私の事は目標にしない方がいい。後悔してしまうからね」


 そう言って橘と名乗る少年は、戌孝の名前を聞くことなく去っていった。

 戌孝は当時、退魔師協会の脅威として認識され始めたIRの……橘花院士緒の目撃者であったが、士緒が戌孝を鬼から救った事実は退魔師側には伝わらなかった。

 ただの通りすがりの退魔師が少年を救ったとだけ、“社”の報告書には記されている。



           ★



 公浩に戌孝の緊急入院の連絡が行ったのはある意味必然だった。

 戌孝が家で両親に公浩の事を嬉しそうに話していたのだ。

 公浩は凄い人なんだ。それなのに偉ぶる様子も無いんだ。彼のおかげで自分にも希望が見えた。まるで、かつて自分を助けてくれた退魔師のようだった。

 そう両親に聞かせていたらしい。第三校の生徒ということで、一応の連絡を学園にしてくれたのだ。

 両親からイジメについて聞かされた。両親は知っていながらも、相手が“六家”であるために誰かに訴える事ができずにいたのだ。

 父親が退魔師で、“六家”に逆らう事の怖さをよく知っていた。父親は戌孝に謝り続けた。ただひたすらに、堪えてくれと。

 戌孝は笑って言ったそうだ。いつかあいつらを見返せるほどに強くなってみせると。強くなって……“六家”にも文句を言わせないほどに強くなって、いつかの退魔師を越えられるほどに強くなったら、その時こそ、彼に謝らせるんだ、と。


