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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
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第26話 決断


 九良名学園第三校、風紀委員会所有の第一会議室にて。

 隣街に現れた危険極まる“鬼”…… “急所斬り(クリティカルブレード)”の対処を検討する会議が開かれていた。

 委員長の斑鳩(いかるが)(えにし)を始め、風紀委員次席の松平二郎、三席に当たる黒沼公浩。長テーブルを挟んで向かい側には二郎の弟……松平三郎、佐助花真朱。戦闘面、頭脳面の主力として集められた五人だ。


「先日、黒沼三席が南斗(みなみと)市で“急所斬り”と思われる“鬼”と遭遇。そいつが所持していたのは今は亡き殿町宗玄の三傑作の一つ、『心臓刺穿道進(しんぞううがつみちをすすみて)』と推測される」


 縁の言葉に異を唱える者は出ない。

 公浩が駆けつけて治癒を施した女性……その死因と見られる腹部の傷は、しかし急所とは言えない位置を貫いていた。確かに出血が多かったが、公浩が使った中位の治癒の顕術であれば救えるはずの傷だった。

 それでも、実際に女性は死んだ。公浩の言によると、「傷が塞がらない」「出血の量が異常に多い」といった事象が起きたとのこと。


 それは悪名高い『心臓刺穿道進』の能力、“呪い”によるものだ。


 “呪い”という特殊な顕術の発動には多くの場合、条件が付きまとう。だが一度発動してしまえば効果は大きく、解呪も困難。持続時間は極めて長いなど、受ける側としては厄介この上ない。

 特別に強力な“呪い”の中には子へ孫へと受け継がれるものもあるため、退魔師が最も忌み嫌う能力の一つだ。


「“呪い”の解呪は難度の高い技能だ。可能なのは私と佐助花、松平弟。あと生徒会の梓と工藤などだが………松平弟、『心臓刺穿道進』について解説をしろ」


「了解であります!」


 元気に立ち上がった三郎のキラキラした瞳は真っ直ぐに縁を捉えている。顔つきは二郎に似ているが、根本的に雰囲気が違っていた。

 公浩は二郎から弟について少しだけ話を聞いた事がある。曰く、縁に好意を抱いているらしい。

 縁も気付いているようだが、特に触れることはせず、相手にしていないとのことだ。

 先日の密会にて、縁による電撃的なクチビル強奪を受けた士緒としては、憐れめば良いのか楽しく眺めていれば良いのか微妙な存在である。


「生前の殿町氏の説明によると、件の一振りはレイピアの形状をしているそうです。能力は主に二つ……一つは、刀身によって与えた傷が上位の治癒でも塞がらず、出血を増やすこと。これに関しては解呪を行えますが、恐ろしいのはこの“呪い”が負傷者に解呪を掛けるだけでは解けない事です」


「………? 強力すぎて特殊な解呪が必要ということかな」


 二郎が、要約された解説に対する当然の質問をする。

 事はもっと深刻だと、表情を暗くした三郎が首を横に振って返した。


「この“呪い”は相手に傷を付けた瞬間に発動する。そして同時に、自らにも同様の“呪い”を刻んで共有する仕組みだ」


「共有………つまり怪我をした本人と怪我をさせた本人、両方の“呪い”を解呪しなければいけないと言うことか」


「その通りだ兄貴……それに、この“呪い”はかなり曲者だ。ひとたび傷を負えば、両方を解呪するか一方が死なないと消えないらしい。所有者にも“呪い”が掛かるけど、怪我をさせた相手と同じ箇所にしか効果が表れない。寸分違わない箇所を傷つけられない限り使用者には無害ときてる。それに使用者側からすれば、相手が死ねば“呪い”は自動的に消えるから、リスクも小さく見えるんだろうね」


