第19話 自覚と行動
夏休み、2日目。
四宮鶫は訓練室で組み手と称した八つ当たりを開始した。
凄まじい鬼迫を理不尽にぶつけられた磯野は数分で生ゴミと化し、現在は保健室で悪夢に魘されている。
鶫が荒れている原因を端的に述べると、夏期休みで数日間、黒沼公浩が帰省して暫く顔を合わせられないから。より正確には、一言の挨拶も無しに行ってしまったことだ。
二人は別に親しいわけでもないので当たり前なのだが、声も掛けられなかった事実は、鶫からしたら軽んじられたような気がして気分が悪い。
別に、だから何だという話なのだが………先程から、どうしても納得から遠ざかる一方だった。
「はぁ………あたし、こんな短気だったっけ」
鶫はだだっ広い訓練室の隅で頬杖をついていた。
恋を憂う美少女を絵に描くとしたら、これ以上無い最高のモデルとなったことだろう。
惜しむらくは体操服である事と、その様子を見ている凛子に絵心が皆無な事か。
「えらい荒れてた思うたら、急に落ち込んで。公浩かて悪気があったわけやないんやで?」
「なっ、なんで黒沼先輩の名前が出てくるんすか! あたしは別にあんな人の事で荒れてたわけじゃ……って、そもそも荒れてねえし!」
凛子はやれやれとため息を吐く。
そして、子供に根気強く教えるのにも似た覚悟をして、問題の中枢へと斬り込んだ。
「そういえば鶫、聞いたか? いんや、その様子なら聞いてへんのやろ。実はこの前な……公浩の奴な……風紀委員の佐助花にな……告白されたんやて」
「………え?」
「いやー、見物やったわ。佐助花なんか隠れ美少女で有名やから、あれきっと公浩の奴も受けたんやないかな……今頃付き合うてるんやないか? いや、もう付き合ってると言っても過言やないな、うん」
鶫が目を見開いて、信じられないという表情で固まる。
少し考えれば、軽薄な凛子による平常運行だと無視するところだ。ところが、今日この時に限っては鶫の精神状態が平常ではなかった。
無自覚の傷心の真っ最中、自分が素直にならなかったばかりに出遅れたと聞かされれば、想像を絶する危機感を抱いても不思議ではない。
事実、鶫の瞳には徐々に水分が溜まっていく。潤んだ視界で乱れた光を受けとる頃には、嗚咽と共に零れる涙を抑えられなくなっていた。
「そんな……ぅ……ひっぐ」
「っ………」
思っていた以上の反応が返ってきた事で、凛子を罪悪感が襲う。
まさか鶫が、ここまで本気の感情を露にするとは思いもよらなかったのだ。
そして、いよいよ鶫のすすり泣きが声を上げての号泣にシフトしようとしたところで、凛子が耐えられなくなった。
「じ、冗談や! 冗談に決まっとるやん!? あ、いや、佐助花が告白したんはホンマやけど……あの甲斐性無しが誰かと付き合うなんて、あるわけ無いて。ウチが言いたかったんはな、そうやってツンツンばっかしてデレが無いと、いずれはそういう思いをすることになるで、ってことや」
「ひっぐ………うそ………?」
「せやせや。これに懲りたら、もっと自分に正直に生きてンゴェッ!!」
鶫の正拳突きが凛子の腹部に突き刺さる。怒りと憤怒と憎しみと照れを重ねまくった、渾身にして会心の一撃だ。
凛子は悶絶して倒れこみ、「こ、これ、は……あかんやつや」と掠れた声を漏らすのが精一杯の有り様である。終いには呼吸困難に陥るまでに。
鶫の赤く染まった頬を誤魔化すためにバシッと叩き、目をゴシゴシ擦ると凛子に言い捨てた。
「先輩のバカ! もう知らないんだから!!」
そのまま訓練室から走り去ってしまった。
鶫はキャラを維持する余裕も無いほどに心を乱している。そこまでショックを受けたのなら、鶫の気持ちはもう疑いようがない。
凛子は割と洒落にならない足取りで、ふらふらと立ち上がった。
「ごほっごほ……ぉえ………ふぅ……ったく、世話のやける後輩やな。ウチも―――けほっ……何、やっとんのやろ。人の恋愛に口挟むやなんて………人のこと構う余裕なんか無いっちゅうねん」
