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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
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第30話 虎を躾ける



「秋葉原ーーーー!!」


 両腕をバッと広げて全身で何かを表現しているのは生徒会の庶務、磯野である。そのテンションの高さに公浩は苦笑を禁じ得ない。

 そもそも、なぜ公浩がこんな所に来たかと言うと、鶫との仮交際の話を聞きつけた磯野が曇った(まなこ)でこう言ったからだ。


「女にBL本の一つもプレゼントできないで、何が彼氏か!!」


「…………(呆)」


 流石に真に受けなかったが、アイテムとして手元に置いておくならまったく無しではない。

 例えば鶫などであれば、それを見せただけで赤面してくれるだろう。部屋に無造作に置かれたそれを手に取った鶫を、後ろから驚かした後に揶揄って遊ぶ………ふむ、悪くない。


 そんなSな思考を現実のものとするため、BL本を入手すべく秋葉原へと赴いた。

 公浩がアキバの地理に疎いと言ったところ、磯野も用事があるとの事だったので同行することにしたのだ。

 ちなみに磯野と行動を共にすることが多い海北にも声をかけ、今は待ち合わせをしている。


「ようやく………ようやく俺にも台詞と出番が与えられたぞ! 一言も台詞が無く、欠片も描写されていない海北よりはましだと、何度自分に言い聞かせてきたことか………」


 磯野は拳を握り締め、ぷるぷる震えながら涙を流していた。


「黒沼! 今日だけリア充かそうでないかは忘れてやる。だからお前も、かの伝説のメイド喫茶『りゅうのあにゃ』の魅力の一端でも掴んで帰れ。ついでに言うと俺はプレミアム会員だ!」