 彼……仁科暮光に。


 病院のベッドで寝たままの戌孝を見て、士緒は憤った。

 仁科という家に。六家という腐った権力に。

 士緒は、さしあたってやるべき事を決めた。

 公浩は病院を後にし、第一校へと向かった。



           ★



「それでは、失礼します」


 公浩は第一校の学園長室を出た。

 廊下で待っていたのは居たたまれない様子の真田幸子だった。

 幸子は公浩に向かって言った。


「どうやったら……黒沼くんみたいに強くなれるの?」


 幸子の声からは悲痛がこれでもかと伝わってきた。

 公浩は黙って幸子を見つめる。


「どうやったら、誰かを守れるくらいに強くなれるのかなぁ?」


 泣きそうな声音。

 幸子と戌孝に面識は無かったはずだ。にも関わらず、幸子は悲しみ、後悔し、自分の弱さを嘆いている。

 公浩はそんな幸子の肩にポンと手を置いた。


「その気持ちは尊いものだよ。大事に持っておくんだ。どんなに辛くても」


 幸子はハッとした。

 そうだ……自分ですらこんな気持ちなのだ。公浩も少なからず同じ想いを持っているはずだ。それでも、公浩はちゃんと前を向いて一歩進んでいる。

 幸子は目もとを拭い、うじうじした気持ちだけを捨てた。

 幸子は努めて明るく声を出した。


「学園長室で何を話してたの?」


 まだ無理が見えるが、芯の通った強い声だと感じられた。


「今度の交流戦について、談合を少々」


「ふふ、黒沼くんって、結構悪い人だったんだね」


「よく言われるよ」


 二人は苦笑を浮かべ合い、公浩の次の目的地である生徒会室へと向かった。



           ★



「今後、こういう事の無いようにお願いします」


 メガネを直しながら一言注意する男。


「へいへい」


 相手をろくに見ずに気の無い返事をする暮光。

 生徒会長の大原 颯馬(そうま)と仁科暮光の会話はたったそれだけだった。

 暮光は生徒会のソファにドスンと腰を下ろし、いかにも疲れたと言わんばかりの態度でふんぞり返っている。

 颯馬は興味が失せたのか書類に目を落とし始めた。夏休み明けの予算申請についての書類だった。

 颯馬にとって、暮光と戌孝のいざこざは予算申請にも劣る問題だと言うことだ。

 その場にいる他二人の生徒会役員も特に何かを言う様子は無い。

 暮光が問題を起こすのはいつもの事。彼の生徒会入りだって半ば強引にねじ込まれたものだ。

 仁科家が暮光に箔を付けるために学園長である鏡の頭を飛び越えて行った人事。その時の学園長室の机が真っ二つになったのは想像に難くない。

 生徒会としても暮光は厄介者の扱いだったが、咎めるでもなければ関心の一つも示さない。それが現生徒会の実態だった。

 颯馬としては厄介な爆弾を手元に置いている気分だったが、それは地雷であって時限爆弾ではない。なら爆発するほど触れなければいいと、その程度の考えだ。

 自分は来年には卒業だ。その後についてはどうでもよかった。

 颯馬はこれでも就任から一年はまともな役員だった。しかし、暮光という爆弾を体よく押し付けられた身としては、腐らずにいられなかったのだ。

 そんなくだらない言い訳を正当なものだと本気で思っている、そんなくだらない男だった。


 コンコン


 生徒会室の扉がノックされる音。颯馬は一言「どうぞ」と言って入室を促した。

 入ってきたのは見覚えの無い男子生徒と、風紀委員次席の女だった。


「失礼します。仁科暮光という方はどなたでしょう」


「……なんだ君は」


 颯馬の誰何に答えず、部屋を軽く見渡す男子生徒。

 会長と役員の二人。そしてソファにふんぞり返る暮光に視線を合わせた。

 そしてにこやかに近付いてこう言った。


「君だね。いやぁひと目で分かったよ。人間のクズの匂いがプンプンするからさ」


「ああん?」


 暮光は木刀ではない、真剣に手をかけて立ち上がっていた。


(短気で俗物、才能に頼りきってきたであろうと分かる身のこなし。武器はサーベル。恐らくは術装。足へとかかる体重の比率は右7、左3。利き手、左。結論………問題外)


 公浩は大きくため息を吐いた。それには暮光を小バカにする意図が含まれている。暮光もそれを感じ取った。


「てめえ誰だ。俺が誰だか分かってんのか!!」


「キャンキャン喚かないでよ、耳障りだからさ。僕はただ、今度の交流戦における敵の情報収集に来ただけだよ。こちらの学園長にも許可をもらっているよ」


「交流戦だあ?」


 公浩を怪訝そうに見ているのは暮光だけではなかった。颯馬と他の役員二人も顔を見合わせる。


「そこでなんだけど。僕は是非とも君を指名したい。仁科暮光君」


「ああ?」


「鏡さんにも提案し、そして快諾してもらったんだけど、まず初戦。僕と君の剣術での勝負で飾ってみてはどうだろう? 聞くところによると、君は剣の腕は天才とのことだから、是非ともお手合わせを、ね」


 暮光はサーベルに手をかけたまま公浩を睨み付ける。

 公浩は笑顔を崩さず真っ向から視線を受け止めている。

 しばらくの沈黙の後、暮光はニヤリと口角を吊り上げ、サーベルから手を離した。


「いいぜ。ただし、ただの勝負じゃつまんねえ。負けた方はペナルティとして―――」


「退魔師の道を諦める、でどうだい?」


 暮光の言葉に被せるように公浩が言った。まるで条件を出されるのが分かっていたみたいに。

 いや、実際に分かっていたのだろう。暮光という俗物の考えることなど非常に読みやすいのだから。


「は、ははは………馬鹿が! お前の退魔師人生と俺の退魔師人生とじゃ釣り合わねえだろうが!」


「勝つ自信が無いと? ふーむ、困ったな。だったら―――」


 シャキンという音と共に剣が抜かれた。切っ先は公浩の鼻先ギリギリの距離だ。


「勝てねえなんて言ってねえだろ。だが、条件がフェアじゃねえのはいただけねえ。そうだな………だったらそこの女もだ」


 幸子に目を向けた暮光はそんなことを言い出した。


「そっちの女の人生も俺が貰う。お前は退魔師を辞めて、女は一生俺の玩具(ペット)として暮らすなら、条件を呑んでやる」


 暮光は屋上でのやり取りを根に持っていた。だからその条件を突きつけた。

 暮光にとって公浩との会話など意味の無いものだった。受けようが受けまいがどっちでもよい。気に入らないやつには思い知らせる、それだけの事だ。

 公浩は幸子に向き直る。その目は真っ直ぐに幸子を捉えていた。信じろ……そんな意思が感じられた。

 幸子は余裕綽々の笑みで答えた。


「いいわよ。仁科暮光、せいぜい後悔することね」


 暮光は邪悪に、そして恍惚の笑みを浮かべた。暮光が抱いた感想はただ一つ。

(くくく……馬鹿だ……馬鹿だこいつら)

 自分が負ける事など露ほども考えていない。そんな天才の驕りだった。

 幸子が巻き込まれたのは想定外だったが、どのみち条件を呑ませる手段は用意していた。

 全ては公浩の……士緒の思惑通りと言えよう。


「では、また後日。お手柔らかに、お願いします」


 公浩と幸子は生徒会室を出ていった。

 颯馬は頭を抱えたが、どうせいつも通りだと考え直した。

 いつも通り、暮光の横暴がまかり通るだけ。不幸な犠牲者が新たに二人、追加されただけの事だと、そう思っていた。                                                                  

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