第16話 その告白は狂気を孕む
私立九良名学園第一~第三校では一貫して中間、期末などにテストは行われない。
代わりに、毎月始めに各教科で小テストを実施している。
勿論のこと成績に影響するため、生徒たちには恒常的な勉強の習慣が求められる。結果として、学園の偏差値は高めだ。
その日、7月の小テストを集計した中から上位100人の名前が貼り出された。
黒沼公浩の成績は学年で3位。
生徒会役員や風紀委員は退魔師としての活動のほか、学業でもそれなりのレベルを維持しなければならない。殆どの生徒会役員と風紀委員は成績上位をキープしている。
その中にあっても黒沼公浩の成績は間違い無く頭一つ抜けたものだ。得意になったからと言って、誰も文句は言えないだろう。
だが黒沼公浩……橘花院士緒の心境としては、なかなか複雑な苦味があった。自分の上に二人もいるなんて、と。
士緒は大学卒業レベルの学力を身につけていて、年齢も若くはあるが、彼ら学生と肩を並べられる程ではない。そんなイカサマをもってして、この結果。
勉学に関しては浅く広く修学しており、専門的でもない限り高校レベルの勉強で遅れを取ることは無いと高を括っていた。故に、少しだけプライドが傷ついた。
「風音さんはどうだった?」
自分より上位に名前が無い事を確認したうえでの質問。
こんな時は花を愛でて癒されるに限る。
意地の悪い笑みを浮かべ、隣で順位表を見上げている風音に声を掛けた。
「57位……先月より三つも順位落としちゃった」
むすーっとした膨れっ面で睨む顔は可愛いが、今回は公浩にからかわれてカチンと来たらしい。普段とは凄みが違う。
「おお? えらい端っこの方に名前載ってるやん公浩。ちょいと前に転校してきたとは思えんわぁ。ちなみにウチは40位タイやでー」
凛子はドヤッと大きな胸を張って風音を流し見る。
直後に脇腹をゴスッと殴られるとは想像もしなかったろう……殴られた公浩は特に。
「んぐっ! あ、はは……風音さんも十分に上位だろう? そんなムキにならなくても―――んぐっ……いいんじゃないかな」
ひきつった笑顔で慰める。それは痩せ我慢が必要なほど、地味に重い一撃だった。
知ってはいたが、風音は些かメンタルに左右されやすいらしい。
「それはそうと、少し意外だったかな。まさか磯野君が学年で8――――」
「言うなや。悲しくなるやん」
「普段はあんなにバカなのに………」
九良名学園第三校の生徒数は千人を越える。かなり大きめの部類だ。そんな場所にあって好成績を残すのは、まぐれでは不可能だろう。
磯野の言動は確かに突飛で思春期の少年らしくはあるが、それが演技だという可能性も無きにしもあらず………か?
考えても意味の無い事かも知れないが。
「あ、あの!」
三人の背中に……正確には公浩へと力強く声をかけてきたのは、前髪で目元が隠れ気味のおとなしそうな少女。何が不安なのか、おどおどと落ち着かない様子の上目遣いと公浩の視線が合ったと思えば、キュッと目を瞑って顔を逸らされた。
「わ、わたし、2年で風紀委員の佐助花 真朱………です!」
あわあわと落ち着き無く動く手振りと視線。
佐助花真朱という名前は、今まさに記憶に刻まれたばかり。
貼り出されたテスト結果の一番端に名前のある人物……公浩より僅か二点差で学年一位になった少女だ。
「初めまして、佐助花さん。僕に用事かな?」
公浩は同学年と後輩に対しては意識して言葉使いを崩すようにしている。大抵の人が公浩の敬語にむず痒そうな反応を返すため改めた。親しい身内にも敬語が普通だった士緒が、暫くの間むず痒い思いをするだろうが。
「ちょ、ちょっと待って………すぅー、はぁー、すぅー、はぁー……は、はい、落ち着きました」
深呼吸をした真朱の頬は紅潮したままだが、胸の前でくねらせていた指を握りしめ、動きを止めた。
「そ、それで、その……黒沼くんに、折り入ってお話が……ありまして……」
「………? 何かな」
真朱は顔を伏せ、再度モジモジと指を絡め始める。そして今度こそ決心がついたのか、バッと顔を上げた。
「わ、わわ、私と………おお、お付き合いしてくださいっ!!」
周りで成績表を見上げていた生徒たちの視線がほぼ一斉に大声の方向へと向かう。
風音の血走った目もそこに含まれていた。
「はうっ!? み、みんなに見られて……あ、あの、後でまた来ます!」
そう言って真朱は走り去ってしまった。
後には生徒たちによるヒソヒソだったり、がやがやだったりする話し声と、気まずい苦笑が浮かぶ公浩が残された。それを横目に、凛子はニヤニヤを隠すように口元を押さえて風音を見ていた。