「へー、そうなんだ」


 このテンションに晒され続けるのは、公浩が想像していたよりも精神的疲労が著しい。会話には付いていけるが、趣味を語るオタクは熱量が半端ではないと思い知らされた。

 すぐにでも海北と合流して、このテンションを緩和してほしいところだが………

 そんな事を思っていると、駅の改札で揉め事が起きているのが目に入る。海北との待ち合わせをしている辺りだ。


 男が四人、小柄で可愛いらしい容姿の相手に絡んでいるのが見えた。

 公浩と磯野は顔を見合せ、ため息を吐いてそこに近づいていく。


「ねぇキミちょー可愛いじゃん。オタク狩りの途中でキミみたいな子に会えるなんて、俺らラッキー」


「ちょうどさっき臨時収入が入ったんだよねー。おごるからさ、俺らと遊ぼうよ」


 男たちはゲスな笑いを浮かべながら、一人を取り囲む。

 絡まれた方は可憐な見た目に似つかわしくない嫌悪の表情。ゴキブリに向けるような殺気を纏っているが、よほど鈍いのか男どもは気付いていない。


「……僕、人と待ち合わせしてて、あなたたちに構ってる時間は無いんです。警察に通報される前に僕の前から消えてくれませんか?」


「あん? 何言っちゃってんのこの子。ちょっとお仕置きが必要じゃね?」


「てかボクっ子とか可愛くね? そういう方向で調教でもしちゃう?」


「いいねー。キミ、一人称が『僕』な便器決定ー」


 ギャハハハと頭の悪い笑い声を上げる男たち。

 周りには通報するかどうかを逡巡する通行人も出始め、冗談抜きに警察沙汰になる寸前だ。


 そこに、公浩と磯野が颯爽と現れた。


「なぁお前ら。だせー事してんなよ。四人もいると強くなった気分になるのかもしんねえけど、周りの迷惑も考えな」


「ああん? おいおい、ヒーローごっこは他所でやってくんねえかなぁ。ウザすぎて入院させちまうかもしんねぇだろ」


「ていうか入院させようぜ。俺こういう奴ら大っ嫌いなんだよねー」


「奇遇だね。僕たちも君らみたいなクズで頭の悪い粋がったチンピラは嫌いだよ」


「んだとごらあ!!」


 男の一人がバタフライナイフを取り出し器用に手で転がすと、威嚇するように公浩へと向けた。


「そのオモチャは君たちには早いかな。お母さんに渡したらどうだい?」


「って、めえ!!」


 男がナイフを振りかぶった。公浩はその一瞬、常人が視認できる身のこなしで距離を詰め、男の顎に拳をヒットさせる。

 男は脳を揺らされ、軽い脳震盪を起こして白目を剥きながら倒された。

 他のチンピラたちはポカンと間抜け顔だ。直後に慌てて戦闘体勢を解く姿などは可愛げすらあったと言って良い。


「よっ、黒沼! ナイス弱パンチ」


 白目で倒れ伏した男を見て、チンピラたちは数歩後退る。そして公浩と目が合うと、途端に媚びた笑顔を浮かべた。


「い、いやー、悪かったって。ほんの冗談だからよ。だから、な? ま、マジになるなよ」


 さすがに危機感を正しく認識できる程度の知能は持っていた。

 これ以上の騒ぎは公浩としても望ましくないので、逃げてくれるなら都合が良い。


「そこに転がっているガラクタを持って失せろ。次この街で見かけたら、今度は二度と顎が使えなくするぞ」


「ひ、ひぃ!」


 男たちは倒れた男を持ち、脱兎のごとく視界から消えて見せた。本気で威圧したわけでもないのに、随分ね逃げっぷりである。

 公浩はと言うと、慣れない脅し文句で少々気恥ずかしくなっていた。こんな漫画のお約束みたいな出来事がアキバではちょくちょく発生するとぬかした磯野の真顔は、冗談であると思いたい。


 と、そこに絡まれていた可憐な生き物が公浩へ向けて近寄って来た。


「ありがとね二人とも。助かったよ」


 身長は低く、どうしても上目使いになっている。ひょこっと覗き込む仕草は、何も知らない(・・・・・・)男どもを幻惑する兵器にも等しいあざとさ(天然)だ。


「いや、君なら一人で追い払えただろう? 余計な手出しじゃなかったかな、海北(・・)君」


 目の前の美少女にしか見えない人物は間違うことなき海北(かいほう) (つな)。正真正銘の男だ。


「僕ああいう人達すごく嫌いだから、自分でやってたらもっと手荒な事になってたよ。だからありがと」


 ニコッ、そしてキラッ。そんな笑顔だった。

 そんな海北に、磯野が眼を細めてむむむーっと唸っている。


「海北。お前……実は男装した美少女とかさ、そういう設定とか無いの?」


「……あったらどうすると?」


「あるの!? 付き合おう!!」


「無いよ!! そしてごめんなさい!!」


 海北の突っ込みはキレ、タイミング共に完璧だった。一朝一夕ては身につかない不憫さである。

 海北は普段からこんな突っ込みを強いられていると思うと、同情を禁じ得ない。


「なんでもいいやー。さっさと『りゅうのあにゃ』行こうぜ!」


「……磯野の相手は疲れるよ」


 三人は何故か張り切っている磯野を先頭に、メイド喫茶へと向かった。



           ★



「お帰りなさいませ、ご主人様ー」


 三人を出迎えるのは満面の愛想笑いを浮かべたミニスカメイドだ。

 磯野は慣れた様子でメイドに挨拶し、空いてる席へとついた。


「この『りゅうのあにゃ』はメイド喫茶チェーン店の最大手で、かつて鳥取にスタバは無くても『りゅうのあにゃ』はある、なんて言われた程なんだぞ。しかも、ここ秋葉原本店ではオーナーが現役でメイドをやってる。信じらんないほどカワイイから一見の価値ありだ。運が良ければ見られるかもしれないぜ。あ、『ネコネコオムライス』恋の魔法トッピングでお願いします」


「じゃあ、僕も同じものを」


「黒沼くん……意味わかって注文してる?」


 料理が到着するまで、三人はあれこれ話を展開する。学業や生徒会での仕事に関する愚痴や、彼女欲しいと嘆く磯野の猥談など、学生らしく下らない雑談が続いた。

 そして最後に上った話題は、先日の“百鬼大蛇(ナキリオロチ)”に対して退魔師協会が敢行した襲撃の件だ。

 二人があれこれと質問し、公浩がそれに答える。

 襲撃に参加していない二人も報告書は読んだのか、公浩が知らない部分についても説明と見解を述べた。


「でもよー、あれだよなー。まさか松平のやつが敵の幹部を式鬼神(しきがみ)にしちまうとはな。しかも体力系肉体美お姉さんとは、羨ましい! きっとお姉様にリードされて、あーんなことやこーんなことまで………イケてるお姉様をイカしてるってか?」


 磯野の姿が先ほどのチンピラたちと重なる。いきなりゲヘヘとか笑いだしたなら、公浩と海北は迷わず息の根を止めにかかる自信があった。幸い、その悲しい状況は訪れなかったが。