「弱点は小さい上に残らないわけか………」


 二郎は僅かに肩を落とした。

 形状がレイピアという事は、攻撃の主体は突きになる。“呪い”は点の形で表れるわけだ。

 同じ箇所を狙われるのは当然のこと想定しているはず。加えて傷口が小さいのでは、狙うに易い弱点とも言えない。

 一生消えない掠り傷を負って、遠からず死に至る……対人戦闘ではある意味、最凶の兵器だろう。


「三郎くん。もう一つの能力を聞かせてくれないかな」


 公浩の言葉に、三郎はやはり気落ちした声音で答える。


「もう一つの能力ですが、相手が傷を負った瞬間、痛みと精神的な衰弱が一定を上回った時点で………即死します」


 その瞬間、会議室に降りた沈黙は事態の重さと、敵への認識が大きく変わった事を意味していた。

 損傷によっては解呪をする間も、使用者を殺す間も無く死ぬ。もしも、その能力が機能してしまったら、助かるための希望すら無いという事だ。


「一定というのがどの程度を示すのか正確には分かりませんが、過去の事例では臓器損傷に至った場合などが多いそうです。そのレベルの痛みや苦痛で、人によっては命に別状が無い傷だとしても………」


「……よく分かった。それらを踏まえて、松平兄と黒沼三席はしばらく巡回の任を増やす。私も、いざとなったら出てやる」


「委員長直々に!? 俺ら必要無くなるんじゃ……」


「私は本来なら学園の守護を言いつかっているのだが、看過できない火の粉が飛ぶと言うのなら火元を消さねばなるまい。もっとも、松平兄に黒沼三席……貴様らだけでもなんとか出来るとは思うが」


 それぐらい出来るだろ? 簡単だろ?

 とでも言いたげな底意地の悪い微笑みが公浩と二郎を撫でる。

 この妖しい魅力に喰われて破滅するまで尽くす男と、一目散に逃げる男がいるとしたなら……公浩と二郎は明らかに後者だ。


「無茶を言わないでください。仮に倒すのは可能だとしても、見つかるまで僕と黒沼君の二人だけで対処しろと? 僕らを馬車馬かなにかと勘違いしているんですか?」


「右に同じです。たまには御者にも走って頂きたいものですね」


 反抗を口にされても、縁はひたすら上機嫌にクツクツと笑っている。それまでの言葉は本気で言っていたのか、それとも本気で(・・・)からかっていただけなのか、判断ができなかった。


 そも、斑鳩縁という人物は橘花院士緒の目から見ても只者ではない。

 十中八九、仁科黎明が外部から学園に配置した実力者。その事実は同時に、学園が封印に関する土地であると確信を持たせるものでもあった。


(斑鳩縁……はてさて、どれ程の人物か)


 縁に負けず劣らずの愉悦に満ちた表情が公浩に浮かびそうになるが、無理矢理にポーカーフェイスの下に隠した。

 これぐらいの壁が無ければ仕事に確かな手応えを得られない。成果の信憑性を疑ってしまうところだ。

 “真ノ悪”としての役割を持ってここに居る士緒にとって、仕事の成果に僅かな綻びも許されないのだから。


「ともあれ、例の敵が“急所斬り(クリティカルブレード)”であるかも、この街に現れるかもまだ分からん。しかし用心に越したことはない。私も含め人員は増やすが、お前たち二人が最も仕事を振られるのは覚悟しておけ。今年の一年どもは不作気味だからな……二年の貴様らが気張るか、でなければ後進の育成にも力を入れてもらわねば」


 そう言われて三郎が居心地悪そうに俯いたことから、それが事実なのだと分かる。縁に悪びれる様子は無い。

 三郎も小声で「すいません」と口にした。


「佐助花よ。情報の収集と分析は貴様が指揮を執れ。私は遊撃として動き、それ以外の人員配置は一任する」


「分かりました」


 かなり落ち着いた声音で返事をする真朱。

 その様子に、何やら違和感らしきものを公浩が感じ取る。そしてすぐに納得の結論に至った。

 今、目の前にいるのは佐助花真朱ではなく、真朱の“三つの異能(トライアド)”によって生まれた別人格……李李(りい)なのだと。


 松平兄弟がそれに対して不審に思っている様子は無い。

 勘の良さそうな二郎であれば気付いているかも知れないが、少なくとも佐助花真朱にアンタッチャブルな部分が存在する事は理解しているのだろう。常時なにかに怯えているような態度の真朱……その常に無い鋭利な集中力を前にして二郎は別段、反応を示さなかった。