★
「松平君、時間いいかな?」
放課後になっても佐助花真朱は一向に現れない。そこで公浩は受け身を止め、攻めの姿勢に移る。
ほろ苦い青春の一幕を演じた少女に、少なからず興味を覚えたというのもあった。
風紀委員の業務管理は次席の松平二郎が行っている。佐助花真朱の業務予定があれば彼が把握しているはずだ。
公浩は真朱を探している旨を第ニ会議室で報告書をまとめていた二郎に伝える。告白らしき部分は微妙にぼかして。
「彼女なら今日は委員長と夏休み期間中の巡回シフトについて話し合ってるはずだよ。学年一位の頭脳は業務立案ではなかなか優秀でね。僕らよりも頼りにされるんだ」
僕ら………
籍を置いて間もないため当然なのだが、あの食えない風紀委員長が自分よりも頼りにしている事実は、僅かながら悔しいものがあった。
「それに佐助花くんは、ちょっとだけ特別な立ち位置でもある。まぁ、僕にはそう見えるってだけで、どう特別なのかは委員長しか知らないけどね」
「……それは良い部類の秘密? それとも悪い部類の秘密かな?」
「どうだろう……ただ、委員長にしては珍しく、人よりも気に掛ける素振りがあったからさ。それにどんな秘密があるにせよ、あの斑鳩縁の領域だ。藪をつついて蛇を出すことも、人を祟る神様に触りに行くこともしたくはないかな」
二郎の人柄を見るに、関わり合いになるのは御免……とは思っていないだろう。訳有りの人材を腫れ物のように扱うタイプとも思えない。
これまでの学園生活で普通に接して来たとするなら、石橋を叩く慎重さは有っても良いが、あまり踏み込み過ぎるのはお勧めしない……といったところか。
「二人は今フラッグルーム?」
「委員長に限ってはそうだと思う。でも二人の会話はいつもスムーズに終わるから、佐助花くんがまだ居るかは分からないよ」
後で向こうから来ると言っていたのだから、やはり教室あたりで待つべきだろうか? だがあれこれ動き回っても結局すれ違うリスクは変わらない。
ならせっかくだ。他にも佐助花真朱についての情報が無いか、二郎に尋ねてみることにした。
「佐助花さんって、どんな人なの?」
「一度でも会って話をしたなら分かるかもだけど、彼女は内向的で人見知りが強いかな。前髪で隠れ気味だけど、容姿は可憐と評判。すると皮肉なことに、髪で隠れた部分が気になる男子が出てくる。必然的に周囲の視線が集まり、おどおど。不憫な悪循環に陥ってるよ」
確かに、初見の印象とピッタリ合う。
そんな彼女の何が特別なのか……なぜ唐突に、らしからぬ告白を行ったのか。なぜ面識の無いはずの公浩に好きと告げたのかも、少しだけ興味をそそられた。
「ふむ………ありがとう、松平君。今から行ってみるよ」
「……あくまで個人的な意見だけど、秘密のベールを被った女性はとても魅力的だと、僕は思うんだ」
「そうだね。それには同感だよ」
別に後ろめたい会話をしていた訳でもないが、斑鳩縁の話題となると無駄話でさえ不安になるらしい。
謎多き女性たちのご機嫌伺いをしてくるようにと、曲者同士だからこそ伝わる迂遠な言い回しだった。
★
「それで―――ククッ……黒沼に告白したと? 見事に空回っているではないか」
「ぅぅ~~……笑うなんてヒドイです」
委員会にはそれぞれ、拠点となる部屋が学園から割り当てられている。
組織の規模や部屋の広さにもよるが、与えられるのは多くても二部屋。風紀委員会の四部屋はまさに特例と言えた。
風紀委員会は第一と第ニ会議室、そして風紀委員会専用コンピュータールームと、フラッグルームと呼ばれる主な事務作業を行う部屋が割り振られている。
委員長である斑鳩縁は殆どの場合、フラッグルームか第一会議室で報告書に目を通し、各員に指示を出す。
今はフラッグルームにて二人きり、佐助花真朱と仕事の話を終え、雑談へと入ったところだ。
「佐助花、貴様の見る目は信用している。しかし、だからこそ聞くのだがあの男………お前の手に負えると本気で思っているのか?」
縁は公浩を高く評価し、人柄も気に入っている。
真朱のことも能力面や人格では優秀だとわかっているのだが、心配になるのは二人の相性だ。
佐助花真朱が精神的な不安定さを抱えていることは、事情を知らない者でもある程度は読み取れる。そこに黒沼公浩という男は、縁の目から見ても劇薬に過ぎるように思えた。
「あれは今のところ暴れ馬ではないが、貴様が思うような清く正しい存在ではないと断言する。ユニコーンやペガサスのつもりで近づいたら、実は馬に化けた悪戯の神だった、なんて事もあるかもしれん」
「……ロキが化けたのはメスの馬です」
