第21話 神々の手にある人間、腕白どもの手にある虫2
退魔師の扱う技能に“接続術式”というものがある。
基本的に通力を通すだけで起動する“術式”の分類でありながら、これらは例外的に高度なセンスを必要とする代物だ。
分かりやすく言えば呪文の詠唱に近い。ファンタジーの世界よろしく呪文を唱えて奇跡を起こす。
センスを要するだけあり、あらゆる局面において効果は絶大。そのため、年月をかけて習得する退魔師も少数ながら存在する。
ではなぜ術式に分類されるのか……それは固有秘術と同じ、もともとある設計図に接続して術を引っ張り出す作業だからだ。
その設計図はどこにあるのか……世界中の退魔師の間でも諸説あるが、大きく分けて二つとされている。
一つは世界そのもの。“世界型”と呼ばれているそれは、星であったり、理の中であったり、概念であったり、世界を構成する様々なものを指す。
これらに、かつて使われていた奇跡の力が術式として焼き付いたもの。それに接続するための手段が、誰が定めたのか世界へと繋がる言葉……呪文の詠唱である。
もう一つが自分自身。“根源型”と呼ばれるそれは、固有秘術が肉体に宿るのに対し、心……心象風景に刻む。
“根源型”の場合、まず既存の顕術や、その性質・構成を完璧に理解する必要がある。その上で、素質的な面で扱えない技を知識や感覚で発動するという離れ業だ。
例えるなら、足が動かず車椅子で生活している人間であっても、走りや跳躍、縮地に震脚まで、プロセスさえ理解して心象風景に刻んでおけば、いつでも引っ張り出して行使することができてしまう……そんな不可能を可能にする技術。
そして現在……鶫との勝負で公浩が使ったのは、かつて多くの人々の認識を得ることで術式として昇華し、世界に刻まれた“世界型”接続術式。
この術式を最初に発見した者は海外で活動する現役の祓魔師。昨今、未だ世に出て間もない術式であった。
「シェイクスピアは知ってるかな? 正直、僕も詳しくはないんだ。『リア王』は名前ぐらいは知っているけど、話の内容はね。それでも接続のコツさえ掴めたら使えてしまうんだから、どうにも不思議な気分だよ」
「……今のは『リア王』の引用ですか? 接続術式はいまだに謎が多い分野ですからね。私も、ほとんど見たこと無いですし」
目の前に立ちはだかるのは純白の甲冑と漆黒の甲冑を表した巨大な腕。
途轍もない威圧感を放つそれらを前に、勢いに乗っていた鶫は優位な立ち回りから一転……後ろに退がらないよう踏み留まる事に努めていた。
「死なない程度に加減はするつもりだけど、保証はできないからね。ああ、別に脅かしてる訳じゃないよ?」
公浩がそう口にすると、鶫は口の端に小さく笑みを浮かべる。
その笑みにどんな意味があるのか、深く考えようとしなかったのは明らかな驕りだったろう。この戦いにおける自らの傲慢さを自覚している橘花院士緒だが、少しばかり熱が入っているせいで視野を狭めている事には気づいていなかった。
「できれば降参してくれないかな? 怪我をさせるのは本意じゃない」
「大した自信ですね。そんなに強力なんですか? その術式」
「……それを自分の身体で試したくはないだろう?」
「大きなお世話です。その驕りが足元を掬う事になっても知りませんから」
「それはどういう――――っ!」
鶫は『重装剛気 紅』によって風音の最高速度に迫る速さを得ている。
行く手を阻む二本の腕を迂回し、公浩へと突っ込んだ。
しかし、それを嘲笑うかのように鶫の後ろから漆黒の腕が伸びる。
思ったよりも機動性が高い腕に目を剥いたが、鶫はすぐさま横っ跳びにそれを回避。あと一瞬でも遅ければ腕に掴まれていたのは想像に難くない。
掴まれたらどうなるか……碌でもない事になるのは確かだろう。鶫は兎に角、足を止めず公浩へと踏み込んだ。
「僕が黙ってじっとしていると思う?」
純白と漆黒の腕に攻撃と牽制をさせながら移動し、鶫からあっさりと距離を取る。
まるで二人の関係そのものだ。鶫が追り、公浩はそれを拒みながら近づかれまいと距離をおく。
なかなか洒落の効いた余興ではないかと、もはや観客気分の橘花院士緒は笑みを深めた。
(それにしても、殺さないように加減して操るのは難しいですね。術式の選択を間違えましたか?)