「やめなよ磯野、下衆の勘繰りはさ。松平くんは僕たちがいた時からそういうところ真面目だったし」


「そういえば……二人は二年生になって風紀委員会から生徒会に引き抜かれたんだってね。斑鳩さんが「高く貸し付けてやった」って、すごい悪そうな顔をしてたよ。ていうかあの人、一年生で委員長だったんだね」


 去年の三年生が卒業した時、生徒会は目に見えて弱体化した。

 現メンバーが戦力的に引けを取るものではないが、いかんせん人手というのは欲しいもの。九良名学園の生徒会では特にそれが顕著に表れている。

 そこで補充要員として風紀委員会からあてがわれたのが、磯野と海北だった。


「松平くんは一年の時からそれなりにモテたみたいなんだけど、誰とも付き合ってないんだよ。不思議だよね」


「あいつ一時期は浪川のやつにアタックしてたけど、こっぴどく振られてから特に女を寄せ付けなくなったからなー。まぁこれで松平の奴もふっ切れんだろ」


 第三校での生活や人間関係の日が浅い公浩からすれば、意外な組み合わせとも思える二人だ。


 思い返すと、二郎と凛子が直接会っているところを見たことが無い。二郎が風紀委員として生徒会に赴く用事がある時は、なんだかんだと理由を付けて人に任せていたりもした。凛子に会うのが気まずいから、と考えるのが妥当だろう。