「物の例えだ。それに百歩譲って貴様は良いとして、李李の奴が許さんだろう。私としては、あやつの反応は面白そうだから構わんのだが、貴様のことだ……その辺の了承は得ていないのではないか?」
縁は愉しいような呆れたような微笑を真朱に向けて言う。
図星を突いたようで、真朱は顔を伏せて口を引き結んだ。
「それに、だ。もしかしたら貴様の事情を知って黒沼の方が貴様を拒絶するかもしれんぞ? その可能性ももちろん考えたのだろうな?」
「……………」
「それこそ、お前の知らない奴の一面かもな。どうだ? お前の事情を奴が飲み込めるまで、もう少し慎重な決断をしては」
真朱は顔を伏せ、小刻みに震えている。
そして唐突に掌をギュッと握りこむと、長テーブルをバンッと叩いて立ち上がった。
憎悪に染まりきった目で縁の事を射ぬいて。
「私を揺さぶって楽しいですか? あまり面白半分につつかないでください。殺しちゃいそうです」
どこまでも平坦な声と、激情を思わせない瞳には殺意がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
縁は口元の笑みを深くし、まるで微風でも浴びるように平然とその殺意を受け流した。
「やはり、お前はその状態が一番危ういな。前から言っているだろう……崖から飛び降りるのなら、中途半端に飛ぶのは危険だと。そんなことでは羽ばたけんぞ?」
「……毎度のご忠告ですね。お礼に、そのニヤケ面が二度と戻らないよう口を裂きましょうか?」
殺気が部屋に充満していくのは誰であれ良い気分ではない。
とは言え縁に堪えた様子は無く、機嫌良さそうにクツクツと笑っている。
暖簾に腕押し、糠に釘。その態度がますます殺意を助長しているのだが………フッとその殺気が途絶えた。
フラッグルームの扉がコンコンと叩かれたからだ。
縁はぬけぬけと「そこそこ楽しめた」と肩を竦めている。真朱は一瞬で顔を赤くして、居たたまれなさそうに椅子に腰を下ろした。
「入れ」
縁が入室を促すとドアが開かれ、「失礼します」という言葉と共に男が入室する。
部屋に入り、真朱の後ろに静かに立った人物を見た縁がニヤニヤと声をかける。
「どうした黒沼、今日は非番だったろう」
ガタッ
真朱は緊張から背筋をピンと張って勢いよく立ち上がる。
口がわなわなと震え、冷静さなんてものは遥か彼方だ。
「こちらの佐助花さんに用がありまして。業務中でしたら出直しますが?」
「必要無い、もう終わった。佐助花、貴様も今から時間は空くだろう。黒沼と街にでも繰り出したらどうだ?」
「そ、そそそ! それは!! で、ででデ……!!」
「だったら、このあいだ凛子さんに良い感じの喫茶店を教えてもらったんだ。そこに行こうか」
ポンと公浩が真朱の肩に手を置くと、真朱はフリーフォールで落下したのではと思う程、ビクンッと縦に振れた。
その時、無意識に天性の女誑しが発動し、耳元に寄せた公浩の唇からくすぐるような甘い声が佐助花真朱を撫で回す。
「さっきの話……交際はともかくとして、佐助花さんには興味がある。親交を深めてみるのも良いよね?」
公浩は真朱から顔を離し、その拍子に真朱の髪が微かに揺れた。女子特有の甘い香りが公浩に届き、「良い匂いだ」と小声でく。
真朱はその言葉を聞き逃すこと無く長期記憶領域に全力で保存していた。
「それじゃ、正門で待ってるから」
公浩はドアを開けて前に立ち、縁に一瞥だけ残して部屋を出た。
パタンと扉が閉まる音と同時に真朱はへなへなと床にへたりこんでしまう。
「興味がある……良い匂い……そんな事言われたら私……はうっ!?」
スカートの内へ手を伸ばそうとする真朱を、流石の縁もコホンッ、と強めの咳払いで阻止した。
「佐助花、さすがにそれ以上は看過できん。続きは寮に戻ってからか、少なくとも私のいない所でやれ」
佐助花真朱という少女がここまで我を忘れる事は稀である。周囲の目が気になる分、自分の事には敏感なのだ。
そう考えると、そもそも人前で誰かに告白するなど考えられないが……どうもテスト結果で名前を覚えてもらった所に、反撃を許さない電撃的な突撃を図ったのだと縁に語った。そのまま電撃的に逃げ出さなければ文句無しだったろうに。
真朱に常らしからぬ行動を取らせる程の何かが、黒沼公浩という男にあるとでも言うのか……それを考えるだけで縁の機嫌はぐんぐん上向いていった。
「目の保養だと思わんか? 謎めいた男というものは」
心ここにあらずの真朱へと、口端を吊り上げて凶悪な笑みを浮かべた縁が問い掛ける。
真朱の様子を見れば、答えは聞くまでなかった。




