第25話 陸道の男
とある山中にひっそりと佇む洋館。そこは麓の住民たち、特に子供たちからは幽霊屋敷ではないかと囁かれている場所だ。
近付く者は滅多におらず、たまに迷子の子供が入り込むか、やはり迷子のバックパッカーが一晩の宿を求めるくらい。
そして勿論のこと、幽霊屋敷ではない。
古風な外観をしているが、見ればしっかり手入れが行き届いているのが分かる。
また周囲を森に囲まれてはいるが、門の正面の道はコンクリートとはいかないまでも石材で舗装され、麓まで続いていた。
洋館の主は外出の際、車でその道を通る。私有地であることは看板が示しているため、その道を通って訪れる者はやはり滅多にいない。
しかし、その人物は別の理由から石畳の道を通らずに館を訪れ、誰にも見咎められることのない道から館へと入っていった。
中に入るやいなや、ドタドタと足音を撒き散らし、館の主がいるであろう部屋へ一目散に駆ける。そして、感情のままに扉を開け放ち、バンッと大きな音を鳴らした。
「うぇ~~~ん!! ○○えも~ん!!」
「梢……紛らわしい伏せ字を使うな。俺は五郎左えもんだ」
がたいが広く、スタイリッシュなスーツとループタイを着こなした初老の男。館の主、山本五郎左衛門は執務室で表の仕事に使う書類を片付けていた。そこに梢が現れて五郎左の膝に泣きついたのだ。
「聞いてほしいっす五郎左様ぁ! 若が……若が……他の女とっ!」
かくかくしかじか
「いつか来るとは思っていたが、愚息め……ついに女を泣かせるような男になったか。っし、一度ガツンと言ってやる」
「若が天然ジゴロだと知っていて油断した自分も悪いっすけど………それでもっ、あれは若が悪いっす! あんなにガードが緩いなんて見損なったっすよ!! なのに何で……何で自分とは何も起きないっすか!!」
モデルの様な体型で腰回り脚回りを惜し気もなく露出する格好の梢。地団駄を踏んで憤りを口にする姿は、わがままなドクモのようで微笑ましい。
五郎左は慣れた対応とばかりに梢の肩をポンポンと叩く。
「それで、だ。愚息には羽目を外しすぎないように言っておくが、梢……本来の用事を聞こうか」
真剣な話に入り、五郎左の声音が重いものへと変わる。
梢も即座にそれを受けて、落ち着きを取り戻した。そして数秒前の取り乱し様が嘘のに思える微笑を湛える。
「若から言伝てっす。『近い内に例の札を切ってください』とのことっす」
五郎左は書類へ落としていた視線が梢へと向く。しかし、すぐに書類の処理に戻っている。
これといった感慨も無く、落ち着き払った雰囲気だけが残っていた。
「意外と早かったな。愚息のやつは焦っているのか?」
「むしろ逆っすね。あまりにも協会の動きが鈍いんで、このままじゃ使う機会が無いかもと仰ってたっす。札を切るのが遅すぎると旨味が減りますし、さすがにそれでは勿体ないっすから」
「確かにな。分かった、愚息には俺から合図を出す。お前は引き続き街の監視とサポートを頼む」
「合点っす」
梢はニカッと笑って微かに首を傾げて敬礼のポーズを取る。
あざと可愛いのは確かだが……10年近く想い人が反応を示さないのだから戦術を変えるべきではないかと、五郎左は密かに考えていた。
「それじゃあ自分はこれで。焔と澪が突っかかってこない内に退散するっす」
「そうしろ。あいつら最近は愚息のやつに会えないとかで機嫌悪いしな。焔の嫌味も澪の質問攻めも願い下げだろ」
急ぎの用事も無いので二人の相手をしてやっても良いのだが、そうなると逆に女関係の愚痴で語り明かしてしまいそうだ。酒が入ろうものなら尚悪い。
二人が仕事を放って梢に付いてくると言いだす前に退散するべきだろう。
想像したら自然と漏れた苦笑のまま五郎左に一礼し、そして館を速やかに出た。
暫くして、五郎左は書類仕事が一段落したところで電話をかける。相手はすぐに出た。
「俺だ。幹部連中を召集してくれ、緊急の案件だとな………ああ、ジジイどもも纏めてだ。明日までに頼む」
五郎左は簡潔に用件だけを伝え、余分な会話もなく通話を切る。
仕事を終えたその顔には、愉しみを待ちわびる無邪気な悪意が浮かんでいた。
「さて、連中がどんな顔をするのか………ああ、楽しみだよ」
★
九良名市の隣に位置する南斗市。その街に置かれた“社”へと、先日の“急所斬り”との遭遇に関する報告のために公浩は訪れていた。