凛子は自嘲する。そして、いつかの自分と重なる後輩を見て、複雑な上にやり場の無い感情をもて余していた。
★
訓練室で凛子に尻を蹴飛ばされる形となった鶫は制服へと着替え、廊下をドスドスと音がしそうな迫力で歩いている。
周りから見ると不機嫌そのものだが、実際には図星を指されたことによる気恥ずかしさと、自分の気持ちを自覚してしまったことによる心の動きに付いていけない自分の情けなく思っていた。
(こんな気持ち、どうすれば……どうやって落ち着ければ)
足を止め、頭をブンブンと振って思考を振り切ろうとしても、しつこく粘りつく不快な感情は消えない。
それに、本当に振り切ってしまったら、それはそれで問題の先送りになるだけ。これは時間が解決してくれる類いの話ではないのだ。
取り返しがつかない事になりかねない……そんな話であると、直感していた。
(苦しいよ……)
治まった涙が再び湧き出そうになる。走って逃げ出したい衝動に駆られるが、当然のこと、逃げ場など無い。
故に、そこに掛けられた尊敬する人物の声には、微かであれ反射的に喜色が浮かんだ。
「ん? 四宮じゃねえか。こんな所でどうした?」
「亜笠さん……」
いつの間にか、無意識の内にここに来てしまっていた。
学園長室の前へと、何かに縋るように。
誰に、かは考えるまでもない。学園長室に来たのなら、そこにいるのが最も自然な人物……学園長の三王山亜笠だろう。
四宮鶫がある意味で最も頼りにしている人物へと、自然と足が向いたのだ。
「……またずいぶん参った顔してるな。ま、学生の時分には悪くはない顔つきだ」
「悪くない……ですか?」
鶫には分からない。今の自分の顔を見て、何故そんなことを言えるのか。
自分でも、酷い顔をしている自覚はあると言うのに。
「昔はあたしも、そんな顔をしてた時期がある。今にして思えばだが、あれは自分が成長できた時、それに付いて行けず戸惑っていたんだな。例えば、いきなり身長が10センチも伸びたら驚くだろ? それとおんなじだ」
「あたし……成長なんてしてないです。それどころか、自分の感情に振り回されて情けないくらい……」
「それと似た状況はもう乗り越えただろうが。忘れたのか?」
先日の一件……橘花院士緒に打ちのめされた時の話だろう。
心を折られ、塞ぎ込んだが、それでも乗り越えられた。それは間違いなく成長と言えよう。しかし………
「今、あたしを振り回している感情はあの時とは違います。あの時とは、全く別なんです」
「悩み事の詳細なんてどうでもいいんだよ」
亜笠は拳を鶫に向けて突きだした。
「お前はそれの乗り越え方を知っているんだから、もう一度そうすりゃいい」
鶫の視線が、亜笠が突きだした拳へと注がれる。
突き放すような、はたまた戦友からのエールにも似た拳だ。
そんな感覚を、前に公浩からも受けたことがある。自棄くそになる事をふっ切ったと思い込んでいた時……邪魔だ、帰れと、ガツンとぶつかってくれた。
鶫が惹かれるようになった原因とも言えるシチュエーション。亜笠の拳は、それに良く似ている。
「お前は、一人で全部乗り越えた気でいたのか? お前は今、どんな形であれ成長したんだ。だったら誰かにその成長を見せつけて、一緒に喜んでもらえ。そうすりゃ根性も入るし、悩みが何にせよ、大抵の悩みは気のせいだと気付けるだろ」
亜笠は拳を鶫の胸へ、コツンと当てた。
鶫の全身に震えが走る。
理屈も具体的なアドバイスも無い亜笠の言葉は、しかし大いに心に響いた。説得力とは微妙に違う……これは実際、亜笠という人物の前にいなければ伝わらない感覚だろう。
鶫は、これからの行動を決めた。
「亜笠さん! ありがとうございました! あたし、今から行ってきます!」
鶫はすっきりした顔で亜笠に深く礼をして、一分一秒も惜しいとばかりに踵を返した。
