第31話 変わらぬモノと変わるモノ
夜の体育館。神妙な面持ちの佐助花真朱は視線の中心にいた。三王山亜笠、斑鳩縁と真桜、そして真朱に立ち会いを頼まれた黒沼公浩たちから三者三様の思いを受けながら。
外部からの出入りを完全に封鎖し、これから行われる事の秘匿性は高いレベルで確保されている。
何故なら、体育館の中央に描かれている複雑な模様の術式は違法などといった生易しい代物ではなく、退魔師の世界を混乱に陥らせかねない劇物なのだ。本来なら、個人の事情で使用するなどもっての外である。
齎される結果は一言で言えば、『人間を強制的に“鬼”へと変える』だ。
姿形、人格その他の人間的な要素はそのままに、あらゆる事において人間を凌駕する存在へと置き換わる……ただそれだけ。
鬼という存在が必ずしも悪ではない。人食いを除き、鬼というだけで虐げられる例は存外に多くない時世だ。
人間と良好な関係を築いている者もいる中で、しかし佐助花真朱は今後の先行きに暗澹たる気持ちがあった。
生きるため、“三つの異能”にも耐えられる肉体強度を得るためとはいえ、人間でなくなる事は恐ろしい。時おり深呼吸をしたり、無意識に公浩の制服を摘まんだりして心を落ち着けている。
公浩はその度に肩をポンと叩く。真朱はそれを受けて自分の状態に気付き、顔を赤くして手を離すも、またしばらくして手が伸びる……そのやり取りが何度か繰り返された頃。
待ちわびた言うべきか、マサキによる術式の設置が完了した。
「後はお前の気持ちが固まり次第、いつでも行える。気休めだが、これほど見事に仕上がった術式は滅多にない。信用度で言うならボクが絶対の太鼓判を押してやろう。ふふん」
何故かドヤァと胸を張るマサキに、真朱は苦笑を漏らす。気休めどころか、しっかり勇気づく後押しである。
一方で公浩はと言うと、マサキをどこまで信じ、どこまで利用するかを決めかねていた。
正直、利用なんて考えるべきではないとも思える。道義的な話ではなく、ただ危険だからだ。
得体の知れない相手は遠ざけるか、もしくは懐深くまで飛び込むか。前者はリスクは少ないが得る物も少ない。後者はリスクは大きいが当たればメリットも大きい。
どちらかを選ぶなら、普段の橘花院士緒であれば遠ざける方を選ぶだろう。
だが今は、マサキを信じる気持ちが僅かながらにあった。
両親と共に写っていた写真。両親の笑顔を思い出すと、どうしても敵として切り捨てられないのだ。
(まだまだ、私は半端者という事ですか)
公浩はマサキを見る。マサキはそれに気付き、ドヤッと胸を反らして「ふふん、凄いだろう」と言ってきた。
目を逸らさずにしばらく見ていると、マサキは頬を赤く染め、いたたまれない様子で顔を逸らした。小声で「ちゅ、チューは……まだ早い」と言っていたが、誰の耳にも届いてはいない。
そんな沈黙を破るように、亜笠が一歩前に出て真朱に語りかける。
「佐助花。あたしはお前がどんな存在になろうと、お前を大切な生徒だと思っている。お前が生き残ってくれるのであれば、お後はアタシが何とかしてやる。“鬼”だ何だと、誰にも文句は言わせねーよ」
「亜笠の言う通りだ。少なくとも、貴様が学園生である間は守ってやるとも。そういう契約だしな」
契約………それは式鬼神としての契約のことだろう。
真朱を見ると、縁の言葉に疑問や違和感を覚えた様子は無い。縁が何者かについては、公浩が知らないだけで公然の秘密のようだ。
謎めいた風紀委員長の素性もおおよその見当は付いているが、それは今は置くとして………
「事情を聞いた上で、立場をハッキリさせようか。僕も佐助花さんの味方だよ」
公浩の瞳は真っ直ぐに真朱を捉え、いかにも女誑しが言いそうなセリフを言ってのける。
そして効果はあった。前髪で隠れ気味の瞳には、決意の色が浮かんだ。
「皆さん、ありがとうございます。どうか、その厚意に甘えさせてください」