“社”と聞くと神社のような建物を想像するかもしれないが、実際の佇まいが神社のそれである事は少ない。ほとんどの場合、退魔師協会の表の顔である複数の企業の支社……ビルや研究所の形をとっている。
南斗の“社”も多分に漏れない近代的なビルの外観。ここで働く者たちが、昼は会社員の姿を借りた企業戦士、裏では人知れず鬼と戦う雇われヒーローに変身するなど、多くの人間は思いもよらないだろう。
勿論のこと、社員の全てが退魔師という事はなく、退魔師とは無関係の一般人も擁している。また、地域によっては鬼の危険度に違いが出る事もあるため、中には大企業の本社ビルが丸ごと退魔師という場合や、逆に都会の“社”に退魔師が数名という事もあった。
実際、真夏日という事でカジュアルシャツを羽織っている以外はラフな格好の公浩が呼び出された南斗の“社”は、退魔師の人員配置が外観の立派さに比べて小規模だ。数字にすると九良名市の半分以下で、鬼の脅威からは比較的に遠い街だと分かる。
つまり、この街の“社”は普通の企業ビルとしての性質が強いということ。
そんな所では公浩の服装はかなり浮いてしまう。かと言って、スーツ等の正装をする程の用事でもなし。居心地の悪さを我慢して、さっさと報告を済ませる事にした。
幸いにして、口答による報告……質疑応答はそれほど掛からずに済んだ。“社”の規模が小さくても平和でいた事実が危機意識を薄くしているようだが、その問題は公浩にはどうでも良い事だった。
(本当に厄介な“鬼”は、こういう所に潜むものです。人間はいつになったら、身体の内側から啄まれていると気づくのやら)
平和に蝕まれた街の象徴たる建物から外に出ると、まずは灼熱の太陽光に出迎えられた。
公浩はジリジリと空気を焦がす光の下をしばらく歩き、待ち合わせをしている喫茶店を見つける。入ってみると、そこでは二人の少女が公浩を出迎えた。
「あ、お帰り公浩くん。結構早かったね」
「お帰りなさい先輩。ささ、まずは冷えた飲み物でもどうぞ」
「ちょっと待ちなさい鶫! そのアイスティー、あんたが口をつけたものじゃない! なにセコい事してんのよ!」
「風音先輩こそ、先輩が来た途端に席を横にずれましたよね? 然り気なく自分の横に座らせようとしないでください!」
神崎風音と四宮鶫。二人はぬぐぐ~と唸る勢いで睨み合ってしまう。
公浩は苦笑いを浮かべ、とりあえず二人を並んで座らせてから、自分が向かいの席に着くことにした。
二人は納得いかない顔をしていたが、恐らくはベターな選択だったろう。
「て言うか、なんで風音先輩が付いてくるんですか? 元々は私と先輩のデートなんですけど」
公浩と鶫のデート日はまだ少し先なのだが、公浩がこちらへ出かけると知った鶫が、ならば用事が終わった後にデートしてしまおうと画策したのだ。さらに本来予定していたデートもやるという、付き合いたてカップルならではの欲張りな考えだった。
「偽の恋人……すなわちニ○コイに、とやかく言われる筋合いはないわね」
「偽ではありません、仮の恋人です。大事なので間違えないでください」
「すいませーん、アイスココアを一つ」
二人はそろって公浩をキッと睨む。
なぜ自分は、飲み物を注文しただけで睨まれているのか? 全ては煮え切らない公浩が悪いのだが、女心を未確認生物か何かだと思っているような公浩=士緒に、それを察する事はできなかった。
「え~と………そうだ! 今日の二人は何か新鮮だなぁと思っていたら、私服だからだね。二人ともすごく可愛いよ」
「「……………」」
風音と鶫……二人とも照れたのか赤くなり「あ、ありがと……」や、「ど、どうも……」と小さく声を発し、モジモジと落ち着きを無くし始めた。
ふと隣の様子が気になり、二人は改めて互いの格好に目をやる。
鶫は普段のポニーテールをおろし、所々にフリルをあしらった純白のワンピース姿。風音からしたら、かつての男勝りな言動からは想像も出来ない上品な雰囲気である。
考えてみれば、鶫は国内でも最大級の権勢を誇る名家の娘なのだ。白のつば広帽を被って登場した時は、絵画から深窓の令嬢が抜け出て来たと錯覚……いや、正しく絵画に収まるべき本物だった訳で………
(くっ……可愛い!! なんで今まで隠してたのよっ!)
