第22話 ミステリアス養護教諭
「いったた………」
公浩は現在、保健室にてマサキの治療を受けていた。
主に打ち身と切り傷。幸い大した怪我でもなく、治癒の顕術を使用しない手当てを施している所だ。
「この程度の傷でボクの手をわずらわせるとはな。こんなもの『治癒光』を使えば一発だろう」
「そうもいきませんよ。学園長の意向ですから。よほどの事でもない限り退魔師の力は使わないようにする……その考えには同意できます」
退魔師が世間に紛れて普通に暮らしていくにあたり、通力の超常的な力に頼りすぎるのは危うい。
無論、隠したところで絶対に知られないわけではない。特殊な顕術を使えば記憶を消したり、印象を操作したりは可能だ。
しかし、その手の顕術は素養の問題から使い手が少なく、退魔師協会も難儀していた。
私立九良名学園第三校は在校生全員が退魔師、あるいはその家系であるため事情を把握しており、それに関する問題はほぼ起きない。が、一歩でも学園の外に出ればその限りではないのだ。
学園内で退魔師の力に依存するような事になれば、外でもその注意が散漫になる。
それを避けるためにも、必要な場面以外では顕術といった力は極力使用を制限しろ、というのが学園の方針であった。
「怪我から推察するに、どうせ痴話喧嘩の類いだろう? 昔、亜笠が好きだった男に同じような傷を負わせてたのを覚えている。その話が大げさに広がって亜笠の学生時代は男の影も形も無かったらしい。もっとも、話を広めたのはボクなんだがな、ふふん」
そこは胸を張るところではないのでは?
そしてマサキが胸を張るたびに、思いのほか頑丈なワイシャツの強度に感心するばかりだ。
「お察しの通りではあるんですけど、その相手が四宮さ……鶫ではなく、風音さんになるとは思いませんでした」
公浩に傷を負わせたのは神崎風音。かなり鬼気迫る攻撃に晒されたのだと分かる幾つもの裂傷。
そんな修羅場が演じられたのは、つい先程の事………
★
夏休みの最中であっても、生徒会と風紀委員会は学園にいることの方が多く、夜中の巡回も平常通りにこなす。
特に風紀委員は学園の敷地内にある寮に入っているため、学園にいない日の方が少ない。
その日、学園長室に帰還の報告をしに向かう公浩と鶫を最初に出迎えたのは、第一グラウンドで陸上部に混じって汗を流していた凛子だった。
「おお! 帰ったか鶫ー! ……と公浩。なんやなんやー、二人して仲よう並んで帰ってきおってからに。押しかけ女房のお泊まりプレイはそんなに白熱したんか?」
凛子のセクハラ紛いの冷やかしに鶫は照れた様子を示さず、ただただ凛子に近付いてその両手をぎゅっと握った。
「あの時、背中を押してくれて感謝しています。有り難うございました」
「お、おう……なんや、えらい雰囲気変わったな。一皮剥けたのか、それとも本当に誰かさんの一皮剥いてきたとか?」
凛子の下ネタを華麗にスルーしながら、鶫は穏やかな笑顔をこれでもかと見せ付ける。
凛子はピンときた。まさか……と呟き、油の差さっていない玩具の如きぎこちなさで、公浩の方に顔を向けた。
「いやー……ないない。ないやろ、そんなアホな事。そんな急展開ありえへんって…………ほんま?」
凛子は手をブンブン振ってその考えを否定しつつ、最後に確認のために問う。
「おかげさまで、付き合う事になりました」
「嘘やーーーっっ!! あかんやん!? あかんあかんっ、絶対あかん! ウチは良かれと思ってやっただけやねんっ………んあ~~~! 風音に殺さるやろコレぇ………」
凛子はがっくしと崩れ落ちてと両手を地面に突く。それからぶつぶつと「どこ逃げよ……女子トイレ? ホラーやん」といった具合で現実逃避に入ってしまった。
凛子の心情を理解したわけではないだろうが、公浩が鶫の言った事に補足を入れて説明をした。
かくかくしかじか………