橘花院士緒という存在の手前、結界の顕術は使えない。手持ちの術符では決め手に欠ける。
今の状態で使える最も強力な……それでいて公浩が使っても辛うじて不自然とされない手札と言えば、思い付く限りでは接続術式しかない。
現在、公浩は右腕の骨が粉々で使用不能だ。右腕の代わりになる、という思考が無意識に働いた末に『リア王』を選んでしまったのだとしたら……そう思うと、随分と甘えた考えをしたものだと自嘲が止まらなかった。
(やはり、あの術式は勝手が悪い。手加減……という縛りがある以上、岩を操っているのと変わりません)
純白と漆黒の腕は鶫の速さに対応できるほどに速く、操作性もあり、クリーンヒットすればただでは済まない威力だ。
しかしそれでは、やはり決定打にならない。
いっそ漆黒の能力だけでも使ってしまおうか………いや、それでは鶫を死なせてしまう危険がある。
そうなっては、計画の一部に支障が出るだろう。それは望むところではなかった。
さて、どうしたものか……そんな思考の最中に、鶫の声が届けられる。
「先輩! 今の先輩になら私、負ける気がしません!」
巨腕による攻撃を、ポニーテールをなびかせながら、まるで踊っているかのように回避していく鶫から投げられた言葉。
挑発の意図は無い……確信を持った、偽らざる本心だった。
「だって先輩っ、本気じゃないから!」
大きな声で嬉しそうに、歌うように言う鶫から目が離せない。
その姿は、捕まえようとする人間をからかい、戯れる妖精を思わせた。
捕まえる公浩と、逃げる鶫……いつの間にか二人の立場が入れ替わっている事実に、困惑するのは橘花院士緒だ。
「僕が本気じゃない? そうでもないよ。加減はしてるけど、ちゃんと本気だよ」
平静を装ってはいるが、公浩の表情には微かな焦りと動揺が浮かんでいる。
それとは対照的に、絶えず襲ってくる二つの腕を翻弄できるだけの余裕が、鶫から溢れていた。
「先輩の優しさが伝わってくるみたいです。それは嬉しいですけどっ………それじゃ勝負には勝てませんよ!」
何だ? 鶫は何を言いたい?
「私の本気はっ………痛いですよ!!」
鶫の色装がさらに濃く変化する。
膨大な通力の気配がその技の威力を物語っていた。
(痛い? こうなるともう殺す気じゃないですか。ですが……)
さすがに、本当に当てて来ようとはしないはず。おそらくは『リア王』を破壊して、その勢いを借りてこちらに肉薄するつもりなのだろう。
(確かにこれなら『リア王』を破壊することは可能でしょうね。分かっていれば、どうと言う事もないですけど)
まず、突進してくるだろう鶫の進路を『リア王』で塞ぎ、破壊した場合と回避の両方のパターンを簡単にシミュレートする。
どちらの場合も『リア王』に一瞬の警戒を払うため、そこに『光矢』を撃ち込む。ダメージどころか肩を押す衝撃があるかも怪しいが、多少の牽制になれば良い。
視界を遮るか逸らすかに成功したなら、こちらから接近。リスクは増すが、成功しなくても同様だ。
そのまま肉薄した所で持っている術符から二枚を使用する。指向性の爆発を引き起こす『爆符』を至近距離で発動させ、『対熱強化符』で熱によるダメージを軽減させる。
鶫が『リア王』を破壊できるとしても一つが限界だろう。恐らく『色装』の上からでは『爆符』も有効打にはならないが、本命は残った『リア王』での追撃だ。
『色装』の重ね掛けが長く続く筈はない。『リア王』からのダメージと、通力が消耗している状態の鶫なら、片腕が使えなくても倒せる自信はある。
これらを一瞬の内に思考し、そして公浩は成功の手応えを幻視して思わず笑みを浮かべた。
「歯をくいしばってください!」
鶫が『リア王』目掛けて突進してくる。
なかなか真に迫る威圧感だ。ここに殺意が乗れば、おおよその敵対者は呑まれるに違いない。
(想定内です)
アクション俳優が窓を突き破るシーンを思わせる姿で、鶫が漆黒の『リア王』を破壊。突破の勢いのまま、公浩に向かって来る。
そこへ、公浩が放てる最大威力の『光矢』を3つ撃ち出した。
「何かしましたか!」
避ける素振りも見せない。『光矢』を歯牙にも掛けず弾きながら、最短の道筋で爆走している。ここまでは予定通り。
公浩はシミュレーションに沿って、こちらから距離を詰める……だが、そこで起きたのは想定外の出来事だ。
公浩は『爆符』と『対熱強化符』を同時に発動。これで鶫の勢いを殺し、『リア王』で痛撃……そのはずだった。
「本気にしてくれないから、お仕置きです!!」
爆炎を抜けて来た鶫が、公浩へと肉薄している。行動だけ見れば想定通りだ。
しかし、取り返しの付かない思い違いが、そこにはあった。
鶫の迫力は殺意こそ込もっていないものだが、炎を抜けて迫るその勢いからは、死なせてでもという想いが溢れている。
想定を上回る出力が出ているのだ。そんな状態の相手に、最早これまでの妄想が当てはまる筈もなし。
橘花院士緒は、所詮は殺し合い未満の勝負だと考えていた。鶫が殺傷の可能性が高い技で攻めてくる事はない……そんな甘さを前提にした戦いだった。
しかし、この勝負は……
(……死合い? 負けたら死ぬ?)