対して風音はと言うと、前髪を上げるカチューシャはそのままに、上は白のカットソー、下はデニムのショートパンツ。一見して軽薄にも見える装いは、しかし健康的な肢体と美しい姿勢によって完全な着こなしを見せている。かつての鶫とイメージを取り替えたような印象だ。
(風音先輩、脚キレイ………全体もスラッとしてるし、なんかズルい)
それぞれが心の中で、お互いの脅威度をこれでもかと引き上げていく。
ある意味で事の中心にいる筈の男はと言うと、単純に美しいモノを見てニコニコと楽しんでいる。その顔は、腕を両側から引っ張られた時に自らの身体が裂ける光景など想像もしていない様子だった。
そして、二人がそれぞれ隣の芝生の戦闘力を測っていた時、唐突に公浩の隣の席に誰かが座る気配が届く。
目を向けるとそこには、年齢が30代ほどの、パリッとした背広の男性が腕を組み、堂々たる姿勢で腰掛けている。
キョトンとする三人を意に介さず、男は店員を呼び「ブレンドを一つ」と告げた。
直面した事態に最初に反応したのは公浩だ。
「こほん。迷子でしたら、そこの通りを二つ行った所に交番があります」
「……なるほど。生意気に見合う能力は備えているか………悪くない」
「二股がバレて修羅場なんですが……と言ってもそこに座りますか?」
「随分と楽しそうな修羅場ではないか。私も混ぜてくれ」
どうやら偶然や人違いではなく、何か目的があって現れたようだ。
公浩は訝しげな視線を男に向け、風音と鶫は二人のやり取りを唖然として見ている。すると、男の視線が鶫のそれとぶつかり、一瞬の交差を皮切りに会話が進む。
「会うのは初めてだな、四宮の娘。お前の父とは何度か話した事がある。優秀な退魔師で、なにより娘想い。尊敬できる御仁だった」
「………あなたは?」
鶫の声にはほんの僅かな緊張が含まれる。
男は「申し遅れたな」と、組んでいた腕をほどいて鶫を見据えた。
「私は陸道 鏡という。現在は九良名学園第一校の学園長をしている」
「陸道家の……」
「次期当主候補……」
鶫と風音は警戒心を露にして鏡を見る。
陸道家と言えば、“六家”の中でも特に暗部の仕事を多く受け持つ家だ。暴力団を始めとした犯罪組織を操り、そして裏の顔だけあって知る者は少ないが、海外のテロ組織にも繋がりがあるという。
そんな犯罪者の親玉みたいな存在を前に、警戒するなという方が難しいだろう。
「無理もない反応だが、落ち着いてくれないか。私はそこの黒沼という少年に話があって来たのだ」
公浩への話はだいたいの予想はつく。昨晩の一件、“急所斬り”とおぼしき鬼を取り逃がした事。あるいは風紀委員三人組とのエンカウントバトルを知られたのか。
どちらにしろ、学園長自らがわざわざ話を聞きに来る程の事ではないと思うが、亜笠の様子からして嫌がらせの一つでもあるのかもしれない。
「まず黒沼公浩。昨晩のお前の行動は立派だった。鬼の調伏も良いが、人命を優先したお前の行動を私は評価する。助けられなかった事は、さぞ悔しかったことだろう」
「…………」
意外だった。鬼を逃がした事について少なからず嫌味を言われると思っていた。
鏡の口調は穏やかで、公浩を気遣う意思が感じ取れるものだ。
橘花院士緒は“六家”の重要人物の情報をある程度は調べている。同じ“六家”の中でも陸道家に関しては殊更良い評判は聞かず、特に目の前の男は嫌われ者の部類だった。
(ふむ、なるほど……親父殿の仰っていた通りでしたか)
五郎左曰く、陸道家は中立にしてストッパー。犯罪組織と、正義を振りかざす狂人の暴走を同時に抑える役割を担っている。故に悪と正義の両極端からは嫌われるのだそうだ。
“六家”の中では最も人道的、と五郎左は評していた。さすがに半信半疑だったが、これがその一端なのだろう。
「お心遣いに感謝します。失礼ながら、嫌味を言われるようなら一発ぶん殴ってこいと、我らが学園長から申し付けられていましたので、正直言いますと意外でした」
「………そうか」
表情からは読み取れないが、どういうわけか少し言葉が詰まったように見えた。そこは亜笠との確執によるものだろうか………
「まあいい。それで昨晩の事なのだが……うちの生徒たちが迷惑をかけたようだな。それについては謝罪しよう……すまなかった」
どうやらバレてしまったらしい。
尤も、九良名学園で学長を勤められるレベルの人間に隠し通せるとも思っていなかった。三人が喋ったのだとしても責められないだろう。
「僕と真田さんたちの間には何もありませんでした……出来ればそういう事にしてください。自分の至らなさのせいで味方に攻撃されたなんて、知られたら恥ですので」