「期間限定|(浮気あり)? ぇ、もう既に刺される感じのすけこましやん……」
鶫に確認の視線を送る凛子に、ウンウンと頷く公浩。すけこましの部分で、ん?と首を傾げたが、反射で頷いてしまっていた。
「要するに、四宮さ――――」
「ツグミです」
「鶫が僕の気持ちを変えるために設ける猶予期間って感じかな。まあ、その可能性は低く見積もってもらう事にはなるけどね、あはは」
「……案外そうでもないて思わせる尻敷かれ具合が垣間見えた気ぃするけど、とりあえず良ぅ分かったわ。問題は風音と佐助花やけど……」
「………? 佐助花さんには理解を求める必要はあると思うけど……なぜ風音さん?」
「あぁ~……ま、ええか。ウチが教えたって言わんといてな? 今やから言うんやけど風音は公浩のことへぶらっ!!??」
突如として空から凛子に直撃した何かに公浩と鶫は咄嗟に身構えたが、それが誰かを認識して息をついた。
「何を言おうとしたのかなぁ、凛子。さっきから全部聞いてたよ? そこから」
絶妙なタイミングで空から降ってきたのは日本刀を引っ提げた神崎風音。指さす先を公浩と鶫が見上げると、校舎3階の窓が開いていた。
「お、おのれはどんだけ地獄耳やねん……」
ふらふらと立ち上がる凛子を無視して風音は公浩にばっと振り替える。
「それより公浩くん!」
「はっ、はい」
思わず姿勢を正して返事をしてしまう。
風音は数秒ほど公浩を鋭く睨み付けていたが、次第に目が潤みを帯び、刀を握る手にも力が入ったように見えた。
「鶫を泣かせたら許さない」とか、「鶫は弱い子だから守ってあげて」とか、大事な後輩を思って涙しているのだと思った。盛大に思い違いだとは気付かずに。
風音からどんな感情を向けられているのか理解していない公浩は、心穏やかに風音の嗚咽混じりの言葉を待つ。そして………
「私も………公浩くんと勝負する!!」
「「「…………」」」
公浩も、鶫も、凛子も、それぞれ違う意味で困惑していた。絶句と言っても良い。
勝負すると言った風音の真意を掴めない公浩。ハンマーで殴られたような衝撃に襲われながらも、自分と同じ想いを抱く相手を蔑ろに出来ない鶫。他人の修羅場でメシウマの凛子。
三通りの驚愕それ自体にはお構いなしとばかり、風音はたった一人を見詰めたまま話を続ける。
「鶫が勝負に勝って仮の恋人になったなら、私にだってそのチャンスがあってもいいはずでしょ!?」
「っしゃああ! ええで、やれやれーい! 男を取り合っても、これで後腐れはンゴッ!?」
鞘に納まったままの風音の刀が後ろ手の凛子に突き立てられた。凛子は悶絶してうずくまる。
「いくら鈍くても、私の言っている意味は分かるよね? 私でも良いでしょ!? 私にもチャンス頂戴よ!!」
真剣さが嫌と言うほど伝わってくる言葉と、微かに震える刀が視界の隅を掠める。
本来こうなる可能性を想像していたのは、公浩に告白を行った佐助花真朱の方だった。風音が言い出すとは想定外としか言えない。
それでも、公浩は己を保ちつつ、冷静な対応が出来た自分を褒めてやりたい所なのだ。
「僕は不義理を犯す気は無いよ。なし崩しだったとは言え、今の僕は鶫と――――」
「つぐみつぐみって、何よ!! 私のことも呼び捨てにしてよ!! 何で鶫は良くて私は駄目なのよ!!」
「いや……あのぉ………だから、ね」
風音の気合いに圧されて公浩の言葉が詰まる。
そして遂に、ただでさえ溢れ始めていた風音の涙腺が決壊した。
「っ………」
公浩の罪悪感も頂点に達した。
風音は涙の雫をレンズにして睨みつける威力を増大していると思わせるような、えも言われぬ迫力を放っている。いや、はっきりと言葉を飾らずに言えば、泣く女性が苦手なだけだ。
そして公浩に追い討ちをかけるように、部活動で訪れていた生徒たちがチラホラ集まりだしていた。
黒沼くんサイテー
黒沼シネ
何で黒沼ばっかり……!