自分の愚かさを恥じ、甘さを嘆き、傲慢さを呪う。
鶫は公浩を死なせる覚悟で来ていた。だからこそ鶫は止まらなかった。止められなかった。
そんな相手に手加減なんて間抜けな事を考えていれば、食い破られるのは当然だったのだ。
(ああ………良い事を学んだよ)
死を予感させる鶫の拳が、公浩の身体に突き刺さる。
衝撃は『訓練室』を抜け、“社”に居た多くの人間をビリビリと震わせた。
★
「………まぁ、そうなるよね」
予感した死は訪れなかった。
通力の集中運用による身体能力の強化と『不動障壁』のレベルが段違いだった事もあり、公浩は有りがちな重傷に留まった。
本当の意味で死を覚悟した……橘花院士緒にとっては本当の意味で縁遠いそれを、四宮鶫は気迫だけで作り出して見せたのだ。
心からの感服に値する。
現在、黒沼公浩の自宅にて、殴り合いで育まれる諸々の情について話を詰めているところだ。
お互い治癒の顕術で応急処置は済ませたが、主に重傷な公浩は村正の家に着くなりリビングのソファーにダウンした。
勝者の特権と言い張る鶫が滑り込ませた太股の上に、ポテッと頭を乗せた状態で。
「解せない。僕を好きとか言いながら当然のように殺しに来るなんて……サイコパスかな?」
「酷い暴言ですね……好きに決まってるじゃないですか。手に入れるために、この手で殺してしまっても構わないと思ってるだけです」
「それは……何とも歪んでいるというか」
「まぁ、それが半分くらいで、もう半分は………殺す気で行っても殺せないだろうなっていう、信頼です」
己の命ではなく、もっと大切な他人の命………公浩の命を賭けた。それほどまでに、公浩を自分のモノにしたかったと。
そして公浩……橘花院士緒はその信頼に応えてしまったわけだ。
最初から踊っていたのは自分だけとは、道化に相応しい皮肉ではないか。
「せーんぱい」
明らかにスイッチの切り替わった楽しげな声音。
この先の会話を避けられるなら、「えへへ、呼んだだけー」と鬱陶しいやり取りであってくれと願うに吝かではない。
跳ねるような鶫の上機嫌とは裏腹に、膝枕に捕らえられた頭部の持ち主は気が重くなっていた。
「約束は守ってもらいますよ? 今日から一年間は恋人になってもらいますからね」
「………ああ、そうだね」
はっきり言うなら、実に面倒だ。迷惑だ。人権侵害だ。
とは言え、約束を反故にする事にも別の労力が要るわけで。
少し無茶だが、こう考えてみたらどうか? これは自分に課した課題だと。
スペインの哲学者曰く……常に自分に課題を課していく人が、思考的貴族だ。優れた人間とは自分自身に多くを課す者である。
…………なんて、自分を慰める言葉は出てくるのに、鶫を冷たく突き放す言葉は一向に出てこない。
根本的に、嫌われてしまえば鶫も目を覚ますだろうと理解はしている。その上で、嫌われたくないと思ってしまっている。
それは単純に橘花院士緒が、鶫を嫌いではないからだ。その事に気付かされてしまった。
その瞬間、士緒は最も簡単で最も難しい、そして最もわがままな願い……枷を嵌められたのだろう。
好きな者は生かす。
嫌いな者は殺す。
どれだけ身勝手な理屈かは言うまでもない。
だがせめて、九良名に潜入している間……黒沼公浩の間だけでも、そう在りたかった。
優柔不断で、何もかもが中途半端な士緒にその決断をさせたのが、自分が殺した四宮洋一郎の娘とは……死んだ後にしてやられた気分だ。