公浩にそこまで言われると、鏡もそれ以上は言えなくなる。それについてはただ一言、「感謝する」とだけ。
「ただ、真田幸子はお前の事をえらく気に入ったようでな。様子が変だったので武藤喜利と吾妻秀一を締め上げてみれば、昨夜のことをあること無いこと喋った。お前のような生徒を手の内に置いておけるとは、亜笠が羨ましい限りだ」
「光栄ですが、どうやら話が盛られてしまったようですね。本当にあること無いこと話したみたいですね彼らは」
「謙遜は美徳だな。うちの生徒にも見習わせたい程だ」
そこで鏡は届いたばかりのコーヒーを、公浩はアイスココアを、そろって口に含んだ。
向かいに座る女性陣は二人のやり取りを見て、これが男同士の世界か……? と、どこか胡乱な目で眺めていた。
「それと、予期せぬ事ではあるが丁度良い。四宮鶫、お前に提案したい事がある」
「………なんでしょう」
「単刀直入に。私の養女になる気は無いか?」
「………!」
あまりに予想外の言葉が飛び出し、その場の空気が、時間が、ピタッと止まる。そして最初に動かしたのも、止めた張本人である鏡だった。
「これだけは言っておく。私は“六家”に……四宮家には興味が無い。私は尊敬する男の娘を、見るに堪えないお家騒動の渦中に置くことが我慢ならんのだ。四宮鶫……家を捨て、私の娘として自由に生きろ。無論、陸道家の闇をお前に押し付ける事はないと約束する。私に……洋一郎殿の娘を助けるチャンスをくれないか?」
鏡の言葉は真摯さと誠意、そして善意の塊のようであった。
ここに至っては部外者の風音と公浩が、心配そうに鶫を見る。鶫の目は真っ直ぐで、その瞳は少しだけ水分を含んでいた。
「父の事をそんな風に言っていただけて、とても嬉しいです。改めて尊敬できる父だと誇りに思います」
「洋一郎殿の事もそうだが、私はお前を気にかけたい。本当の娘として扱う………洋一郎殿ほどの愛情を与えられるかは分からんが、最大限の努力はしよう。だから、前向きに検討してほしい」
鶫はいったん目を伏せ、一つ深い呼吸をすると、強い意志を宿した目を鏡へと向けて答えた。
「すみません。私には、やらなければならない事がありますので。鏡さんのご提案はありがたいのですが、お断りさせていただきます。ご厚意を無下にするようで、心苦しいですが」
鶫は鏡に頭を下げた。その所作は流石に本物のお嬢様だ。
風音にいたっては呆気にとられた顔で一連の流れを追っていた。これがあの、鶫の本当の姿なのかと驚きながら。
「………そうか。私に何か出来ることがあれば、遠慮無く相談すると良い」
「ありがとうございます」
鏡には落胆の色が僅かに見えたが、鶫の意志を尊重すると決めていたのか、引き際はあっさりとしている。
鏡はコーヒーの残りを流し込み、「親子そろって頑固ということか」と小声だが、どこか嬉しそうに呟いた。
「あまり長居して、修羅場をかき回すのも忍びない。私はそろそろ消えるとしよう」
鏡は一度席を立ち……かと思えば、何かを思い悩んだ顔でまた腰を下ろした。
「ところで三人とも。亜笠は………元気だろうか」
その質問の時、鏡の頬がほんの少し赤みを帯びているように見えた。女子二人は、女の嗅覚というもので敏感にその意味を察する。
「最近は仕事で疲れ気味ですが、元気と言って差し支えないかと」
「………そうか」
公浩の言葉を聞いた鏡は、口の端が僅かに笑みの形へと変わる。常時、仏頂面が続いていたため、その変化は顕著に表れていた。亜笠への想いが笑みとなって零れたのだ。
辛うじて大人しくしているが、色恋に敏感な女子二人は、興奮のままにキャッキャと騒ぎだしそうなのを必死に抑えているところだ。
「あいつは昔からブレーキなどが壊れ気味だった。この前の事だ……私は遠くから写真を撮っていたんだが、亜笠が酒を大量に買い込んでいたので後日それを注意したのだ。飲み過ぎは身体に良くない上に、家としてもあまり良い印象は与えないと思ってな。良ければお前たちからも、あいつの事は気にかけてやってくれ」
それだけ言うと、鏡は今度こそ立ち上がって店を後にした。それも、しっかりと全員分の伝票を持って会計を済ませた上で。
後にはストーカー行為について思慮する公浩と、浮いた話の無い亜笠をからかう気満々の女生徒たちが残された。
そしてその日のデートは、やたら熱と力の入った鶫と、自分も亜笠くらい愛されたいと嫌味を口にする風音に、公浩が理由も分からず振り回されて終わったそうな。
『改稿済み』