 だが、それは公浩にとって役に立つ情報ではなく、また興味もあまり無い。むしろゴタゴタに巻き込まれる気配を察知し、その話題には今後触れないように注意することにした。


 と、そこで注文していた品が届く。

 両手にオムライスを持ったメイドさんが、快活なスマイルを湛えて傍に立った。


 そして、公浩はそのメイドの姿を見て(二度見して)、幽霊を見た以上の衝撃を受ける。公浩は己の目を疑った。


「『ネコネコオムライス』お待たせしましたにゃ! これから恋の魔法をトッピングしま、す………にゃ………」


 公浩と目が合う。

 猫耳と尻尾と、語尾に『にゃ』が付いたメイドさん。

 そのメイドさんを見て磯野が興奮したように歓声を上げた。


「おおおーー!! まさかオーナーのテトラちゃんが出てきてくれるとは! 今日は当りだぜひゃっふーー!」


「磯野、恥ずかしいから静かにしてくんないかな」


 曰く、目の前にいるのは全国にチェーン展開しているメイド喫茶『りゅうのあにゃ』のオーナー、『テトラちゃん』。若くて可愛くて尊いとの評判。

 そんなテトラちゃんが公浩を見てわなわなと震えだした。目をキョロキョロと泳がせながら「ど、どうぞにゃ……」とオムライスを二つ置く。


「そ、それじゃあー! これからこのオムライスにケチャップと魔法をかけますにゃ! そーれっ、好き好きゲッチュ、ラブゲッチュー! にゃ」


 メイドさんが奇妙な躍りを交えてケチャップで文字を書き始める。そして、『恋シクナ~レ!』と書き終えたままのポーズをとるメイドさんと並んで写真を撮った。

 片足立ちで微動だにしないプロのサービスは、なかなかに気合いが入っている。


「そ、それではぁ、ゆっくりしていくといいにゃ」


 踵を返して去ろうとするメイドさん。

 公浩は、その尻尾をガシッと掴んだ。


「ふにゃ!?」


 ビクッとして動きを止めるメイドさんの耳もとに顔を寄せ、囁くように言った。


「今日は巫女服じゃないんだー、虎子ちゃん(・・・・・)……ああ、ごめん。今はテトラちゃんだっけ」


「こ、ここ、この間までは、巫女服強化月間だったにゃよ……」


「ふーーーん………で、これは何の真似かな?」


「と、トラは、メイド喫茶で世界を獲るのが夢で、“百鬼大蛇”は腰掛けみたいなもので……決してやましいことはしてないにゃ!!」


「ほぉーーー。へぇーーー」


 邪悪な笑みが深まる公浩。虎子はどうやら、Sの琴線に触れるイジメられ体質らしい。

 虎子がガタガタ震えるまでに追い詰められていると磯野が、


「このヤロウ黒沼! メイドさんへのおさわりはゲームの時だけなんだぞ!」


 と声を上げる。

 一理あると思い、公浩は虎子から顔を離す。安堵の息を吐く虎子を置いて、大人しく席についた。


「ごめんごめん。知り合いだったものだからつい、ね。今度は松平君も誘おうかな。きっと楽しめるよー?」


 暗に虎子へと投げた脅しだった。

 憐れなネコメイドはまたしても震えが走り、逃げるように店の奥へと引っ込んだ。


「黒沼くん、このお店のオーナーさんと知り合いだったんだ。どういう関係なの?」


「そうだぞ黒沼! なんでお前がテトラちゃんと知り合いなんだよ! いくらだ………いくら払えば紹介してくれる!!」


「えー、どうしよっかなー?」


 公浩は終始、のらりくらりと虎子の素性についてはぐらかした。100万でどうだ!? なんて言い始めた磯野を煙にまくのは、かなり骨が折れた。



           ★



 メイド喫茶『りゅうのあにゃ』があるビルの裏手にて。

 用事ができたと言い磯野と海北と別れた後、公浩はそこで虎子を待つ。

 そして待つこと暫く、私服に着替えた待ち人が現れた。


「ふっふっふ、にゃ。待っていたにゃよ、黒沼公浩」


「いや待っていたのはこっちですよ。そんなさもラスボスっぽく言われても……こほん。ところで、お店はもういいんですか? “龍首”さん」


「後は店長に任せて早上がりしたのにゃ。ちなみに扇のことにゃよ?」


 先日、公浩と立ち回りを演じた扇……メイド喫茶の店長だったとは。

 まさかとは思うがあの組織、メイド喫茶の従業員で構成されていたわけではなかろうな……そう考えると、公浩にもどこか力の抜けた失笑が浮かぶ。どうしてか襲撃したことに少しだけ罪悪感が湧くぐらいには。


「仕事を切り上げてわざわざ出てきてやったのにゃよ? 感謝するがいいにゃ」


「ふむ、随分と態度が大きいですね。この携帯の発信ボタンを押すだけで“社”へ通報できるんですが?」


「ごめんなさいにゃ。それだけは勘弁してくださいにゃ」


 虎子は感情を失ったかのように静かに、そして深く頭を下げる。

 大の大人が少年に屈している様は、社会の悲しさを縮図にしたような光景だった。


「まあ、冗談はさておき……先日は散々でしたね。僕が言うのもなんですが」


「まったくにゃ! “百鬼大蛇”には未練は無いけどにゃ、おかげで従業員が何人か犠牲になったにゃ。どうしてくれるのにゃ!」


 やっぱり従業員だったか……公浩の胸が少し痛んだ。


「立ち話もなんですし、どこか落ち着ける場所に行きませんか?」


「にゃふ!? そ、それはもしや……オトナのお誘い?」


「はは、それはまた違う機会に」


「……あっさり受け流されるとは、ガキとは思えない余裕にゃ。ならトラの家に来るにゃ。うまい茶を振る舞ってやるにゃよ」


「恋の魔法トッピングでお願いします」


「ほお、にゃ。紅茶にジャムならぬケチャップをぶち込んで欲しいのかにゃ?」


 二人はしばらく歩いた所にある虎子の自宅へと向かう。

 道中、「ケチャップを入れたら怒りますよ?」と笑顔で言う公浩に生身の尻尾を握られていた虎子は、生きた心地がしなかった。



           ★



 虎子の自宅は高層マンションの真ん中に位置する部屋。内装は思った通りと言うべきか思いの外と言うべきか、猫の置物やマンガのポスターなどのグッズ類が多い。

 公浩はリビングでテーブルを挟み、虎子と向かい合っている。出された紅茶は本格的なお茶会仕様だった。


「そう言えば、家に人間を上げたのは初めてにゃね。たまに鉄火が遊びに来ては茶請けを貪っていくから量は豊富にゃよ。好きに摘まむにゃ………それで、そっちに付いた鉄火の様子はどうにゃ?」