 そして、公浩が真朱を見詰める真意を読み取ったのか、縁が送って寄越した視線とぶつかる。

 ニタリと笑うその顔は、何かよからぬ事を考え付いたとでも言わんばかりだった。


「そうか、黒沼三席は佐助花の事情を知っているのだったな。本人から聞いているぞ」


 縁の言葉にクエスチョンマークを浮かべるのは三郎だ。二郎はというと、「どうやら、やらかしたみたいだね」という顔でサムズアップしていた。


「細かい打ち合わせは後日にするか。松平兄、人員のシフト調整と対策に関するマニュアルの草案でも作っておけ。今日のところは解散する……ああ、黒沼三席と佐助花は残れ」


 二郎は戦闘をこなし、優秀な事務処理能力も兼ね備える人材だ。だからこそ、普段なら真朱が受け持つ領分の仕事が急に自分へと振られた事に疑問と好奇心を抱く。

 つまりここからの話は、自分の領分ではないということ。二郎は粘ろうとする弟を押すようにして、解散の指示に従った。


 残ったのは三人。真朱を二人分と捉えれば四人だが、とりあえず公浩は愛想良く李李に手を振って見せる。


「やあ、この間はどうも」


 李李による露骨な警戒の眼差しが公浩を射抜く。

 先日、喫茶店での一件は少しばかり刺激が強かったらしい。野生の猫とお近づきになりたいけど、近付こうとしたら逃げられる……そんな距離感が発生していた。


「ク……ハハハ! 報告は佐助花から受けている。なかなか面白い事をやってのけたそうだな、黒沼三席」


「笑い事じゃねえぞ……何で俺があんな恐ろしい目に遇わなきゃならねーんだ!!」


控えめな態度に隠れがちだが、真朱の容姿は美に寄った可愛らしいものだ。それが歯を剥いて怒気を発する様は、ちぐはぐながら見応えのある愛嬌がある。

素人ならともかく、鬼を相手に日夜戦いを繰り広げる退魔師には些か迫力不足だった。


「まぁ、ホモがどうとかの話はさておき……貴様が出てきた(・・・・)理由を聞こうではないか」


 縁が言うと、李李が公浩へと向ける気配に殺気が込もる。それまでの小型犬が震えながら吠えるようなものではなく、冗談では済まない敵意が漏れ出ていた。


「俺が出てくる理由なんて決まってる……真朱のやつが、お前と四宮鶫が付き合い始めたと知ったんだよ。今は現実逃避中だ」


「ショックで閉じ籠ったと? 僕が交際の申し出を断った時は、彼女がそれほど堪えたようには見えなかったけど」


「あいつはっ、お前が誰かと付き合う気が無いと分かっていたから穏やかでいられたんだ! まだチャンスがあるかもって、そんな甘えた考えがあったからっ――――」


 次の瞬間、李李は『光剣』を右手に顕し、長テーブルを飛び越えて公浩に斬りかかった。


 殺される


 そう感じさせる程、真に迫った鋭い動き。

 常人なら目で追う事も出来ず斬られ、並の退魔師なら腰を抜かしても不思議ではない凄烈な気配。

 それを前にしても、公浩は一歩も動かず『不動障壁』を纏わせた腕をかざして上段からの斬撃を防ぐ。生徒会と風紀委員だけが着る耐久力の高い制服は切り裂かれ、腕からは血が飛び散った。