男の風上にも置けないやつ
ああ、俺もあんな風に神崎さんに睨んでほしい
ぶひー、針の筵とか羨ましいブヒ。ポクも混ざりたいブヒ
最初以外ほとんど男子生徒の怨嗟だったが、居心地が悪い事には変わりなかった。
「もういい、わかった。こうなったら無理矢理でも叩きのめすから」
風音が刀を抜き放ち、集まった野次馬たちは潮が引くようにいなくなった。
「落ち着いて風音さん! 鶫も何か言って――――」
「斬られるくらい我慢したらどうですか? 女の子を泣かせた以上、当然の報いです」
笑っていた。満面の笑顔だ。
士緒はこの笑顔は知っている。焔と澪がたまにこういう顔をしていた。笑顔なのに、圧倒的な不機嫌さが一目で判別できる、そんな顔。
全て男が悪い……存在するあらゆる理不尽の頂点と言っても過言ではない、世の理だった。
「か、風音さん? 一端、深く息を吸って話し合いを――――」
「問答無用。そして………かざねって呼べーーー!!」
「ウボァーーー!!」
★
「なるほど、良く分かった……お前が○FⅡのラスボスだったことはな」
「自分でも驚きました。ああいった汚れ役は磯野君の役回りだと思っていたのですが……って誰が皇帝ですか」
あちこちに包帯や絆創膏を貼り終えたマサキは続いて、公浩の肋骨から腹部にかけて治癒をかけ始めた。
「あの、そこは……」
「うまく誤魔化してはいるが、内臓と骨が少し参っているだろう。話を聞くに、こっちは四宮にやられたのか?」
鶫によって負わされた怪我は治癒の顕術で応急処置をしてある。完全ではないが、怪我が目立たぬよう外側は特に念入りに治したつもりだった。
だがそれでも、それなりに大怪我と言えるため、上位系の治癒でもその場で完治させることは難しい。その日は朝から痛みを堪えていたのだ。
「まったく、難儀な男だな。敵に気を使ってやせ我慢とはな」
敵………?
マサキの使った言葉のニュアンスに、少なくない違和感を感じた。
確かに、戦っている最中は敵と言えなくもない。しかしマサキの言ったことは、もっと潜在的なものに思える。
まさか……と考えてしまう。この女は、黒沼公浩の正体を知っているのか、と。
「……うん? ああ、そうか……ボクがお前の正体を知っているのは不思議だよな。気休めを口にするなら、ボクはお前の敵じゃない。むしろ味方と思ってくれて構わないぞ、ふふん」
マサキは長い黒髪をサラリと払い、ドヤ顔を見せる。
もう少しシリアスな空気になると思ったが、幸いにして、それほど張り詰めた事態にならずに済みそうだ。
「マサキ先生、貴女は誰なんですか?」
公浩はマサキの手を掴んで治癒を中断させ、腰掛けていたベッドから立ち上がった。
「むむ……それは哲学か? お前こそ何者なんだ。偽善者か、それとも復讐者か」
「私は哲学が苦手です。ですが今挙げた二つなら、両方でしょうか」
橘花院士緒としての語りかけ。声に殺気を混ぜてみても、最小限の威嚇とは言え、マサキに堪えた様子は無い。
「そうおっかない顔をするな。一応ボクは、完全に仁科黎明の味方と言うわけではない。お前次第では、お前の味方に付いても良い。ついでに、ボクに戦闘能力は皆無だ。この場で殺そうと思えば楽に殺せるだろうさ」
「聞きたい事は色々とありますが、さしあたり聞いておきたい事は………私の正体を知っている者が他にいるかどうかです」
マサキを掴む手に少しだけ力が入る。
些細な脅しの意味合いだったが、痛みからマサキの眉が僅かに寄せられた。
「……痛いぞ。女性の手を無遠慮に掴むなんて、これはやはり結婚してもらうしか――――」
「誤魔化しているつもりですか? ですが、まぁ……失礼しました」
士緒が痛がるマサキの手を放すと、「ぁ………」と名残惜しそうに声を漏らした。
落ち着いた話し合いのため、士緒は再びベッドに腰掛け、保健室を覆うように盗み聞き防止の結界を張った。『口伝千里』などで覗かれた時に、それを感知するためのものだ。
「考えてみれば、学園側が私の正体を知っている筈もありませんね。知っていれば今頃、捕らえに掛かるか刺客が雪崩れ打って来ているでしょうね」