「案外、馴染むのが早かったですね。虎視眈々と自分の貞操を狙ってるって松平君が愚痴ってましたよ。今は風紀委員会の女子寮に間借りしています」


「あいつは色々と肉食系だからにゃー。あいつの事で金が嵩むようならトラが負担するにゃ。これでもあいつが生まれた時から親代わりだったにゃ」


 虎子は懐かしそうにうんうんと頷いている。公浩はニコニコとしていたが……その言葉が出た瞬間、場の空気が変わった。


「それは……彼女が“裏返った(・・・・)”時、ということですか?」


「………ほぉ、にゃ。若輩のくせに“裏返り”を知ってるなんてにゃ。協会に余程のコネがあるか、旧い鬼から聞くでもしたのかにゃ」


「ええ。山本五郎左衛門様から聞きました」


 山本五郎左衛門。

 その名前が出た途端、虎子の空気が数段鋭くなった。ふざけた語尾など気にならない迫力で公浩を睨む。

 山本五郎左衛門とはただの学生退魔師が口にできる名前ではない。迂闊に名前を騙るだけでも凄まじい災いとなりかねないのだ。


 それを何でも無い事のようにシレッと言ってのけるこの男、黒沼公浩が善良で高潔な思想を持っているという希望的観測を虎子はキッパリ捨てた。


「……ただの退魔師じゃないにゃ。何者にゃ?」


「黒沼公浩ですよ。あなたは、それだけ知っていればいいんです」


 油断ならない濃い笑みが公浩に浮かぶ。

 優位を確信した挑発的な態度。相手が格下ならあっという間に萎縮しているところである。

 だが、そこは虎子も大勢力の頭を張っていた器だ。逆に頭が冷えたのか、眉を寄せて「ふぅーん」と不機嫌気味に呟いた。


「ま、なんでもいいにゃ。それより、何か用事があったんじゃないのかにゃ?」


「そう、それなんですけどね。単刀直入に言いますと………僕と、手を組むつもりはありませんか?」


 公浩を訝しむ虎子の視線が無遠慮に突き刺さる。

 数秒間ジトッと見ていたが、おもむろに視線を外すと横顔を向け、遠い目で気の無さそうな返事を返した。


「別にいいにゃよー」


 それは了承の言葉ではあるが、そこに本気さは感じられない。案の定、「けれどもにゃー」と気だるげに付け足して公浩を流し見る。


「トラのメリットは? 旨味も無しにどうして、お前なんかと組まなきゃならんのにゃ」


 お返しとばかりの挑発的な物言い。しかも、おどけた雰囲気のそれまでとは全く違う、妖艶な微笑みを湛えながら。

 公浩もそこで、学生離れしたとんでもない切り札を切って見せた。


「『りゅうのあにゃ』、新たな支店10店舗分の長期投資……でいかがでしょう」


「乗ったにゃ!!」


 即答である。

 虎子を動かしたのは大量のゼロが並ぶ小切手という名の(ふだ)。学生には不釣り合いの額をピラピラとひけらかし、それに鼻息荒く飛び付いた。

 虎子は経営が関係すると手段を選ばず、人が引くほどの情熱を発揮するのだ。


「今日は予期せぬ再会でしたので、独断で動かせる資金は10店舗分です。明日にでも、こちらから経営の話ができる者を送りますので、その時に契約の内容を詰めてください。今後ともよろしく」