「なんで避けない………」


「斬り掛かっておいてよく言うね。足がすくんだとか、そちらの動きが速すぎたのかもしれないよ?」


「……やっぱりお前を近付けさせるべきじゃなかった。お前は真朱に取り返しの付かない傷を負わせる」


 李李が再度、上段に構えた『光剣』を振り下ろす。公浩はやはり躱さず、傷口も露な腕で受け止めた。

 先程よりも派手な出血で床に血溜りが出来る。


「それは罪滅ぼしのつもりか!? その程度の痛みが、真朱の痛みに釣り合うとでも――――」


「そこまで殊勝じゃないよ。そもそも、僕が負い目に感じる理由は無いんだし」


「じゃあなんで傷を受ける!! 俺に切らせて自己満足に浸るためじゃねえのか!!」


 公浩は嘲りにも似た笑みを浮かべ、おもむろに素手で『光剣』を掴んだ。

 掌からは血が滴り落ち、直後、飴細工でも扱うかのように一息に握りこみ、パリンという音を残して砕いた。


「君の『光剣』程度、無傷で防げると思っていただけだよ。けれど思いの外レベルが高かったかな。これなら佐助花さんも安心だ」


「…………ちっ」


 李李の殺気が霧散し、不機嫌の突き動かすまま側にあった椅子にドスンと腰掛けた。

 公浩は治癒の顕術を使わず、ハンカチと制服の端をちぎって止血する。簡単に治せる傷にも関わらずだ。


「話は終わったようだな。では李李よ、佐助花に替われ。例の話を黒沼三席にも聞かせる。本人のいない場で話す事でもないのでな」


「………好きにしやがれってんだ」


 荒々しかった李李の気配が薄れていく。目を瞑り、次に目を開けた時にはいつもの落ち着きの無いオドオドした動きが表れた。


「あ、ああ、あの……黒沼君……その……ごめんなさい。はわわ!? こんなに血が!」


 真朱は公浩に触れるか触れないかと手を出したり引っ込めたりを繰り返す。血が苦手とは違う、張本人たる自分が触れて良いもよかと躊躇していた。


「………ごめんなさい」


 真朱は十秒近い逡巡の末、ボタボタと流血する公浩の様に覚悟を決めた表情へと変わる。恐る恐る近付いて治癒を施すと、制服の赤々とした染みと治りかけの傷口を残し、出血は止まった。


「制服、弁償するから。いっぱい謝るから……だから――――」


「じゃあ、友達になろう」


「………へ?」


 公浩の口から当然の事とばかり投げ掛けられたのは、そんな提案だった。

 顔を伏せ、涙ながらに公浩の制服を握りこんでいた真朱はポカンと口を開けたまま固まっている。


「告白に対してはありふれた返しだけど、まずは友達から始めよう。鶫とは厳密には恋人同士と言えるものではなくて、後ろに(仮)が付く関係だから。女の子の友達を増やすなとも言われていないしね」


 言葉の意味に理解が追い付くまでのタイムラグが、真朱の動作をフリーズさせる。

 立ち尽くし、泣くことに気が回らなくなって真朱の目元を伝う雫を、公浩が気障ったらしく拭った。


「だから……って訳ではないけど、もう僕なんかのために傷つかないでほしい。僕に、君が心を痛めるだけの価値は無いんだからさ。個人的には、僕みたいな女の敵はさっさと見限ることを勧めるよ」


 この場にいる黒沼公浩は、橘花院士緒の目的達成と同時にいなくなる。二年も経たずに学園を去る予定なのだ。

 それまでは全力で学生を謳歌させてもらうが、それからの事を考えると深い関係は望むべきではない。それがお互いのためと分かっている。

 この甘酸っぱいやり取りが虚像……偽りの関係だからこそ、騙し方や結末には責任を持つ。喩え半端な行為だろうと、これが橘花院士緒の精一杯であった。


「あの……えと……はい」


 真朱は頬を赤らめ、たったそれだけの声を捻り出す。

 落ち着き無い挙動も定まらない視線も、全てが鳴りを潜めていた。


「佐助花よ。全てを話す事を許可する。黒沼三席、佐助花が貴様に相談があるそうだ。友人(・・)として聞いてやるんだな」


 縁はそれだけ言い残し、会議室を後にした。退室の直前、ニヤリと怪しげな微笑みは、穏やかならざるものだったに違いない。

 二人きりの室内になった途端、真朱は思い詰めた顔を下方に向ける。ひとまず席に着くよう促し、公浩も隣に座ることで聞く姿勢を整えた。

 やがて、真朱は重い口を開き、声を発する。


「実は――――」


 それからの話は、真朱の“三つの異能(トライアド)”について。それによって自分が死ぬかもしれない事について。その情報は橘花院士緒によって齎された事について。最後に、助かるための手段に問題があることについてを真朱は語った。