しっかりした足取りで、真朱が術式の前に立つ。
この術式は発動した本人にのみ効果を及ぼすものだ。真朱は膝を突き、逆三角形に並んだ三つの円の一つに両手を置いた。
深呼吸を一つ。そして、術式に通力を通わせていく。
「…………」
術式は淡い光を放ち、ゆらゆらと光の糸が無数に伸びて真朱を繭のように包み込んだ。
亜笠は固唾を飲んで見守っている。縁も、真朱に視線を固定して不測の事態に備えていた。
やがて真朱を包んでいた繭にヒビが入り、パリンという澄んだ音と共に光の粒子となって空気に溶ける。
描かれていた術式も残っておらず、そこには両膝と手を突いて頭を垂れる少女だけが残されていた。
「………ん? 終わった……のか?」
「ほぉ、随分とあっさりしたものだったな」
亜笠と縁の二人は拍子抜けといった様子である。身構えてはみたものの、それぞれ想定していた悪い事態があっさり回避された事に、不安と安堵が入り交じった心境だ。
「佐助花、どうだ? 何か変わったのか?」
恐る恐る、亜笠が声を掛ける。
振り向いた真朱の顔には、とびきりの笑みが浮かんでいた。
「ちょっと不思議な感覚ですが、至って良好です。身体は軽いし、通力も増しているのが分かります。ただ、通力の性質と言いますか、回路と言いますか、その辺が変わっているみたいです」
「佐助花さん。僕を見て、どんな事を思う?」
それは人食いの嗜好や、根本的な思想に問題は無いかという問い。公浩に特別な思いを抱いている事もあり、比較するには丁度良かった。
「はぅ………好きぃ」
「あ、うん……そっか」
うっとりと公浩を見つめ、夢見心地のままに言葉を溢す。意図せず在りのままを口にしてしまったが、それに気付いた後でも取り乱す様子はない。
少しだが、心に余裕が生まれたということだろう。まぁ、小動物のような落ち着きの無さは変わらずだが、精神面は安定したと見て良さそうだ。
「あ、えーと……そ、それとですね! 三つの異能にも少し影響があるみたいです。李李との繋がりが強くなってまして。今なら自由に入れ替われると思います」
そう言って真朱は目を閉じると、次の瞬間にはスッと雰囲気が変わっていた。
「ちっ、本当に自由に替われるみたいだな。主導権が完全に真朱の物になってる。まあこれなら、真朱に頼めば出たい時に出られるって事だよな。真朱、もういいから、今は代わってくれ。こいつの前にいたくないからよ」
李李が目を閉じる。すると、すぐに真朱の雰囲気へと替わった。
コロコロと人格が変化する様子はなかなかに興味深い。自分ならどんな使い方をするだろうかと、公浩が思考を楽しみ始める。
「感情を読み取る能力はどうだい?」
「えーと……わぁ、今まではパッシブだったのがオンとオフの切り替えが出来るようになってます! これなら、もう他人の感情に一喜一憂しなくて済みそうです」
「なら良かった」
真朱の三つの異能の一つ、マサキの命名でいうところの『感受』。暴走についての心配は無さそうだが、能力の精度が上がった分、これまで以上に警戒が必要となるだろう。
次に、李李という存在を生み出すに至った能力。こちらは詳しく分析する事が叶わなかったが、見立てとしては『分離』と言うところだろうか。今のところ精神……人格の分離しか見ていないが、もし物質にも影響を及ぼせるとしたら恐い能力だ。これも、要対策である。
そして最後の異能。それについては、公浩もまだ聞いていなかった。
「それで、三つ目の異能についてなんだけど、聞いてもいいのかな?」
「マサキ先生から聞きませんでした? 『感受』、『分離』、『一点抜刀』」
「『一点抜刀』とは、また傾いたネーミングを……どういう能力なのかな」
「えーと、実際に見てもらった方が早いと思います」
言いながら真朱は虚空に手をかざした。すると、次の瞬間には真朱の手には一本の七首が収まっていた。
七首は退魔師の中ではオーソドックスな武器として使われている。持ち歩いていること自体はそれほど珍しい事ではない。