鶫とはいずれ敵として会う事が確実でも、このわがままは貫いてみたい。
事が済んで、鶫と公浩は二度と会わなくても……それでも、今だけは、と。
「それで……そのぉ…………恋人としてやるべき事、あるじゃないですか」
鶫がそわそわと落ち着きを無くしていく。脚をモゾモゾさせてみたり、落ち着いて膝枕も出来なくなった。
「四宮さん?」
「つ……ツグミ………呼び方は鶫でお願いします」
「ぁ、うん……鶫。それで、何がしたいって?」
「だ、だからぁ! 恋人同士がするアレとかコレとかをですねー!」
いかに恋愛に疎くても、そこまで言われれば流石にピンとくる。
成る程成る程……と、公浩の顔に嗜虐的な微笑が貼り付いた。
「ちゃんと言葉で言ってくれないと。どんないやらしい事をして欲しいって?」
鶫の耳もとで、そっと囁く。
間髪入れず、鶫の髪をポニーテールに纏めていた紐をシュルッと解き、おろした髪を丁寧に手櫛で梳く。
「ひゃうっ!?」
鶫の身体がビクッと跳ねる。
顔は真っ赤に染まり、目線は公浩を直視できないのか大きく見開かれ、正面で固定したまま動かない。
「へぇ、綺麗な髪だね」
「あ、ああああの、先輩! やっぱり……私たちにはまだちょっと、早かったかも―――ひんっ」
「こんな綺麗な髪で僕をその気にさせといて? 悪い娘にはお仕置きしないと」
(ふぁあ!? 手つきっ……優しいっ!)
公浩の手が鶫の頬へと伸びる。
緊張で身体が張っているのか、鶫に触れる度、ぎゅっと目を閉じた状態でビクンと小さく跳ねた。
(こ、ここ、ここで初めての……キ、キキ、キスとか? 行くとこまでイッちゃう!?)
あわあわとテンパった様子だが、そこに抵抗する意思は無い。
慌てては見せるものの、しっかりと覚悟を決めていた。
初めては痛い、とか。結婚したら子供は何人、とか。妄想が広がり始めていたその時、それは起こった。
なでなで
………………??
公浩の手が頬を流れて登頂部に置かれ、そのまま良い子良い子と撫でられ続けた。
(ふあっ! ひょっとしてこれが愛撫ってやつじゃ!?)
なでなで にぎにぎ
いい加減、鶫からも力が抜けてきた。目を開けて前を見ると、そこには笑顔だが……いわゆる困惑と言うか、苦笑気味の公浩がいた。
「あのー、先輩? これは……」
「………ごめん。この先、分かんないや」
「…………」
どうやら本気で言っているらしい。
意表を突かれたとはこの事だろう。
もしやと思わなかった事もないが……ひょっとして公浩は、目の前にいるドS野郎は………純情?
「先輩、今まで恋愛のご経験とかは……」
「……一度も無い。誰かを異性として好きになった事も無いかな。現在進行形で」
公浩の憎まれ口が全く耳に入って来ないほど、鶫は面食らっていた。
今までドSだと思っていた男は、『ドSぅ』だったのだから。
「失礼ですけど、知識はどのくらいあります?」
「知識はあるよ。達人レベルでね」
嘘つけ、と反射的に言ってしまうところだ。
混乱してきた……目の前の公浩に呆れればいいのか、これをカワイイと取るべきか。
鶫は公浩との関係を進展させる事が至難であると悟った。
その日、鶫は公浩の実家に泊まったが、翌日に村正が帰ってくるまで二人の間に何も起きなかったのは必然である。
しかし、鶫はそんな公浩の事がより好きになれると確信した。
九良名への帰りの電車では、とりあえず公浩に手を繋ぐことから教えてみた。
『改稿済み』