 全てを話す許可を得ていても、助かるための具体的な手段については、まだ詳しくは語っていない。後に話すが、今だけはそれを伏せて語る。


「その手段っていうのが、例えば……助かる代わりに人間をやめるような話だとしたら。黒沼君ならどうする?」


「生きたいよ……人間をやめてでも」


 即答。

 真朱も面食らった表情になる。決して、他人事だから適当に答えたのではない……そう確信させる堅固な意志が言葉に乗っていた。

 不思議な説得力が否応にも伝わる声音だ。


「例え人間をやめても、自分が自分でいられるなら……自我と欲望が残るなら、姿形が犬猫になるとしても迷わず助かる道を選ぶ。その辺はどうなっているのかな?」


「ぇ……ぁ、うん。自我も肉体も、問題無いだろうって、マサキ先生が……」


「僕の意見を押し付ける気はないよ。でも、これだけは押し付けてでも理解してもらいたい……僕は君に死んでほしくないって。生きたいと望む事に、人間かそうでないかなんて些末な問題だよ。むしろ問題とも思わないかもね」


「っ―――――」


 真朱は再び泣きそうになる。いや、実際に泣いていた。

 顔はくしゃっと歪み、うつむくと同時に涙が下へ零れ落ちていく。


「私………死にたくない! まだやりたい事がいっぱいあるの! 黒沼君とお付き合いしたい! 誰かの役に立ちたい! 人見知りも直してもっと人と触れあいたいの!!」


「なら、そうすればいい。示された道の先に、その可能性があるのなら……決断は尊重されるべきだ」


「ぅ……ぇう……ひっぐ……」


 公浩が真朱を落ち着かせようと肩を優しく抱く。女性に対して鈍な男が唯一持ち得る手段……少なくとも梢が泣いた時は、こうすると早く泣き止むのだ。

 公浩は嗚咽が止むまでの間、その小さな肩を腕に収めた。



           ★



 橘花院士緒と取引のあった晩。

 学園に戻った三王山亜笠は、深刻極まる形相で斑鳩縁の話に耳を傾けていた。語る側の縁はというと、別段、思うところは無い様子で。


 バキッ!!


 学園長室の亜笠の机が砕け散ったのは、縁の口から語られた鬼の真実を受け入れた直後だった。

 誰が悪い事わけではない、完全なる八つ当たり。事情が事情だけに、この時ばかりはジェーンも責める気にはならない。


「“鬼”が………人間の成れの果てだと?」


 自分たちが戦ってきた化物が……時には無条件に害悪と断じて調伏してきた存在が、元は人間だった。そんな話を聴かされては荒れるのも無理はないだろう。

 これまでの行いに後悔はない。しかし、自分が滅してきた鬼が人間として生きた誰かだったと考えると、事実に頓着しなかった己に途方もない怒りや強烈な吐き気を覚える。

 さらに、これほどの大事を“六家”の当主……とりわけ、学園の理事長を勤める仁科黎明が把握していないなどと言う与太話を信じられる筈もなし。亜笠の怒りの矛先は、半分はそちらにも向いていた。


「鬼が人間の成れの果て……考えられない話ではあるまい? そも古来より鬼やら怪異やら、化生の存在が人間の変生によって生まれる逸話に事欠かない。今まで何処からともなく現れ続け、一向に正体が掴めなかった敵が、人間が“裏返った”姿だとしたら……寧ろしっくりくると思うがな」