特筆する点は、何も無い空間に気付いたらあったということだ。
「“根源型”接続術式や『大部屋』の原理と似ていまして、これくらいの質量の物体を、結構たくさん収納しておけるんです。でも、この手の術式は多く出回ってますし、三つの異能としては全く魅力の無いものでしたね」
「…………」
七首を取り出す手際を見たところ、真朱の言うような簡単な顕術ではない。
持ち物を紙などの媒体に収納できる『大部屋』の術式。それを用いて取り出す場合より遥かに速く、出現位置もより正確に指定できるようだ。
戦闘の最中、何の予備動作も無く頭上に大岩が出現して落とされたりすれば、控え目に言って厄介この上ない。あるいは、心臓に七首が刺さった状態で出現する……などという事態もあり得るが、流石にそこまでの理不尽は世界の法則が許さないだろう。
それに、出現に速度を持たせられるだけでも従来の『大部屋』より遥かに使い勝手が良い。
ゲート・オブ・サスケハナ! とか、男の夢である。
「一応、戦闘になったら李李君に代わってもらうんだよ? これまでと違って、自由に入れ替われるんだから。能力を過信しすぎないこと………ん?」
ここに来て、真朱がもじもじと落ち着きを無くす。
何か言いたそうに公浩をチラチラ見たかと思うと、思い切って距離を詰めた。
「あ、あの! わ、私……今日は頑張ったと思うんです!」
「………? うん、そうだね」
ただ術式に手を置いただけと言えばそれまでだが、実際には尋常ではない覚悟と行動力が必要だったはず。
単なる体力とは別次元の、佐助花真朱の頑張りが確かにあった……とは思うが。
「だ、だから、ご褒美とか! あっても良いと思うんです!」
「「「…………」」」
一瞬だけポカンという空気が流れるが、すぐに公浩の苦笑という形で場が動き出す。
大人しく控え目な佐助花真朱という少女も、命を賭ける覚悟を経れば、こんな事も言えるようになる。その変わり様がどこか可笑しく、公浩も上機嫌のままに望みを叶えたくなった。
「僕に、何か出来る事はあるかな?」
「な、名前で!! …………呼んで、くらひゃい」
振り絞った勇気が底を突く前に言い切れはしたものの、最後の方はボソボソとか細い。命がけの決断をした直後ですら、それを言うのは恥ずかしかったのだろう。
赤くなった耳元が愛らしくなり、公浩は顔を寄せていた。
「真朱」
「(ビクッ)」
「……さん」
「…………ぷはっ!?」
真朱が鼻血を噴いてよろめき、ヘナヘナと崩れ落ちた。
亜笠は舌打ちしながら負のオーラを放っているが、決して僻んでる訳ではない。過ぎた青春を呪っているのではないのだ………
「斑鳩、風紀委員長だろ!? この場でやつらの風紀を正したらどうなんだ!? だいたいお前は前からこういうことに寛容過ぎるんじゃねえか!?」
「馬鹿馬鹿しい。男が女を名前で呼ぶ事に風紀もクソも無いだろう。過剰に反応し過ぎだ嫁き遅れめ」
「言いやがったなテメェーーー!!」
ああだこうだと言い合いになる二人を尻目に、マサキが真朱の鼻にティッシュを詰めていく。それが終わると公浩へと近付き、二人にしか聞こえない声で話し始めた。
「お前たちの真の目的に、今回の事は矛盾しているのではないか?」
「……何でもご存じですね。良いんですよ、今はこれで。封印が解けても解けなくても、保険はかけておくものですから」
「間引きに学園生の力が必要だとでも?」
「鬼を表に出させるために四宮家を壊滅させ、出てきた鬼を倒すために退魔師の戦力を少しでも底上げする……少々回りくどいですが、必要だと考えています」
「そうか。ボクはお前を信じているぞ。だからお前もボクの事を、もう少し信じてくれてもいいんだぞ」
「……考えておきますよ」
その日、佐助花真朱にとっては新たなる門出。
それが退魔師にとって吉と出るか凶と出るか、神のみぞ知る。