「ははぁーーー! にゃ」


 ひれ伏す虎子に「うむ、苦しゅうない」と上から声をかける公浩。

 ここに、二人の奇妙な協力関係は締結した。


「それでそれで、トラは何をすればいいにゃ? 何なりと言うのにゃ」


 早くも手下根性が芽生え始めた虎子が、猫にあるまじき擦り寄り方を晒す。

 この世の春かと思うほどの笑顔で、引ったくった小切手を大事そうに抱える姿はアニマル動画を彷彿とさせた。


「それは明日、連絡員と契約を済ませてから頼むとします」


「もう一生付いて行くにゃん」


 猫撫で声とは正にこの事。白々しく調子の良い言動ではあるが、お互いにビジネスの関係ではある程度の信用をしている。

 それからの二人は、静かに紅茶を飲んだりクッキーを食べたりして、わざとらしい笑い声を部屋に響かせた。


 そして笑うのに飽きた頃、虎子が他愛のない質問を投げる。


「もし、トラが断ってたら………どうしてたにゃ?」


 公浩はあくまで笑み崩さず、優雅な態度。

 それは後に続く恐ろしい言葉を否応なく際立たせた。


「殺していましたよ。()たちの計画に、貴女は限りなく邪魔になりますので」


 明るいのに底冷えのする声。

 表情には出さないが、虎子も本能的にそれが本気だったと感じて肌を粟立たせる。予想はしていたが、返答を間違えていたらと思うと背筋を冷たくさせられていた。


「まあ、そうだろうにゃ。お前なら、暴力を背景に問答無用で脅してもよかったろうににゃ。ギブアンドテイクの形にしてくれた事には感謝するにゃよ」


「……暴力とは人聞きが悪いですね。どうして僕にそんな事が出来ると?」


 戦ってもどちらが強いかは分からない。

 少なくとも公浩は、先日の一戦ではそう見えるように立ち回った。

 それを思えば、虎子の評価は過剰とも言えるのだが……


「侮ってもらっちゃ困るにゃ。これでも年の功は人一倍にゃからね。何か変な術式で正体を隠してるのはお見通しにゃよ。まあ、他の奴にはそうそう気付かれない筈にゃけど」


 それはある意味で最も危惧していた点だ。虎子に気付かれたのなら、早急に対策を講じる必要がある。

 士緒としては正直、まさかの人物に見破られたと言わざる得ない。だからこそ誰よりも早く虎子に接触、調略できたのは幸運だった。

 もし学園や協会関係に捕まっていたら、そこから公浩の正体に辿り着く可能性もあったのだから。


「その先日の事ですけど、もし恨み言がおありなら――――」


「ああ、いいってことにゃ。“百鬼大蛇”なんて、ちょっとした目的の為にちょちょいっと作っただけにゃよ。別に思い入れがあったわけでもないのにゃ」


 あれほど退魔師協会から恐れられていた“百鬼大蛇”を、そんな軽く扱えるとは。

 ちょっとした目的……というのが気になるところだが、本日のところは公浩も追及する気はない。それよりも、もっと別の角度から虎子を知りたくなっていた。

 目の前の咒水虎子という人物への興味が、ここまでの会話で大いに高まってきている。そのだめ押しともなる言葉を、公浩は逃さなかった。


「これでも“物怪(もののけ)”とか呼ばれていた時期から生き残ってるのにゃ。あんなチョロい組織潰された程度じゃ痛くも痒くもないにゃ」


「モノノケ……とは、何の事ですか?」


 その単語は五郎左からも聞いた事がない。

 単なる呼び方の違いかもしれないが、思わぬ知識の収集は楽しいものだ。それが虎子から齎されるとは思わなかったが。


「それについては知らないかにゃ。まあ、知識の源が山本五郎左衛門なら、必要な情報を選り分けるだろうにゃね。なんの事はないにゃ、昔はそう呼ばれてたってだけの話にゃよ。ある時期から物怪が人を襲う頻度が上がって、畏怖から鬼と名前を変え始めただけで」


 ある時期……それは“裏返り”という現象の折り目だろう。

 そこは五郎左から伝え聞いている。人間の“裏返り”が、ある理由から増えたのだ。


「(それこそが、“真ノ悪”が悪を成す理由………さて、“龍首”はその事実に行き着いているのか)」


 それは世界の裏事情。虎子が知っているなら、わざわざ話す意味は無い。知らないなら、やはり話す意味は無い。

 誰が何を知ろうとも、“真ノ悪”が行うことに変わりは無いのだから。


「今では物怪と呼ばれてたやつらはほとんど残ってないのにゃ。トラが知ってるやつで言うなら、“鬼王・刃桜(はざくら)”とか、“白面金毛(はくめんきんもう)”、あとは“鷹眼(たかめ)の雀”とか、かにゃ」


「それはまた……随分とビッグネームですね。“白面金毛”は、色々あって相容れないですけど。他の二人には繋がりを作っておきたいですね……良ければ紹介してくれません?」


「“刃桜”は知り合いにゃけど、“鷹眼の雀”は知ってるってだけで会ったことは無いのにゃ。でも、確か今は“悪魔”の組織で用心棒をしているそうにゃ」


「その組織はご存じですか?」


「もちにゃ。今は“吸血貴族(ノーブル・ド・ドラキュリオ)”にいるそうにゃよ」


「………ふむ」


 ここで“吸血貴族”の名前が出るとは、結構な偶然である。

 それに、それらは“真ノ悪”の情報網には引っ掛からなかった話だ。

 虎子の情報網は案外役に立つのかもしれない。やはり、なかなか良い拾い物となった。


「では、“鬼王・刃桜”殿には、そのうちに」


「わかったにゃ。渡りはつけておくにゃ」


 その日は予期せぬ仕事をする日となったが、最近の中では最も充実した日と言えた。

 


『改稿しましta』

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