学園長の前で廊下は走れないので、近くの窓を開けて中庭に降りてから、向かいの校舎へとポニーテールを揺らしながら突っ走っていく。
そんな様子を、亜笠は苦笑混じりに見送る。ジェーンが厚さのある書類の束を抱えて歩いて来たのは、そんな時だ。
「学園長はいつの間に、他人の恋愛に口を出せるほど経験をお積みになられたのでしょうね」
「恋愛……? 何だそりゃ。あたしは単に生徒に気合いを入れて………って、まさかさっきの話、そういう話だったのか?」
「彼女のあの表情。あれは恋する乙女の顔でした。ちなみに学園長は、恋を知りたい喪女の顔です」
「てめえ……言っていい事と悪い事ってのがなあ!!」
ジェーンは涼しい顔で学長室の前に立ち、ドアを開け、亜笠の文句を背中に受けながら部屋に入った。
「そうそう。昨夜の事について、風紀委員長から報告書が来ていますよ」
部屋の主が遅れて部屋に入ると同時、ジェーンから容赦のない仕事の話を向けられる。
せめて椅子に座るまで待てないのか……落ち着かない職場に、亜笠は辟易としていた。
「あいつの事だから、必要以上の事は書いていないだろう。そのまま上に上げろ」
「ちなみに、佐助花さんの事はどうなさるおつもりです?」
「断腸の思いだが、信じる……いや、利用するしかないだろうな。頭も痛ければ胃も痛いぜ」
「胃ではなくて腸が痛いのでは?」
ジェーンがクスクスと笑う。
亜笠はめんどくさそうに「だれうま~」と言って書類へと向き合った。
★
九良名市から電車を乗り継ぎ2時間の街に、鶫はやって来ていた。
人通りも多く、それなりに都会と言える部類の街。そこへ、いつになく素早い行動力を発揮してまで飛んで来たのだ。
「ここが、黒沼先輩の実家がある街……」
らしからぬ行動の根底にあるのは、ただ一心……公浩に会いたいがため。
学園で亜笠から励ましを受けて最初に行ったのは、生徒会長たる梓に許可を貰うこと。市外に出掛ける旨を伝え、夜の巡回当番を2、3日休ませてもらえるか伺いを立てた。
生徒会長の正直な意見としては、人員の離脱は好ましくない。学生とは言え、退魔師の業界にあっても精鋭の一角に数えられる九良名学園生徒会……夏休みだろうと小回りが利く立場とは言えないのだ。
当然、梓も渋い顔をするだろうと思っていたが鶫だが……思いの外あっさりと許可が出た。
最初は鶫の押しの強さに気圧される形ではあったが、行き先を聞いたときに「黒沼先輩のところです!」と堂々と言い放つ鶫を見れば、喜んで背中を押したくもなる。
先日、公浩と佐助花真朱のアレコレを覗き見たため、鶫が出遅れたと知っている事を差し引いても早い決断だったろう。
公浩の実家がある街を教え、更にはその街にある“社”へと話まで通した。
あまり自由の利かない学生退魔師としては、そうしないと他所の縄張りを迂闊に歩けない。仮免退魔師の辛いところだ。
「えーと……ここからこの道を、こう行って」
鶫は地図を広げ、顔を落としてそれを見る。
実を言うと鶫は地図を読むのが苦手な方だ。
時間が惜しいと考え、近くの人に地図を見ながら尋ねてみようとしたところ……思いもよらない出会いがやって来た。
「そこの君、四宮鶫さん……だよね?」
横合いから話しかけられ、鶫は反射的にそちらへと振り向く。
立っていたのは中年のサラリーマンらしき男。痩せ型でメガネを掛け、人の良さそうな柔和な笑み、善良で虫も殺さないという印象を受けた。
「ごめんね、怪しい者じゃないんだ。ここ、糸浦市の“社”で退魔師をしている者でね。君が来ると聞いたから挨拶だけでもしたいと思ったんだ。そちらでは、息子がいつもお世話になっているようで」
「え? 息子って……あなたは?」
「申し遅れました。僕は公浩の養父で、赤坂 村正と言います」
特にそんな筋合いでもないのだが、公浩の養父と聞いて鶫の緊張が一気に高まる。
うっかりお義父さんと口走らなかった自分を、思い切り褒めてやりたい気分だった。
『改稿済み』だみゃー