佐助花真朱の三つの異能に関しても、士緒の身柄を交渉材料に使える。あるいは士緒が逃げたり、手痛い反撃を警戒してギリギリまで泳がせている事も考えられるが、斑鳩縁の性格からして交渉してくるものと思われた。
「ボクが知る限り、お前の正体に気付いている者はボクだけだ。二人だけの秘密なんて、ロマンチックと思わないか?」
「……それで、貴女は私をどうなさるおつもりですか?」
「ボクはお前の真の目的が達成されるのを待つ。どうしても行き詰まるようなら手を貸す。それだけだ」
「手を貸してくださると? それは何故です」
マサキは一瞬だけ遠い目をしたと思うと、いつも使っている机の方を流し見る。
ほんの少しの感傷を見せた後、机の引き出しから写真を一枚取り出して、士緒に掲げて見せた。
そこに写っているのは制服姿の男女が三人。一人はマサキ、一人は士緒と瓜二つの男、もう一人は……
「ボクとお前の母親とは親友だった。お前の父親を取り合った仲だったが、一歩及ばなかったのは歴史が物語っているな。橘花院家の秘術についても知っているぞ。お前の両親は不完全だった術式を完成させ、それを仁科家に奪われた………お前が受け継いでいた事までは知らなかったが」
「私の父母と同年代でしたか。若作りにも程がありますね」
「ふふん、良く言われるぞ。主に亜笠からな。退魔師のくせに鬼の形相なもんだから、たまにビックリするが」
士緒の皮肉をどう受け取ったのか、マサキは褒められた子供のように胸を張っている。皮肉を受け流す意図で返した言葉なのか、それとも皮肉とは気付かずに本気で得意げなのかは、判断できなかった。
ガラララ――――
士緒がマサキへと懐疑的な視線を向けていた丁度その時、保健室の扉が開いた。
先ほど張った結界が及ぶのは盗み聞き、盗み見に対しての警戒のみであり、物理的な侵入にまでは影響しない。
元々、誰かがやって来るまでの軽い会話に留めるつもりでいたが、踏み入って来たのは僅かなりと橘花院士緒の興味を引く人物だった。
「失礼します、マサキ先生。またいつもの処置を――――」
公浩と目が合った女生徒は、苦痛に歪む顔を精一杯に抑えている佐助花真朱だ。告白の件や“三つの異能”、何より四宮鶫との特殊な関係を結んでしまった手前、この学園内ではある意味、最も気まずい相手と言える。
「く、く、黒沼君!? は、あ、そうだよね! 夏休み中でも会うこともあるよね! ひゃあっ!! はだk―――と包帯!? ………ぷはっ」
真朱が鼻血を噴いてよろめく。
辛うじて踏みとどまったが、なかなか激しい出血量だ。
「黒沼、話はまた今度にな。佐助花、そこに座れ」
マサキは真朱を公浩の隣のベッドに座らせると心臓のあたりに治癒をかけ始めた。カーテンを閉められて見えなくなるまでに見た感じからすると、かなり特別な調整が施された治癒だと分かる代物だ。
(なるほど……“三つの異能”が比較的安定していられたのは、彼女の施術に依るところでしたか)
三つの異能の暴走を抑える治癒の顕術は存在しない。マサキが行っているのはどうやら、1から10まで真朱のためだけに合わせて効率化した独自の顕術……つまりは真朱にのみ有効な完全なるオリジナルだ。
(やはり、ただ者ではありませんね)
確かにこの得体の知れない女なら、退魔師の業界にあって特殊を極める“三つの異能”の見識を持っていても、そこまで不思議ではないだろう。
だがそうなると、亜笠や縁にそれらの知識が渡っていなかった事実は、どうにも解せない。もし知っていて黙っていたのだとしたら………
(誰の味方かいまいち見えませんが………とちらにしろ、予定は決行ですね。今晩にでも斑鳩さんに連絡を取りますか)
マサキが両親と知り合いだから何だ……そんなもの、仇である仁科黎明も少なからず知己であったのだ。マサキという女を信用する理由にはならない。
だと言うのに………
士緒は先ほど見せられた写真の両親の顔を思いだす。
上っ面ではない親密さが伝わってくる笑顔の三人組。懐かしき両親のそんな顔を突き付けられたせいで、いまいちマサキを敵とは認識しきれなくなっていた。
『改稿済み』