 亜笠の神経を逆撫でしそうな縁の言葉の数々が、その時は逆に亜笠を冷静にする。

 目の前の災害級の鬼……“鬼王・斑鳩”も、元は人間だったということに思い至って。


「その“裏返り”ってのは何だ」


「さてな……いつの世からか、世界を侵し始めた現象だと聞いているが」


 縁ですら、全てに知悉している訳ではない。

 仁科黎明も、その点に関しては同様の知識しか持っていないとのこと。それは凡そ人類が知り得ない、未だ解明に至っていない現象を意味していた。


「人間には大なり小なり、内に“通力”と呼ばれる得体の知れない(・・・・・・・)力が巣くっているのは知ってるだろう。その通力は“魂”と呼ばれる、またも得体の知れない何か(・・・・・・・・・)から湧き出すらしい。魂というのは肉体という器を通して繋がっている、全く別の世界にある命の根源が何たらかんたらだ」


 縁の説明は胡乱で、一向に実体が掴めないものだ。それでも亜笠とジェーンは黙って、そしてかつてないほど真剣に耳を傾けている。


「魂の中にはあらゆるものが詰まっているとされている。通力もその一つだ。だが人間の中にはその通力が極端に少ない者や、原因は分からぬが通力そのものが湧くことなく枯渇する者がいる。何らかの理由でそれがマイナス側に寄った時、人は“裏返る”……というのが一応の通説だな」


 “裏返り”。マイナスになった通力に引っ張られるように、器である魂が表裏を逆転すること。元々あった中身はこぼれ、逆に肉体を含めた魂に接しているあらゆる物を新たに内に取り込む現象。

 取り込まれた物は鬼に変異する。マイナスになった通力を魂と肉体に適応させるための、言うなれば自衛の措置だ。


「“裏返った”人間の肉体は基本的に限界を超え、魂の容量も大きく増す。しかし殆どの者は自我と、人間であった頃の事を忘れる。私や一部の強力な鬼はその限りではないが、それも個人差というものがあってな。知能を持った上一級以上の鬼でも、多くは人間の時の記憶を失い、別人格として生まれ変わっている」


 なにせ魂そのものが変異してるんだからな、と自嘲気味に話す縁の様子は、どこかもの悲しさを感じさせた。


「マサキの話では、三つの異能(トライアド)の術式を収めておける肉体という器の矮小さが、そもそもの問題らしい。鬼となれば器の問題は解決だ。そして橘花院の持ってきた術式は悪性の取り除かれた“裏返り”を強制的に促すもの……この上なく合理的だ」


「ふざけんな!! どこが合理的だ!! 命と引き換えに鬼になっちまうなんて……鬼は人を食う化物なんだぞ!?」


「……亜笠よ。私が人を食らうところを、貴様は見たことがあるか?」


「っ………」


 亜笠から気まずい空気が滲み出る。

 斑鳩縁とは、それなりの付き合いがある間柄だ。人を食わない鬼だということも知っていた。

 あまりにも考えなしの発言だったと、亜笠は恥ずかしさに顔を伏せる。


「知能を持った鬼が人を食らうこともある。だがそれは知能を持たないものと違い、生きる事に必要ではない。連中にとっては単なる嗜好で、人間によって成敗される当然の理由だ。言っておくが、嗜好なら抑えられるし、私は生まれ変わって(・・・・・・・)このかた、人を貪り食った事は無いぞ」


「………すまん」


「構わんさ。貴様の危惧ももっともだ。だが、マサキの話によると今回に奴が持ち込んだ術式は人食いの嗜好すらも排除しているそうだ。百の利があり一の害も無い。考えようによっては夢のような術式だ」


「斑鳩さん、さすがにそれは不謹慎な発言ですよ。それに使うかどうか、決めるのは本人ですから」


 ジェーンの言う通り、縁のようには割りきる者ばかりではない。誰もが尻込みしてしまう重大な選択だ。

 人間であるままに死ぬか。人間であることを辞めて生き延びるか。

 学生には重過ぎる決断だ。


「参考にはならんかもだが、かつての独楽石栄太なら迷うこと無く決断しただろうな」


「その結果、実家とは仕送りされるだけの絶縁状態になってちゃ、世話無いと言うかやるせないと言うか」


 亜笠とジェーンは同時にため息を吐き、縁はそんな二人をなんとはなしに眺めていた。

 佐助花真朱が術式を使うことを決断するのは、それから三日後のことだった。





『改稿済みぃ』

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